2-4)あの日の呼び声

「……死んだ」

 百田の声に、色がなかった。ゆるり、と過去をなぞりながら、村山は頷く。

「繊細な友人でした。私にとっては可愛い友人だったんですけれど、色々悩みが多くて。文字で連絡は取り合っていたんですが、ちょっと変だな、って思ったのに、あの時私は動かなかったんですよねえ」

 距離を埋めることも、言葉も重ねることも足りなかった。彼女にとって特別な唯一ではなかったという自覚はあれども、それでも、あれは自身の不足だと村山は考えている。

 それでいて、その後悔をこうして広げ利用することに、自身の薄情さを感じていた。

「やっぱ、色々経験してみると、それなりに心配にはなるんじゃないですかね、桂士さんも。……私自身も」

 じ、と、村山は百田の目元を見た。その視線が具体的にどこに向いているのか、百田にわかるとは思えない。それでも村山は、真っすぐ百田の顔を見た。村山の探るような大きな三白眼に、百田は眉をしかめる。

「別に、俺は死なないですよ。そういうんじゃない、けど」

「疲れていらっしゃるように見えますが」

「……理由は、桂士には言いたくねーんだよな。なんも知らないでほしい」

 百田が首後ろを掻くのを見て、村山は内心で息を吐いた。けれども今、その安堵を出すわけにはいかない。百田の言葉に頷くと、村山は聞く姿勢を見せた。

 人というのは、意外と義理堅い。想定しない弱さを見てしまうと、多少の縁がある相手の場合それに対価を払おうとしてしまう場合がある。絶対的な基準ではなくたまにいる人の性質程度のものだが、百田はその性質を用いる人だった。賭けに利用したことを記憶の少女に詫びながら、村山は今を見る。

「俺もさ、そーいうのあるんだよな」

「そういうの?」

「村山さんを俺と同じにしちゃだめっすね、そっちよりひどいから。……見捨てたんだ」

 声が震えていた。後悔に差し込む言葉はなく、村山はじっと百田を見る。

「……見捨てたから、呼ばれてるのかも」

「呼ばれてる」

 その後悔を慰める術はなく、故に村山は今を拾い上げて復唱した。うん、と頷く百田の声は、少し幼い。

「面倒見てもらってたのに、俺はずっと傍にいなかった。ひとりにした。今更なんでとは思うけど、向こうからしたら今更なんてないよなぁ」

「どんなときに呼ばれるんですか?」

「法則はあんまないかな。人がいてもいなくても、暗くても明るくても」

 百田がとん、と人差し指で耳珠を叩いた。とん、とん、とん。三度のリズムで、それを潰す。

「おいで、朗。まってるよ、寂しいだろう。寂しい思いをさせたねぇ、そばにいるよ。そう言ってくるんです。呼んでいる。そのくせ、俺のことを想っているからなぁ」

 参るよ、と、百田が呟く。静かに浮かんだ笑みは、自嘲でありながらどこか優しい。

「寂しい思いをさせたのは、俺なのに」

「……どなたか、伺っても?」

「ばあちゃんっす。俺が中学のころに、色々根詰めてボケちゃって。俺しかいなかったのに、病気もあって入院して、俺はそれになにもしなかった」

 結局、お別れもそのまま。そう吐き出された言葉に、村山は頷いた。中学の頃ならそもそも出来ることなど限られていたのではないだろうかなんて想像は、部外者故に言えてしまう。けれども村山は知らない。俺しかいなかった、という言葉に含まれた理由も現状も、今聞いた言葉以上に推察は出来ない。そしておそらく、百田はそれを求めていないのだろう。

「じゃあ、ばあちゃん、が、貴方を寂しくさせていると思って呼んでいて、寝れていないんですね」

「別に寝る時に声がするわけじゃねーんですけどね。考えちゃっている自覚はあるかな。あと、まあ多分そうなる前よりも神経質になっているかも? とはいえ桂士に言うようなほどじゃないっていうか、あんまアイツにはそういうこと、聞かせたくないっつーか」

