21  Enjoy English !

「1年が過ぎるのって早いなぁ」

 亜紀がつぶやくと、「ですよねぇ」、中等部の福田がうなずいた。


 水道の水が冷たくなった。

 もう12月だ。

 今日は部活の日だが、入江先生も奥山部長もいない。部員は、ちょっとゆるんでいる。


 高美展こうびてん(高等学校美術展)の地区別で、奥山は上位の優秀賞に選ばれた。県を3つに分けての地区展で上位の作品は、県本展に出品される流れだ。

 奥山は入江先生と県本展へ招待されたのだ。

 ちなみに、井上と亜紀は入賞だった。


「全員入賞は、めでたい限り~」

 いよ~~っ、か、ぽ、ぽん、ぽん、と、エア小鼓こつづみを鳴らして、井上が舞った。まわりにいる、誰もツッコまない。


「井上副部長、中等部の催しでござるが」

 福田がみずから巻き込まれていった。

「桐野先生の『Enjoy English!英語を楽しもう! 』、何を献上したらよいと思います?」


 中等部の面子めんつは、相談事は部長でなく副部長にする傾向にある。

「人徳?」

 井上は、眼鏡の奥の目を細めた。

(言うんだ)

 うなずきそうになるのを亜紀は耐えた。


 『Enjoy English!英語を楽しもう!』は、英語教師、桐野きりの先生の中等部向けのイベントだ。

 聖夜礼拝ミサの前のお楽しみイベント。

 英語苦手な者にとっては断罪イベント。


「英語が入ってればいい。歌でも、暗唱までいかなくても朗読でも。クラスが統率できるなら劇でも。合唱でも。じゃが、独りで出陣すれば、その心意気を買って身に余るほうび評価点まちがいなし」


「森さん、どうする? 組む?」

 福田は後輩の森に持ちかけた。

 学年をまたいで組んでもいいんだそうだ。縦割り教育、推進である。

「わたし、踊れますよ」

 森は片手で、きれいなポーズを決めた。


「それこそは奥山部長の路線」

 井上が、ぽんとひざを打った。

「奥山部長は何やったんですか」

 思わず、亜紀は聞いてしまった。

いにしえの歌を踊った。ほぼサビだけ叫んで、あと踊る。あれは効率よかった」

 きっちり再現してみてくれた。サビで「指名手配!」と英語で叫ぶ。


「奥山部長って、中学の時から奥山部長だったんですね」

 みなで笑い転げた。




 青木と小日向に、その奥山のことを聞いてみたら。

「あぁ、それ、覚えてる。オレらが中2の『Enjoy English!英語を楽しもう!』で。しばらく夢に出てきそうだった」

 青木は感慨深げだった。


「奥山先輩って帰国子女だよ。英語しゃべれないはずないのに、あれは反則だった」

 小日向が思い出し笑いしている。


(もう、ずっと笑っていて)

 それを横目で亜紀は堪能し、ため息をついた。

「あー、わたしも観たかったなー。奥山部長の『Enjoy English!(英語を楽しもう!)』」



 SOそう

 「観たかった」とは言った。

(出たかったじゃない。過去形だし)


 今、亜紀は職員室の桐野先生に呼び出されて、変な汗をかいている。


「編入生に、できるだけ思い出を共有してもらいたいので、特別枠ですよ」

 にっこりと、目の前の桐野先生がほほえむ。


「残念ですが、当日に言われましても。私、授業がありますので」

 断りたい。


「5時限めの数学の田辺先生には、こちらから許可をとりました」

 しれっと桐野先生は言う。


「きゅ、急に、え、英語劇に参加と言われましても」

「美術部所属の福田敏子さんがリーダーのチームに、白井さんの参加をお願いしておきました」


「な、なんも聞いてません」

 亜紀、あせりでなまった。


「あら? サプライズかしら?」

 〈聖女〉が小首を傾げている。うつくしいがな。

「白井さん、いらっしゃい。『Enjoy English! (英語を楽しもう!)』へ」




「えー、わたしは先週、下級生から、お知らせもらったよぉ。ねぇ、小島君」

 亜紀が山崎由良やまさきゆらに愚痴ったら、そう返された。

「そうそう。桐野先生にも昨日、確認された」

 小島もだ。


「同じ編入生なのに。扱い、ちがい過ぎ」

 亜紀は昼ご飯もそこそこに講堂に向かった。


 すでに講堂には、福田、森、堺が集まっていた。


「白井センパーイ」

 森が、くるくる、挙げた右手を振って亜紀を呼んだ。


あなたたちおのれら~、なんで言わないの~~」

「さぷらーいず、なんつって」

 青ざめている亜紀を、森は完全におちょくっている。


「大丈夫ですよ。私たちがいますから」

 福田が両手の指でハートを作った。

 中3に励まされている高1とは?


