第2話 始動、ハニカム計画⑦


『こんな本気(マジ)んなって嫉妬(ジェラ)っちまう女、お前以外いねーよ。わかってンだろ?』


『ペイス……』


結果的に、ジャンケンは潤花が勝利し、チャンネル権はドラマ組のものとなった。


「すごいね~純子(じゅんこ)。ペイス入れて四人目だよ、告白されたの。あと二話でどう話まとめるんだろ?」


「純子は最後に誰選ぶんだろうね。私お兄ちゃんの方を選んで欲しいなー。報われて欲しい」


「私……新之助って人にがんばって欲しい。一途だから」


「わかる! 私も! 他の三人は最悪純子がいなくても生きていけそうだけど、新之助って絶対純子が支えてなきゃダメなタイプだもん!」


「えー? あの人ちょっと面倒くさくない? さっきだってこの人が肝心なときに何も言わなかったせいで、話こじれちゃったわけだし」


「違うよ潤花! 新之助が純子に本当のこと言わなかったのは、純子が自分のせいで新之助の人生を台無しにしてしまったって、自分を責めないようにするためだよ! もしそんなことになったら純子はまた昔のトラウマを──」


「…………」


「…………」


 にわか女子 クソドラマ見て ディスカッション(心の一句)。

 テレビの前で盛り上がる三人の後ろ姿をソファから眺めながら、俺は優希先輩と並んで死んだ魚のような目をしていた。先ほどまであちこちに散らばった服で彩(いろど)られていた空間が今は綺麗に整頓され、テーブルの上には人数分の飲み物と国内では滅多に手に入らない高級スイーツが並んでいる。これはさっさと部屋に戻ろうとする俺を無理やり着座させた上で差し出されたみずほ姉ちゃんからの重い楔(くさび)だった。


 当然、そんな渋々な気分で見るドラマも面白くない。

 今時『ワケ有りの美少年たちとひとつ屋根の下で暮らすハーレムラブコメ』なんて、チープ過ぎるだろ。

 話の構成だって、序盤にインパクトのある情報開示をして見せた後、それからは既視感満載のテンプレ展開の連続。さらにこの女主人公、元彼に浮気されて男性不信になった過去がある設定のくせに、知り合ってすぐの男たちと安易にイチャつき過ぎだろ。学習能力がないのか? もっと自分を裏切った男という存在に対してむき出しの敵意を燃やせよ。視聴者様が求めているのは上っ面の設定だけ奇をてらったハーレムラブコメなんかより、調子に乗った悪人に痛い目遭わせて懲らしめるスカッと爽やかな復讐劇なんだぞ。


「はぁ……」


 苛立ちをドラマの脳内批評でぶつける自分が虚しくなる。

 一方で、俺の隣にいる先輩は何かに取り憑かれたように虚無の表情でテレビを見ている。目に生気がないが、大丈夫なのだろうか。


「アリ……アブラムシ……共生」


 全然大丈夫じゃなかった。

 恋愛ドラマを見ながら不穏な独り言を呟き始めた。ジャンケンに負けたショックで意識が異世界に飛ばされたのかもしれない。

 

「ねー、お姉ちゃんたちは純子と誰がくっつくと思うー?」

 

 ふいに潤花が俺たちの方を振り向き、急な感想を求めてきた。

 しょうもないドラマのしょうもない会話に巻き込まれるのは御免だ。俺は返答を託す意味で隣にいる先輩に顔を向ける。すると、先輩はテレビを見つめたまま、誰とも視線を合わせず大真面目な顔で言った。

 

「……つがいって、一匹に絞らなきゃダメなのかな」


「ダメだよ⁉」


「お姉ちゃんさぁ……」


 みずほ姉ちゃんと潤花が驚きと呆れの入り混じった声をあげる。

 やはりというかなんというか、視点が独特な人だ。この国で一夫多妻が許されるのは動物とフィクションくらいだろう。良く言えば常識にとらわれていない発想だが、悪く言えばシンプルに常識がない。

