5

 翌日、バイト終わりのその足で先生のアパートへ向かった。昼下がりの夏空の下、大家さんが外で掃除をしている。僕は彼女に声をかけた。


「こんにちは。麗華先生、帰ってきてますか?」


「まだだよ」


「早すぎちゃったか」


 素っ気ない態度の大家さんに、僕は鞄から取り出した竹人形を見せた。


「この人形、先生の机から落ちてうっかり僕が持ち帰っちゃったんです。返しに来たんですが、まだ帰ってきてなかったんですね」


 いつ戻ってくるか分からない先生を、こんな暑い中で待つのは勘弁だ。しかし折角来たのだから、帰って出直してくるのも面倒である。

 僕は少し考えた結果、人形を大家さんに差し出した。


「これ、先生が帰ってきたら渡しておいてくれませんか?」


 いい案だと思ったのだが、大家さんは即行、拒絶した。


「嫌だね。あたしがそれを持ったら、二十四時間以内に死ぬ。二十四時間以内というのが一分後かもしれない以上、そんなもの一秒たりとも持ちたくないよ」


「えっ?」


 一瞬意味が分からなかったが、僕は人形のルールを思い出して納得した。この人形を二度手にした人は、一週間ルールから切り替わって二十四時間以内に死ぬ。

 大家さんはこの人形を先生に売る前に、一時的に所有者となっていた。だからもう一度大家さんの手に渡ると、大家さんには二十四時間のルールが適用されてしまうのだ。


「って、あれ? 大家さん、これを『ただの民芸品』って言ってたじゃないですか」


 大家さん自身が「ただの民芸品」と言っていたのだから、呪いの効力なんかないはずなのだ。インチキまじないグッズを売りつけるこの人が自らああ言ったのだから、本当にただの民芸品のはずだ。

 大家さんはカエルのような目で竹人形を睨んだのち、口を開いた。


「ただの民芸品さね」


「よかっ……」


 ほっと胸を撫で下ろしたそのとき、大家さんは付け足した。


「ただし、呪いの噂は、作り話ではない」


 心臓がどくんと大きく脈打った。口半開きで絶句した僕に、大家さんはぼそぼそした声で続けた。


「地方の土産物として出回る民芸品なのは、間違いない。だが、それを受け取った人々はなぜか皆、一週間後に不慮の事故や自殺やらで死んでるよ」


「へ……? え?」


「それぞれ現場も死因もばらばらだから、警察は単発の事故死や自殺で処理しとるけんどな。共通の知り合いがふたり同時に死んだという人物が、それぞれの家でこの人形を見つけた。調べたところ、ふたりとも一週間前に同じ人形を貰っていることが判明した」


 叢から、虫の声がする。


「一方、人形が要らなくて貰ったその日にフリマアプリで売ったという人は、なんともなかった。受け取ったが気分が悪くなって数日後に他人にあげた人も、精神を病んだが死には至っていない。だが回り回って受け取った人は、やはり受け取った一週間後に、それまでは健康そのものだったのに、自宅の風呂場で死んだ」


 一週間以内に人に回せば、命だけは助かる。

 逸話どおりの展開ではないか。


「作り話……ですよね? 僕を驚かして、先生を楽しませるための。だってこれ、ただの民芸品なんでしょ?」


 これが事実だったら受け止められない。僕はなんとか大家さんの話を否定しようとしたが、大家さんはあっさりと首を横に振った。


「『ただの民芸品』であろうと、その生まれは禍々しいものだったりするもんだ」


 間引いた子供に供える人形、生贄に持たせる小物、身代わり……古い風習から生まれて、その造形だけが今もなお残り続けているものは、時々話に聞く。


「大抵は、現代に残る土産物なら当時の意味合いは消えて単なる量産品になってるものだが、たまに、こういうのがある」


 大家さんの嗄れ声が、薄暗い空気に馴染んでいく。


「今ここにあるその人形は、『死んだ人の家にあった遺品』として親族に渡り、親族も気味悪がって、占い師であるあたしならどうにかできるんじゃないかと押しつけてきたものなんだよ」


