第17話 へんか

 晴天だった。とにかく光だけが振る舞われている。

『高校生に復帰した』

 スマートフォンの画面の向こうで、制服姿のヒメが他人事のような口調でいった。

 場所はどこか野外らしく、背後にフェンスと空が見えた。画面の向こうから、わずかに校内と思しき雑音がきこえてきた。その雑踏も、ほとんどはスマーフォンの性能で排除していそうで、実際は、もっとうるさそうだった。

「高校生だったのか」

 風に吹かれながら、リョウガは画面のなかのヒメへいった。

『いくつだと思ってた』

「高校生ぐらいかと思ってた」

『なら、あってたね』

 やる気なくそういって、後頭部をフェンスへあずける、がしゃんと音がきこえた。

 画面の向こうからは、がん、がん、っと定期的になにかがフェンスを叩く音もした。おそらくヒメが足か手でフェンスを叩いている。

「なにか用事か」

『おおう、おおう、用事がなきゃあ、れんらくしちゃあ、いけないのかあぁー………って怒る人、たまにいるよね? あなたはそういう人とぶつかったことある、人生で?』

「ある」

 答えると、フェンスを叩くような音が途絶えた。

『ごめん』不意にヒメは謝罪した。『なんかさ、ひさびさで、ゼンタイ的にちょっとキツいんだよね、学校にいるの。ここにいると、やっぱりなんだかんだ、やってらなくなる、にんげんとして。教室、せまいしね。だからさ、ちょっとだけ話にでもでもつきあってよ。若い子のメンドウみてよ、若い子のめんどくさいぶぶんところとか、大人のよゆーで引き受けて』

「そういう用事だったのか」

『そういう用事だ』

 画面の向こうで、ヒメは両の太い眉毛を一度うごかした。

「やってみよう」

『マジメなのか、パスってるのかわかんないよね、ときどき思うけど』

「………パスってる?」

『つまり、サイコパス、的な。ああ、べつに悪口じゃないよ、このまえ本で読んだの、なんかサイコパスって、べつに、悪い人とかってー、そう意味じゃぜんぜんなくって………なんだろ………なんだっけ』

 どうも、多少教養があることを見せようしている。だが、けっきょく、うまくゆかなかった様子がある。

「本を読むの、好きなのか」

『え、ああ、うん』問われたことにより、勝手に抱いていた説明責任から解放され、ヒメは表情を明るくした。『好きだよ、本を読むのは好き。ほら、けっこう学校いってなかったし、でも、バカになるのはヤだったしね。学校はいってなくても、わたしは本をたくさん読んでるからって、ハーイ! ダイジョウブでーす………なんて、そういうかまえでいたっていうか。ほら、なんか、本読んで、知識とは仕入れると、じぶんの中に、ちょっとした小さな弁護士がいる感じ? んん………わあ、なんか、いまこうしてじぶんで言ってて、言ってることの意味がじぶんでわかってない』

「そういうことはよくある」

『おっ、心のセッタイしてくれるんだね、ありがとう』

「そうでもない」リョウガは否定までには至らない口調でいった。そしてもう一度。「そうでもなんいんだ」

『なにが?』

 ヒメは幼子のような反応で聞き返す。

 間があいた。

 リョウガの方がつくりだした沈黙だった、だが、長引くと、やがてその間が、どちらの持物であるか、わからなくなってきた。

 そんな頃だった。

『………でも、いいや』ヒメは会話文としてはまったく繋がらない接続詞の使い方でそういった。それから、考えるような間をおいた後。『いまは貴方の弱点には興味がない』

 励ますつもりでいったのか、だとしたら、おそらく台詞を考え過ぎていた。

『いまはわたしのことに集中して』

 照れを誤魔化すかのように、作為的にまるみを意識した口調で傲慢さをあててくる。

『あ、そうそう、じぶんのことばかり考えてて言うを忘れてた』

 カメラから視線を外し、露骨にわざとらしい言い方をした。

『怪獣ショウ、今日、やるよ、今日の夕方にやる………まぁー、さすがにそれぐらいは知ってるかっ。いや、だって貴方はいつもショウが完全に終わってから行ってるし、ショウの二日後とか………ヒドイときは三日後とに行ってたたし………でも、貴方はショウの敵だし、ショウをやっつけるっていうのに、ショウが好きな、わたしがこういう情報教えるのは、まあ、おかしいんだけどね………でも、貴方がいつもショウが終わって、ショウがいない場所に行ってるのがナゼか、なんか、ちょっとイラっと、とかする』