 福田、森、堺が選んだ演目は、有名な葉っぱのお話の簡易版朗読だった。

 状況説明的な劇をつけて、お話しを知らない人に配慮する。


 筋は、こうだ。

 病気になった娘さん(画家志望)が気持ちが弱って、窓から見える壁の葉っぱが、すべて落ちたら自分は死ぬって言うから友人(画家志望)は気をもむ。けっこうな嵐でも葉っぱは耐えて、それに励まされて娘さんは元気になる。

 実は、嵐の中、じいさん(自称画家)が葉っぱの絵を壁に描いてくれていたんだってオチ。

 登場人物4人中3人が画家系だ。ゴウを感じる。


「私がじいさんと医者で、森さんが友人。堺君が病人です」

 福田が説明してくれた。

(病人って。をつけようよ、福田さん)


「堺君、大丈夫かな。セリフ」

 人見知りだろう堺は、亜紀にとって他人事じゃない。

「死にそうな病人なんで」

 福田は、ぐっじょぶ! というポーズをした。


「あれ、私は」亜紀は自分を指した。何の役なんだ。

「白井先輩は葉っぱです」

 すかさず、森に緑のトレーナーを渡された。

 福田の説明が続く。

「セリフは “The next day.”。これ、台本です。白井先輩のセリフは蛍光ペン、引いときました」

 台本をめくると、たしかに要所要所の区切りに、ピンクの蛍光ペンが引かれた

“The next day.”」があった。


「は、発音チェック、いいですか」

 亜紀は福田相手に、突貫工事で演技指導を受ける。


「“The next day.”」

「“The next day.”」

「“The next day.”」

 福田は幼い感じ、おびえる感じ、包み込む感じ、3種類のセリフを言って見せた。どうやら、憑依系ひょういけいらしい。

「昼からの演目、3番めなんで、余裕です」

 福田、頼りがいしかない。


 講堂には、ぞろぞろと中等部の生徒が入って来た。

 1番めと2番めの演者たちだろう、舞台のそでに集まりはじめた。亜紀たちも、それに続く。いつの間にか、堺が脚立と緑の色画用紙のツタの葉を貼った暗幕を抱えてきていた。


 トップバッターは、ギターを抱えた男子3人組だった。

「吹奏楽部の中3男子たちです」

 福田が亜紀に耳打ちした。


 ギターのイントロが流れはじめる。

 それは、亜紀も知っている英語の曲だった。夏休みに、なつめ先生がカラオケ屋で歌っていた曲だ。

「昔の曲だよね。選曲、シブい」

 感想をもらすと、森が割り込んできた。

「先生世代にアピールしてるんですよっ」


「真ん中の子、同じクラスで桐野きりの先生の甥です」

 福田の解説が続く。

「えー、似てるかも。桐野先生に」

 森が舞台をのぞき込んだ。

 亜紀の位置からは、よく見えなくて澄んだ声だけが聞こえた。


 2番めの演目は女子5人による朗読だ。

「名作童話ですね」

 福田は、もう解説員になっている。

 童話だ。心にみる、キツネの出てくる話。

「かぶった?」不安げな亜紀に福田が言い捨てた。「あっちは正統派なんで」


(やっぱり、こっち、邪道なんだ)

 納得と困惑を抱えて、亜紀は緑のトレーナーの胸に手を当てる。


 さぁ、亜紀たちの番だ。

 演目中、亜紀は緑のトレーナー着て、ずっと脚立にしがみついていた。

 脚立の上から見ると講堂は後ろまで、よく見渡せた。先生が何人か見に来ている。

 数学の田辺先生までいた。

(授業はどうしたよ)


 さながら、亜紀は海で難破船にしがみついているようだった。

「“The next day.”」

 2回めの、そのセリフで会場から小さく笑いが起こった。

 3回めで、誰か男子が大声でかぶせてきて、どっとわいた。


 福田は医者役の時は白衣(科学部の友人から拝借したとか)を羽織り、じいさん役の時は絵の具で汚れたスモック(自前)を着、両方脱いだ時は黒のスウェットの上下(自前)で、それで容赦なく葉っぱをむしり取ると、会場から笑いが起こった。


 そして、このあと、しばらく亜紀は〈ミドリの人〉と呼ばれることとなった。

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