どす黒い感情をも浄化する太陽のような笑顔

 一方、パトリックはルーカスとダンスをしているエマをずっと恍惚とした目で見つめていた。

(ああ、本当に君は楽しそうにダンスをするね。太陽のように明るく、生き生きとした笑顔。どんな美しいものよりも勝る。だけど……僕以外の男とはダンスをしないで欲しいな)

 アメジストの目はかろうじて光が灯っている。

(僕とのダンスも含めてこれで3曲目。流石に疲れて喉が渇くだろうから、エマ嬢の為に飲み物をもらっておこう)

 パトリックはそう考え、飲み物をもらいに行った。アメジストの目はきちんと光を取り戻している。

 エマはその時ダンスを終え、休憩の為に壁際に向かっていた。

(ああ、飲み物を貰ってくればよかったわ)

 エマは喉が渇いていたことに気が付き、飲み物を貰いに行こうとした瞬間。

「よ、エマ。お前が王太子殿下とダンスするとはな」

「ヘルムフリート……」

 ヘルムフリートに声をかけられた。

「それと、王太子殿下の前にダンスをしていた奴は誰なんだ?」

 ヘルムフリートはやや不機嫌そうである。エマは軽くため息をつく。

「ランツベルク辺境伯家のパトリック様よ。"奴"だなんて言い方パトリック様に失礼だわ」

 エマのアンバーの目は冷たい。

「パトリック"様"ね。そう呼ぶってことは、ランツベルク卿と仲いいのかよ?」

「ヘルムフリートには関係ないでしょう」

 エマは冷たい笑みを浮かべる。

「なっ!」

 ヘルムフリートはムッとする。

「よく考えろ。ランツベルク辺境伯家だぞ。お前が仲よくなるとかあり得ないだろ」

「だから?」

 エマは相変わらず冷たい目だ。

「うっ……」

 言葉に詰まるヘルムフリート。しかし、頑張って言葉を紡ぐ。

「そ、それに、ほら、容姿だってあれだ。ランツベルク卿とダンスした時、悪目立ちしてたぞ。お前が美形のランツベルク卿の隣に立ったら余計惨めになるだろ」

 何とかエマと関わりたい一心ではあるが、ただの悪足掻きに見える。

「そう。貴方って本当に何が言いたいのか全く分からないわ。私のことが気に入らないということだけは理解できるけれど」

 エマは冷たく笑う。ヘルムフリートは何か言おうとしたが、それは叶わなかった。パトリックがエマに話しかけたからだ。

「エマ嬢」

「あら、パトリック様。どうかなさいました?」

 エマは突然現れたパトリックにアンバーの目を丸くした。

「これをどうぞ。3曲連続でダンスは流石に疲れて喉が渇くと思うから。それに、僕とのダンスはかなりテンポの速い曲だっだし」

 パトリックはエマに飲み物を渡す。

「まあ、お気遣いありがとうございます、パトリック様」

 エマはパトリックから受け取った飲み物を一口飲む。

「美味しいですわ。さっぱりとしたレモンと、炭酸が口の中で弾けてスッキリします」

 エマはふふっと笑い、またレモンソーダを一口飲む。

「アリティー王国産のレモンみたいだ」

「左様でございますのね。アリティー王国は柑橘類がよく採れるとか」

 エマとパトリックは楽しそうに談笑しているが、ヘルムフリートはそれが気に入らないようで不機嫌な様子である。

「おい、エマ」

「ねえ、君はシェイエルン伯爵家の令息だよね? 挨拶がまだだけど、何故なぜ僕達の会話に割り込もうとしているのかい?」

 パトリックは冷たい視線をヘルムフリートに向ける。

「そ、それは……」

 ヘルムフリートはたじろぐ。本能的に危険を感じていた。

「シェイエルン伯爵家は自分より身分が上の辺境伯家の者に無礼な態度を取ってもいいと教育しているみたいだね」

 パトリックは口角を上げる。しかし、アメジストの目は絶対零度よりも冷たい。

 ヘルムフリートは直ちにボウ・アンド・スクレープでパトリックに礼を取る。

 基本的に自分より爵位や家格の高い者には、男性ならボウ・アンド・スクレープ、女性ならカーテシーで礼を取る。そして、相手から話しかけられるなり、発言の許可が出てから頭を上げて話すことが許されるのだ。それをしない者はどうなっても文句を言えない。

