失恋ディテクティブ のらくら文芸部企画もの

棚霧書生

失恋ディテクティブ

単純接触効果、ロードマップ、事実婚


 運命の人はカフェにいた。店内の奥にあるオシャレなデザインのソファと天板の真ん中にガラスがはまったウッドベースのテーブルが僕の定位置。ここからなら、あの人が座る窓辺の席を外を眺めているふりをしてそれとなく観察することができるのだ。なんて素晴らしい特等席だろうか。しかも今日は全然お客が入っていないから、マスターの存在を無視すればほぼ二人っきりの空間だ。昼どきは満席になることもあるから、この状況はラッキーである。

 誰にも見られていないと思っている可愛い人はパソコンとにらめっこしながら、飲み終わったアイスティーのストローをガジガジと噛んでいる。僕はピクニックでのどかな景色を見ているときと同じような気持ちで、昼食のベーコンとチーズのパニーニにかぶりついた。サクッとした音が耳に心地よく、ほどよく溶けたチーズが塩のきいたベーコンと舌の上で絡み合い、実に美味しい。愛しいものを眺めながらの食事がこんなにもクオリティ・オブ・ライフを上げてくれるものだったとは、とても得をした気分だ。

 コロナ禍の影響で会社での仕事がテレワークになってから、昼の時間は面倒なものだった。毎日毎日、何も考えずに社食で提供される日替わりランチですましていたところが、急に自分で昼食の準備をしなくてはならないとくれば負担感はさもありなん。最初は新鮮だったウーバーイーツを頼むのもだんだんと味気なくなり、かといって自炊もそれほど続かず一週間もすれば料理をすることに飽きてしまった。

 気分転換に外へ出て新しい店を探してみるのもいいかと気まぐれを起こしたあの日の自分には、懇切丁寧に感謝を伝えたい。ありがとうございました。おかげでふらっと入ったカフェで僕は愛の雷にうたれました。一目惚れって迷信じゃなかったんだって、身をもって知ったのです。むふぅと口が弧を描きそうになるのをグッとこらえる。ひとりで笑ってる変なやつだとあの人に思われたくない。まあ、僕のことなんて視界にも入ってないだろうけどね! なんてったって僕とあの人は他人同士だから! 喋りかける勇気? あるわけないじゃないか! よく考えてもみてくれ、知らない人が用もないのに突然話しかけてきたら怖いだろう? 問題はいかにして不安や不審を抱かせることなく会話までこぎつけるかということだ。目にする回数が多いものには親しみを持ちやすくなる単純接触効果というやつがある。幸いにして今のところはあの人もこのカフェに毎日通ってきているので、チャンスはあるはずなのだ。急ぎすぎてはいけない。タイミングを見計らい、「あっ、いつもこちらに来られてますよね。よくお見かけします〜」といったように、いい感じに声をかけてお友達になり、さらに仲を深めていって恋人になり、そして最後には結婚するんだ! イッツァパーフェクトロードマップ! あっと、待てよ……、結婚はできないか、僕もあの人も男だ。じゃあ、事実婚だな、事実婚を目指そう!!

 僕がハッピーな未来を想像していると彼が窓辺の席でグッと伸びをした。ちょっとした動作が輝いている。なんなら後光がさしてみえる。

 彼はテーブルの上に広げていた手帳やパソコンをリュックに入れていく。もう帰るのだろうか。いつもなら、ドリンクの二杯目を頼んでもうひと粘りする頃合いなのに。

 彼は荷物をまとめ立ち上がるとレジに向かうのかと思いきや「アイスココア、お願い」とカウンターのマスターに片手をひらっとあげてラフに追加注文をする。なんだまだ帰らないのなら僕ももう少しだけ彼を眺めよう、とのんきに思っていられたのはそこまで。