 百田はまた頭を掻いて、はあ、と、カップに手を伸ばした。先ほどとは違い、今度の嚥下は一口のみ。そうしてもう一度息を吐いて、そもそも、と言葉を落とす。

「死んだ人間の声が聞こえるなんて、完全に病院案件とは思うんすよね。相談してどうこうなるもんでもなし。友達に話すよりは、病院の先生でしょこういうの」

「センシティブな問題ですからねぇ」

 百田の言葉は至極尤もだ。誰かに相談してなんとかなるものもあるが、本人が専門家を求めるならそのほうが安心する部分はある。そうなんすよねぇ、と、百田は少しだけ眉をしかめて笑った。

「……ぶっちゃけ、桂士との間にこれ持ち込みたくないんすよ。あいつはそういうの、なくていい。俺にとって、そういうやつなんす」

 言わないことこそが、百田にとって大切な意味を持つのだろう。信頼のなさではなく、まるで眩しいものを見るように目を細める表情がそれを物語っている。少しだけ苦しそうに眉間に皺はあるのに、それでもその眩しさの中にあるのは純然たる好意だ。

「だから、村山さんの友達も、そういうのあったんじゃないんすかね」

 そうして突然投げかけられた言葉に、村山は目を丸くした。勝手な想像ですけど、と言う声の調子は軽く、押し付けるようなものではない。なるほど人がいい、と内心の感想を笑みに乗せて、村山は頷く。

「だといいですね。……まあ、そうでなくても私はいいんです。出来なかったなぁって思っているくらいで、そんなに深刻じゃないんで。死者の感情を勝手に想像するのは生者のもので、生きている特権と思うくらいには薄情ですから」

 最後に肩を竦めてにたりと笑うと、村山はこつ、と机に爪を立てるようにして鳴らした。

「私は昔からちょっと薄情で、繊細さが足りていないんです。だからもしお辛かったら教えてくださいね」

 聞く、という態度から語る語調に村山が切り替えると、百田が少し背筋を伸ばした。身構えるような態度にうんと村山は頷き、机の上で手を組む。

「死者は語らない。私はそう思っています」

 ぐ、と、百田が歯を食いしばった。「そりゃそうでしょう」、と歪んだ笑みを浮かべた百田に、そうじゃないですよ、と村山は言葉を続ける。

「貴方の聞いているものが幻聴、というわけではありません。もしかすると死者が語るかもしれないけれども、おそらくそれは別じゃないかな、と思っています。……幻聴でもなく」

「……どういうことっすか」

 百田は不思議そうにきょとりと瞬いた。下がった眉が困惑を見せる。可能性の話だ。村山は別に、オカルトを紐解くような能力を持っていない。出来るのは死者の体から知ること、儀式という人が作る手順の話。ただそれだけ。

 でも、百田が求めているだろう疑問に対する言葉は、可能性くらいが丁度いいだろう。

「その前にひとつ、伺いたいんですけれど」

「はい」

 とん、と村山は自身の耳たぶを中指と人差し指で挟んだ。不思議そうに、百田の目がその指先を追う。

「百田さんは、片耳だけピアスをされていますか? それとも、どこかで怪我でもなさったんでしょうか」

「え? なんか傷付いてるんすか?」

 記憶にないな、と百田が自身の右耳を触る。親指と人差し指、中指でつまんでいるので、確実にその黒は触っている。さりさりと指先を動かして、百田は首を傾げた。

「手だけじゃわからないっすね、こっちですよね?」

「はい、右耳ですね」

「えー、なんも手触りないけど」

 ちょっと待ってください、と言って百田はポケットに手を入れた。端末画面を起動し、カメラを内側に設定する。

「……汚れ?」

 にしては黒すぎるな。そう呟く百田に、ええ、と村山は同意した。

「桂士さんが心配したのはそこですね。……もしかすると、百田さんが聞いている声はそこからかも」

「は?」

 ぱち、ぱち、ぱち。三度の瞬きが理解できなさを伝えてくる。何言ってるんだ、というような不信に、村山は困ったように笑った。

「お嫌ではあると思うんですけど、多分、桂士さんとお話した方がいいです。――貴方の大切な人の声を、別の声で上書かないためにも」

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