「ようやく並の動作が出来たようだね。まあ安心したまえ。僕としてもシェイエルン伯爵家を潰すつもりはない」

 パトリックは冷たく微笑んだ。

「先程は無礼を働き、大変申し訳ございません。シェイエルン伯爵家長男、ヘルムフリート・ヴォルフガング・フォン・シェイエルンと申します」

 ヘルムフリートは青ざめながら頭を上げた。

「パトリック・ジークハルト・フォン・ランツベルクだ。今日はまだ初めてだから許すとする。2度とこのようなことがないように頼むよ」

 パトリックは表情ひとつ変えなかった。

「ランツベルク卿の寛大なお心、感謝いたします。それではこれで失礼します」

 ヘルムフリートは急いでその場を後にするのであった。

「本当に失礼な奴だね、シェイエルン卿は。エマ嬢、君はあいつから何か嫌なことを言われていないかい?」

 パトリックは先程の冷たい表情とは打って変わって、エマに優しげな笑みを向ける。

「嫌なこと……まあ幼い頃から彼はああいう方でしたわ」

 エマは苦笑した。

「そうか。エマ嬢、あいつは取るに足らない男だ。あいつから言われたことなんて、絶対気にしてはいけないよ」

 パトリックは真っ直ぐな目でエマに告げる。エマはクスッと笑う。

「ええ、元より気にしておりませんわ。彼は私が気に入らないようですし。何故気に入らない相手と関わろうとするのか、私は不思議でなりませんわ」

「そうか……。まあエマ嬢、あいつのことは忘れて、何か楽しい話をしよう」

「左様でございますわね。あ、パトリック様、本当にお気遣いありがとうございます。このレモンソーダ、とても冷えていて、ダンスで熱を帯びた体がいい具合に冷えましたわ」

 エマは淑女としての品があり、太陽のような明るく屈託のない笑みである。

「エマ嬢、君にそう言ってもらえて本当に嬉しいよ。僕の方こそお礼を言いたいくらいだ」

 パトリックはとろけるような笑みになり、頬を赤く染める。

(ああ、まるでさっきからのドロドロとした感情が浄化されるようだ)

 パトリックはエマの為に飲み物を取りに行く際のことを思い出した。






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 会場で飲み物を注いでいる王宮の使用人から、ルーカスおすすめのレモンソーダを冷やしてもらい、それを受け取ったパトリック。エマを探し、会場を見渡すとすぐに見つかった。しかし、エマの隣にいるのはヘルムフリート。

(何故あんな奴がエマ嬢の隣に……)

 心の奥底から沸々と湧き上がるどす黒い感情。エマがルーカスとダンスをしていた時も少し思うところはあったが、それとは比べ物にならない。

(知っているよ。ヘルムフリート・ヴォルフガング・フォン・シェイエルンのことは。エマに好意を抱きつつも、心とは裏腹にエマに対して意地の悪い行動をする愚か者。素直に好意を伝えられず、逆の行動を取るとは、心に病気でも抱えているのではないか? あんな奴にエマ嬢を渡してなるものか。あの太陽に勝る輝き、そして大輪の向日葵ひまわりのようなエマ嬢。あいつごときがエマ嬢と釣り合うはずがない)

 胃の底から頭のてっぺんまで、どす黒い嫉妬の感情が灰色の雨雲のように広がる。そして血管を逆流してくるような怒りがパトリックを支配する。

(ヘルムフリート……お前なんかがエマ嬢の隣にいることなど絶対に許さない)

 パトリックのアメジストの目は絶対零度よりも冷たく、嫉妬に支配され怪物のようにギロリとヘルムフリートを睨みつけていた。とてもではないがエマには見せられない表情であった。






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「パトリック様? どうかなさいましたか?」

 エマは不思議そうにパトリックの顔を覗き込む。パトリックはハッと我に返る。

「ああ、いや、何でもないよ、エマ嬢」

 パトリックはエマに優しく微笑んだ。

(エマ嬢の、あの太陽のような笑顔のおかげで僕はどす黒い感情から抜け出すことが出来たんだ)

 パトリックは先程のエマの笑顔を思い出す。輝く太陽のような、大輪の向日葵のようなあの笑顔を。

 体中を優しく柔らかに、手足の先まで溶けていくような幸福感がお湯のように流れる。パトリックは心が浄化される感じがしたのだ。

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