「相席、いいよね」

 語尾に疑問符のついていないその言い方には、僕の意思を確認する意図が一切ない。

「あ、あ、あ……」

 真正面のソファに僕が今まさに好きで好きでたまらない人が腰かける。目測でも百八十はある高い身長に見合う長い足を優雅に組んで、肘掛けを撫でる。ギッと音を立てて彼の人の体重を受けとめたソファがすごく羨ましい。

 彼はウェーブした黒髪を結べる程度に伸ばしていて、ぴょんと出た後れ毛がとっても魅力的なのはよく知ってる。なぜならば、後ろ姿は目に焼き付ける心づもりでこれまで凝視してきたからだ。まさか正面から、それも間近で彼の顔を見ることになるとは……あー……額に垂れる前髪がいい、ぱっちり二重のお目々も、真っ直ぐな鼻筋にちょこんと控えめな小鼻、艶のある唇も、ぜんぶいい……。

「君は私のこと好き?」

 彼はささやくように言う。恋の呪文みたいだった。

「すっ、好きです……」

 彼から近づいてきて、好きかと尋ねてくるこのシチュエーションに疑問がわいていないわけがなかったが、僕はそんなことより彼に誠実に答えてあげなくてはならない使命感にかられていた。

「私のこと愛してる?」

「愛してます! 事実婚しましょう!」

 彼がニコッと微笑む。リーンゴーンと教会の鐘の音が脳内に響く。まさかまさかまさか、両思いだなんて! そんな奇跡があってもいいんだろうか! おめでとう! おめでとう僕! この幸せ者め! 頭の中でフラワーシャワーが飛び交い、ハッピーの麻薬が思考をおめでたい方向に持っていく。

 トンッとテーブルにグラスが置かれる音でふと現実に返る。彼がさっき頼んだアイスココアをマスターが運んできたようだ。マスターからはなにやら冷たい視線を感じる。なんだ? 美人な彼と結ばれた僕が羨ましいのだろうか?

「で、どう?」

 マスターは敬語も使わず、僕の婚約者に話しかける。なんてなれなれしいやつなんだ! 彼氏として一言文句でも言ってやろうか!

 僕が勇んで口を開く前に彼がきれいな声でマスターに告げる。

「ストーカーはこいつに違いないね。捕まえてくれ」

「了解」

「……えっ? はあ!? ちょっと待って」

 ぽやぽや天国な気持ちが一気に冷えあがる。僕が抵抗する間もなくマスターは僕の体を縄でぐるぐる巻きにして拘束してしまった。身動きがとれずに焦る。これじゃ犯罪者みたいじゃないか! だいたいストーカーってなんのことだよ、ちょっと見つめてただけで罪になるっていうのか。どうして僕がこんな扱いをされなくちゃならないんだ!?

「さて、弁解があるなら一応聞いておこうか? まあ、気色の悪い手紙に加えて、センスゼロどころかマイナスの贈り物をしてくる時点で君がまともではないことはわかりきっているのだけれどね」

「てっ、手紙? 贈り物? なんのことですか!?」

「こいつ、しらばっくれるつもりだぞ。裏に連れてって一発しばくか?」

 マスターがパキパキッと太い指の関節を鳴らす。むさい野郎のことなど今までまともに見ていなかったから気づかなかったが、この男かなりの筋肉質だ。腕まくりした白いワイシャツの袖からは丸太のような鍛えられた腕が出ている。

「だ、だれか……!」

 助けを呼ぼうとして、はたと気づく。店には僕と愛しの彼と態度の悪いマスターしかいない。そうだ、いつもなら昼どきはそれなりに人が入ってくるのに、今日に限って一人もいないとはおかしではないか。

