嘘と本音




「泉さんと噂になってますよ」


 昼過ぎに、辻村が顔を出すと本店のマネージャーの高梨ナナに声をかけられた。仕事をキャンセルしてまで沙羅に付き添ったことを言っているのだろう。


「別に……緊急事態が重なっただけだ。なにもやましいことはない」

「そうでしょうけれど、少々入れ込みすぎじゃないでしょうか」


 高梨は仕事ができるだけあって、経営者相手でも遠慮がない。言うことはもっともだが、沙羅をほうっておくことはできなかった。


「昔からの知り合いでね」

「辻村さん、顔に出る人だったんだって泉さんが来てわかりました」


 一体なにが顔に出ているというのか。

 沙羅への好意というなら、否定はしない。沙羅が悪く言われるのは困るが、自分は周囲にどう思われようと構わない。


「泉さんと辻村さんが不倫してるんじゃないかって、パートさんに聞かれましたよ」

「ご忠告ありがとう」


 どこにでも噂好きな人間はいる。嘘だろうが本当だろうが、本人たちが面白ければいいのだろう。

 沙羅が夫の不貞に苦しんでいると知り、歯止めが効かなくなっている部分は確かにある。

 沙羅が両親の離婚で傷ついた過去を聞いていたからこそ、許せない気持ちがある。


 あまり感情的になるタイプではないが、深く傷ついているのはわかった。

 身持ちの固い真面目な人間ほど裏切られた傷は深いものだ。まして信頼して人生を共にしようと誓った相手ならなおさら。

 自分なら沙羅を苦しませたりはしないのに。結婚という制度は人の幸せを保証するものではない。やるせない気持ちになる。


「ま、私は業務に差支えなければ構いません。せっかくお店が盛り上がってきたところですし」

「君の尽力には感謝してるよ」

「はい」


 高梨が出ていったあと、さきほど店に届いた一通の手紙を引き出しから取り出した。

 宛名は、ペタルアトリエだが、中身は沙羅宛てだった。どうやら沙羅の夫の不倫相手の婚約者から来たものらしい。


 隠したところで、いずれ沙羅の知るところになるだろうが、これを見せるのは辛い。

 内容は不倫の告発だった。最初に他のスタッフが空けなかったのは幸運だった。


 ──どいつもこいつも、ろくでもない。


 婚約者を寝取られたからといって、妻の職場にまで送るとは相当頭に血がのぼっているのだろう。自分の不始末で沙羅に迷惑をかけている夫のほうも許せない。

 身勝手な人間たちに囲まれてその中心で傷ついていく沙羅が、かわいそうだった。

 

 同情と愛情と、過去の恋情が入り混じり、病院へ連れて行った帰り道、気づけば抱きしめキスをした。一時の気の迷いなどではない。


 学生時代に事故に遭い、奇跡的に回復したあと、沙羅が結婚すると人づてに聞き、自分とは縁がなかったのだと自分に言い聞かせ、幸せを密かに祈った。


何人か女性と付き合ったりもしたが、どうにも本気にはなれず、このまま誰とも結婚せずに一人で生きて一人で死ぬのだと思っていた。

特段寂しいとも思ったことはない。けれど今は一緒に生きていく相手がいるとしたら沙羅しかいないと思う。

これ以上、下らないことで沙羅の心が削られていくのを見たくない。


 十数年ぶりに再会した沙羅への好意が、激しい恋情となり燃え上がりつつある。あの頼りない肩や、寂しそうな横顔を守りたい。


 これ以上関わることは、傷つき弱った沙羅につけこむことになる。

 それでもいい。沙羅が欲しい。誰でもない沙羅が。



☆残酷な事実



「ちょっといい?」

「はい」


 仕事を終え、帰宅しようと準備をしていると、辻村に深刻な顔でスタッフルームへと呼ばれた。なにかミスをしただろうか。


「私なにかしましたか」


 突然のことに不安になる。

 事故以来、店に迷惑をかけることはしないよう気を付けていたつもりだった。


「そういうことじゃなくて、これがさっき送られてきた」


 そう言って机に封筒を置いた。確認するとコピー用紙に印刷された手紙と、写真が十数枚ほどある。


 その写真に映っているものを見て絶句する。

 誠と女性がホテルに入る瞬間が映っているものが一番に目に入った。


「ごめん。見せないほうがいいかと迷ったけど、そのうち目に入るだろうから。ほかのスタッフは見てないから安心して」


 動揺を抑え、手紙を読む。差出人名は皆川徹也。聞いたことがない名前だ。内容はこうだ。

 

 泉沙羅さんの夫は部下の山口麗香と一年以上不倫している。自分は山口麗香と婚約したが疑わしいところがあったので調査したところ、婚約後も肉体関係をもっていることがわかったので訴訟の準備をしている。

 あなたも辛いとは思うが、夫のしたことを知るべきだと思い、失礼ながら証拠を送らせてもらった。


 その他は、アプリでの二人のやりとりなどが印刷されていた。やりとりは最近のものもある。

 とても読む気にはなれず、予想していたこととはいえ、確定するとどうしようもなく心が乱れる。心臓がばくばくして、息をうまく吐くことすら難しい。


「大丈夫?」

「いつもみっともないところばかり見せてごめんなさい……」


 声が震える。こんな惨めな姿をこの人にだけは知られたくなかった。

 涙を見られたくなくて、顔を手で覆う。


 母親が倒れたことで、誠を問い詰める気力が出なかったが、まさかこんな形で第三者から暴露されるとは。

 悪いのは夫だろう。婚約者がいる女性になんてことを。相手や婚約者の家族も巻き込んで大変なことになる。


 辻村に迷惑をかけたことを詫び、退出しようと扉に手をかけると、後ろから抱きしめられた。


「駄目です。私……」

「沙羅。辛かったら俺を利用していい」

「そんなことできません」


 身動きが取れないほどに強く抱きしめられて、力強い腕にこのまま甘えてしまいたい気持ちを抑えるだけで必死だった。


「俺は待ってるよ」


 低く優しい声。


「いつも沙羅を想ってる」


 この先一体どうしたらいいのかもわからない。優しさは時に毒になる。


 ──今夜こそ、誠ときちんと話さねばならない。


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