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 ひとまず、桧渡さんが言っていたような、強い神社を調べようと思う。たしか、語る人が多いほど力をつけると言っていた。平たく言うと、有名な神社であればあるほどいいというわけだ。

 クッションに座ってスマホに向かい合い、インターネットで検索する。


 地元の小さな神社では不安だ。一応それでも神様を祀っている場所だし、有象無象の化け物に比べれば強いのかもしれないが、「語る人が多い」とはいえない。万が一負けたら僕は死ぬ。もっと確実に強いパワースポットのほうが安心できる。

 全国的に有名な神社をいくつかピックアップして、今週中に行けそうな場所を選ぶ。どこも遠いけれど、これだけ有名で観光客が多い場所なら、呪いよりも神様のほうが強そうな気がする。

 しかし失敗すれば僕の命はないので、神社選びは慎重になった。どれほど有名な神社でも、ご利益が縁結びでは仕方がない。魔除けになりそうな神様を吟味して探すと、なかなか手間がかかる。


 いっそのこと様々な神社を巡ってみようかとも考えたが、神様は他の神様に嫉妬するという情報も出てきたので、梯子すればいいというものでもないようだ。

 そもそも神社はそんなに強いパワースポットだろうか? 神様がいると言ったって、現代の日本で神様を信じている人なんかあまり多くないだろう。信仰のない神様なんて、大して力もなさそうだ。


「もっと強いパワースポット……もしくは日本を出て、神様が真剣に信仰されてる国に行ってみるか?」


 僕の思考は一層広がって、まとまりがなくなってきた。

 そんな中、スマホがポンと通知音を鳴らした。


「小鳩くん、どうだい? 呪われてるかい?」


 先生からメッセージだ。


「帰ってきたよ。大家さんから聞いたが、こっちに来てくれたみたいだね。遅くなってすまなかった。私からそちらに行こうか?」


 事情を知らない先生は、悠長に竹人形を自分の手元に戻そうとしている。しかし僕は、これを先生に返すわけにはいかない。


「お帰りなさい。でも、取りに来なくていいです」


 とはいえ自分もカウントダウンが進んでいて、時間は限られている。呪いを解く方法を、早く見つけたい。メッセージを打ち返している時間すら惜しい。

 スマホを置いた直後、メッセージアプリが新着メッセージの到着を音で知らせた。先生からだ。今は調べ事に集中したくて、先生からの連絡は無視することにした。


 その後もしばらく調べ事を続けたが、ふとした瞬間に竹人形のあの笑みが脳裏をよぎり、内臓が締めつけられるような感覚に襲われる。考えがまとまらなくて、時間の経過とともに焦りばかりが募っていく。

 僕は一旦気分転換をしようと、好きな本を手に持ってベランダへ出た。


 こんなときに寄り添ってくれるのは、いつだって本だ。心温まる物語を読んで気持ちを切り替えれば、明日からはきっと、なににも怯えずに普通に生活できる。

 ベランダの柵に腕を乗せて、すっかり日が傾いた夕焼けの町並みを眺める。暑いけれど、いい天気だ。傍の民家で洗濯物が揺れて、干された布団が陽気を蓄えている。


 突然、眼の前が暗転した。


「えっ?」


 そしてその暗闇の中に、ふっと、竹人形の薄笑いが浮かんだ。


「うわあ!」


 目は開いているはずなのに、周りが見えない。竹人形がくすくす笑っている。本が手から滑り落ちた。僕はその場にしゃがみこんで、膝に顔をうずめる。


「やめてくれ……やめて、やめて、助けて」


 感覚が乱れていく。周囲の光も音も分からない。目を閉じても耳を塞いでも、竹人形が真正面にいる気がする。 


「うわあああ……来るな、来るな!」


 頭の中がしっちゃかめっちゃかで、どうしたらいいのか考えつかない。ベランダの柵を乗り越えようとしたが、腰に力が入らなくて体が持ち上がらない。


「助けて!」


 動かない体を震わせて、叫んだときだ。

 ふっと、視界が元の夕方の景色に戻った。


「あれ……?」


 なにごともなかったかのような良く晴れた空が、僕を見下ろしている。カアカアカアと、山へ帰るカラスの群れが横切っている。

 僕はしばし呆然としたのち、立ち上がった。腰が抜けてしまって上手く歩けないなりに、よたよた進んで部屋に戻った。まばたきをしても、もう竹人形の幻覚は見えない。

 幻覚、だろうか。竹人形に怯えるあまりに、恐ろしいものが見えてしまったのだろうか。


 僕はガラス戸の向こうのベランダに目をやった。あのまま錯乱していたら、僕はあそこから飛び降りていたと思う。すんでのところで急に現実に引き戻されたが、きっと最終日だったら死んでいた。根拠もなくそう思うのだ。