 

「古賀くんはどう思う?」


「不貞を犯した人間は死刑で」


「何の話⁉ もー! 衣彦も優希も、もっと普通の感想ないの⁉」


 テーブルを隔ててみずほ姉ちゃんが納得いかない素振(そぶ)りで拳をぶんぶん上下している。何か変なことを言っただろうか。優希先輩はさておき、これじゃ俺がおかしいみたいな反応だ。


「衣彦くん、もしかして怒ってる……?」


「……いや、別に怒ってないけど」


 無愛想にし過ぎただろうか。何の罪もない小早川に申し訳なさそうにされるとばつが悪い。決して仲良くするつもりなんてないが、かといって無用な心配をかけたいわけでもない。


「ねぇねぇ。このお店、雑誌に載ってるとこじゃない? ほら」


 そんな俺と小早川のやりとりなどお構いなしに、潤花はおもむろにテーブルの上に置いてあった旅行雑誌をめくり、こちらに向けてページを開いた。

 俺は目を見開いて雑誌とテレビを見比べる。

 驚いた。

 今まさにドラマ内のデートシーンにも映っているそのカフェは、俺のよく知っている店だった。


「『メーヘク』……」


「衣彦くん、知ってるの?」


 思わず漏れた独り言に、小早川が反応を示した。


「まぁ……ちょっとは」


「お店の内装、すっごいいオシャレだね。美容室みたい」


「そのカフェ、このスイーツの直営店だよ。ほら」


「え! そうなの⁉」


 俺は菓子受けの中に入っていたチョコレートを一つつまんでみんなに見せた。

 六角形のチョコレートの包みに、花とミツバチをあしらったロゴが入っている。ブランド名の『メーヘク』とは、ハンガリー語でミツバチの意味で、実際にこのブランドのスイーツにもアカシアの蜂蜜が使用されているのだ。

 

「このブランド、今まで催事や百貨店の通販の限定販売だったんだけど、ここができたおかげで初めて国内で手に入るようになったんだよ。内装もハチの巣をモチーフにしたデザイン意識しててどの席座っても面白いし、ハチミツ使ったスイーツはどれも美味い。唯一の不満は、ハチミツで手がベッタベタになることと、帰り道に高確率でハチに襲われるのはマイナスかな」


「すごい早口」


「詳しい……衣彦くん、何でも知ってるんだね」


 先輩と小早川が同時に驚いた。


「そうそう、衣彦こういうお店すっごい詳しいんだよ。甘いもの好き男子なの」


「ごめん今すっごい気になったんだけど、唯一の不満、二つ言ってなかった?」


「ふん……」


 俺としたことが、また必要以上に知識をひけらかしてしまったようだ。自分の知っていることに関して過剰に喋り過ぎてしまうのはオタクの悪い癖だ。潤花が何か言っていたような気がするが聞こえないことにしておく。


「古賀くん、ここ一人で行ったの?」


 したり顔から一転、俺の表情筋が秒で死んだ。

 みずほ姉ちゃんは何故か俺よりも慌てた様子であわあわと狼狽し、小早川は「え?」と優希先輩の方を見た。潤花は一度チラリと全員の顔を見回し、誰も何も言わないことを確認してから先輩に視線を戻した。


