第43話 アフリカ
タネルはパントマイムや大道芸をしながら世界を旅しているのだという。
「車で一人旅をするのも悪くない。俺はそういう生き方が合ってるんだな」
1人の時間も大切にしたい。でも誰かと一緒もいい。サーカス列車で暮らしていたときによく抱いた気持ちだった。1人で音楽を聴いたり本を読んだりして自分の世界に浸るのも好きだけれど、1人の時間が長すぎると孤独を感じる。そんなときサーカスの団員たちはごく自然に私を仲間に入れてくれた。男性が女性か、どんな過去のある人間かなんて関係なく、まるで元からそこにいたかのように。
この1年半以上もの間ショーと生活が表裏一体に存在している場所で仲間たちと切磋琢磨し合い、くだらない話をして笑ったり助け合ったりした。夢を見つけ、目標に向かってひたすらに努力し続けた。私の全てだった世界がなくなった今、漠然とした虚しさに襲われている。
タネルの車がエジプトの国境を越え砂漠を走り始めたとき、私はノートにあることを書いた。
『パントマイムをどこで覚えたの?』
「若い頃一人で世界を旅してたときに、アルゼンチンのスラムに住んでるじいさんから教わった。そのじいさんは片目が悪くて言葉も話せなかったが、身振り手振りで物を伝えるのが上手くてな」
片目が悪いスラムの老人。
もしかしてーー。
『その人、ペネムって名前じゃなかった?』
タネルは驚いたようにチラリと私に目を向けた。
「なんであのジジイを知ってる?」
『アルゼンチンに住んでた頃、スラムで会ったの。物売りをしてたわ』
「ロクな奴じゃなかったろ?」と問われて『まぁね、1枚のCDに2万ペソもぼったくられたし』と書いたらタネルはふっと笑った。初めて彼の笑顔を見た。
「嫌なジジイだが、マイムの腕だけは確かだった」
『私にマイムを教えて』
「嫌だね」
『どうして?』
「人に教えんのには向いてねぇんだ」
『下手でもいいから教えてよ』
「そのうちな」
パントマイムなら尚更、言葉が喋れなくてもできる。タネルがイスラエルの診療所の地下で披露したマイムのように人々に感動を与えられるなら、習得しない理由はない。
途中休憩を挟みながら、8時間ほどでエジプトのカイロに着いた。私はほとんど後部に備え付けられたベッドで眠っていた。ここ数日まともに眠れていなかったため、夢も覚えていないくらい泥のように眠りこけた。こんなに眠ったのは久しぶりで、起きたときにはかなりスッキリしたいた。タネルが私を起こさないでいてくれたことに感謝した。
カイロに着いたときには夜10時を過ぎていたため、砂漠で自炊し車中泊することになった。夜の砂漠は心地よい涼風が通り過ぎている。靴の中に入り込んだ砂のおかげで足裏にざらざらと不快な感触を感じ、スニーカーを脱いで逆さにして振った。パラパラと砂が落ちる。
タネルは焚き火にかざしたフライパンでサツマイモと謎の葉っぱを炒め始めた。私が怪訝な顔で見ているのに気づいた彼は、「意外とイケるぜ」と言った。サツマイモは甘くて美味しかったけれど、葉っぱはあまりいらないと思った。
タネルは焚き火にかけたヤカンでお湯を沸かし、インスタントのコーヒーを作って紙コップに注いでくれた。
「ブータンの湧水で作ったコーヒーだ。めちゃくちゃ上手いぜ」
湯気の経つコーヒーにふうふうと息を吹きかけて啜って飲む。
確かに美味しい。店のコーヒーより美味しいと言おうとしたが声が出ないので、右手の親指を立てた。
「だろ?」
タネルは得意げに言い、カップのコーヒーを啜る。私は図々しいと知りながらコーヒーをおかわりした。
ホクのことを思い出す。彼も無口だったが、よくこうしてジェスチャーで気持ちを伝えてくれた。彼がいなくなって大きな心の支えを一つ失ったようだった。今ホクが世界のどこかで元気で生きていてくれたらいい。
一服のあとタネルが簡単なマイムを教えてくれた。おなじみの透明な壁に手をつくあれだ。観ているだけだと簡単そうだが、これが案外そうでもないのだ。壁につけるように片方の手をかざし、もう片方をかざす前、指はピンと伸ばしたままでなく力を抜いた状態にしてからかざさないとそれらしく見えない。また、片方の手をかざしたあと、その手の位置を動かさないようにするのに苦心した。動かすたびに「おい、動いてるぞ」とタネルから指摘が入る。
練習後キャンピングカーのマットで横になった。タネルは外にテントを張って寝るという。
