孤児院での奉仕活動

 ノブレス・オブリージュ。身分の高い者はそれに応じて果たさなければならない社会的義務がある。ガーメニー王国だけでなく、ナルフェック王国やネンガルド王国といった近隣諸国でもこの考え方は浸透している。簡単に言うと、貴族であるなら奉仕活動であったり何らか社会に貢献せよという話である。それはエマも例外ではない。エマはこの日、ノブレス・オブリージュの一環として、初めて孤児院に奉仕活動へ行く。具体的に何をするのかと言うと、孤児院の子供達に読み書きや簡単な算術を教えたりする。実は、ガーメニー王国の平民の識字率はあまり高くないのだ。

「リートベルク伯爵令嬢、わざわざご足労いただきありがとうございます。この孤児院の院長である、フォルカー・アッヘンバッハと申します」

「初めまして、エマ・ジークリンデ・フォン・リートベルクでございます。本日はよろしくお願いします、フォルカーさん。私のことは、どうぞエマとお呼びください」

「では、恐れ多くは存じますが、エマ様とお呼びいたします」

 エマは孤児院の院長フォルカーと握手を交わした。侍女のフリーダ、そしてエマの護衛であるマルクは後ろに控えている。

 その後、フォルカーから注意事項を聞いたエマは、早速子供達に読み書きや算術を教え始める。

「エマ様、これなんて読むの?」

「面積の求め方分かんなーい! エマ様教えてー!」

「2人とも、少し待ってちょうだい。今ゲレオンに教えているの。後で必ず教えに行くわね」

 子供達から引っ張りだこのエマであった。

 また、エマは読み書きや算術を教えるだけでなく、子供達の中に混じって遊んだりもした。子供達から鬼ごっこに誘われたのだ。

(あら、あの子は確かベネディクタね。また鬼になってしまったのね。……確かに、年下で足の遅い子が狙われがちだものね)

 エマは先程年長者からタッチされて鬼になった幼い少女、ベネディクタの元へ駆け寄り、手を差し伸べる。

「ベネディクタ、私にタッチして」

 優しく微笑むエマ。ベネディクタは恐る恐るエマにタッチして逃げる。

「さて、誰を狙おうかしら?」

 エマはニヤリと笑い、足の速い年長者の所へ一目散に走り出した。動きやすいドレスを着て来て正解だ。

「わー! エマ様が鬼だ! 逃げろー!」

「ふふ、逃がさないわよ」

 エマは足の速い子にタッチした。そしてまた周囲を見て鬼になる子が偏っていないかを確認する。幼く足が遅い子が鬼になった場合はすぐにその子と鬼を交代し、足の速い子を狙うエマ。全員が楽しめるように配慮していたのだ。

 鬼ごっこが終わった後、エマは子供達に本の読み聞かせをしようと思っていた。しかし、何やら不穏なやり取りを見かけたエマ。

「エーファ、お前ふざけんなよ!」

「あんなボールくらい避けろよノロマ!」

「お前のせいで負けたんだ!」

 数人の少年達が寄ってたかってまだ幼い少女をいじめているようだ。エーファと言うのが少女の名前だ。エーファは傷付いたような表情をしていた。1人の少年がエーファにボールをぶつけようとしたが……。

「貴方達、何をしているの!?」

 エマが庇うように少女の前に立つ。

「だってそいつのせいでボール当てゲーム俺達のチームが負けたんだ!」

 怒ったような、と言うより悔しげな表情の少年達。

 エマはしゃがみ、少年たちと目線を合わせる。

「確かに、負けたのは悔しいわね。それは理解出来るわ。だけど、それがエーファをいじめていい理由にはならない! 貴方達が今していることは、弱い者いじめよ!」

 エマは真っ直ぐ、真剣に少年達の見て叱る。少年達は俯いた。

「エーファ、もう大丈夫よ」

 エマは微笑み、エーファの頭を優しく撫でる。

「……悪かったよ、エーファ」

「俺もごめん。言い過ぎた」

「酷いこと言ってごめん」

 3人の少年は申し訳なさそうにエーファに謝った。当事者であるエーファは少し警戒しながら3人を見ている。

「エーファ、3人を許すのも許さないのも貴女の自由よ。もしエーファがまだ納得していないなら、許さなくてもいいの」

「え!? 俺達謝ったじゃん! 許してもらえないことあるのかよ!?」

 エマの言葉に少年達の中の1人がギョッとする。

「確かに、相手が謝ったのなら許しましょうって言われることは多いわ。だけど、謝られただけで全てを水に流す、つまり嫌な思いをしたことを全てなかったことに出来るかしら? エーファがどれだけ傷ついたのか、心の傷の程度は分からないわ。私はエーファではないから。だから、当事者ではない私が、謝られたのなら許してあげて、とは言えないわ」

