1ー4)噂の新入り

 * * *


 デスクで一人、村山は書類を睨んでいた。パソコン画面上では文章作成ソフトが起動しているが、村山が見ているのは印刷した書類であり、その手にあるのはボールペンだ。ゆらゆらと揺れるペンのは、時折止まり、回り、思い出したように書類に走る。そして時折、キーボードにもその片手が伸び、画面の文字を修正する。

「張り切ってんね村山さん」

 川﨑かわさきの言葉に、村山は瞼を持ちあげた。とはいえすぐに表情を戻すと、手のひらの手首近くをデスクに乗せ、体を引くようにしてやや大げさに腕を伸ばす。そうしてから両手の指先を軽く交差させるようにして手を組んだ村山は、にた、と笑って川﨑を見た。久しぶりに話せる隙間時間というやつなので、川﨑からしたら後輩の現状把握があるのだろう。

「新入りさんが来るとついってやつですね。とはいえ最近だと仁王におうさんがあったから二年ぶりですけど、あの人は私が最初にってのも無かったしなぁ」

「仁王さんは若いのに特捜室でも、なんっていうかバシバシしている方だしね。こっちじゃ村山さんの後輩まだだし、どうしても特捜室がその扱いかァ」

 まあそうなっちゃうよねぇと自身のデスクに着いて川﨑も笑う。川﨑と村山の年の差も丁度一回りだ。特視研は人数も少ないし、当然新人が来るのも中々ない。

「刑事さんに中々失礼ではありますけどね、新入りさんが素直だから余計張り切っちゃっているのかも。私の仕事なんてさいごの後始末だから、仁王さんくらいの距離感が普通なんですけど」

「ベテランが異動になった感じだったからちょっと心配していたけど、うまくやっていけるだけの能力者ってことか」

 なるほどね、と川﨑は合点が言ったように頷いた。納得するような川﨑に、村山は顔だけでなく椅子ごと川﨑の方を見る。

「仁王さんが配属になった時より歳は上ですけど、誤差範囲じゃないですか? あの方私の六つ下ですよ」

「は?」

 川﨑の目が丸くなる。さほど年齢を気にするような職場ではないが、しかしそういえば、と村山も思い出した。顔合わせ当時、事前情報から考えた想像と違った雰囲気の男性が来たことに驚いたのは確かである。そういった印象自体が失礼であると思ったのと鬼塚の態度があまりに丁寧だからうっかりその感情自体忘れていたが、鬼塚は随分落ち着いた印象を持たせる外見をしている。

「え、俺より少し下程度だと思ってたけどえっ、なにそれ仁王さんの一個下って感じ? 最若手?? 全然見えない、俺聞いてない」

 あまりの意外さに早口になる川﨑に、心配そうに村山は眉を下げた。そうしてつい、扉の方を見やる。川﨑は少しデリカシーが足りないことがままあるからだ。

「天道さんと私が同い歳だからですかねぇ。天道さん基準の誤差情報入りやすいんですよね私」

「えええ……俺あの人マル暴から異動になった熟練刑事だとばっか思ってたわ……人殺しそうな顔してるし……」

「マル暴どころか刑事としての配属も特捜室が初らしいですね。あと川﨑さん、そこまで行くとアウトですよ。偏見かつルッキズム問題もはいってきまーす」

 ピピー、と口頭で笛を鳴らすような音を村山が出せば、あう、と川﨑は胸を押さえた。デリカシーはないが素直である。村山にとっては川﨑の仕事ぶりも人柄も尊敬できるもので、だからこそ人を傷つけてほしくなくつい言葉を入れてしまう。

「女の子にそういうの言ったらセクハラになるし、こういう場合もセクハラになるのかな……ピンとこないけど気を付ける……。お巡りさん周りにいっぱいいるし……」

 お巡りさん俺ですしたら洒落にならない、という川﨑にけらけらと村山は笑った。実際問題で考えると川﨑の事例で言うなら民事裁判の方になるだろうが、そこまで細かいことを気にするようなものではない。警察署に配属されている故の職員ジョーク、というやつである。

「とはいえ、年齢は置いといてマル暴系かとはホント思ったな。人殺しは流石に俺も言いすぎたけど、あそこの人たちはわざと寄せているわけだし、そういうの向いてそうだったから」

