五十マイルの笑顔

藤泉都理

五十マイルの笑顔




 五十マイル。

 およそ、八十キロメートル。


 中間圏。

 高度四十八キロメートルから八十キロメートルの範囲にある大気区分の名称。


 中間圏上部。

 季節に逆行して冬に気温が高く、夏に気温が低い。

 ので。

 あいつは夏を中間圏で過ごし、冬は地上へ降り立つ。


 中間圏の気温。

 最も高く、零度。

 最も低く、零下九十度。


 冬になろうと中間圏の方が気温は低いだろうに何で地上に降りてくるんだ。

 一度尋ねてみた事があった。

 あいつは言った。

 らしいのだが、もう覚えてはいない。

 恐らくどうでもいい答えだったのか。

 もしくは。






 幼い頃は途轍もなく重かった両翼。

 切り落とそうと考えた事は数知れず。

 幾度、友竜に斧を持たせ事か。

 幾度、風の刃を発生させた事か。

 幾度、こんな重たい両翼が生える身体に生みやがったなと、両親を詰った事か。


 けれど今は。

 両翼を斬るなと止めてくれた友竜にも両親にも、途轍もなく感謝をしている。

 この重たい両翼がなければ、あいつのいる場所まで辿り着く事は叶わなかっただろうから。


「ほら。迎えに来たぞ」

「………毎年毎年、律儀な事だ」


 雪女であるこいつはいつも迎えに来た俺を見ては微妙な顔をする。

 まあ、地上に行きたくないのだろう。

 中間圏はよほどこいつにとって居心地のいい場所らしいが、渋々ながらも、俺の背中に乗って地上へと降りてくる。

 冬の季節だけ。


「落っこちるなよ」

「落っこちても死にやしないが」

「探すこっちの身になってみろよ」

「竜は全知全能なんだろう?私を探すのなんて朝飯前だろうが」

「全知全能じゃねえし。いいから落っこちるなよ」

「わかった」


 雪女は背中のぼこぼこした皮膚の一部に抱き着いた。

 竜は雪女がしっかり掴まった事を確認して、一気に急降下した。

 地上では、仲間や両親が今か今かと雪女を待っているのだ。

 毎年毎年律儀に歓迎会を開いているのだ。

 急いで帰らないといけないのだ。

 ほんとはもう少しゆったりと飛翔を楽しみたいのだが。


(まあ。こいつを乗せての飛翔はこれからいくらでもできるわけだし)

(こいつ。身体が大きくなっても、笑顔は何も変わらないな)


 雪女の脳裏に、ふと、幼い頃の竜の笑顔が過った。

 重たい重たい捨てたいとぶつくさ文句を言っていた両翼で、この高さまで飛翔できた事がよほど嬉しかったのだろう。

 それと。


(私に会えて嬉しかったから。なんて、もう二度とは言わないだろうからな。こいつ。そもそも、記憶から消去してそうだし)


 まあいいか。

 雪女は思った。

 あの五十マイルの笑顔を毎年毎年見られるだけで、腹がいっぱいなのだから。


「落っこちるなよ!」

「しつこい」


 そんなに念押ししなくても、落ちる事はないんだよ。











(2023.11.22)



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五十マイルの笑顔 藤泉都理 @fujitori

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