「さすがに、男子一人でこんなお店行くのハードル高いんじゃない?」


「へー。じゃあ彼女だ?」


「あ?」


 思わず低い声が出た。


「ほらー、お姉ちゃん。これどう見ても衣彦怒ってるよ。聞いちゃいけない話題なんじゃないの?」


「そうなの? でも気になるから聞くね。今も続いてる? 彼女のどこを好きだったの? 付き合うってどんな感じ?」


 デリカシーって言葉知らないのか……⁉

 怒涛の質問攻めを聞いた全員がぎょっとした。

これだけ不快感を露(あらわ)にしていても先輩は興味津々の様子でつぶらな瞳を大きくしている。

 他人の敷居に土足で踏み込むどころか、泥だらけの田植靴でタップダンスを踊るような愚行だ。呆れを通り越して感心してしまう好奇心である。


「あっ、その、えっと……」


みずほ姉ちゃんが焦りながら俺と先輩の顔を交互に見る。何でみずほ姉ちゃんの方が動揺するんだ。

 だが、ここはひとつはっきり言ってやらないといけない。下宿における俺の立ち位置を明確に示すには今がいいタイミングだろう。


「いや、もう思い出したくもないんで。マジで、もう女なんてこりごりっす。もう二度と関わりたくないですね」


 だから先輩たちも、これ以上俺に慣れ慣れしくするのはやめて欲しい。

 そう続けようとした。

 そのとき、


「でも、楽しそうに話してたね」


「は?」


 潤花の一言で、頭が真っ白になる。


「さっき、カフェの話してるとき。そんな顔してた」


「……してねぇよ」


 混乱して、返事が上の空になった。

 ウソだ。

 楽しそうだった?

 あの女といた場所の話で?

 ベタついた手をふざけて拭い合ったり、頭にハチが止まっていると驚かせてからかったり。

 そんな思い出、いっそ記憶から消し去りたいくらいなのに。

 眉間に皺を寄せて潤花を睨むが、内心は動揺していた。

 潤花は続きの言葉を待っていたようだったが、俺が言いあぐねている様子を汲み取ってか、なだめるような声色で言った。


「怒らないでよ、嫌味で言ったわけじゃないから。あんまり良い結果にはならなかったみたいだけど、楽しい時間が少しでもあったってだけでも素敵だと思うよ」


「そうだよ衣彦! 私なんてお父さんの記憶、怒鳴り声しかないんだよ⁉」


「いや……! その話は、ダメだろ……!」


「古賀くん、うちの潤花なんてどう? 古賀くんのこと絶対幸せにしてくれるよ?」


「いやいやいや! 待って! 衣彦にピッタリなのはお姉ちゃんの方だから! お姉ちゃんの趣味に理解のある優男(やさお)なんて、この世に衣彦しかいないよ⁉ 冷静に考えて⁉ 衣彦逃したらお姉ちゃん一生恋愛なんて無理だからね⁉」


「ダメダメダメ! 私もう現実の男の子なんて研究の対象にしか見れない! 恋なんてしょせんアドレナリンとドーパミンとのシーソーゲームだよ!」


「私……最初はてっきり衣彦くんとみずほちゃんが付き合ってるのかと思った」


「え⁉ そう見えた⁉」


「見えた見えた! だって、私が下宿に入ったときからみーちゃんよくあっこさんと古賀くんのこと話してたし──」


「やだー! ちょっと優希やめてよー!」


 ……なんか、勝手に盛り上がりだした。


「姉弟みたいなもんだぞ。付き合うわけないだろ」


「──っそうそう! そうなの! 私たちいっつも勘違いされちゃうんだよね! あははははは! ねぇ衣彦!」


「ね。もう慣れたよね」


「そうなんだ……お似合いだと思ってた」


「そ、そういう真由は⁉ 彼氏いるの⁉ いなかったら衣彦なんてどう⁉ 優しいし、頼りがいあってかっこいいよ!」


「バカ、余計なこと……!」


 みずほ姉ちゃんの突然なフリに、小早川もおろおろしている。

 この流れはまずい。賭けてもいい。確実に俺が火傷を負う。


「ご、ごめん……」


「ほら見ろぉぉぉぉ! 何で告白もしてねーのにフラれなきゃなんねーんだよぉぉぉぉ!」


 思わず頭を抱えると、潤花とみずほ姉ちゃんが同時に笑った。

 

