いいわけ

 朝、起きてきた沙羅を見て驚いた。右手に痛々しく包帯が巻かれているし、おでこには湿布が張ってある。


「なにがあった?」

「昨日、ドジしちゃって」


 もしかして、連絡をくれたのは病院からだったのかと思うと、途端に罪悪感の波が押し寄せる。いくらなんでも沙羅を軽んじすぎていた。

 そういえば、帰宅する前、今話せるかとメッセージも来ていた。


「なんで怪我したって言わなかった? すぐに帰ったのに」

「だって、最近忙しいって言うから。それに命に関わる大けがでもなかったし」

「怪我ならちゃんと帰ったよ。次からはちゃんと連絡してくれよ。家族だろう」



「うん。誠も遅くなる時は連絡して。明け方までどこにいたの?」

「24時間営業の居酒屋で飲んでて……」

「本当に?」


 すっと沙羅がこちらをまっすぐに見た。後ろめたい気持ちで目を逸らす。


 初めて沙羅が自分を疑っていることに気づいて、ひやりとした。

 怪しいそぶりを見せただろうか。


「沙羅……心配させて悪かった。今週は早く帰る」

「いいよ、仕事だもの」


 いつにない沙羅の深刻な様子に昨日すぐに帰らなかったことを後悔する。少々調子に乗りすぎていたかもしれない。


「悪かった……今日は家事しなくていいから休んでて」


 沙羅は答えず無言で寝室に行ってしまった。


 ──怪我をしたってちゃんと言ってくれたら帰ったのに。


 沙羅は誠に要求をしたり、わがままを言ったりすることがない。それは昔から変わらない。そういう控え目なところは好きだったが、説明もせず不機嫌になられるのは困る。麗香は不倫という関係でもはっきりとなんでも口に出す。

 短い時間で効率的に楽しむには、麗香のそういうところは気に入っていた。


 ──沙羅もちゃんと話せばいいのに。


 そういえば、最近土日もあまり話せていない。沙羅は土曜日も仕事を入れるようになっていた。今の仕事が楽しいのは伝わってきた。

 沙羅は絶対に自分から離れないという思いから、あまり気を使うこともなくなっていたが、さすがに今日はそういうわけにはいかなそうだった。


☆沙羅視点


 誠の顔を見たくなくて、惨めな気持ちで一人寝室に戻った。


【浮気 夫】とスマホで検索する。


 そもそも女性が疑いをもった時点で、黒であることが多いのだと言う。

 確かに男性と比べて、女性の勘は鋭いのだろう。だからといって誠が絶対にそうだとは思っていない。ちゃんと否定してくれた。だからただの考えすぎだ。


 自分はなにを夫に求めているのだろう。楽しい会話? 不妊治療への協力? 規則正しいセックス? 

 もうわからない。

 一つだけわかっているのは、誠への信頼と愛情が揺らぎ始めていることだ。


 はっきり問い詰められない不満が自分の中で毒になり自家中毒を起こしている。疑わしいなら聞くべきで、してほしいことがあるなら言うべきだ。


 いつからか、見えない壁のようなものができていて、それが夫婦のコミュニケーションを妨げている。


[怪我の具合はどう?]

 

 寝室で横になっていると、辻村からメッセージが来た。


[大丈夫です。三日休んだら復帰していいですか?]

[傷もあるし、しばらく休んでほしい]


 また家に一人でしばらくいないといけないと思うと、怖くなった。現実に引き戻されたくない。


 ひとしきり泣いたあと、部屋を出ると掃除も洗濯もしてあった。誠は台所で夕飯を作っている。

 沙羅の好きなチキンソテーとコンソメスープ、サラダだった。

 仕事をやめてからは、料理も一人でやっていたが新婚の頃は一緒に作ったりもしたが、誠の仕事が忙しくなるにつれ、一緒に食事をとることも減った。


「美味しそう。ありがとう」

「利き手を怪我したんだから、しばらく夕飯はデリバリーでいいよ。俺も早く帰れる日は作るから」

「うん」


 優しい声で言われると、これ以上不機嫌でいるのもよくないと笑顔をつくろった。

 妙な疑いを持たなければ、また楽しい時間を過ごせるのだろうか。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る