 蒸し暑いのに、ぞくっと鳥肌が立つ。僕の手の中にあるこの人形は、たしかに、人の死を見届けたというのか。


「あたしゃ、寺にでも持ち込んで供養するつもりでいたんよ。だってのに、それより早くあの子に見つかった。あんなにはしゃいで『買う』なんて言われたら、売るしかないじゃないか」


 僕は呆然と立ち尽くした。本当に危険なものなら、大家さんも先生に売りつけたりしない。そう思っていたから安心していたのに、大家さんから先生に持ちかけたわけではなかった。


 竹人形の呪い――これが全部本当だとしたら、僕が今持っているこの人形を、先生に返してはいけない。先生が、二十四時間以内に死んでしまう。


 竹人形を握る僕の手は、微かに震えていた。


「寺に持っていけば、供養してもらえるんですか?」


「なんとも言えないね。自分のところに置いておくよりマシだと思っただけさ。あんたも、早いところ他人に回したほうがいい」


 大家さんはそう言うと、アパート一階の自宅へ消えていった。

 僕は竹人形を握りしめ、しばらくその場で立ち尽くした。人が亡くなったのと、竹人形の関係……それを明確に結びつける根拠はないが、今の話が本当だとしたら、無関係とは思えなかった。


 思えば先生に妙にブーストがかかって我を忘れて原稿に没頭していたのも、僕に不運が続いたのも、この人形を手にしてからだ。もしかしてあれは、呪いの兆候だったのか。



 先生に人形を返すわけにはいかない。僕は人形を持ち帰り、縋る思いで電話をかけていた。


「桧渡さん。小鳩です。相談があります……」


 相手は先日もお世話になった、掛巣寺の住職、桧渡さんである。


「『呪いの竹人形』……ああ、あれですね。地方の民芸品に呪力が籠もっているという、あの人形」


 桧渡さんが暗い声を出す。こういう案件に詳しいという桧渡さんは、僕が説明せずとも、この竹人形を知っていた。


「実は、うちの系列の別の寺にも、同じものが供養に持ち込まれておりましてね。受理した七日後、そこの住職が不審死しました」


「うわ……住職が所持者ってことになっちゃったんだ」


 やはり呪いは本当だったのだ。僕は壁のカレンダーを眺め、マス目を数えた。先生が大家さんからお酒を貰ったと連絡してきた日が、六日前。その日をゼロ日目とすると、今日は五日目。僕に残された日数は、あと二日だ。

 青くなる僕に、桧渡さんが優しい声で語りかける。


「小鳩さんがお持ちでしたら、私のもとへ持ってきてください」


「だめですよ。そんなことしたら、今度は桧渡さんが犠牲になる」


 僕は頭を抱えた。桧渡さんが受け取ってくれると言ってくれても、僕は彼に押しつけたくない。だが、僕が持っているのも怖い。今すぐにでも、誰かに渡してしまいたい気持ちもある。