「あっはははは! こ、告白してないのに! 告白してないのにフラれた! ぷっはははは!」


「ふっ……ふふ……! わ、笑っちゃダメだよ潤花。衣彦のこと励ましてあげなきゃ」


「とどめ刺した張本人がよく言うわ!」


「ち、違うの! 衣彦くんが嫌なんじゃなくて──」


 珍しく声を上げた小早川に、全員の注目が集まる。


「お付き合いって普通、好きな人同士でするものだから……!」


 一瞬の間。

 それは、そうだ。

 小早川以外の全員がそう納得しているものと思っていたが、誰よりも早く反応したのは意外にも優希先輩だった。


「……そっか。やっぱり、そういうことだよね」


 さっきからずっと考え事をしている様子だった先輩が、何かを納得したような表情で一人頷いていた。にぎやかな雰囲気に一人だけ神妙な面持ちだった先輩がおかしかったのか、みずほ姉ちゃんが先輩に向けて笑って言った。


「もー、何言ってるの優希。そんなの当たり前じゃ──」


「当たり前とか普通とか、私に言われてもわかんないよ」


 突如、先輩がぴしゃりと語気を強めた。

 

「あ……ご、ごめん」


 みずほ姉ちゃんはすぐさま謝った。自分の軽口で先輩がここまではっきり怒りを露(あらわ)にするとは思わなかったのだろう。先輩もまた咄嗟に出た自身の発言に動揺したのか、驚くみずほ姉ちゃんを見てはっとしたように眉を下げた。


「っ……ごめん! 私の方こそごめんねみーちゃん! ちょっと、言い方間違えた……」


「いいのいいの! 私も言い過ぎちゃったし……その、ごめんね」


 二人はばつが悪そうに顔を伏せ、にぎやかだった空間にしんと静寂が訪れた。

 おい……どうしてくれるんだこの空気。

 ぞわぞわと胸騒ぎがして、猛烈にいたたまれない。

 覚悟していたとはいえ、脈絡もなくこんな事態に陥ると胸がずしりと重い。


「まぁ、価値観は人それぞれだからねー……あ、ごめん真由。ちょっとゴミ箱取って」


「う、うん」


 姉が一触即発になりかけたというのに、よくそんな他人事でいられるな。

 チョコレートの包み紙をカサカサと畳みながら、潤花は先輩とみずほ姉ちゃんのやり取りは対岸の火事といった様子でドラマを見ていた。こいつには人の心がないのか。

 それっきり会話の途絶えた俺たちは、静かにテレビの画面に集中していた。

 ドラマはクライマックスを迎える。

 諸事情により四人のイケメンたちの『偽りの妹』として同居していた俳優志望の主人公・純子は、暴露系動画配信者の陰謀によって彼らの本当の妹ではないことが大勢の人々にバレしまう。エンタメ業界で働く四人の仕事に甚大な影響を及ぼしてしまった純子は自らの失態を責め、五人で暮らしていた家を飛び出し、行方不明となる。

 純子と過ごした日々を経て女性恐怖症を克服した声優の雅紀(まさき)。亡き妹の代わりに俳優になりたい純子の夢を叶えさせようとしたハーフの元ホスト・ペイス。 慕われていたはずの純子の演技に心を奪われていった俳優の先輩・穂高(ほだか)。周囲からの期待に応えるため、死んだ弟の代わりとして生き続けていた画家の新之助。四人の男たちは、罪の意識に苛まれ行方をくらませた純子のために、それぞれ自身の持つすべての地位や名誉をかなぐり捨て、純子を救いに行く。