イスラエルで見た光景を、私は今まで頭から締め出そうとしていた。ロケット弾の黒い残影、無惨に死んでいく人々、泣き叫ぶ子どもの声がありありと蘇ってくる。あの場所はあまりに私の日常とかけ離れ過ぎていた。だが確かに現実だった。あの場所に生まれていたとしたら、私は今頃生きていなかったかもしれない。
思考を切り替えるように目を瞑る。
しかし随分寂しくなったものだ。仲間たちといることが当たり前になって1人で眠る日がなかったために、静かな場所で1人横たわっていると、世界に1人きりになったみたいな孤独に包まれる。
ふと何か文章を綴りたくなった。リュックからクラウンノートを出して開き、ここ数日で起きたことや感じた思いを綴った。深夜2時過ぎても眠気が来ないためマットの上で腹筋と腕立て、背筋をした。意識的に鍛えておかないと体力は衰える。
外の空気が吸いたくなり、砂漠の中でジャグリングをしたり謎の走り込みをした。積み重なった砂の上で何度も転んで砂まみれになったが、身体を動かしておかないとどうにかなりそうだった。数日間であるが孤独で過酷な日々によるストレスと声のでない鬱憤は、私をおかしな行動に駆り立てていた。だが誰の目を気にすることはない。
誰もいない闇の奥に向かって思い切りわーー!! と叫んだ。出たのは声ではなくて、ただ空気の迸るような声だけだったけれど。ルチアの叫びたい気持ちが今なら分かる。彼女は孤独で、言葉にならない気持ちを独り部屋の中で爆発させていたのだ。
キャンピングカーに戻ってマットレスに腰掛ける。ショーに使うほとんどの道具を列車に置いてきたことが悔やまれる。今できる出し物といえばジャグリングと簡単な手品くらいのものだ。せめてクラブくらいは買いたい。
翌朝早くから街へ繰り出した。薄茶けた建物が立ち並ぶ、雑然とした街並みはイメージ通りだ。
見たことのない緑色の謎のフルーツを大きな箱に並べ売っている男の人もいる。
スカーフのようなものを顔の周りに巻いた女性たちが通り過ぎていく。
あちこちに物売りがいて声をかけられるが、タネルは無視して歩いていく。
私の希望で街のジャグリング専門店に入った。店内には自分でカスタマイズできるディアボロの部品や、様々な種類のジャグリングボール、クラブなどが置いてあった。デビルスティックと呼ばれるものもあった。手品用のハットやマント、タキシードなどの衣装も。見ていると全然飽きなくて、ここで一晩泊まれそうだと思ったほどだ。タネルも真剣な眼差しで店内を物色していた。そうしてかれこれ2時間ほど居座った。
店を出たあとエジプトの名物料理が食べられるというレストランに立ち寄った。タネルに勧められて食べたのはクシャリという料理だった。米にマカロニとトマトソースとひよこ豆、フライドオニオンを混ぜたそれはシドニーでは食べないような代物だった。タネルはあまり好きではないと言ったが、私は嫌いじゃない。
タネルにリュックに入っていたクラウンをしていたときの写真を観せたら、「何じゃこりゃ」と大爆笑していた。こんなに腹を抱えて笑われるなんて。しかも可笑しくて笑っているというより完全に馬鹿にしている笑いだった。一気に気持ちが萎んだ。
「この白塗りメイクはやめた方がいいな、自分の良さが出てこない」
『伯父には素顔の方がいいと言われたの』
「ノーメイクのクラウンか。新鮮でいいかもな。あのメイクは酷い、もう辞めることだ」
散々こき落とされておいてまたあの白塗りメイクをするつもりはないけれど、せめて赤い鼻を買ってクラウンっぽさは出しておきたい。ルーファスが赤鼻をつけているのを見るたびに可愛いくて羨ましいと感じていたのだ。ルーファスは実際赤鼻がよく似合った。彼は元気にしているだろうか。
レストランを出た後は20キロほど離れたギザという街に向かった。
車で向かっているときから既に建物の間から砂漠にある巨大ピラミッドが見えた。
街の路肩にはぎっしりと車が停められていて、縦列駐車している車の隣に縦列駐車するなど、とんでもない停め方をしている車もざらにある。
呆然としていると「こんな場所、世界にはいくらでもあるぜ」とタネルが言った。
交通量はそれほど多くはないが横断歩道が少ないため、道路を渡ろうとするたびに車に轢かれかけた。
最初は2人で古代史博物館を訪れた。「大して面白くもないな」と言いながら、タネルは入り口付近にあるびっしりと象形文字が彫られた大きな長方形の石を見つめていた。象形文字ってよくわからないけれど、勉強したら面白そうだ。多分しないけど。
