第50話 列車
気づくと私は列車のボックス席に座っていた。サーカス列車とも違う鉄道だ。辺りに人はいるが皆知らない人ばかりだ。
窓の外の景色は暗闇に包まれてよく見えない。空には星が瞬いて、車輪が線路を擦る音と汽笛が聴こえる。
私の前の席には赤いワンピースを着た小さな小学5年生くらいの私が座っていて、髪の短い女性と窓の外を見ながら話をしている。幼い頃の私だった。隣にいるのは母だ。
列車が停まる。母子に続いて降りると、見覚えのある駅のホームの風景が広がっている。これは私とオーロラの住んでいたシーサイド・タウンの駅だ。
母と私は駅前の店に入った。店内をしばらく見繕ったあと、お目当てのリボンを見つけた私は歓声を上げた。
カランコロンと音がして、入り口から髪の長い女性に連れられた茶色の髪の同じくらいの歳の女の子が入ってきた。
ーーオーロラだった。
紫色の瞳と優しい笑顔は確かに彼女だった。
「アヴィー!!」
小さなオーロラは嬉しそうに駆け寄ってきた。
「オーロラ!!」
小さな私は嬉しそうにオーロラに手を振った。
私とオーロラはしばらくはしゃぎながら店内を駆け回っていたが、不意に私が一つの棚の前で立ち止まり、ピンク色のリボンを手に取って頭のてっぺんに結び目が来るようにして結んだ。当時お互いの家族で連れ立って観に行った『シェルブールの雨傘』という映画のカトリーヌ・ドヌーヴがつけていたのとよく似たリボンだった。
オーロラは「アヴィー、すごく可愛いわ!」と感激したように言って、「私もほしい!」と色違いのオレンジ色のリボンを頭に結んだ。
「あらあら、2人ともすごく可愛い。まるでお人形さんみたいだわ」
「本当ね、素敵ね」
オーロラと私の母が口々に褒めてくれる。お揃いのリボンを買ってもらった私たちはすっかり上機嫌になって、手を繋いで店を出た。
続いて店を出ようとドアを開けて踏み出したら、辺りが白い光に包まれた。
私はまた列車に乗っていた。
目の前に白髪の高齢男性が座っていた。死んだ祖父だった。祖父は私を見て微笑んだ。
「アヴリル、久しぶりだね」
そうだ、祖父はこんな風に喋る人だった。細まった目の周りに皺が寄っている。祖父は少し上に視線を移し、「その帽子を大切に持っていてくれたんだね」と言った。
「うん」
普通に話せていることに内心驚きながら私は続けた。
「気に入ってるの、色もモモンガの柄も可愛いし。でも、サーカスのコリンズっていう猿に何回も取られたのよ。この帽子をやけに気に入ってたの」
「そうかそうか、猿に気に入られるとはな」
祖父は笑った。辺りに人はいない。ガタンゴトンと線路を走る音と一緒に、私たちの声だけが聴こえている。
「アヴリル、覚えているかい? 一度、小学生のお前を隣町のチームとの草野球の試合に連れて行ったときのことを」
思い出した。小学6年のときのこと。連れて行かれた試合で、祖父はショートゴロを捌こうとしてぎっくり腰になり退場した。交代要員はいない。退場した祖父に代わって急遽私が試合に出た。野球なんてやったことはないしショートなんて大事なポジションを守れる自信もなかったけれど、周りの大人たちがフォローしてくれたのもあり大きなエラーもしないまま9回裏を迎えた。
祖父の在籍するフクロモモンガズと隣町のバナナインセクツは4-5で、祖父のチームが負けていた。
私の打順は9番。守備の要であった祖父は、打撃に関しては腰の曲がったピッチャー以上に期待をされていなかった。
5番のホームズさんがライト前ヒットで出塁すると、6番のヒギンズさんのレフトフライを相手がエラーし、ノーアウト1、2塁になった。
次に7番が内野フライに倒れ、8番のオーウェルさんが送りバントをして2アウト2、3塁。
そこで私に打順が回ってきた。ベンチの老人たちには諦めの色が滲んでいた。
ベンチで横になっていた祖父が起き上がり、「ワシが出よう」と言ったがとても歩けるような状態ではなくチームメイトたちに止められていた。
相手の内野は前進守備。私の球が飛ばないとハナから決めつけていたんだろう。
私は大きなヘルメットを被って右打席に入った。
「アヴリル、とりあえず当てろ!」という祖父の声が聞こえた。
相手ピッチャーは手加減してど真ん中にストレートを投げ込んでくる。
あっという間に2ストライクまで追い込まれた3球目、高めのアウトコースの球めがけて思い切りバットを振った。
キーン!! という鋭い音と一緒に打球がファーストの頭上を超えて行った。私は全速力走って1塁ベースを踏んだ。
ボールはファールラインより少しだけ左側に落ちて、コロコロと転がっていった。
3塁ランナーと2塁ランナーがホームインした。
逆転サヨナラ勝ちだった。
祖父のチームメイトは私を胴上げした。祖父はベンチで涙を流して喜んでいた。
「あのときワシは思った。この子はもしかしたら凄い人間になるんじゃないかと。その勘は当たった」
祖父はまた目を細めた。
列車が止まる。
車掌がホームで切符を確認している。
ホームに降りると祖父は私に白い切符を手渡した。
「これで帰りなさい」
「おじいちゃんは帰らないの?」
私の言葉に祖父は頷いた。
「私はもう少し旅を楽しむよ」
祖父と別れたくなかった。ここで別れたらもう会えなくなるんじゃないかと思って、寂しくて悲しくて涙が溢れた。
「おじいちゃんも一緒に行こう」
祖父は首を振った。
「アヴリル、お前はまだこっちに来るべきではない。お前にはやるべきことが沢山ある。自分の心に従いなさい。あとから自分の人生を振り返って、精一杯生きたと納得できるように」
涙がとめどなく流れた。ここで祖父とはお別れなんだと分かった。
「お前のばあさんと母さんを頼んだよ、ケニーにもよろしく言っておいてくれ」
私は何度も頷いた。
「ありがとう、おじいちゃん」
祖父は笑顔で一度頷いて列車の中に戻って行った。
空気を吐き出すような音を立ててドアが閉まる。窓から祖父が私に手を振る。
走り出す列車を追いかけて転んだ。群青色の列車が小さく遠ざかって行く。
立ち上がり涙を拭いた。
ホームからシーサイド・タウンの駅舎に入る。
駅のドアを開け外に踏み出そうとしたところで、再び白い光に包まれた。
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