 僕は奥歯を食いしばった。もう先生のアシスタントはやめよう。

 勉強のためだと思って我慢したが、こんなことで僕が小説家として成長できるとは到底思えない。

 今回は先生の呪いを解くために自分が肩代わりしたけれど、今後はもういくら呼ばれたって先生のところへは行かない。決意を固めたところで、呪いが解けずに死んでしまうかもしれないけれど……。



 翌日。つまり、六日目。明日死ぬかもしれないのに、僕は律儀にバイトにやってきた。しかし体調が悪くなって、すぐに現場から降ろされた。

 休憩してから復帰するつもりが、店長から帰宅を命じられ、殆ど役に立てずに家に帰ってきた。それが、昼頃のことである。

 

 スマホを見ると、先生からのメッセージが未読のまま溜まっていた。なんと言われようと先生には竹人形は渡せない。僕は見なかったふりをして、昨日の続き、神社を調べる作業を再開しようとした。

 と、そこで僕の邪魔をするかのように、椋田さんから着信が入る。


「小鳩先生、プロット、どうですか?」


 竹人形云々など知らない椋田さんは、のほほんとした態度でそんなことを訊いてきた。

 七日目が迫ってくる焦りでピリついていた僕は、彼の穏やかな声に、ふっと心の糸が切れた感じがした。途端に、涙が出そうになる。 


「すみません……僕、明日には死ぬかもしれないので、プロットは……」


「は? えっ? 小鳩先生? どうしました?」


 事情を聞いていないのだから当然だが、椋田さんは困惑していた。しかしここで経緯を説明しても、状況が変わるわけではない。

 そこで僕は、ハッと思考を切り替えた。「死ぬかもしれないからプロットは出せない」ではない。椋田さんにプロットを出してしまえば、再デビューのためにも生き残らなくてはならなくなる。

 絶対に呪いを解く。そのモチベーションのためにも、僕はプロットを書こうと決めた。


「なんでもないです。プロット、すぐ出すので待っててください」


 通話を切ってすぐ、僕はプロットの作成に入った。タイムリミットの七日目は目前とはいえ、プロットだけなら、その気になれば三十分もあれば書ける。気分転換がてらさくっと仕上げて、生きる目標にしようと思う。

 しかし書こうとすると手が止まった。

 最高の作品を生み出そうと考えるあまり、なにを書いても納得がいかないのだ。

 僕はプロットを書いた文書データを、丸ごと削除した。


「これじゃだめ。椋田さんはあの月日星麗華先生の担当だぞ。こんな半端なものを読ませたら失礼だ」


 自分が先生と同じ場所に辿り着くには、どれだけかかるのか分からない。一生かかっても無理かもしれない。数日前に先生の作品の続きを描きたいなんて厚かましいことを考えた自分を殴りたい。

 そこまで考えたとき、僕はあの日の先生の発言を思い出した。


『これを見ると、描かずにいられない衝動に駆られる』


 先生は、竹人形を前に置くことで、インスピレーションを得ているようだった。そして短期間で凄まじい完成度の作品を描いている。竹人形がなくなってから、執筆が捗らないとまで言っていた。

 もしも、あの竹人形に呪いの副産物があるとしたら。人形と向かい合ったら、もしかしたら、僕にも火が点くのではないか。


 僕は玄関に出向き、恐る恐る、靴箱の扉を開けた。中には不気味に微笑む竹人形が鎮座している。ひとつ呼吸を置いて、手に取る。

 冷えた竹のつるんとした感触が、掌に収まる。僕は怯えているくせに、震えながらも少し口角が吊り上がった。


「これがあれば……僕も、先生みたいに……」


 人形は薄笑いを浮かべて僕を見ている。僕は人形を持って、部屋に戻ってパソコンの前についた。先生の真似をして、人形をモニターの横に置く。

 これで僕も、先生と同じになれる。


 しかし作業は捗るどころか、人形が気になって、呪いを解くにはどうしたらいいのか、このままでは僕は死んでしまうのかと、気が散って仕方ない。なにを書いても納得がいかず、書いては削除して、書いては削除してを繰り返す。

 そうして、時間だけが経過していく。


 いつの間にか昼を過ぎ、日が傾き、電気を点けていない部屋は夕焼けで真っ赤になり、やがてその夕日も沈んだ。今では暗闇の部屋の中で、パソコンのモニターの明かりだけが煌々光っている。


「書けない……プロットすら、書けない」


 モニターの明かりで照らされた竹人形が、呻く僕を嘲笑っている。

 先生がこのホラー作家だから、だったのだろうか。それとも僕には、はじめから才能がないから、先生には近づけないのか?

 途中まで書いたプロットを睨み、結局全文選択して、デリートキーを押す。


「こんなものを描くために生き残ろうとしてるんじゃない。もっと、もっと……麗華先生に追いつけるような作品じゃないと。そうじゃないなら死んだほうがマシだ」


 プロットはできないし、呪いを解く方法も調べが進まなかった。今日という日を無駄にした。

 項垂れる僕を、竹人形だけが見つめていた。

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