ミイラの展示なんかも観たあと、ギザのピラミッドを見るために早々に引き上げた。
ピラミッドは市街地からあまり離れていない砂漠の中にあった。着くまでに現地の人に何度も馬やラクダに乗っていかないかと声をかけられたが、チップ目的だとタネルが教えてくれた。
この超巨大ピラミッドは、紀元前2500年ごろの古代エジプト第四王朝の王であるクフ王の墓といわれているらしい。高さは約140メートル。こんな高いピラミッドを当時の人たちは人力だけで建てたんだから、すごいとしかいいようがない。
すぐそばには巨大なスフィンクスの彫像が建っていた。
「相変わらずでかいな」とタネルは呟いた。何度か観ているために全く興味がないのが透け透けで、何のために来たのだろうという気持ちになる。私を楽しませようと思ったのか、とりあえず行ってみようという気持ちだったのか。
1日がかりでギザを観光したあとは、ホテルに一泊してチャド共和国へ行った。南アフリカ諸国は治安も悪いという印象だったけれど、着いてからは人の優しさに驚かされた。道を聞いても親切に教えてくれたし、家族みたいに温かくフレンドリーに接してくれる。
タネルは難民キャンプに子どもたちがいるから行くと言った。スーダンから紛争を逃れてやったきた人々が暮らしているという。
難民キャンプは仕切りや囲いもない、自然に囲まれた場所にあった。白い救援用テントが立ち並んでいる。
タネルが茶色い大きな鞄から3本の金属の棒を取り出して、両手に持った2本の棒でもう1本の棒を高速で交互に弾いたり回したりして操る技をやってみせた。
その様子が珍しかったのか子どもたちが集まってきた。その棒は何かと訊かれたタネルは、「デビルスティックっていうんだ」と答えた。子どもたちの純朴さと目の美しさが印象的だった。
タネルは今度は棒の両端に火をつけて同じように弾いたり回したり、脚や腕の下を通してみせたりした。子どもたちは未知の技にすっかり興奮していた。
タネルは次にマイムを披露した。壁を伝って歩くマイム、弓を放ったあと、それが自分に跳ね返ってきて慌てて頭を庇って地面に蹲る。
負けじとボールジャグリングを披露したら、皆声をあげて感激していた。子どもたちが盛り上がっていると大人たちも何だなんだと集まってくる。やがて私たちは100人ほどの人たちに囲まれた。
『ジャグリングをやってみたい人いますか?』とノートに書いて見せたら1人の女の子が手を上げた。12歳くらいの可愛らしい女の子だった。彼女に2つのボールのジャグリングを教えたら、何度もボールを落とし友達に笑われていたが楽しそうだった。お礼にあげた紙風船も喜んでくれた。
冬空の下の開けた大地の上、大勢の人たちに囲まれて披露したジャグリングは、テントでやるよりもずっと自由で解放的だった。子どもたちにやり方を教えているうちに自然に皆と仲良くなれた。
「お前上手いな、ジャグリング」
車の中でタネルが言った。
『あなたのデビルスティックには負けるよ』
「あとで教えてやろう」
『マイムと一緒に教えてね』
「考えておく」
私はタネルに付いてスーダン、エチオピア、ケニア、タンザニア、コンゴ、中央アフリカなどの国々を巡った。ジャグリングや手品、即興の寸劇などを観た人たちは途端に私たちに心を開いてくれる。言葉がなくてもだ。もちろん、ノートで会話する私に不思議な目を向けてくる人はいる。特に子どもたちの目というのは素直なものだ。でもノートで会話をしていると、子どもたちは打ち解けてきて落書きをしたり私の似顔絵を描いてくれたりした。
エチオピアの小さな村の集会所で、白塗りのクラウン詩を演じた。タネルを笑わせたかったし、皆がどんな反応をするのか見てみたかったからだ。
着物はなかったので村人から借りた裾に赤い民族調の柄のついた白いワンピースを着た。あまりに滑稽で、ステージに出た途端に村人たちは最初驚いて、そのあと一斉に笑い転げた。タネルも大爆笑していた。
今回の詩ははちゃめちゃだった。ベースボールキャップを拾い埃を払ったあと、あらかじめ作っておいた筒の上に長い板が置かれた小さなシーソーのようなものの上に乗せ、浮いた方の板の端を足で勢いよく踏んづけて、飛び上がった帽子を被ろうと奮闘する。本来ベレー帽で練習していた技だから、軽めのベースボールキャップでは難しかった。まず飛ばない。何度も失敗しては笑われ、なんとか背中に乗せたけれど落ちてしまう。結局最後はシーソーを踏んづけ飛ばした帽子をステージにうつ伏せの姿勢で被った。キャラのことなんてもう考えていなかった。