 ……ひょっとしたらこのドラマ、面白いかもしれない。

 気が付けば、前のめりになって純子たちの動向を見守っている自分がいた。


「好きな人から好きになってもらうって、どんな気持ちなんだろ」


 物語がひと段落したタイミングで、みずほ姉ちゃんが目元をハンカチで拭いながらぽつりと呟いた。


「……そうだね」


 みずほ姉ちゃんに同調する小早川の目も涙目だった。  


「あ……ごめん真由。今のは別に、ただの独り言なの。なんか、急に変なこと言っちゃったね。あはは」


「変じゃないよ」


「うん。私も知りたい。それがどういう気持ちなのか」


 美珠姉妹は二人とも真顔だった。

 余韻に浸っているのか何か思うところがあるのか、CMを挟んでいる今も二人は揃って液晶画面を凝視している。


「私は恋愛とかはわからないけど……」


 小早川も頷いた。

 

「好きな人のために……ああやって一生懸命になれるって、きっと素敵なことだと思うな」


「真由だって、これからそういうことあるよ」


「ううん。私がそんなことしたら、実由やお母さんたちに迷惑かかっちゃうから……」


「真由……」


『大変! ブタくんたちがケンカしてる! 早く止めにいかんと~!』


 再び、さっきのカップラーメンのCMが流れた。

 この湿っぽい空気の最中、小早川と瓜二つの顔の妹が画面の向こうで場違いなほどテンションの高い寸劇を繰り広げている光景がひどく滑稽に見えた。


「あーあ。私も、私より喧嘩強いイケオジとの出会いでもあればなー」


「潤花……お姉ちゃん潤花はもっと現実を見た方が良いと思うな」


「それ、お姉ちゃんには言われたくなーい」


「ふふふ……潤花、知らないでしょ? お姉ちゃんこう見えて裏アカで『鋼の恋愛術師』っていう二つ名で崇められてるんだからね」


「そのバカ丸出しな神輿(みこし)担いだ連中どこ? 一人残らず説教したいんだけど」


「優希、そのアカウント今すぐ教えて……!」


「わ、私にも……」


「二人とも騙されちゃダメだよ! お姉ちゃんのホラ話だから!」


「……っていうか君たち、恋愛を神聖視し過ぎだから」

 

 盛り上がる女子一同に対し、俺は冷ややかに言う。


「恋愛なんてしょせん人間関係の一部だし、良いことばっかりじゃないからな? さっきのドラマはフィクションだから自己犠牲を美化して描いてるけど、現実は『人が良かれと思ってしたことをそんな無下にすることある?』ってことばっかりで、めちゃくちゃ腹立つぞ」


 だから、男女関係に期待なんてするもんじゃない。

 自分の思い通りにいくことなんてないのだ。

 一時のドラマチックなムードに浸るまもなく、素っ頓狂な出来事は次から次へとやってくる。


「さすが、経験者が言うと説得力が違いますねぇ~」


「茶化すな」


 眉間に皺を寄せて不満を示すと、潤花はにししし、とおかしそうに歯を見せた。

 たびたび挟まれるこの合いの手みたいなウザ絡み、面倒だ。


「俺はこういう恋愛ドラマでももっと厳しい現実を見せてやった方が見てる人のためになると思うね。安易なハッピーエンドが約束されてるように感じると、そうじゃなかったときに裏切られた気持ちになるだろ」


 まぁ、このドラマ自体は悪い出来ではなかったけどな。

 その言葉を言わずに斜に構えていると、もの言いたげに俺を見つめるみずほ姉ちゃんと目が合った。


「みんな、お話の中くらいハッピーエンドがみたいんだよ」 


「…………」


「作りものだってことくらい、わかってるよ。叶わない夢だっていうのも、わかってる。でも、それでも……お話って、望んでも叶わない夢を少しでも感じてもらうための、優しい嘘なんじゃないかな」