 桧渡さんは僕の気持ちを汲んだのか、真剣に考えてくれた。


「推測の域ですが……呪いの連鎖を止める方法は、ふたとおり、思い当たります」


「あるんですか!? 止める方法!」


 電話口で大声を出してしまった。桧渡さんは、おっとりした声で返す。


「あくまで推測の域、ですよ。まずひとつは、他のより強い怪異の中に取り込む方法です」


「より強い……?」


 ちょっと想像できなくて、僕は桧渡さんの言葉を繰り返した。桧渡さんは、はい、とゆっくり答えた。


「幽霊、怪異、呪いといった類のものは、それ自身よりも強い霊力を持つものに近づけないものです。近づこうものなら、強いものの一部として取り込まれてしまうのですよ」


 なにやら、怪異の世界も弱肉強食みたいだ。桧渡さんの穏やかな声が続く。


「竹人形の力よりも強いものに竹人形の呪いが取り込まれてしまえば、竹人形自体になんの力もなくなる、という算段です」


「人形よりも強いものって、例えばなにがあるんですか?」


「そうですねえ、より位の高い悪霊か、『ハネキリ』クラスの呪物……或いは、やはり万物の頂点、神なる存在でしょうか」


 怪しい宗教勧誘みたいなフレーズのあと、桧渡さんは補足した。


「神は実在する、信仰せよ……とは言いません。神とはつまり、人の祈りが集まった、情念の塊といった概念です。積もり積もった人々の念、神の前では、そこらの物の怪は太刀打ちできない。神社がパワースポットとなるのは、そういった神の力が働くからです」


 ならば、神様がいる……ということになっている神社に竹人形を持っていけば、神様とぶつかり合って呪いが消滅する、と考えていいのだろうか。しかし同じような力を持ってして供養しようとした、寺の住職が不審死している。

 桧渡さんも、はっきりとは断言しなかった。


「これまでの傾向で、そう考えられる……という段階の話です。実際にこれで呪いが鎮まったケースを見ていないので、確実に解消できるとは言い切れません」


「そう、ですよね」


「怪異も神も、語る人が多いほど力をつける。強く信仰される神であれば、竹人形に打ち勝つ……かも、しれません」


 そもそも呪いなんていう得体の知れないものが相手なのだ。いくら寺の住職だからといって、桧渡さんでも絶対的な解答を知っているわけではないのだ。

 僕はしばし下を向いて、訊ねた。


「方法はふたつあるんですよね。もうひとつは?」


「正直、こちらのほうが確実な方法と言えるのですが……」

 

 桧渡さんは、少し声のトーンを落とした。


「先程申し上げた、竹人形を受け取った他所の寺の住職の話です。彼が亡くなったあと、残された人形は今もなお、その寺にあります」


 神妙な声色が、僕の心臓をぞわぞわさせる。


「それからは、誰の手にも渡っていない。誰も死んでいないんです」


「あっ……」


 持ち主が死んでしまえば、人形は誰のものでもなくなる。次の主が現れないなら、人形は誰も呪えない。亡くなった他所の住職が、それを証明してくれた。

 桧渡さんの柔らかな声が続く。


「こういった手合いは、『呪殺』自体が目的ではなく、『呪いの拡散』を目的としているものがあります。人から人へ渡らせることで、呪力の通り道を作っているのです。誰にも回さず止めてしまうことが、竹人形にとって、もっともやられたくない対応と言えます」


「そうなんですね!」


 ほぼ確定の対処法が見つかって喜びそうになったが、僕は喜ぶ前に気がついた。


「えっ、待って? それじゃ僕が死ななきゃならない!?」


「この方法は、少なくともひとりは犠牲者が出てしまいます……。提案しておいてなんですが、これはなしですね」


 桧渡さんも電話の向こうで苦笑した。

 もう一方の手段なら、誰も犠牲にならない。だが、確実とは言えない。頭を悩ませていると、桧渡さんは優しい声で語りかけてきた。


「これは現時点で考えついただけの手段ですから、探せば三つ目の方法が見つかるかもしれません。呪いを封じ込める別のやり方を思いついたら、また連絡します」


「はい……ありがとうございます」


「小鳩さん、不安でしょうけれど、暗い気持ちは悪いものを引き寄せて、竹人形の呪いを強めてしまうかもしれない。どうしても手段が思いつかなかったら、私にパスしてくださればいいんです。重く受け止めすぎないでくださいね」


 悪いものを引き寄せる……似たようなことを、大家さんからも言われた覚えがある。だが明後日死ぬかもしれないのに、陽気でいるほうが無理だ。

 お礼を言って電話を切ったのち、僕はため息をついた。明後日に死ぬかもしれなくても、明日も明後日もバイトの予定がある。店長も他の従業員も大変なのは分かっているし、こんな状況でも不思議と「休みます」とは言い出せなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る