住民たちはこの行き当たりばったりのパフォーマンスに大爆笑していた。
今度は村人の1人、60代くらいの男性をステージに上げ、膨らました紙風船でバレーのようなことをして遊ぶ。負けず嫌いの私が本気になってアタックをした紙風船を男性がキックして、私の顔面に当たって後ろに倒れまた大爆笑が起きた。大したことではないのに、ルーファスが言っていた通り白塗りの私が災難なことに巻き込まれるのは観ていて楽しいようだ。
大爆笑で公演が終わった。皆の笑顔を見て久しぶりの大きな達成感と満足感と一緒に、自然のように一つの考えが浮かんだ。
ーーもう詩を演じるのは辞めよう。
私はずっと観客やメディアの求める詩を無理をして演じ続けていた。自分自身を忘れそうになることは私にとって何より怖いことだった。
でも今回演じてみて分かった。私は私の中にある詩というキャラクターを壊しはちゃめちゃに振る舞うことで、私自身に戻りたがっていたんだと。
ケニーはノーメイクの私が素敵だと言ってくれた。それならもうこのままでいいじゃないか。白塗りの仮面は外して、ノーメイクで着の身着のままの私でいたっていい。
この公演は私を原点に戻してくれた。ただ人を笑わせることが大好きな1人の人間に。
タネルは夜寝る前にマイムを1時間教えてくれた。時間がそれ以下になることもそれより長くなることもなかった。
マイムの動きというのは独特だった。
タネルの教え方もまた然りで、最初に身体の動かし方を教わったのだが、ビー玉が身体に入っていて、身体の壁にビー玉をぶつけるイメージで肩や胴体や腰などを逸らしたり折り曲げたりしろと言われた。私の中にはビー玉があると思い込みながらグネグネと動いていたら、今度はピンポン玉のイメージで、と指示された。体内のピンポン玉は野球ボールに、次にハンドボール、バレーボール、最後はバスケットボールになり、身体の動きはボールが大きくなるのに比例して大きく鋭く変化していった。
次に何の練習があるのかと思えば、横になって手足やお尻の先からインクが出るようなイメージでそれぞれの身体の部位を動かして大きな円を描いてみろと言われた。
今度のレッスンでは自分が水槽の中にいて、ネバネバしたワックスをいっぱいに注がれた設定で身体を動かしてみろだの、それが突然水に変わったら動きはどう変わるかやってみろだのと言われた。ジャンがよく使っていた『ささるんです』というやたら強力なワックスを思い浮かべる。あれを試しに借りて付けたら、2日くらい癖が取れなくて挙句シャワーで洗ってもなかなか落ちなくて、匂いもおかしくて苦労した。
あのワックスの中にいるのを想像して手をバタバタ動かそうとしても、ゆっくりとしか動けない。粘つく液体を必死に搔こうとする両手と両腕、そしてバタつかせる両脚の動作は恐ろしく緩慢になり、極めて曲線的になるだろう。ネバネバのワックスに圧迫されて顔も歪みそうだ。逆に水の中を泳ぐなら動作はもっと機敏に、手脚の動きもスムーズになるはずだ。パントマイムの練習は黙々と、淡々とやる退屈なイメージだったけれど、やっていたらだんだん楽しくなってきた。
タネルはやがて身体の使い方に拘って詳細に教えてくれるようになった。
「例えば電車が動き出すとする。電車は前に動くけれど、私たちの身体は反対側に揺れて倒れそうになる。後ろから押されれば前に身体が倒れる。前から押されれば後ろに倒れるな。
逆に自分がどこかに力を加えようとするとーー例えば両手に力を入れて壁を押してみると、胴が後ろに下がる。ドアノブを捻ってドアを開ければ上体が前に傾く。綱を引っ張るときは腕が前に伸び脚を踏ん張る代わりに腰が後ろに退がる。パントマイムではそういう身体のリアルな動きを細かく再現しないといけない。だから、どこかの部位だけを意識的に動かす練習というのは大切なんだ」
最初は頷く、頭を後ろに反らす、下を見る、上を見る、首を左右に傾げる、首を回すなど簡単な顔の動きから始まった。
自分の身体がテトリスのようなブロックに囲まれていると想像して、顔の両側や後方、または前方から交互にブロックが飛び出してくる感覚で首だけを左右前後にに動かして避けろと言われた。このゲームについては苦戦した。タネルが「右!」と言えば左に首を動かす。「後ろ!」と言えば前に動かす。
この左右前後に動かす練習は腰や背中、腹、お尻などの部位にも応用して行われた。