 やはり視線は画面の外側へ向けたままだった。

『いや、そんなの、今日の今日にあるって教えてどうなるかって話でもある、今回は場所もかなり遠いし………ああ、けっか、なんかイジワルしているだけだね、この連絡って』

「そのことか」

『うん、そのこと』

「いまその場所にいるんだ」

 リョウガは落ち着いた口調でそう告げた。

 画面の向こうで、虚を突かれたような表情をしているヒメの顏があった。

「会社から休みを貰えたんだ」

 いって視線を画面の外側へ向ける。

 立っている山の中腹にあたる舗装路かららは、すべてが見渡せた。

 その場所からおよそ、百メートル先。人里離れた山間の場所に、巨大な古い送電鉄塔が一列に並んでいた。その塔群の傍に、クレーン車を含む大小複数台の車両が停められていた。そのそばで作業服と、私服らしきの者たちがいる。その数は合わせて三十人は越えていた。皆、ヘルメットを被っている。鉄塔や周辺の地面に何かを設置する作業を行っていた。

 さらに現場には警備員が十数名ほど配備されていた進入禁止ロープが貼られて向こう側、距離を置いて、関係者以外の見物人が小さな群れを成していた。

「知っていた、今日の夕方にショウやるんだろ」

 リョウガは現場を視界に捉えたまま答えた。

『うそ………いるの、そこに』

 なにかショックを受けたような反応が示される。

『もしかして、ショウもそこにいるの、いまみえてるの?』

「いる、みえてる」

 視線は作業する者たちのなかで、総合的な支持をする鼠色のフード服の青年に定められていた。

 ひとりだけヘルメットをかぶっていない、髪を風で揺らしている。

「種類が違うからすぐに奴だとわかった。顔も覚えている」言ってさらに告げた。「あの顔は忘れない」 

 何かの最後を感じて、ヒメは動揺したのか、しばらく黙っていたが『そう』といった。

 それから、また黙った。

 だが、けっきょく、沈黙の間をやぶったのはヒメだった。

『いくんだね』

「そろったしな」

『やるのね』

「ああ」

『ってか、夕方には、ネットでニュースにされちゃうよ? たいへんなことになると思う。いっぱいいろんな書き込みことかされて、心、ころされるよ』

「終わったらスマホは壊して捨てるつもりだ。電気が無きゃおれのところまでは届かない言葉だ。無いと同じになる」

『スマホがなくなったら困るじゃん』

「困るがしかたがない」

『わたしとも連絡とれなくなるじゃん。スマホでしかつながってないから終わりだよ、わたしたちも』

「奴をやるためだ」

『捨てないでよ』

「考えるまでもないんだ。自分の好きにやっておいて、元いた世界も維持しようなんて都合が良過ぎる」

『わからない』

 ヒメはこぼすようにいった。それから、また少し、間があいた。

『最後なら教えて、なんでショウを殺すの』

 やがてそれを訊ねた。

「奴は、おれの好きだった人の絵を盗んだ」

 リョウガはそう答えた。

「奴は彼女の絵をすべて盗んだ、もう取り返しがつかない、取り戻せないんだ。ならあとは、おれしかいない、おれしか残ってない」

 画面に視線を定めたまま話す。

『あなたの好きなひと』

 と、ヒメがいった。

「少しまえに死んだよ」

 答え、沈黙が訪れた。

 その時、画面の向こうから、チャイムが鳴った。

『授業、はじまる』

 報告するように言われた

『じゃあ、終わるね、もういくから』

「ああ」

『またね』

 ヒメはなんでもないようにいった。笑みを浮かべていた。無理につくったものだとは、誰にもわかるものだった。

「ああ」

 リョウガは小さく応じ、自ら通話を断つ。

 通話が終了した直後のスマートフォンの画面には、ヒメという文字と、ふたりの通話時間が表示された。それもまもなく、切り替わってホーム画面となった。小さく操作し、画面の表示を落とすと、スマートフォンをポケットに収めた。