「外見も武器ではありますけど、別の部分のマッチングもあるんじゃないですか? 職員相手だからもあるかもですが、凄く丁寧で穏やかな人の印象です」

 刑事が犯人以外にも威圧的であれば色々問題だろうから一概には言えない。素直さは当然あるし、鬼塚がTPOに合わせて態度を変えていることもあるだろう。しかしそういった可能性を考えても鬼塚の刑事部初所属が特捜室であることに変わりはなく、組織犯罪対策課に勤めた経験がないことは事実だ。ならば身勝手に言い切ってしまうくらいが村山には気楽だった。

「しかし特捜室が初なのか。仁王さんは短くても所轄で経験あったんだろ? 珍しい……あ、でもそうか、言ってたもんな」

 ふと思い出したように川﨑が声のトーンを落とした。その理由に心当たりがあり、村山は少し眉を顰め笑う。こういう時、にたりと笑うのは村山の癖だ。太い下がり眉と逆の吊り上がった三白眼と大きな口が、歪んだ表情をごまかす笑い方に薄気味悪い軽薄さを作る。

「事件直接じゃないですけどね。二次事件というか」

「そうか。それで特捜室か……。特視研うち案件じゃなかったけど、それでもそうだな、引き入れる理由には十分ではある」

 川﨑の声に苦みが乗った。特視研の案件ではなかった。それは職員がそれぞれの立場で検討し出した結論だ。けれども同時に、疑問の残る事件でもあった。

 村山の担当は「さいごの後始末」と言われるものなので、研究所内ではまだ感覚としてはマシなのかもしれない。川﨑はじめ、他職員の焦燥を見ている立場だ。それでもその時に感じたものは、外側のものではなく村山の実感でもあった。

 あの事件は、本当に良かったのか。村山が書くものは怪異検案書であり、結果を伝えることでしかない。それでもあと一歩。結果だけを忠実に書いた自負がありながらも、なにかがずっと、職員たちの中に残っていた。

 特視研究所は警察官ではなく、あくまで職員だ。村山のそれは元々決定打になりにくい性質だが、他の職員の結果は事件の解決を助けることもある。あるが、それは捜査を助けるものという形であり、事件を解決に導くのは警察官の仕事だ。だから、持ち込まれる業務の先に思いをはせても引き摺ることは好まれない。

「どう考えても儀式だった。けれどもただの、信じすぎた故の過ちでしかなかった」

 それでも、あの事件はこうして残っている。たった一年前の事件だからかもしれない。今回の事件と同じく、眼球が関係していたからかもしれない。けれどもそのどちらも理由とは言い切れず、しかしそのどちらもが今回の事件への警鐘を鳴らす。

「今回の件、村山さんの見解は別物なんだよな」

「儀式の内容で言えば別物ですね。手順が明確に違います。今回の形を儀式の成功例にした場合、前の事件の順序が変わっちゃうので」

「だよねぇ。俺もそう思う」

 川﨑が、自身のデスクに肘をついた。そのまま手の上に顎を乗せて唇を尖らせるのを見、村山は目を伏せた微苦笑と共に椅子を元の正面に戻す。にたり笑いを引っ込めた笑みは穏やかで、どこか寂し気な色を見せる。

「今回、ご遺体が露骨だったんですけれど手掛かりがそれ以外無いんですよね。被害者の情報から目出度めでと神社の話が出て、海野うんのさんがそこ関係の情報集めてくださっているんですけど」

「目出度は無い、だもんな」

 海野の見解ははっきりしている。その根拠もわかりやすく、川﨑も村山も同じ意見だ。故に、海野は他の可能性を探し飛び回っている。

「目出度神社も民話も、平和なものですからね。ただ、ちょっと気になるものがあって、現地で確認してこようと思います。私の書類はそこみたら完成ですかね。出来ることはこれ以上ないです」

 それだけ言うと、村山は資料をまとめて立ち上がった。パソコンの電源も落とし、引き出しにはロックをかける。

「ああ、もう時間か。天道さんと?」

「天道さんは海野さんの方に。話題の新入りさんとですよ」

「なるほど。それじゃあ無理はしないで、いってらっしゃい」

 ひら、と川﨑が手を振る。気安い見送りに村山は破顔すると、いってきます、と手を振り返した。

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