しかしどうしても一つを動かそうとすると他の部位まで一緒に動いてしまって、何度も注意された。私は向いていないのかもしれないと心が折れそうになった。
かと思えば今度は2人の男性に取り合いされて両側から手を掴まれて引っ張られているイメージで、肩から上だけを左右に動かす動きというのもやった。タネルが右側から「アヴリルは俺のもんだ!」と言い、今度は左側から「いいや、僕のものさ!」と声を変えて言うものだから吹き出してしまった。
両腕を広げて伸ばし、手の先から波のように動かす練習もした。
ある夜彼は前にルーファスがチラッと言っていた身体を板のように硬直させる『ブロック』または『エッフェル塔』のやり方を教えてくれた。全身を動かさずに頭の位置を固定し、腕と脚も背中もピンと伸ばしたまま前後左右に傾いたり、身体を回転させたりする。
マイムにおいて動きと同じくらい表情を作る練習も不可欠だという。唇を左右に動かす、歯を食いしばる、眉間に皺を寄せる、目玉をぎょろぎょろ動かすなど、顔のパーツを自在に動かして豊かな表情を作る練習も行われた。
一通りの動きと表情のパターンを覚えたら、タネルが作曲した『マイムーヴ』というクラブミュージック調の音楽に合わせて習った一連のことを復唱する。これが毎日の習慣になった。
ナイジェリアの小学校の体育館でショーをしたときのこと。
タネルは6年生の教室にゲリラ的に入りパントマイム講座をすると言い出して、19人いる子どもたちを2人ずつのグループに分けてジェスチャーゲームをした。私は余ったマヤという女の子とペアになった。雰囲気的にマヤはクラスに馴染めていないみたいで、他のペアの女の子たちが笑いながらマヤを見てコソコソと耳打ちし合っていた。どのクラスにもこういう空気はあるのだなと思った。
まず、タネルは『百合の花』『蜘蛛の巣』『分度器』など小さな紙にお題を書いて各グループに配り、それぞれ分かれて書いてある何かを表現するための打ち合わせと練習を10分ほどする。
私たちのお題は『百合の花』だった。まず種のところから表現しようと提案したら、マヤが「百合の花は種じゃなくて球根だから、最初は球根の形を作らなきゃ」と言った。これには驚いた。
動きの打ち合わせをし、時間が来たら班ごとに全員の前で発表する。そして、彼らの表すものが何かを当てるのだ。ちなみに1番たくさん当てたペアに紙風船がプレゼントされる。
ゲームは終始和やかに進んだ。子どもたちと接していると彼らの放つ溌剌としたエネルギーと一緒に、自分まで子どもに戻るような懐かしい感覚をもらえる。
私たちの班は10番目の発表だった。まず、マヤと私が近距離で頭を沈め身体を屈める。球根を表現するためだ。次にマヤが球根から出た芽を表現するため、頭の上にくっつけた両手のひらを広げる。
今度は百合が花開くように2人の両腕を十の字を描くように交差させながら皆に見えるように大きく広げ、上体を後ろに反らす。
すぐに1人の男子が手を挙げて「百合!」と答えた。
担任の先生は「分かりやすいわね」と頷いていた。
私はペアの女の子に紙風船をあげたかったから、子どもたちに遠慮しないで手を挙げていたらタネルに「少し手加減しろ」と嗜められた。でもマヤがなかなかできる子で、10問中の2問を当てて、私が1問を当て準優勝となった。私は優勝したペアの2人に紙風船をあげたあと、百合は球根から芽が出るという新しい気づきを与えてくれたマヤにも紙風船をあげた。
タネルは私の話を聞くことは多かったが、自分のことをほとんど語らなかった。彼がどこの国の出身でどんな人生を歩んできたのか、尋ねても「知る必要はない」と答えるばかりだった。撥ねつけるような言い方が気になったが、よほど話したくない過去があるのだろうと追及はしなかった。
アフリカ諸国を回るうち、以前より彼の顔に笑顔が浮かぶことが多くなった。
サバンナでヌーやシマウマの群れを観た。どこまでも広がる荒涼とした大地を転がっていくオカヒジキが、傘の上で弾ける鞠の動きと重なった。
シマウマを追いかける雌のライオンと数頭の子ライオンの姿も見た。
ライオンは結局獲物に逃げられ餌にありつくことはなかった。彼女はただ闇雲に草食動物たちを襲うわけではない。守るべき命があって、明日を生きるために狩りをする。それを知っていてもやはり、逃げおおせたシマウマを見て安堵してしまう。
