第29話 クラウンへの道

 翌日から本格的に特訓が開始された。


 ストレッチの前の準備運動に少し面白い動きを加えたくなって、前にホタルから教えてもらったラジオ体操をやることにした。私がやっていたらジャンやシンディも一緒にやり出した。3分ちょっとの軽体操だが、身体がほどよく解れて温まった。ジャンも「いいなコレ! いつものメニューに加えようぜ!」と気に入ったみたいだ。


 今日もスカーフからのボールジャグリングの練習をした。何度も失敗したけれど、最後には3つのボールで基本技のカスケードができるようになった。


「ボールが沢山あるに越したことはないけど、3個でも十分面白くできるわ」


 ヤスミーナは4個にチャレンジしようとした私に言った。


 確かにヤスミーナが3つのボールを扱いながら背面でキャッチしたり脚を通したり、落としたボールを足で蹴り上げてキャッチしているのを観ると面白かった。


「ボールのジャグリングを覚えれば、クラブや帽子でもできるようになるわ」


 まだまだ下手くそだけど、上達するまで繰り返し練習しようと思った。


 ジャグリングの次はクラウニングの練習だ。

 

 ルーファス曰くクラウニングというのは、この間エクササイズで取り組んだスラッピング(ビンタ)みたいに、一見暴力的で危険な行為だったとしても、観ている人に対して面白おかしく見せる上で、大袈裟な表現を一定の緊張感を含みつつ安全に行えるように編み出された理論なのだという。


「この間やったスラッピングがいい例だ。街で誰かが殴り合ってたらめちゃくちゃびっくりする。怪我をするしもちろん笑えない。でも、そんな暴力シーンを怪我をしないように演じ、かつ観ている側が笑えるようにする。それがクラウニングだ」


 クラウニングという言葉は広義に及び、動きそのものだけでなく概念でもあり、クラウン的考え方を表す場合もあるという。


「非日常を重ねて大きくすることがコメディだとしたら、その非日常にキャラクターのセオリーを加えたものがクラウニングだ」


 ちんぷんかんぷんだが、とりあえずクラウニングにはクラウンになる上で勉強しなければいけないことが沢山詰まっているんだということは分かった。


「クラウンに一番大切な要素は2つある。それは一体何だと思う? 1分以内に答えよ」


「う〜ん……」


 腕組みをして首を捻って考えてみても、「面白い」以外に浮かばない。あまりに普通の解答すぎてこの場合当てはまらなそうだけれど、当てずっぽうで答えてみた。


「面白いこと?」


 ルーファスは「ブー」とオナラのような音を口から出した。


「1つ目はコミュニケーション能力だ。クラウンは言葉があろうとなかろうと、観客と常にコミュニケーションをとり続けていないといけない。状況を見て観客の表情や反応を読み取り、自分の表現したいことを分かりやすく伝える。自分が何をしたいのか、何を考えているのか、今何をしたのか、次にどんな動きをするのか……」


「一方通行のギャグばかりやるわけじゃないってこと?」


「そうだ。それなら面白きゃいいが、クラウンをクラウンたらしめるのは観客だ。観客の存在があって初めてクラウンの存在意義が生まれる。だから観客と心を通じ合わせることはとても重要なことなんだ」


 もし地球上の人類が滅亡して私だけ生き残ったら、私はクラウンではいられなくなるんだろうか。なんて考えていたらルーファスが講義を再開した。


「もう一つクラウンに大事なのは演技力だ。クラウンは至極ポジティブなエネルギーを外に向かって発信する存在だ。そのためには生きたクラウンを演じなけれなならない。無気力で機械的で屍のようなクラウンなど何の魅力もないからな。


 クラウンは自分の全身の動きや表情、ときには言葉を使って観客に自分の表現していることを理解させる必要がある。それも、わざとらしすぎてはダメだ。だが日常でやっている動作よりは大きく分かりやすく表現する。映画を観ていて下手くそな俳優は演技でやってると分かってしまい、萎える。演技に入り込めなくなるだろ?」


