初めての旅

 まずはアーモナツィオという国の実情を知りたいと考えたジャンは、長距離移動に適したクモ型のアルマを購入してステリストを旅立つことにした。


「5000インフォルモになります」


「安いな、買おう」


 高性能のクモ型アルマがたったの大金貨五枚と聞いて、躊躇なく財布から金貨を取り出す。すると店主はクスクスと笑いながら顔の前で右手の人差し指を立て、言う。


「いけませんね、王子様。あなたは今、平民としてここにいるのでしょう? 平民にとって5000インフォルモは『高い』んですよ。安いなんて言っちゃあいけません。あと、そもそもインフォルモは持っていないからオーロでの取引を希望する人が多いですね」


「あ、そうか。これは思ったより大変だな」


 ラトル家のボヤジャント王子ではない、平民のジャンであるという設定を貫くには平民の考え方や行動を理解し、そのように振舞わないといけない。自分から平民を名乗ると言っておきながら、店主から指摘されて初めて自分の考えが甘かったことに気付けた。ジャンの目的に平民のことを知るという項目が追加された瞬間である。


「俺は世間知らずだ。もっと世の中のことを知らないと」


 アルマを買ったジャンは、まず手持ちの金貨を全て電子通貨に換えた。それから旅人がよく利用する補給品店に向かい、旅に必要な物資を店員に相談しながら揃えた。見聞きする何もかもが新鮮だった。ずっとこの町に住んでいたのに、本当に何も知らずに生きてきたのだと実感すると共に、電子取引の便利さを体験すると金貨にこだわる上流階級の気持ちがよく分からなくなってきた。こんなに便利なのに、信用できないからと忌避しているのだ。決済のトラブルやシステムのダウンがあったら困るからと。その理屈はわかるが、だからといって全く利用しないのは馬鹿げていると思った。


 アーモナツィオに向けて出発すると、砂漠を移動する感覚がイヌ型とは全然違うことに驚いた。まるで揺れないし、速い。砂の海を滑るように進んでいくのだ。操作に慣れて感覚がリンクしてくると、ただ走っているだけで楽しい。周囲の状況が鮮明にわかるので、いつ恐ろしい敵が襲ってくるかとビクビクしなくてもよくなった。イヌ型が旅に向いていないと言われていた理由が、理屈よりも感覚ではっきりと理解できたのだった。


「凄いな、クモ型。さすが一番使用率の高いアルマだ」


 この世界で最も売れているアルマのタイプはクモ型だ。低価格帯から高価格帯まで幅広く取り揃えてあり、どの価格帯でも満足感のある安定した性能を誇ることが人気の理由だが、外見を嫌う者も少なくない。特に女性は嫌がることが多いため、女性に対して最初にクモ型アルマを提示する店はない。だからこそクモ型アルマに乗る女性はそれなりに〝わかっている〟乗り手だとみなされる。


 褒められたアルマから喜びの感情が伝わり、ジャンも更に気分が良くなった。この素晴らしい相棒に名前を付けてやらなきゃと考えたが、相応しい名前が思いつかないので一旦保留とした。アルマも製造番号で個体識別しているので名前を欲する様子はないのが伝わってきた。


 機械に感情があることは、ある程度の腕を持つアルマ乗りには常識のようになっているが、実のところどういう仕組みで感情を持っているのかは明らかになっていない。なにせアルマの製造技術が遺構から発掘されたアーティファクトの模造で、機械を制御するプログラムはそのままコピーして使っているという大雑把さだ。もちろん解析は進められているが、アルマ達に搭載されているレベルの人工知能AIを完全に無から作り出すことのできる技術者は現代の人間社会に存在しない。少なくとも世間の認識ではそうなっている。


「物資も十分にあるし、このままアーモナツィオまで一気に進もう」


 長距離移動可能なアルマは中で快適に生活できる設備が整っている。アーモナツィオまでは真っ直ぐ進んでも数日かかるが、そのぐらいなら問題ないと判断した。補給品店で買った食料の数々も今まで食べたことがない代物ばかりなので楽しみだ。


◇◆◇


 ジャンが初めての砂海旅行を楽しんでいる頃、アーモナツィオでは国王のトビアが王妃のサラと自室で話し合っていた。


「ラトル家の王子は無事に来れるだろうか、心配だ」


「そうですね、今回の話を快く思わない者もいるでしょうし。ラトレーグヌを敵に回すような愚を犯す人はいないと思いたいのだけど」


 王と王妃に子がいないのだから、自分が国を掌握したいと考える有力者は多い。その中でも主流はラトル家の王子に取り入って有利なポジションを取ろうとか、娘を次の王妃にしようと目論む者ばかりだが、王子を亡き者にしようと考える過激派もいるかもしれないという懸念はある。ラトレーグヌを怒らせれば国が滅ぶだけなのだが、世の中恐ろしいほどに思慮の足りない人間はいるものだ。高度な教育を受けた者であろうとも。


 王妃に子がいないなら第二妃を迎えればという声もずっとあった。子を産めなかった王妃を公の場で悪く言う貴族すらいた。それでもトビアは生涯サラ一人を愛すると誓ったのだ。国の存続よりも妻への愛を優先させた彼は王としては失格である。そんなことは重々承知の上で、この道を選んだ。それでも内乱が起こらなかったのは、ひとえに彼の治世が素晴らしいものだったからだ。


 トビアの代になってからアーモナツィオは大いに繁栄し国際社会での発言力も格段に増した。何よりも他国との争いが小競り合い程度すら起こらなかった。この世界において平和より貴重なものはない。ラトレーグヌの実質的な属国になってしまったが、それも国民にとっては悪いことではなかった。悪い噂の絶えないラトレーグヌだが、大天回教の独善的な態度に反感を覚える国民は多く、カエリテッラの属領になるよりはずっと好ましいという意見が大多数を占めていた。


◇◆◇


 そして、ジャンの乗るクモ型アルマがアーモナツィオの国境に近づいた時。


『敵性反応、多数』


 鳴り響く警報と共にナビゲーション音声が危機的状況をジャンの耳に伝えてきたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

砂塵の鉄機兵 寿甘 @aderans

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