レオポルドももし運命が違っていれば、あの無邪気に草原を駆け回る獅子の子たちの中の1頭だったのだ。野生で生きることしか知らない彼らは、自ら食糧を手に入れなければならない代わりに、鞭で調教されることも人間の見せ物になることもない。その代わりにサーカスのライオンは飢えや寒さや茹だるような暑さを野生の動物たちのように経験しなくて済む。野生の動物とサーカスの動物、どちらが幸せで不幸か人が決めることは果たして正しいのだろうか。
「1人の女性がいた」
ライオンの母子の姿を目で追いながら不意にタネルが言った。
「彼女は人や動物を心から愛することのできる人だった。まるで天使のような心を持っていた。だが結婚した男が2人ともマズかった。1人は支配的で横暴、もう1人は非現実的な夢ばかり追う夢想家。彼女はどちらのことも心から愛した。そして、どちらにも傷つけられ裏切られた」
まるでどこかで聴いた物語を、もう一度繰り返し別の人の声で聴いているような気がした。私は何も言わず静かに耳を傾けた。
「彼女は優しすぎた。色んなことを人一倍感じすぎる。他人の感情、動物の気持ち、色んなことに敏感で傷つきやすかった。皆を愛しながら常に寄りかかる相手を探していた。支配的な男は彼女を自分の思い通りにしようとして壊した。夢想家の男は彼女に全てを背負わせ苦しめた挙句に捨てた。
夢想家の男はかつて夢のような世界に住んでいた。毎日が終わらない祭りのようで、夢のようだった。男はそこで彼女と出会い、心を通わせ合った。だが外の世界は無情だった。人と違うことはもはや武器ではなく物笑いのタネであり、外国人であることへの差別や日夜問わず課される労働、同僚から与えられる身体的苦痛は男の心をすり減らして行った。女はそんな男の心を必死に繋ぎ止め支えようとした。だが男は最後にはそれすらも煩わしくなり、1人家を飛び出しどこまでも逃げた。
彼女は1人になった。そして紛争の絶えない場所に赴いた。もう一度誰かのために生きていく道を選んだのだ。そんな風にしか生きられない人だった。夢想家の男は彼女が生きている場所を知り、会おうと赴いた。だがいざ彼女の姿を遠くから見たとき、合わせられる顔がないことに気づいて姿を消した。
男には彼女を満たせるものが何もなかった。豊かだった男の心はいつの間にか他人よりも自分を満たすことで精一杯になり、凍りついていった。それを慰めるために旅を続け、芸を続けた。
男はやがて言葉を使うことを拒むようになった。言葉は他者との間に無駄な軋轢を生み、傷つけ合うための格好の武器となるからだ。その代わりパントマイムに没頭した。言葉がなくとも自らの意思や感情を伝え、そこにないものをあたかも存在するかのように表現できる芸術に魅せられたのだ。
男はマイムをしながら世界を巡った。自分の芸が誰かを救っているのだという感覚が心地よかった。そうすることで彼女と少しでも近づける気がした。だが、ある日その感覚も何もかもが夢想なのだと気づく。若い頃は人に夢を見せるために生きていた男は、いつしか自分に夢を見せるためにしか生きられなくなっていた。そのことに気づいて、男は今すぐここから消えてしまいたくなった」
語られているのが誰と誰の物語か、私にはとっくに分かっていた。彼はミハイルだったのだ。別人を装って私と接していたのだ。彼がキッズサーカスの練習場の前で見せた表情の意味、彼がなぜいつも悲しい目をしていたか。その理由が今ようやく分かった。
『彼女はあなたを今も想っているかもしれない。もう一度会いに行くつもりは?』
「その資格は俺にはない。俺は彼女を捨てた。そして、今はこの通りただのしがない旅芸人だ」
『それでも一緒に生きていくことはできるわ。例え傷つけ合いながらでも、互いを本当に想ってさえいればどこにいても繋がっていける』
「もういいんだ」
男は首を振った。もうこれ以上この話をしていたくないようだった。
愛というのは複雑だ。守ろうとすればするほど、大切に想うほど絡まり合い、お互いを傷つけ合ってしまいに離れ離れになってしまう。
リュックから絵本を取り出す。オーロラが描いた『猫のカルメン』だ。旅の途中何度も繰り返し読んだから、頁が擦り切れている。もう一度1頁1頁ゆっくり捲って読んで男に渡した。
男はその絵本を私がしたように1頁ごとに手を止めてじっくり眺め、最後の数頁を読みながら何度も頷いた。男の頬を涙が伝うのを見た。その涙は感動の涙というよりも、何か大きなものを失った人間の見せる失望と孤独の入り混じった悲しい涙に見えた。