「うん、そうだね」


「戯ける時も転ぶ時も失敗する時も、ワザとやっていると分からないくらい自然に演技をすること。これはかなり難しいことだ」


「じゃあ、俳優並みの演技力がなきゃできないってことか……」


 演劇をやったのなんて、小6の時にミュージカルをやったくらいだ。確か、墜落した宇宙船から出てきた宇宙人の子どもと人間の子どもたちの友情を描いた作品だった。当時私は宇宙人の子どもを捕まえるためにやってくる宇宙船の隊長役がやりたかった。台詞が少ない上に踊りもあるという役柄だったが、その役が一番笑いを取れると分かっていたからだ。


 私は背も低いし全く隊長らしい威厳なんてなかった。私と一緒に立候補したジョエルはいじめっ子だったが、体格が良くて背も高く、顔立ちもシャープだったから隊長のイメージにピッタリだった。ジョエルと仲の良い男子や私をよく知らない女子たちには「ジョエルの方がいいよ、お前はイメージに合わないから駄目だ」と言われた。そのときの私に何を言われてもオーディションに挑もうという負けん気なんてものが存在するはずもなく、辞退するとオーロラの前でこぼした。そしたらオーロラはこう言った。


「もし私が宇宙船の隊員で、ジョエルが隊長なら悪夢みたい。あんないじめっ子が皆を束ねるなんて。リーダーはあなたのような人であるべきよ。あなたは皆のことをよく見ているし、思いやりもあって面白い。最高のリーダーだわ」


 その台詞に背中を押された私は、オーディション本番で半分以上台詞を忘れて士気を失い途中退場したジョエルをよそに合格。晴れて隊長に就任することができたのである。本番は緊張したけれどすごく楽しかった。「カッコよかったよ」とクラスメイトや親たちから褒められ得意になった。


「演技力は元々備わっている才能もあるが、よほど救いようのない大根役者でもなければ、ある程度トレーニングをこなすことで培うこともできる。まず最初のステップとして押さえておきたいのは、アイコンタクトだ。お前は人と目を合わせて話せるか?」


「うん。ケニーは人と目を合わすのが怖いみたいだけど……」


「コミュニケーションに苦手意識を持っている人は、人とのアイコンタクトを避ける傾向がある。俯いたり目を泳がせたり、携帯を見るふりをしたりな」


「ああ、確かに!」


 ケニーは私といるときは自然に目を見られるのに、他の人と話す時は目をキョロキョロさせて挙動不審になる。とりわけシンディを前にするとそうだ。


「アイコンタクトはコミュニケーションを活性化させる。観客と心を通わせてショーに引き込む効果があるためだけじゃなく、パートナーとの意思疎通にも使える。パートナーが何をしようとしているか、動きや表情で判断するにはまず相手をしっかり見て理解しなければならない。相手の意図を読み違えると、特に危険を伴うパフォーマンスでは悲惨なことになるからな」


 早速ゲームをしようとルーファスは言った。


 ルールはごく簡単。2人隣り合わせで立ち、1人が相手の目を見る。もう1人が相手の視線を感じた瞬間に両の手の平を臍のあたりで打つ。そして相手を同じように見て、視線を送られた方は同じように手を叩く。慣れてきたら速度を上げる。


 途中2人だと物足りないということになり、練習をしていたクリーとシンディ、ミラーにも参加してもらった。5人で輪になっていたとき、斜め前から刺すような視線を感じて見たらミラーが私を鋭い目つきで睨んでいた。昨日のことを根に持っているのだ。


「このゲームもう始まってるのかな? さっきからすごい熱い視線を感じるんだけど……」


「愛されてるね」とクリーが冷やかしシンディが笑う。私が「僕ってばモテるから」とふざけて頭をかいて見せたら、ミラーが顔を歪ませて「違うわ! 誰がこんな奴!」と全身全霊で否定した。