 そして再び道の上から見下ろす。

 並んだ電送鉄塔に対し、作業は続けられていた。複数のクレーン車が鉄塔の中腹に何かを仕掛けている。鉄塔の麓でも絶え間なく準備が行なわれている。それら視界に収めながら、車道を歩いて降り始めた。途中から車道ではなく、ガードレールを越えて、獣道に入った。鬱蒼と生える山の木々が、頭上を覆い、空の色を完全に隠した。進む先は森の影に包まれている。ほとんど宵闇に近しい照度だった。進むうちに獣道も次第、その道としても成り立っていないものなり、歩くたびに、身体のどこかが森の一部に触れた。方向感覚はなくなってゆき、唯一、下っていることが進んでいる証明と化してゆく。時折、スマートフォンで自身の位置を確認した。そのまま山を下り続けた。森のなかは冷えていたため、汗はかかなかった。呼吸の乱れは運動によるものか、覚悟の不十分による動揺のためか、判断がつれられなかった。

 森を抜け、斜面が終わった。開けた場所に送電鉄塔が点々と並んでみえた。鉄塔にクレーンが張り付き、作業員が手を動かしていた。周囲には十数人の警備員がいて、ショウの準備を見守る見物客を見張っている。

 ショウは全体を見渡せる場所にひとりで立っていた。

 自分から、およそ五十メールさきにいた。あえて誰も寄せ付けないようにしているように見えた。その効果で、場を支配しているような印象も生んでいる。無防備ともいえた。

 作業スタッフや、集まった十数名の観客の視線は鉄塔へ向けられていた。配備された警備は森の方を向いている者もいるが、漠然と顔をこちらへ向けているだけで、鋭く細かく警戒している感じはない。飛び出し、走ってゆけば、あっという間に詰められそうな距離だった。

 背を真っ直ぐに伸ばし、呼吸を整えにかかった。ただ、うまくはゆかなかった。

 ふと、スマートフォンが振動した。画面を確認すると、ヒメからメッセージが着ていた。

『あなたは人をなぐらないで』

 一言だけだった、他には何もない。

 程経て。

 わかった、と一言だけ書き、メッセージを返信した。

 それから画面表示を終わらせ、スマートフォンをポケットへしまう。

 靴の汚れを確認し、左右に靴でそれぞれの靴先についた土をかるく弾いた。手首のよれも確認し、可能な限り整える。

 一歩を踏み出した、本格的に森を脱した。誰も見ていなかった。警備はあいかわらず、漠然とこちらへ向いているだけで、リョウガの出現に気づけていない。

 止めず、歩を進めてゆく。走らなかった。ショウとの距離はとうぜんのように縮まってゆく。こちらを向いていた警備員のひとりがリョウガに気が付いた。だが、他の観客とは違い、スーツだったことと、多少身なりを整えていたおかげか、さほど、過剰な反応はせず、このイベントの関係会社の誰かだろうと思われたのか、近づかれ、呼びとめられることもなかった。職怠慢にあたるのだろうが、遠慮なく、その人的に不備へ自身を流し込んでゆく。

 ショウへ近づく。同時に、鉄塔も近づいていた。ショウはまえを向いていて、こちらの接近には気づいていない。

 数人のスタッフ、作業員はどこからか現れたスーツ姿の男には気づいた。だが、やはり、場に会わぬスース姿を目にし、ああきっと関係者だろう、こんなところまでそんな恰好で、ずいぶん御苦労なことだ、という表情をし、目の前にある自分たちに役目を果たしに戻る。

 そして、何も問題がないまま、ショウの隣へ立つ。

 ようやくそこで、ショウは気づいた。

 表情に浮かんだ驚きは、ごくかすかだった。大きな動きはみせない。過剰な反応は、天性で抑止されているようだった。

 あげく隣に立つ見知らぬスーツ姿の男に対し、おや、なんだろうね、という顔で観ているだけだった。見知らぬ相手からの不意の接触には慣れている感じもある。異様な状況に対しての、場数慣れもありそうだった。