 エマが真っ直ぐ少年の目を見て言うと、少年は少し腑に落ちたようだ。

「……確かに、もし俺が誰かにめちゃくちゃ酷いことされたら、謝られても許せないかも。謝られたんだから許してやれなんて言われたらふざけんなって思う」

 しばらく沈黙が続く。エマは口出しせず、見守ることにした。

 エーファが1歩ゆっくりと少年達に近付く。

「ねえ……もしまた私がボールに当たって負けたとしても、嫌なこと言わない?」

 恐る恐る、生糸のようにか細い声でエーファは聞いた。

「うん。もう言わない」

「俺も言わないよ」

「……言わないように頑張る。それから、ボールから上手く避ける方法教える」

 3人からはそう返ってきた。

 エーファは少し考えた後、微笑む。

「じゃあ、いいよ。3人共許す」

 その答えを聞いた3人の少年達はほっとした表情になる。

「ありがとう、エーファ」

「許してくれてありがとう」

「俺も、ありがとう」

 一件落着である。

 その時、少し離れた所から元気な声が聞こえてくる。

「エマ様ー! 一緒にこっちで遊ぼうよー!」

 他の子供からのお誘いだった。

 エマはふふっと微笑む。

「私、遊びに誘われたわ。みんなも行く?」

 するとエーファ達は笑顔で頷いた。

 エマはエーファ達と一緒に加わった。

「エマ様、見て。泥団子!」

「本当だ、上手に出来たわね。だけど土には悪い菌もいるから、本当に食べたら駄目よ。お腹が痛くなったり病気になってしまうわ」

 エマは泥団子を見せてくれた少年に優しく微笑む。

「エマ様ー、お山作るの手伝ってー」

「今行くわ」

 エマは自ら土を触り、ドレスが汚れることなどは厭わなかった。

 土で汚れたり、子供達と一緒に駆け回るエマ。屈託のない、太陽のような笑みを浮かべていた。






−–−–−–−–−–−–−–−–−–−–−–−–






 エマの一連の様子を見ていた者がいた。見ていたと言うより、目を奪われていたと言った方が正しい。

「あの令嬢は……」

 月の光に染まったようなプラチナブロンドの髪に、アメジストのような紫の目。冷たそうな印象だが、どんな女性でもたちまち虜にしてしまうような顔立ちの、エマより少し年上に見える少年だ。

「パトリック様、院長のフォルカーさんがいらっしゃったようです」

「ああ、そうだな。ありがとう、ロルフ」

 パトリックと呼ばれた少年は彼の従僕ロルフの声にハッとし、フォルカーへ目を向ける。

「ランツベルク卿、ご来訪ありがとうございます。お待たせして申し訳ございません」

「いえいえ、気にしないでください。ランツベルク辺境伯家としても、子供達の識字率の向上や孤児院の生活環境改善に関しては力を入れていますから」

 パトリックは微笑んだ。しかし、アメジストの目は笑っていないように見える。

「ランツベルク卿、本当にいつもありがとうございます。ランツベルク辺境伯閣下にもよろしくお伝えください」

「ええ、父上にも孤児院の状況などは伝えておきます。ところでフォルカーさん、あちらで子供達と一緒に遊んでいる令嬢はどなたですか?」

 パトリックは子供達と一緒に駆け回っているエマの方に目を向けて聞いた。

「あのお方はエマ・ジークリンデ・フォン・リートベルク様でございます。リートベルク伯爵家のご令嬢であられます。エマ様は子供達に読み書きや算術を教えるだけでなく、子供達の遊び相手にもなってくださっています。今まで奉仕活動に来られた貴族のご令嬢方の中には、あのように駆け回ったり土でドレスが汚れてしまうのを厭わない方はいらっしゃいませんでしたので、私は驚いております。パトリック様もエマ様に驚かれましたか?」

「ええ、とても驚きました。僕の知っている貴族の令嬢は、フォルカーさんの言う通り、駆け回ったり汚れたりすることを厭いますからね」

 パトリックはエマから目を離せなかった。

「子供達の心の底から楽しそうな笑顔を引き出したご令嬢もエマ様が初めてです。私としては、エマ様には是非ともまたお越しいただきたいです」

 フォルカーは心底嬉しそうに微笑んでいた。

(エマ・ジークリンデ・フォン・リートベルク嬢……。ドレスが土まみれになり駆け回ってもなお貴族令嬢としての品がある。そして何よりあの太陽のような笑顔……)

 パトリックは先程エマの屈託のない笑みを見た時、雷に撃たれたかのような衝撃を受けた。

 パトリックは従僕のロルフにそっと耳打ちをする。

「ロルフ、あの令嬢……エマ・ジークリンデ・フォン・リートベルク嬢について調べてくれ」

「承知いたしました」

 ロルフはパトリックからの命令に頷いた。

(まさか僕が初めて見かけた令嬢にここまで興味を持つとはね)

 パトリックは自分の変化に戸惑っていた。

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