「雑談はそこまで!」とルーファスが2回手を叩くと、静寂が訪れゲームが始まった。


 ルールは先ほどと同じ。視線を感じたら手を叩く。だが、視線が正面と斜め前からも飛んでくるため注意力を要する。その場から動いてもいけないし、視線を送った相手に言葉や別の動作などでそれを伝えてもいけない。


 最初は私の左前にいるルーファスから始まる。彼が最初に視線を送った相手は私の正面のクリー。クリーは手を叩いて彼女の左手前のミラーを見る。ミラーは手を一拍遅れて手を叩き、吹き出した私を睨んだがそこでルーファスからストップがかかった。


「ミラー、見てるってガッツリ分かったら練習にならんからもっとさりげなく見ろ。ちょうど隣にいる好きな子をチラチラ見るみたいにだ」


「変な喩えすんなよ、気持ち悪ぃな!」


 ミラーは非常に嫌そうだが、やり直しをくらって今度はルーファスに視線を送った。


 だんだんとテンポが速くなってくると、誰から視線が送られたかというのを判別するのが難しくなる。ピアジェが入ってくるのに気を取られてルーファスから送られた視線を見逃してしまって、「集中!」と注意された。


 アイコンタクトの練習が終わったら、ピアジェが見ている前で新しい練習がスタートした。


「次にやる練習は、クラウキングの中のムーブメント、つまりクラウンの動きの練習だ。中でも大事なのはクラウンウォークだ」


 まず、部屋の中を手脚を大きく動かして自由に歩き回ってみようとルーファスが言った。


 私はこの間クラウンエクササイズでやったみたいに、腕を大きく振って足を大きく開いて歩いた。


「まだ堅いな、それじゃ行進だ」ルーファスが腕組みをした。意識するあまり、動きが固くなっていた。


「登場するとき、パフォーマンスのときに観客から観て自然なのは、直線的な動きじゃなくて曲線的な柔らかい動きだ。固い動きはロボットみたいで、生きているという印象を与えにくい」


 ルーファスは「ちょっとイメージしてみよう」と言った。


「雪が積もっているとき、お前はどうやって歩く?」


 しばし考えた。シドニーは温かい場所だけれど、数年前の寒波で雪が積もったことがあった。雪道を転ばないように歩くコツを掴むのに時間がかかった。


「足をとられないように転ばないように高くあげて、地面を踏み締めて歩くかな。そうすると足跡がつくよね、あれ面白いんだよね」


「それだ」とルーファスは私を指さした。


「力を抜いて、地面を踏み締めて歩く。足跡を残す感覚でだ。だけどクラウンとして歩く場合、見る場所は地面じゃない。目標とするところだけを見て、何かをするという意志を持って歩くんだ」


 ルーファスに言われたことを頭に留め、さっきよりも曲線的に大きめに手脚を動かして歩いた。靴の底の感覚に意識を配りながらウォーキングを続けていたら、だんだんコツが掴めてきた。


「いい感じだ」


 ルーファスからOKを貰ったところで次の練習に移行した。フリーズという、身体を意図的に静止させる練習だ。


 ルーファスが提案したのは「だるまさんがころんだ」という日本の遊びだった。ルーファスがルールを説明している途中で、ピアジェが見るからに不服そうに遮った。


「そんな子どもの遊びで練習になるか!」


「いや、これは俺が考えついた一番効果的ですごい練習だ。見ていれば分かる」


 ルーファスはピアジェの剣幕に動じる様子もない。


 ルールはこうだ。まず1人鬼を決める。壁を背に立ち、鬼は反対側の壁に顔を当てて、「だるまさんが転んだ!」と唱える。その間にそれ以外の人間たちは鬼に近づいていく。さっき練習したことを意識して 身体の力を抜いて大きく手を振って歩く。鬼が最後の「だ!」のタイミングで振り向いた時、皆一斉にそのままの体勢で動きを止める。もし少しでも動いてしまった人は鬼にならなければならない。誰も動くことなく誰かが鬼にタッチすることができれば、もう一度同じ人が鬼になり同じ遊びを繰り返す。