 隙がない。そんな印象だった。

 人とは別の領域に位置し、だからといって自らは下って、人の領域まで来る気はいらしい。

 神気分を纏っているように思える。

「あなたは」

 先にショウが問いかけた。

 問いかけたあとで、顔をわずかに傾けて見て来る。

 リョウガは答えた。

「一度会ったことがある」

 嘘ではない。ただし、ただ嘘ではないというだけのことだった。

「それは失礼を」

「いいんだ。それは重要じゃない」

 リョウガは本心からそういった。

「もしかして敵ですか」

 そういう人物との遭遇にも慣れているのか、ショウは飾らずにそう問いかけていた。

「最近、敵が多くて」と、いい、さらに続けた。「とても多くて」

 苦笑を添えていった。

 底が見通せなかった。見通させないよう外見をコントロールされていた。

ショウは苦笑を維持したままいった。

「時間がないんですよ、夕陽が落ちるまでに準備を終えないといけない」

「敵だよ」

 リョウガはすぐにそう答えた。

「ははっ」

 狙わず言い放った間合いが良い場所に入りこんだのか、ショウはうすく噴き出し、笑った。だが、その顔を崩すには到底至らぬ笑いだった。

「だから、いろいろ来るんだよ」

 ショウはそういった。動揺、その他感情の変化はみられない。

「むかしからだけどね、いろいろ来るんだ。オレの近くにはね、来るんですよ、向こうから、すごいのも、そうじゃないのも来る。ふつうの人では体験できない量ですよ。おかげで、ヒトをみる目は育ちました。鋭いと思いますよ、かなり」

「おれはあんたのファンじゃない、だから、あんたの中身には興味がない」

 言い返すと、ショウは、また表情の何も崩さず、作業を見ながら、はは、と笑った。

「あんた、って言い方、人から言われたのは初めてだ。どうかな、意外となにも感じない、なんか、おもしろいよ」

 口調から中途半端な敬語が消えた。

 腕を組み、話すその様子は、まるで遊園地でも歩いているような陽気さえあった。冷静だとか、落ち着いているだとか、そういったものとは別種類の状態にも思える。

「それで、オレの腹をナイフで刺したりするかい。なぐったり、するかな? なぐられるのはイヤだな、あまり面白いエピソードにはならない。ただイジメられた印象しか残せないよ。されるなら、そうだな、キチンと襲撃される必要がある。なあ、もしかして、銃と持ってたりする? 国内じゃ見たことないな、銃。手に入れる方法とか、いったい、どうやってみつけるんだろう? マンガじゃみんな簡単に持ちだしてるけど、どこで手にはいるのかな。ああ、そういえば、たまにお巡りさんが銃を持ってたりするか。まえにじっとお巡りさんを見て観察してたことがある、見てて気づかれたけど、向こうは何も聞いてこなかった。よくいるんだろうね、そういう人が」

 あたらしく笑い、少しだけを一瞥して、視線をすぐに戻す。

 すると、リョウガは、

「わるいな」

 と、そういった後。

「いまのはなし、何もきいてなかった」

 顔を見ずにそう続けた。

 ショウは笑みを維持させていた。そして口を開く。

「そうか、いいさ。でも、何もやらないなら是非、いますぐ帰って欲しい、事件をつくってくれないなら二度と近づいて来ないで欲しいんだ。いまは本当に時間がないんだ。言った通り、殺されるくらいの伝説なら欲しいよ、死ぬのは嫌だけどね。生きるのは楽しい。生きていれば、なんでもできる、なんでも想える。でも、殺されるようなエネルギーを向けてこられるときを、いつか来るのを待ってる自分がいるよ。だめなんだよ、持って生まれたこの顔だけでは、さすがに限界ある、顔だけでは先に進めない場所はあるんだ。オレのつくった作品に動かされて、オレを殺すに来るみたいなエピソードが、この人生に欲しい。それくらいないと強い物語になれない」

 誘っているようにきこえた。しかし、真の底から誘発しようとしているのか、その見極めるのは困難だった。

 あえて、そう発言することで、危害からの回避をはかっているようにもきこえる。

 そんな挑発への疑いも拭いされない。

「いったろ、オレに何も与えてくれない人間は傍にいらないんだ」

 穏やかな口調でそういう。躊躇はなかった。言い切り、平然としている。

 それは実質攻撃であり、強い挑発の意味も含まれている。相手の内部へ手つっこみ、何か自分の栄養分になる何を引き抜きぬかんとしてみえる。蛮行ともいえるそれを実行し、そして相手にどう思われるかなど微塵も気にしていない。