タネルがトルコに私を送って行ってくれると言ったので、言葉に甘えることにした。
道中退屈しないようにオーロラにあげる予定の『スリランカ料理店で流れているBGM』をカーステレオに入れる。間もなく現地録音されたようなマイクに乗った男性の歌声と、耳に馴染みのない弦楽器の音が空気を揺らす。時折風の音や鳥の声なども混じっていて、新鮮だった。
男は音楽についてはノーコメントだった。
「パントマイムは自分だけの世界を創り出すことができる。例え殺風景な牢獄に1人きりで閉じ込められていたとしても、そこを緑の山にもせせらぎの聴こえる川にも、広い海にも、人の行き交う遊歩道にも、花の咲く庭園にも綺麗な台所にも変えることができる。そこに無いものを作り出す。ステーキを焼いて食べることもできるし、ビールやワインを飲むこともできる。あくまで虚構だから、その味や感覚を実際に得ることはできないが、観ている人に同じものを観せ、同じ色や匂い、味、感触を伝えて感じさせることはできる。言葉がなくても通じ合うことができる」
マイムは素晴らしい。魔法のようにものを作り出す。その気になれば自分の望むものを集めて表現し、王国を作ることだってできる。貧者が馬車に乗る大金持ちになることも、臆病者が戦士になることも可能だろう。言葉がなくても表現する。それはとても難しく、尊い行為だ。言葉を失った今だからこそ分かる。
言葉は確かに人を刃物のように傷つける。だが一方で救うこともある。サーカス団の仲間たちやケニーやオーロラが私にかけてくれた言葉の数々は、確かに私を絶望の淵から救い出してくれた。ショーに言葉は必要ないかもしれない。でも、パントマイムや手話やメール、手紙など、自分なりの何らかの言葉で私たちは常に繋がり合い理解し合っている。
声のない芸術に救われることもある。一方でオーロラの絵本の中の言葉が私に力を与えたように、言葉が人を生かすこともあるのだ。
何が良くて何が悪いではなくて、全ての物事の意義や意味について考えられるような人でありたい。そしてそれを自分だけの心と身体の動きを使って表現できるようになれば、きっと私は素敵なクラウンになれる気がする。
タネルは道中でもパントマイムを教えてくれた。パントマイムの歩き方についてはただ歩くのではすぐに舞台の端に行ってしまう。そこを長い道路に見せるためには、前進することなく歩いているように見せることが大事だという。
まずマットの上を歩いているとイメージして脚を真っ直ぐに立ち、片方の脚を上げてつま先を床につけて踏み出す。それと同時にもう片方を少し後ろに押しやるようにさげる。両足を地面と平行に保つこと、歩く動作の間は脚を真っ直ぐにしておくのがポイントだ。そうすると観ている人からは歩いているように観えるという。
走る動作は腕の振りと足を後ろに下げるときの幅が歩くときより大きくなり、身体は前傾姿勢になる。
勾配のある道を登る動作は歩く動作は、上半身を前方に傾け、踏み出す足を10センチ以上上げたまま、膝と背中をまっすぐに伸ばし身体を持ち上げる。そして両のつま先で立つ。
下りる動作は身体を真っ直ぐに保ち、膝を伸ばしたまま片方の足のつま先を地面について身体を持ち上げる。床と平行のままもう片方の踏み出す方の足を上げ、5センチほど前に下ろす。下ろしたときにもう片方の足のつま先をついたままま膝を曲げる。
自転車を漕ぐ動作についても歩く動作と同じ理論で脚を動かせばいいと言われたが、自転車を漕ぐ動作に関しては両手はハンドルを握るように固定して、脚を高く上げて少し内側に曲げ、脚の動きを歩くよりも曲線的な動きにしなければならないので難しかった。
何より難しいのはスケートの動作など脚をスライドさせる動作だった。
他にも棒を同じ間隔を開けて左右の手で交互に握り伝って歩く動作や、ロープを引っ張る動作のやり方を学んだ。それぞれの部位を動かす練習が役に立った。
食べる動作、飲む動作、本を読む動作、フライパンで料理を炒め皿に盛る動作など、再現しようとすれば何通りもの動きがあった。でもやればやるほど楽しかった。
「マルセル・マルソーは『誕生、青年、壮年、老年、死』というマイムで、1人の男が赤ん坊の頃から成長し、年老いていくまでを身体の動きだけで表現した。マイムは人の一生だけでなく自分の未来や過去をも表現することができる、究極の自己表現の手段だ。俺はマイムに取り憑かれた。そしてだんだんと自分だけの世界にこもり、人と言葉で交わることを拒むようになっていた。お前と会ってようやく人間同士の対話の仕方を思い出したよ」