 本来なら和気藹々とやっていたかもしれないが、ピアジェが部屋の隅で目を光らせているためにデスゲームの如き恐怖と緊張感の漂うだるまさんがころんだになってしまった。


 ルーファスのだるまさんがころんだの唱和が始まるなり、先のことを考えずに走り出してしまったがために「だ!」の音で上手く止まり切れず前のめりに身体が動いてしまった。


「ネロ鬼な」とルーファスがニヤリとした。ふんとピアジェが鼻で笑うのが聞こえて何だか悔しい。


 やがて課題は人間を表現するから、動物を表現するに変わった。


 ルーファスが出した課題の動物ーー猿なら猿、猫なら猫になりきって鬼に向かって歩いていく。


 鬼になって3回目の「だるまさんがころんだ」の台詞の後、ミラーが私にタッチしようと張り切りすぎて転んでしまい笑いが起きた。恥をかいたミラーは出て行ってしまい、しばし気まずいムードが流れる中ゲームは続いた。


 私は途中ミラーのことが気がかりになってきたが、ピアジェがいつまでもいなくならないから部屋を出ようにも出られない。


 やがてトレーニングはワンステップ上に移行した。


「じゃあ、次は表現力を高める練習も入れるぞ。まず、俺の言った形容詞をイメージするポーズをとれ。その言葉をイメージした銅像になるつもりでな」


 ルーファスが最初に言ったのは、「意地悪な」という形容詞だった。


 シンディは「ひっひっひ」と魔女のように笑ってしゃもじで何かをかき混ぜる仕草をしたが、ルーファスは「ポーズだけなんだがな……」とそれじゃない感漂うつぶやきをした。


「頭で考えるな。要は、意地悪な感じを出せればいいんだ」


 意地悪と聞いたときパッと浮かんだのがディアナだった。彼女が路地裏で私を見た時を思い出しながら腕組みをして顔を傾け、蔑むような目をしてみせた。


「おお、すごく嫌な奴感が出てていいな」とルーファスに褒められたが、果たして喜んでいいのか分からない。


 ルーファスは「陰気な」「陽気な」「高貴な」「貧しい」「臆病な」「偉そうな」などといった形容詞を出し、それに合わせたポージングを考え出した。フィーリングで考えるのは、頭を使うのが苦手な私に向いているかもしれない。


 その後それまで鬼のルーファスが出した形容詞のお題に合わせた歩き方でだるまさんがころんだをやった。「高貴」と言われたらは上品な歩き方をして、フリーズするときは、胸を張ってつんと澄ましいかにもプライドが高そうな人を意識したポージングをとる。「臆病な」ではスラムに行く前のケニーのようにおどおどと挙動不審に歩き、フリーズする時もライオンを目の前にした彼のように身体をビクッと震わせ、怯えた目つきをしてみせる。段々と別の形容詞に切り替わるタイミングが速くなっていく。終わる頃には額に汗をかいていた。


「静止=死じゃない。これは内面のエネルギーを殺さずに生かしたまま動作を止める練習だ。動作にフリーズを上手く組み合わせて使いこなすことができれば、動きにメリハリが生まれる。そして、特定のイメージを働かせることで、表現力にも繋がるんだ」


 練習の後にルーファスが教えてくれた。そう考えると確かにこれはゲーム感覚でクラウンの大切な動作を学べる、優れたトレーニングだ。これを思いついたルーファスは天才なんじゃないだろうか。

 

 ピアジェが電話対応のために呼ばれていなくなったタイミングで、ルーファスに断りを入れて部屋を出た。昨日、今日と彼には悪いことをしてしまった。いくら日頃の鬱憤が溜まっていたとはいえ、いささかやりすぎた。


 ミラーの姿をしばらく探したが見つからない。通路でランニングをしていたアルフレッドに聞いたら、「彼なら俺の部屋にこもってるよ」と答えた。


「嫌なことがあるとよく来るんだ。父親にーーピアジェに見つからないように」


「ありがとう、アルフ」


 アルフレッドにお礼を伝え彼の部屋に向かう。

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