 もしここで実際に何かが起こったとしても、あとからどうとでも取り返しがつけるという、そんな自信の色も感じられた。

 人のカタチをした凄まじいエネルギー体だった、そんな印象を受けた。これは、たしかに、ヒトをひきつける。いまの世界に必要なエネルギーにさえみえてくる。全人類ではないだろうが、目にした幾人かは確実に取り込まれるだろう。無差別に輝いてみせ、引寄せられるその数は膨大と思える。

 言語を必要しないアートという方法を選んだのは、そのためではないだろうか。

 リョウガがそのとき思ったことは様々だった。

「あんたは彼女の絵を盗んだ」

 顔を見ないまま言う。

 ショウは見返してきた。笑みはまだ維持されていた。

「みえない怪獣の絵、盗んだろ」

「ああ、あれか」

 うなずき、視線を戻す。

 作業が順調なのか、滞っているのかは不明だった。ただ人々は常に動き続けている。ただ時折、並ぶふたりの方を一瞥する者もいたが、すぐに視線もするべき役割の先へ戻した。

「そうだ、あれはオレの昔の恋人の絵だったね」

 言ったのはショウだった。

「すぐに別れたけどね。けど、別れた後も、彼女はオレに言ってくれたんだ。わたしから何でも持って行っていい、って。あの言葉は、あれは彼女の心の底からの願いだった」

 黙って聞いていた。血が逆流しそうだった。表面上は変化をさせずにいた。変化させないことを、戦いとした。

「人づてに彼女は死んだと聞いた、死んだ理由はよく知らない。でも、それから不思議とひさしぶりに彼女の絵を見る機会があった、運命だったよ。で、この作品を考えた。みえない怪獣が廃墟に現れて壊す。目立つことに特化した良いアイディアだと思ったんだ」

 笑みを絶やさない。さながら、好印象のインタビューアに語るようだった。

「こんな子供じみた方法、オレにはとても考えだせなかったよ。みえない怪獣が廃墟を壊す? 無いよ、思いつかない、こんなのオレの頭のなかにはない。その頃にさ、丁度いいパートナーに出会ったんだ。そのヒトはオレにどんな好きな作品でもつくらせてくれると言った。そう言われたから、どこまで好きにつくっていいか試してみたくなった。ためしてみたくなった、嘘はキズつくからね。ヒトは欲しいもののために、いい加減な嘘をつく。でも、現実はこうして、いまこうして創り続けることを許している、あの人はこんなことを許してくれる、愛だよ。愛は存在する、それがわかって、最近は心の底からたのしくてたまらないよ」

 ショウが最大級の挑発を目指していることが感じとれた。リョウガの隠しているはずの苛立ちもきっとすべて察知されてバレている。あえて憎悪を増幅させ、そして、自分の生命を脅かす役目をリョウガにかそうとしている

 罠だった。もはや、許容範囲はとっくに越えていた。

 だが、引き留まっていた。従来の自分では、いますぐ手近に転がる石を拾い、頭へ何度も叩きつけてるいはずだった。

 線を越えない理由はたったひとつ。

 耳に残り、頭に残る、ヒメの言葉だった。

 そして彼女の表情だった。

「きみは、死んだあの彼女の恋人かなにかなんだろ」

 ショウが問いかける。リョウガは否定も肯定もしなかった。

「ちがったとしたら、ストーカーか」

 嘲笑した。いままでと違う種類の笑みは、強い印象を与えた。

 だが、ショウは動かなかった。

 対して、自由なショウは好きにしゃべった。

「あと何回かで、オレは、このみえない怪獣の一連の作品は、死んだ昔の恋人の連作作品の再現だったと発表するかもしれない、そういう計画もあるよ。とうぜん、その発表が有益じゃないと判断したらしないよ、タイミングは作品の価値を大きく左右する。もし、そう発表するとなったとき、それが適度な刺激なり、この作品に新たな解釈が自動的に広がることを願うよ。無差別に多くのひとに目に入り、無数の解釈が生まれることを願う。そしたら、あとは誰かが見つけた一番優れた解釈を貰う。そうすれば、好いものを自分でつくらず選びだけで済む」

 笑みのまま話し続ける。

 つまんねえ話だな。

 と、リョウガは言い返しかけた。

 全身で堪えて発言を抑止した。

 それではない。

 そうではない。

 そう思い、留まる。ここへは、手近な苛立ちを解消するために来たわけではない。

 相手がわざとそういう低俗な話しをしているのはわかっている。どうせ、おまえはアート市場のなんたるかなんて知りもしないだろう、だから、無知でもわかるように、こういう内容で話している。