 みずほ姉ちゃんは淡々と、子供をたしなめるような口調で語る。


「それとも、いつも衣彦が話してくれる好きな映画の中に、ハッピーエンドで終わる話はなかった?」


「……いや」


「でしょ?」


 そう言ってみずほ姉ちゃんはにっこりと笑った。

 みずほ姉ちゃんは、全部わかっている。

 俺の浅はかな捻くれも、くだらない逆張りの意地も。

 それきり俺は何も言えなくなってしまった。

 やがて、ドラマはエンディングを迎えていた。

 画面の中では仲睦まじく歩く主人公カップルが見覚えのある街並みの中で手を繋いで歩いている。


「あ! これ懐かし~!」


「え、なになに?」


「ほら、新之助が食べてるやつ! ラズベリーサンド! 私これニュージーのキッチンカーですっごい好きだったの!」


「へぇ~、美味しそうだね」


「これね、薄めのトーストの上にバターピーナッツ塗ったくって、その上にサックサクのドライラズベリーとアイス乗っけてるの。ピーナツバターの味も濃厚だし、ラズベリーの甘酸っぱさが良い感じのアクセントになってすっごい美味しいよ」


 俺は椅子から少し身を乗り出して、密かに生唾を呑んだ。

 なんだそれ……絶対美味いだろ……。


「……ここ、今でもあんの?」


「あるんじゃない? SNSで写真上げてる人、たまに見かけるよ」


「あ、あった。今も営業してるみたい」


 小早川も気になっていたらしい。俺がポケットからスマホを取ろうとすると、すでに小早川がスマホを両手で持ちながら検索していた。スマホの検索結果にはSNSにカラフルな色どりのラズベリーサンドの写真が並んでいた。店舗の地図を見ると、さきほどのカフェとさほど遠くない位置にあった。


「わーすごい、結構ボリュームあるんだね」


「ほんとだ。私ラズベリー大盛りがいいなー」


 みずほ姉ちゃんに続いて、優希先輩も小早川のスマホをのぞき込む。

 何も考えずに近付いたせいで二人の顔があまりにも近かったので、さりげなく後ろに下がる。


「びっくりするくらい美味しいよ! 私、このキッチンカー見かけたら絶対食べてたもん」


「でもこれ、カロリー……」


「みーちゃん! それは食べてから考えよ!」


「確かに! 優希の言う通りだね!」


 二人は両手をぎゅっと握り合ってキャッキャとはしゃいでいた。

 さっきの一瞬ピリついた空気はなんだったんだ。無駄に心配させやがって。

 俺は軽く嘆息しつつ、再びソファに腰掛けた。


「みずほ姉ちゃん、これから予定ある?」


「え……っと、夕飯の支度と、掃除と、洗濯くらいだけど」


「それ全部手伝うからさ、終わったらここ行こうよ」


「いっ……行く! けど、手伝いまではいいよ! 下宿のことは私の仕事だし──」


「いいなーーー‼」


「声でっか」


 隣で先輩が急に叫び出したので、俺は耳を塞いで顔をしかめた。


「潤花聞いてよー! 古賀くんが私たちを仲間外れにするー!」


 あろうことか、俺よりも一年早く生まれているはずの人生の先輩は、カーペットの上に寝転がって子供のように手足をジタバタし始めた。

 この人には恥じらいというものがないのか。スカートでそんな恰好をするものだから裾がめくりあがって白く滑らかな太ももが露になりつつある。このままじゃ太ももの付け根まで見えるんじゃないか──と思ったところで潤花がさっと先輩のスカートの裾を直して先輩に膝枕をした。惜し……いやセーフ。


「おーよちよち、可哀想だねー。こんな可愛いお姉ちゃん泣かせるなんて衣彦は女泣かせでちゅねー」


「言い方よ」

 

 半眼で遺憾の意を示すが、姉妹は俺をチラチラと見つめながら謎の寸劇を続ける。


「古賀きゅーん、こんなところに青春に餓えた恵まれない子たちがいるのに、私たちのことは見捨てて行っちゃうのー? あぶー」


 両こぶしで口元を隠し、潤んだ瞳で訴えてくる先輩。

 この人、自分が可愛いってことを自覚した上でこんなふざけた赤ちゃんごっこしてるのか? 効果てきめん過ぎて腹立つな。恋愛弱者のザコ免疫をなんだと思ってるんだこの女は。下手をすれば沼に落ちるぞ。


