第23話 追憶のパレード

 最後のピアジェの口上のあと、どおおっという唸りのような喝采に包まれた。観客席の誰もが立ち上がり、惜しみない大きな拍手と歓声を送ってくれている。


 夢のような時間だった。この鳴り止まぬ拍手と喝采の嵐は、団員の努力と才能の結晶であるショーへの感動と賞賛の想いが込められたかけがえのない贈り物だ。


 リングに現れ一列に並んで手を繋いでお辞儀をし、客席へ手を振る団員たちの目には涙が浮かんでいる。一人一人が唯一無二の輝きを放つ宝石なのだ。そう讃えるような拍手と歓声にただの見学者である私ですら胸が熱くなった。


 最後のパレードに私も参加させてもらえることになった。ケニーも誘ってみたが行かないと頑なだったので、一緒に参加するのは諦めた。


 ジャンから借りた猫の着ぐるみを着て、ついでにジュリエッタにフェイスペインティングで頬や目にカラフルな髭の模様をつけてもらった。


 一仕事終え晴れ晴れした顔のサーカスのメンバーや動物たちと一緒にリングを練り歩く。


「ありがとう!」


「また観に来るよ!」


 客席から贈られる賞賛と感謝の言葉の数々は、団員たちの全力のパフォーマンスを讃え労うとともに、一人一人が特別な才能あるスターなのだと伝えているように思えた。


 こうして花吹雪のように降り注ぐ喝采の中を歩いていると、自分もスターなのではないかという気がしてくる。私はまだ何もしていないのに。


 先頭で胸を張って得意げに観客に手を振りつつ闊歩するピアジェの後ろでは、ゾウのトリュフの背に乗ったルーファスとシンディの2人が笑顔でアルゼンチンの旗を振っている。その旗の中心に描かれた顔のある太陽を見て、一人でに笑いが溢れてきた。



 オーロラと私は5年の時も同じクラスで、また隣の席になった。当時の私は学校に行くのが毎日楽しみで、インフルエンザになったときですら学校に行きたいとごねて母に怒られたくらいだった。


 絵本作家を目指していたオーロラは、授業中にノートによく面白い絵を描いて私を笑わせてくれた。


 私の母がアルゼンチンの出身だと知ると、オーロラは『アルゼンチンの神』というキャラクターを創り出し、授業中にノートの隅に描いて私に見せた。それは、アルゼンチンの国旗の真ん中に描かれている顔のついた太陽をモデルにしたキャラクターを面白おかしく描いたものだった。


 私はアルゼンチンの神の特技は目からビームを出すことと、夜な夜な耳が腐りそうなくらい下手くそなシャンソンを歌いながら空を飛び回って獲物を探すことにしようと提案した。大きな声で歌を歌うものだから、人間たちや動物たちにアルゼンチンの神がいるとすぐに気づかれてしまって、狩りにならないのでいつも空腹を抱えている。

 

 オーロラは授業中なのにも関わらず、お腹を抱えて笑いたいのを必死に抑えているみたいに肩を震わせていた。


「アルゼンチンの神の主食は何にする?」


 ある日の授業中私はオーロラに尋ねた。オーロラは首を傾げた。


「そうね……ワカサギとか?」


 オーロラはすごく真剣な顔をしていたけれど、あまりの突拍子もない発想に私はつい吹き出してしまい理科のフィッツジェラルド先生に怒られた。


 オーロラと私はこんな風にしょっちゅう馬鹿なことばかりしていた。私の小学校中学年から高学年までが楽しい記憶ばかりなのは、隣にオーロラがいたからだろう。



「お前、何にやついてんだ? 気持ちわりぃな」


 隣を歩くミラーが不審な目を向けてきた。


「ちょっと、昔のことを思い出してたんだ」


 ふ〜んと怪訝そうに相槌を打ったあと、ミラーは訊いた。


「お前さ、何でこのサーカスに入ったんだ?」


「ロンドンに行くためだよ」


「何のために? 誰か会いたい奴でもいんのか?」


「友達が住んでるんだ。元は僕たちは幼馴染で、シドニーに住んでたんだ。だけど彼女は5年前に引っ越してしまって……。すごく大切な子なんだ」


 白馬のジョンに跨って前方を進行していたジュリエッタが振り向いて、「へぇ〜、あなたはその子のことLoveなわけ?」と冷かすと、「可愛い子か?」とジュリエッタの横でプレッツェルに跨るアルフレッドまでもが揶揄ってきた。彼の肩に乗ったコリンズは、観客に向かって楽しそうに戯けて踊って見せている。ショーが終わって安心しているのは人間だけではないのだ。


