裏切りの代償



 二週間前から皆川と連絡が取れなくなり、麗香は焦っていた。


電話をすると「ちょっと一人で考えたいことがある」とすぐに切られ、それからメッセージを送っても既読にならない。

これまで毎日連絡を取り合っていただけに、ちょっと驚いていた。


 結納を終え、結婚式場も押さえて、あとはマンションの契約を済ませるだけだ。実家の両親も娘の結婚に喜んでいる。

 仕事でなにか辛いことでもあったのだろうか。


 ──事件? 事故? それとも病気? 今日連絡が取れなかったら部屋まで行こう。


 皆川のことだから心変わりとか他の女ができたといかいうのは考えにくい。

そう思っていた矢先、誠と麗香宛に一通ずつ会社に内容証明が来た。差出人は皆川だった。


「なにこれ……」


 突然連絡が途絶えたと思ったら突然のことに言葉を失った。中身は婚約中の不貞行為で麗香を訴えるという内容だった。

 誠のほうも血の気を失った顔をしている。


「山口さん、なにかトラブル? 泉さんにも来てたみたいだけど」


 既婚者の先輩が怪訝な顔で麗香に訊ねてきた。


「知りません」


 麗香の苛立った様子に、先輩はそれ以上なにも訊かずその場を離れたが、後ろでこそこそ話しているのがわかった。


 内容は本人たちしか確認できないが、ことがことだけに、色々察する者たちも出た。誠が上司に会議室に呼び出されているのが見えた。

 このままだと自分も事情を聞かれる。そんなことは耐えられない。


「体調が悪いので帰ります」


 同僚たちが、好奇の目で麗香と誠の様子を窺っているのが耐えられず、仕事を早退した。


 皆川の部屋に押し掛ける。誤解だと伝えなければならない。いつも定時上がりだからもう帰宅しているはずだ。


 何度も押すとようやく皆川が出た。 


「開けて!」


 インターフォン越しに叫ぶと、しばらく無言が続く。


「もう話すことなんてないんだけど」


 聞いたことのない冷淡な声。


「私の話も聞いてよ! もう泉さんとは別れてるから」

「大声出すと迷惑だ。少しだけ部屋に入って」


 過去不倫していたことは認めるが、結婚後は会わないつもりだった。部屋に通されたが、皆川は別人のように冷たかった。


「うちの母がね、君と会って少し思うところがあったみたいで、僕に内緒で興信所に頼んだんだ。そしたら、すぐ既婚者とホテルに入るところが撮れたそうだ」


 テーブルの上にぱらぱらと数枚の写真を置いた。この前誠が落ち込んでいる時に、慰めるつもりで会った時のものだ。まだ独身だからと油断していたが、こんなことまでするとは。

 皆川の母は、会った時はとても優しそうだっただけにぞっとした。


「もう別れたの。少しだけ相談に乗っただけでやましいことはしてない」

「ホテルで?」


 麗香と誠が腕を組んでホテルに入る写真を見せられた。


「……」

「母にこれを見せられた時は正直ショックだったよ。結婚が決まって、とても幸せそうに見えたのに裏では平気で裏切ってたなんて。しばらく人間不信になりそうだ」


 言葉を失う。婚約してから関係したのは一度だけだ。


「結婚したら、もう絶対会わないつもりで一度だけ会ったの」

「信じるわけないだろう。そんなこと」

「だからって職場に送るなんてひどい」

「僕の目的は、慰謝料じゃないからね。君たちが社会的制裁を受けること」


 皆川の冷たい声に、もう戻れないことを知り、麗香は床に崩れ落ち泣き叫んだ。


「職場にももう婚約したって言っちゃったのに! 私もう会社に行けないじゃない」

「いい? 君は僕も僕の両親も、相手の奥さんも冒涜したんだよ。幸せそうな顔で」

「違う! 私はただ」

 

 幸せになりたかっただけなのだ。それは本当だった。

 その場に崩れ泣き叫ぶ麗香を、皆川は冷淡な目で見つめていた。


「僕はね、平気な顔して人を騙す人間が大嫌いなんだ。残念だよ」

「私、寂しくて、でも皆川くんが現れたから、泉さんとは別れたの」

「ならどうして、付き合ったあとも関係してた?」

「それは……泉さんが奥さんのことで元気がなくて。二人きりで相談乗りたくて」

「不倫相手に相談される奥さんも気の毒だな……。奥さんのほうにも今回のことは伝えたから。裁判で使えるように証拠も送ってあげた」


 淡々と話す皆川の口調は、逆に彼の怒りと憎悪が激しいものであることを麗香に理解させるには十分だった。


「自分がされたらって考えたことある? 僕が別に女がいても結婚したい? 君がしたことがどれだけほかの人間を傷つけたか、少しは考えてみなよ」


 立ち上がり、ふらふらと皆川の部屋を出る。もう会社にもいられない。

 婚約破棄され、不倫までばらされた。惨めな自分をこれ以上見られたくはない。


「人の気持ちを踏みにじって、どんな気持ち? 僕の家が裕福だってわかったら、麗香が浮かれてるの見て、母さんが不安になったって。なにもなければ母さんのことを怒ったかもしれないけど、今となっては正しかったって思わざるをえないよ」


 後ろから浴びせられる軽蔑の言葉も、もう耳に入らない。

 会社の人にも、自分の家族にも合わせる顔がない。

 麗香の不幸を喜んで噂する同僚たちの顔が頭に浮かんできて、悔しさで頭がおかしくなりそうだった。

 誠とちゃんと別れておけば、皆に羨ましがられる生活が待っていたのに。

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