近付く距離・前編

 数日後、エマは孤児院へ奉仕活動に訪れた。孤児院に入ろうとした時、声をかけられた。聞き覚えのある声だ。

「やあ、エマ嬢。また会ったね」

「ご機嫌よう、パトリック様」

 エマに声をかけてきたのはパトリックだった。

 この日もエマはパトリックと一緒に子供達に読み書きや算術を教えたり、遊んだりした。

「ねえエマ様、パトリック様、何か本読んで」

「読んで読んでー」

 2人は子供達に本の読み聞かせをねだられた。

「分かったよ。じゃあ図書室で本を選んで来る。エマ嬢、一緒に選んで欲しい」

「承知いたしました、パトリック様」

 こうして、エマはパトリックと孤児院の図書室へ向かった。

 図書室には誰もおらず、エマとパトリックは2人きりだ。2人の従者達は外で待っている。しかし、エマとパトリックはそれぞれ別々に本を探している。

(どんな本が喜んでもらえそうかしら?)

 エマは子供達の笑顔を想像しながら読み聞かせる本を探す。

(パトリック様はもう読み聞かせ用の本を見つけたのかしら?)

 エマはパトリックを探してみる。すると、何やら熱心に本を立ち読みするパトリックを見つけた。

「パトリック様」

 エマが声を掛けると、パトリックの肩がビクッと大きく揺れた。

「エマ嬢、これは驚いたな」

「申し訳ございません」

「いや、謝ることではないよ。僕が集中し過ぎていた」

 パトリックは苦笑した。

「パトリック様、もう読み聞かせ用の絵本が決まったのでございますか?」

「あ……すまない。ついこの本に夢中になっていた」

 パトリックは申し訳なさそうに苦笑する。

「お気になさらないでください。私もまだ選んでいませんので」

 エマはふふっと微笑む。

「ところで、何をお読みになっているのでございますか?」

 エマは首を傾げる。

「神聖アーピス帝国時代の建築と庭園についての本さ」

 パトリックはエマに本のタイトルを見せる。『神聖アーピス帝国の建築。庭園様式』と書かれていた。孤児院には似つかない、大人向けの本である。

「なぜこの本が孤児院にあるのでしょう? 10歳を過ぎた子供でも読むには難しいと思いますわ」

「アイクシュテット男爵が寄贈したみたいだ。恐らく何でもいいから寄贈すればノブレス・オブリージュを果たしたことになるとでも思ったのだろうね」

 パトリックはエマに寄贈者のサインを見せて苦笑する。

「孤児院に来ているのなら、子供達が喜ぶ本、もしくは子供達の学びになる本を寄贈するべきでございますね」

 エマも苦笑した。

「ところで、パトリック様は建築にご興味がおありなのですか?」

 エマのアンバーの目は、真っ直ぐパトリックを見つめている。そのことにパトリックは嬉しくなり、アメジストの目を細めた。

「ああ、そうだね。建築や庭園に興味がある。特に神聖アーピス帝国時代の建築がね。神聖アーピス帝国はエマ嬢も知っているよね?」

「はい。ガーメニー王国、ナルフェック王国、ネンガルド王国、アリティー王国など、この辺一帯を治めていた古代の帝国でございますね。あまりに巨大な帝国だった為、末期には内乱が相次ぎ、最終的に今の国々として独立をした。ナルフェック王国の王族が、神聖アーピス帝国皇室の直系の子孫でございますね。ちなみに、ナルフェックの王族の方々はあまり家名を名乗りませんが、神聖アーピス帝国の初代皇帝ロベールから名を取り、ロベール家が正式な家名となっておりますね」

 エマはリートベルク伯爵家でしっかり教育を受けていたので、答えることは容易だった。

「その通りだよ、エマ嬢。神聖アーピス帝国時代の建築は、豪華絢爛で左右対称なのが特徴的だ。そして庭園に関しては、幾何学的で人工的な作りなんだ。僕はそれらに芸術性を感じてね。ナルフェックの王宮は、神聖アーピス帝国時代の建築様式なんだよ。今のナルフェックの女王陛下が愛する薔薇園は迷路のような作りにもなっている。もし許されるなら、是非とも行って直接見てみたいものだね」

 パトリックのアメジストの目は、ワクワクした様子で輝いていた。子供のように澄んだ純粋な目だ。

 エマはクスッと笑う。初対面でパトリックは大人っぽく余裕があるように感じたから少し意外に思った。

(あら? そういえばランツベルク辺境伯家は確か……)

 エマはふとあることを思い出し、パトリックに聞いてみることにする。

「パトリック様、もしかしてそれは貴方のお祖母ばあ様である、ツェツィーリエ殿下の影響でございますか?」

「そうかもしれないね。何せ祖母の母、つまり僕の曽祖母はガーメニー王国のホーエンツォレルン王家に嫁いで来たナルフェック王国の王女だったからね。その影響か祖母はややナルフェックの文化に染まっていた。僕も幼少期そんな祖母と一緒にいたから、神聖アーピス帝国時代の建築様式や、ナルフェックの王宮の構造に興味を持ったのだと思う。ちなみに知っているとは思うけど、祖母はまだ健在だよ」

 パトリックはクスッと笑う。

「ええ、存じ上げておりますわ」

 エマはふふっと微笑んだ。

 パトリックの祖母ツェツィーリエはガーメニー王国の王女であった。今は亡き前国王の妹である。そして彼女の母、つまりパトリックの曽祖母はナルフェック王国の王女であったヨゼフィーネ(ナルフェックではジョゼフィーヌと呼ばれている)だ。

「この髪の色と目の色はナルフェックの王族の特徴らしい。曽祖母と同じ色なんだ。つまり僕は先祖返りってわけだ」

 パトリックは自身の月の光を浴びたようなプラチナブロンドの髪とアメジストのような紫の目を示してクスッと笑った。全く鼻にかけている感じはない。

「パトリック様は髪の色も目の色も、とてもお美しいですわね。まるでシュミット氏の小説に登場した月明かりの令息のようでございますわ」

 エマは屈託のない、太陽のような明るい笑みだ。パトリックはその笑みを見て頬を赤く染める。

「エマ嬢にそう言ってもらえると……何だか嬉しいし照れるな」

 パトリックは気恥ずかしそうに頭を掻いていた。エマはふふっと微笑んでいる。

「あ、そうだエマ嬢、読み聞かせの本はシュミット氏の小説はどうだろうか? シュミット氏の小説の中には小さな子供でも分かりやすいものもいくつかある」

 エマの言葉により、パトリックは思い付いた。

「あら、左様でございますの? でしたら、探してみましょう」

 エマとパトリックはギュンター・シュミットが書いた子供向けの小説の中から読み聞かせを行うことにした。

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