男はわずかに微笑んでいるように見えた。
そのうちタネルのやっていた窓のマイムの他に、迫り来る壁、飛ばされる傘、宙に浮いたまま動かなくなる鞄などのマイムをほとんど見よう見まねでやるようになった。タネルには下手くそと散々こき落とされたが、めげずに練習を続けた。
「よくあるマイムを披露するのは構わないが、誰かと同じマイムをやるということは、マイムを見慣れている人間からしたら上手い奴と比較されるってことだ。俺も最初は散々言われた。今すぐじゃなくていい。下手くそでも自分なりの表現を見つけられるようになればいい」
良い人なのか悪い人なのか、私はしょっちゅう彼のことがよく分からなくなる。だが彼の言葉はクラウンを演じる中で自分自身や自分の表現を見失いかけていた私にとって、大きなヒントになる気がした。
タネルは3週間かけて私をトルコのイスタンブールまで車で送ってくれた。
1月末の冷たい風が吹き付ける巨大な市場は、生き生きとした客引きの声と観光客の声で賑わっている。
店先に並んだ大きな透明な箱に入ったいろんな種類のグミが大量に並ぶ店や、色とりどりの模様の絨毯を売る店、大量のトルコランプが天井に飾られた店もある。お香を売る店から植物とも石鹸ともいえない不思議な匂いが漂ってくる。
タネルは何も欲しいものはないかと私に聞いたが、お腹が空いたとだけ答えた。朝食はパンを食べたけれどあまり量が食べられなかったから、とにかく空腹だった。
オープンテラスのトルコ料理のレストランに入って、レジでチキン料理とチャイティーを注文したあと、飲み物やデザートまで頼んだら「いい加減にしろ」と怒られた。
「これからどうする?」
料理を美味しくなさそうに食べながらタネルは言った。前に彼に『不味そうに食べるね』と聞いたら「そういう顔なんだ」と答えていた。
『野宿でもしながらロンドンまで行く』と答えると、タネルは驚いたように顔を顰めた。
「馬鹿言うな。若い女が野宿だなんて襲われに行くようなもんだ」
『何とかなるっしょ、これまでもそうだったし』
「これからもそうとは言えない。気をつけるんだな」
タネルにこれからどこに行くのかと私は尋ねなかった。アンジェラに会いに行くのかもしれないと思っていた。だからここで私と別れるのだろうと。
「とにかく野宿だけはやめろ。誰か信用できそうな人間の家に泊めてもらうかモーテルを探せ」
『へいへい、分かったよ』
間もなく運ばれてきた料理を貪るように食べた。デザートのアイスクリームまで平らげた。
そういえば小学生のとき、夏休みになるとオーロラとよく公園に来るアイスクリーム屋さんでアイスクリームを1つお金を出し合って買って、2人で代わりばんこに舐めたっけ。一度クリスティが来て取られちゃって、オーロラが本気で怒ってたな。
オーロラはたまに怒ると凄く怖かった。私はそんなに本気で怒られたことはないけれど、私が悪い方向に行きそうになると一番最初に注意をしてくれるのはオーロラだった。私たちはお互いにとってちょうどいい距離で関わっていた。もしオーロラに会えて時間を作れたら2人で旅行に行こう。今まで私が見てきた、そしてこれから見る世界の景色を彼女にも見せたいと思った。
タネルはアイスクリームを食べる私を神妙な顔で見ていた。
何でこの人はこんなに私の世話をしてくれるんだろうと途中で何度も不思議に思った。見ず知らずの女を手当てして旅に道連れにしてくれ、こうしてご飯もご馳走してくれている。自分で思うよりよほど良い人なのだろう。
『何で私を助けてくれたの?』
私は訊いた。タネルはわずかに笑ったみたいに見えた。
「お前は何となく若い頃の俺に似てる気がしてな。大きな理想を持って、何かの目的に向かってまっしぐらに進む。だから傷つく。世の中の本当を知ってな」
ここ数ヶ月の私の心理状態を目の前の男はいとも簡単に当ててしまった。
『あなた霊媒師か何か?』
「基本的に占いは信じねぇ、あーゆうのは金儲けのためのインチキさ」
『そうとも限らないと思うわ』
「中には本物もいるかもしれないが、ほんの一握りだ」
タネルは『会計をしてくる』と席を立ち、私はタネルに今日教わったことをノートにまとめた。
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