「……来るななんて言ってないじゃないですか。来てもいいですよ、別に」


「やったー!」


「ありがとう衣彦! ごちそうさま!」 


「奢るとは言ってねぇよ⁉」


 スパァンと両手を合わせる潤花に慌てて突っ込むと、下宿生女子は一斉に笑った。

 残るは一人だ。


「小早川も、来るだろ?」


「──え」


「用事がなければ、だけど」


「よ、用事はないけど……」


 小早川はおずおずと自分の胸元と俺を交互に見て、上目遣いで言った。


「私、着替えなきゃ」


「何言ってんだ。もう着替えてるだろ」


「っ……!」


 怯えるように瞳を潤ませる小早川。

 俺はソファの隅でひっそりと畳まれている『なめたけ』とプリントされたTシャツを一瞥(いちべつ)して、再び小早川と目を合わせて言う。


「今着て行かないともったいないぞ。せっかく似合ってるのに」


「で、でも私……」


「外に出るの、怖い?」


「……また、みんなに迷惑かけちゃうかもしれないから」


「はーい、じゃあこの中で真由ちゃんも一緒に来て欲しい人、お手あげー」


 言うが早いが、優希先輩の号令と同時に女子たちは一斉に手をあげた。

 ちなみに俺はというと、先輩と潤花に両サイドから手首を掴まれて強制的にバンザイをさせられていた。この下宿の民主主義は死んでいた。


「大丈夫だよ真由。真由に何かあったら衣彦が守ってくれるから。ね?」


「まぁ、何事もないことを願うけどね」


「いざとなったら私もいるからさ、真由も行こ?」


「真由ちゃん、私真由ちゃんと写真いっぱい撮りたいな! 双子コーデってちょっと今時の女の子っぽくない⁉」


「みんな……いいの、かな」


「いいに決まってるじゃん!」


「うちの下宿に住むからには、遠慮なんかしちゃダメだからね!」


「……うん」

 

 いまだに躊躇する小早川の背中を押すように、潤花とみずほ姉ちゃんがダメ押しで背中を押す。そうしてようやく意を決したように、小早川がぎゅっと唇の端を閉じ、こくりとはっきり頷いた。

 

「私も、みんなと、行きたい」


 みずほ姉ちゃんがこっそり安堵のため息を吐くと同時に、美珠姉妹はわっと小早川の両腕に飛びついて抱き着いた。


「決まりだな」


 成り行きで下宿生全員での外出を決めてしまったが、今回は特別ということにしておく。

 どの道、全員で出かける機会もこれが最初で最後にする。

 俺としては人間関係のいざこざで下宿のメシがまずくならなければそれでいいし、もともとこいつらと距離を縮めようなんて気はさらさらない。

 それはそれとして、店の周辺や電車の時刻表くらいは調べておこう。

 そう思ってポケットからスマホを取り出すと──


『美作(みまさか)楓(かえで)』


「……っ‼」


 ディスプレイに表示された送信者の名前を見て、思わず絶句する。

 元カノから、メッセージが来ている。

 薄気味の悪い予感で寒気がはしる。

 何だよ……今さら。


「待って衣彦! 大事なこと言い忘れた!」


「っ⁉ なんだよ急に」


 突然、潤花が声をあげたので俺はすかさずスマホを隠し、平静を装った。

 すると、


「さっき、お姉ちゃんはあぁ言ってたけど……」


 潤花は神妙な面持ちで俺に上目遣いを向けた。


「……私、トッピングまではいいから」


「奢んねぇっつってんだろーが‼」


 春うららかな入学式前日、伊藤下宿ではいたいけな思春期男子の怒号とカツアゲの現場を面白おかしく囃(はや)し立てる悪女たちの笑い声が響き渡った。


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