「綺麗だよ、僕の知ってる中では1番」


 幼い頃からずっと近くで見ていたものだから、オーロラのことを改めて綺麗だとか可愛いとか思ったことはなかった。だけどいざ離れて思い起こしてみると、オーロラは確かに綺麗だった。彼女のゆるくカールした艶のあるブラウンの髪を櫛ですいてやって、三つ編みやお団子にして結んであげるのが好きだった。宝石のように光る紫色の瞳が私に向けられ微笑むと、幼い頃の悪戯や授業中に漫画を読んでいて先生に怒られたことも、中学の時ボーイフレンドに勧められて何度か煙草を吸ってみたことも、全て許される気がした。


 中学ではクラスの男子たちの半分は皆こぞってクリスティと付き合いたがって、我先にとデートに誘ったりプレゼントで必死に気を引こうとしていた。オーロラは「私はクリスのオマケみたいなもの」と自嘲していたけれど、誕生日になると女子たちから大量のカードと贈り物を貰うのは決まってオーロラの方だった。もし私が男の子でクラスの女子の誰と付き合いたいかと訊かれたら、迷わずオーロラと答えただろう。


 私は不意に周りにいた団員たちに、オーロラのプレゼント伝説について話したくなった。


 オーロラの誕生日は12月24日のクリスマスイブの日だ。本来は友達や家族から誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントを兼ねた物を一つずつ貰うのだが、私も皆も誕生日の分とクリスマスの分の計2個を用意するものだから、毎年イブの夜には贈り物が彼女の部屋の天井に届くくらいまで積み上げられていた。


 私は決まってクリスマスの日の夜遅くに彼女にプレゼントを届けに行った。一つは彼女の好きな色の毛糸で編んだマフラーや手袋や、羊毛フェルトで作った鳥なんかの手作りのもので、もう一つは彼女の家の本棚にない絵本を1冊。


「どうしてわざわざ最後に持って行くんだよ? 相手はお前が自分の誕生日を忘れてると思うんじゃねーの?」


 アルフレッドの頭から自分の頭にひょいと飛び移ってきたコリンズの相手をしていたミラーが、いきなり口を挟んできた。すると馬の背に股がるジュリエッタが、木兎みたいにくるりと顔だけ後ろを向いて素早く突っ込んだ。


「馬鹿ね、最後に持って行った方が一番印象に残るのよ。それに、『彼ってば私の誕生日忘れてるんじゃないかしら?』なんて不安に感じているときに、その日が終わるギリギリに会いに来て渡してもらえたら、サプライズみたいですごく嬉しいもんよ」


 正直そんな計算はしていなかったし、計算ができるくらい賢い頭は私にはない。単純に私のプレゼントの一つが手作りで、完成するのが聖夜の終わるギリギリの時間になってしまうから、皆より渡すのが遅くなるのだ。いつもクリスマスが終わる時間、夜遅くに慌ててオーロラの家まで自転車を漕いで玄関のチャイムを鳴らす。出てきたオーロラに「また遅れちゃったけど誕生日おめでとう。あと、メリークリスマス!」と言ってプレゼントを渡すと、彼女はいつも目を潤ませて私の身体を力いっぱい抱きしめるのだった。


「あなたは彼女のこと、本当に大好きなのね?」


 ジュリエッタが手でハートを作って見せた。そのとき馬がヒヒンといなないて2対の前脚をあげたために、ジュリエッタは危うく後ろ向きに落っこちそうになって慌てて手綱に捕まった。それを見たアルフレッドが「おいおい、怪我するぞ。気をつけろ」と嗜めた。

 

「もちろん大好きだよ、友達としてね」


 オーロラが引っ越す前、最後に2人でボウリングに行った。もう何度目か分からないボウリングだけれど、彼女と遊んだ数えきれない日々の中で一番記憶に残る1日だった。

 

 ボウリング場に向かう車を運転しながら、彼女と遊ぶのはこれで最後かもしれないと思うと泣きたいくらに寂しかった。でも私が悲しんだら優しいオーロラは引っ越すのを後ろめたく感じてしまうと思ったから、泣くのを我慢していつも通りに接した。


 帰りにボウリング場の入ったビルの屋上で、空に向かって日頃の鬱憤を大声で吐き出したあと、私たちは互いへの気持ちを叫びあった。


「オーロラ、愛してる!」  


「私も愛してる!」


 私はオーロラが大好きだ。例え離れていたって、何年、何十年会えなくたって、私たちの友情は永遠に不変で、最強なんだから。

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