 その意図がみえた。実際のその世界の話をしているのかどうか、本当にショウがそう思っているなど関係ない。

 きっと、ただ、目の前に現れた、死んだ恋人のためにここにやってきた、この見知らぬ男を陥れるためだけに言っている。

 リョウガのなかで、そんなショウという人間の正体がつくられてゆく。

 そして思ったのは、あの子だった。ヒメをこの男に近づけてはいけないということだった。

 それは阻止しなければいけない。身勝手なヒロイズムだろうが、近づけてはいけない。

 そして、もはや、これはヒューマニズムだと否定する自分は機能しなかった。芯からただ思う、この男は絶対に止めねば。

 やるしかない。

 やはり、いまここでやるしかない。

 感情が至った。だが、それは不思議と憎悪や怒りの頂点に達したからではなかった。むしろ、不気味なものだった。

 滅ぼそう、そういう決定だった。殺すでも、壊すでもなく。ヒト、ひとりにあてがうには、ひどく歪な表現に終着していた。殺す、壊す、それらの表現が相応しく思えない。滅ぼす、が相応しい。

 この男を滅ぼそう。頭のなかで、あたらためて唱えて、ある固まりカタチを得た。

 まるで文明の衝突を思った。あまりにも互いの属性が違い過ぎる。とけ合うことは決してない。同じ使用言語領域に立っているはずだがそう感じない。これは文明の衝突に等しい。

 いや、そんな急造の思想には取り込まれるな、とリョウガは内部で自身を戒めた。自作の哲学もどきを頼ればよくないことになる。酔いしれるな、自身に言い聞かせる、いま考えているものを、一度、すべて地面へおけ。

 それから深呼吸していった。

「あんたは彼女の絵を盗んだ」

 ふりだしへ戻すようそれを口にした。

 焦ってではなく、勿論、作為あっての発言だった。

 ショウは面白がるように見返してきた。はてでは、いったいこれからどんな見世物を展開してくれるのか。

 浮かべていたのは挑発するような笑みだった。

 対して、リョウガは視線を鉄塔へ向けていた。

「あんたは、いままであんなふうに、いろんな廃墟に爆弾をしかけて怪獣を登場させてきた。そしてこれからもやるつもりなんだろ。彼女の描いたみえない怪獣の絵はぜんぶ覚えている、場所もだ。けど、あんたが、まだ怪獣を登場させてない彼女の絵がいつくかがある」

「ああ、あるね」

 ショウは肯定した。

「まだ続けるんだろ」

「ああ、消化するよ」

 ふたたび、あっさりと肯定した。

「なら完璧だ」

 リョウガがそういうと、ショウの表情にかすかに変化があった。完璧、という言葉の登場に、何かひっかかりを覚えた様子だった。たしかにここまでの会話の流れのなかで、登場するには、完璧という言葉は突飛だった。

 そして、ショウはリョウガのその作為を見逃さなかった。

 なにか来るな、そういう目をした。

「考えたんだ」

 リョウガは焦らそうとする。ポケットへ両手を入れ、背筋を伸ばした。

「たとえば、おれがこの苛立ちのまま、ここであんたを殴る。たぶん、その後は、勝った気にはなる。で、おれは警察につかまって、それでもまだ勝った気にはなってる。そのあと、どれだけの賠償金を払おうが、おれは一生、あんたに勝った気でいられる」

 肩をすくめていった。

「でも、それは勝ちじゃない、塵だ」 

 次にはそういった。

 ショウはその先に何を仕掛けてくるのか、真なる期待と、しかし同時に、技術もないのに狙い過ぎる素人の挙動を侮蔑するような、嘲りは維持していた。

「それに、もし、おれに殴られても、あんたはこれを続ける、彼女の怪獣たちを勝手に消費し続ける。あんたは、いまも、おれのことなんて怖くもなんとも思ってない。これからも、たとえ、殴った後だろうとも同じだろう、あんたはおれが恐くない。おれがやることは、きっとあんたに何も効かない。あんたにとっておれはザコ以下だ。なにがあろうとこれを続けて、もしかしたら、ゆくゆく、そっちは歴史に名の残る何かになるかもしれない」