「僕をハメたんですか!?」

「他のお客さんに迷惑をかけるわけにはいかないからね。君が入店したあとに臨時休業の札を下げてもらったんだ」

「俺もミヨルを熱心に見てる危ない輩がいるのはわかってたからな、犯人捕縛のために協力したってわけだ」

 ミヨル? 聞き馴染みのない音の連なりに一瞬、理解が遅れる。が、それが彼の名前なのだとわかってしまえば、自分の熱い思いを抑えることはできなかった。

「ミヨルさん! ミヨルさんというのですね! 素敵なお名前であなたにぴったりです! どんな字を書くのでしょう、ああ、ひらがなでも可愛らしいですね! ミヨルさんのヨルは昼夜のヨルだったりするでしょうか、そうだったらすごく嬉しいといいますかね、実は僕の名前はアサヒといいまして、あっ、アサヒは九日って書くやつです。夜と朝って続いているものじゃないですか。名前だけでもミヨルさんとつながってると思うと僕はもうっ! ううっ……!!」

 感極まって泣けてくる。今日だけで対面でお話して、お名前も知ることができて、ミヨルさんには僕の存在を認知してもらってしまった! なんという僥倖! これも日頃の行いの成果か!

「旭さん……申し訳ない。どうやら私は勘違いをしていました。その口ぶりからして、私のストーカーはあなたではないようです。非礼の数々、心よりお詫び申し上げます……。トラ、縄を解いてさしあげて」

「いいのか……? 今まで嫌がらせしてきたやつとは別人だろうが、たぶんこいつもストーカーと似たようなもんだぞ」

「僕はストーカーじゃない! ミヨルさんをそっと見守ってただけで……、ちょっと待ってください、お話から察するにミヨルさんは現在ストーカー被害に遭われているのですか?」

「アンタには関係ない。縛ったのは悪かったな。今日の分の会計はナシでいいから、とっとと帰ってくれ」

 僕のミヨルさんにストーカー行為を働くだなんて、許せない! 僕がミヨルさんを悪いやつの魔の手から守ってあげなくては!!

「僕におまかせください!! そういうのは得意分野なんです!!」

 ミヨルさんとマスターが僕に隠そうともせず、視線のやりとりをする。胡散臭そうだけど、どう思う? という台詞が今にも聞こえてきそうだ。

「申し遅れました、僕は渡来旭、きさらぎ探偵社に所属する探偵の端くれです!」

 いつの日かミヨルさんに自己紹介するために常に持ち歩いていたちょっと高級なバージョンの名刺を両手で持って渡す。

「探偵さん……?」

 ミヨルさんがじっと僕の名刺を見つめる。

「はい! 弊社ではストーカー被害の案件も取り扱っておりますので、ご安心ください! 僕が絶対にミヨルさんをお助けします!!」

「胡散臭え」

「トラ、失礼だよ」

 そういうミヨルさんもまだ僕を信用しているわけではなさそうだった。

「料金のほうも僕からの紹介ということにして、特別価格でご案内できます! うちには、元警察や犯罪心理学が専門の大学教授なども在籍しておりますので、きっとお役に立てるかと!」

 怒涛の勢いでまくしたてる。ちょっと押しすぎただろうか。しかしだ、ミヨルさんとお近づきになれるこのまたとないチャンスを逃すわけにはいかない。言葉に熱が入るのも当然だ。

「……そうなんですね。あの……ご依頼するかどうかは少し考えます。相談しないといけない相手もおりますので……」

「あああああ相手!? そっ、それってコイ、コイビトだったり……」

 ハッハッハと馬鹿にしたようにマスターが笑った。

「結婚相手だよ。ミヨルを狙ってたみたいだが、残念だったなァ、探偵さんよ」

 結婚相手だよ、結婚相手だよ、結婚相手だよ、その言葉が脳内で繰り返し再生され、うるさく鳴り響く。

「そ、そんな……あ、いや、別に、その問題があるわけではないのですが……」

 しどろもどろになりながらも、僕は会話を続けた。しかし、そこから先のことはよく覚えていない。ずっと心臓が嫌な鳴り方をしていて、気がついたら家の玄関で泣き伏していた。


終わり

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