 一度ポケットから右手を取出し、鉄塔を指差して、またポケットへしまった。

 そのリョウガの挙動がすべて見届けたうえで「それで」と、ショウは話の先をうながした。

「やっぱり、あんたを殺してもだめだ。けっきょく全部エネルギーにされる、おれも彼女の生きた時間も喰われて使い捨てのエネルギーパックになる」

 鉄塔を眺めたまま言う。奇妙なのは、話ながらリョウガは全身の緊張がほぐれていくのを感じたことだった。まるで、これはもしかしたらこのまま世界最高記録で泳ぎ切れるんじゃないか、そういう予感にも似ていた。

 奪われていた自由が回復してゆく、そんな感覚もある。

 対するショウはふたたび「それで」と、うながす。

「だから、いっそ、おれはあんたのアートそのものになろうと思う」

 その発言を耳にして、わずかだが、はじめてショウの表情にいままでにないものが反映された。

 ショウに苛立ちがみえた。

 何も知らず、無能な素人から悪戯に放たれた自信の神聖な領域へ対する浸食行為に、苛立ちが生まれた様子だった。

「なにをいっているんだ」

「言葉の通りだ」

 リョウガの落ち着きは、ここまでで最たる状態だった。

「この先も、あんたはみえない怪獣をこの世界に登場させる。そのため、どこかの廃墟に爆弾を仕掛けてゆく。だから、おれは、この先、あんたが爆弾を仕掛けたどこかの廃墟の中にいるよ」

 かんたんな手作業を教えるような口調でいった。

「爆弾を仕掛けた廃墟の中で、おれはあんたの生み出す怪獣を待ってる」

 それもまた、かんたんなことを説明するようにいった。

 なにをいっているんだ。ショウの表情から、いまいちど、さきと同じ問いを放とうとして、留まっているが見切れた。無論、なにをいっているのかはもう完全にわかっている。

 だが、わかりたくないという拒否反応が、今度はショウという人間を機能不全に陥らせているようだった。

「この先、怪獣が壊すどこの廃墟の中に、おれがいるかは教えない」

 そこまで言うと、さらに奇妙なことに、ふと、長い間、止まっていた時計が動きだすような気持ちにあった。

 リョウガは続けた。

「廃墟を爆破して、怪獣を登場させて新しい作品をつくれば、一緒に人を、おれを殺すかもしれない」

 相手の動きが止まっていることを把握したうえで、リョウガはあえて言語化してゆく。

 ショウはしばらく、自身のときを止めていた。リョウガは静かに待った。

「死ぬ気なのか」

 やがて問いかけられる。

 淡々とした口調だった。

「さあな」

 正面から受け取らず、無責任を使う。

 その反面に、ショウの憎悪を灯す視線を感じていた。

「あんたの凄さにはもうなれた」顔も見ずいってやる。「ずっと腹いっぱい最悪な気分だったおかげだ。最悪には、慣れる、最悪にはかわらないが、慣れるんだ」

「………脅迫、か」

「どうかな」

 答えながら、リョウガはしだいに自身の変化に驚きさえあった。どうだろうか、ひどく図太い人間は。我事ながら、手に負えない人間化している。

 だが、しかたないか。と、あきらめた。もうここまで来てしまった。後戻りはできない。

「あんたは彼女の絵を盗んだ」

 三度、そう告げた。

「でも、あの鉄塔じゃあ隠れる場所もない」

 鉄柱の組み合わせで、身を隠す場所もない鉄塔たちを見ながらそう言う。

「今日はない」

 相手の身体そのものへ呪いを刻むかのように重ねていう

 それから大きく息を吐いた。

 話が長引いたせいか、いつしか作業スタッフも観客たちも、異変に思い出したらしく、数人がふたりの方をみていた。さらにその様子を察知して、警備員がいぶかしげな表情を浮かべ、近づいて来るのが見えた。

 リョウガはそれら周囲の状態を把握しながら、最後に黙したままでいるショウへいった。

「本当に作品をつくりたいなら、おれを殺せ」

 遠慮なく挑発し、ショウの傍から離れた。そして、そのまま歩き去る。

 ショウは、近づいてきた警備員へ顔を向けないまま「追わないでください」と告げた。「知り合いです」

 そういってスタッフを止めた理由は、追って、リョウガから、この場の何かが漏れてしまうことへの懸念だったのか。

 それは不明だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る