京都美食倶楽部

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第1話

 孝作は美食倶楽部の美濃部に呼ばれて、京都は嵐山の一角にある館にいた。孝作と美濃部は互いにこれぞと思われる逸品を振る舞っては興がり、また一方では己こそ真の美食家と、対抗心を燃やしていた。

「前回の筍、あれは孝作君の発案にしてはなかなかの美食であった」美濃部は鷹揚に云った。

「なに、旬のものを使うのは美食の基本である。基本を疎かにしては何事も成しえません」孝作は美濃部の偉ぶった物言いに苛立ちながらも、平静を装って応えた。

 前回の筍というのは、筍の炊き込みご飯のことである。無論ただの炊き込みご飯ではない。筍は朝、それも早朝に大きく伸びる。孝作はこの伸びた新たな部分こそ、最も美味いに違いないと思いついた。

 そこで夜も明けぬ内から美濃部を連れ竹林に来た。ざあざあと竹の音ばかりが聞こえ、いささか不安を感じた美濃部は、孝作に嫌味の一つもくれてやろうかとした、その矢先、足元に確かな感触を感じた。

「これだ! さぁ周囲をぐるりと掘ってくれ給え」孝作は嬉々として、土から顔を出したか出さぬかの筍の周囲を掘り出した。

 美濃部は気色ばんだが、孝作につられて土を掘った。

 ぐるりと一尺ほどの深さの溝が出来上がった、そこに枯れた竹を割り入れかまどを拵えた。生きた竹のかまどである。そして生えかけの筍を探っては格別美味いであろう先端から二寸ばかりを切り取り、土を洗うと歯応えを残す程度に切りそろえた。

 かまどの方は、器状に中を繰り抜き、新米と水、先程の筍、少量の醤油を入れた。火を起こし、竹で作った蓋をすると、後は炊けるのを待つばかりである。 具が筍だけではいかにも物足りないが、そこは同好の美濃部、一連の狙いはすっかり了解していた。ただ少量の醤油を用いたことだけが不可解であった。

(俺なら筍だけで食わせるが…さて)

 やがてふつふつと煮える音がし、盛んに湯気が上がってきた。それとともに香ばしい筍と飯の炊ける匂いが漂ってきた。美濃部は不意に気付いた。(これは竹のかまどであると同時にかまど自体を薫製しているのではないか、確かにそうなると竹の香りが強すぎるかも知れぬ、醤油をかまどの中で焦げさせることで、より上等な一品を狙ってるのかも知れぬ、孝作…やはり侮れないか)


 辺りは白々と明けてきた、茶碗に飯をよそうと、やや強い竹の香りがする。口中に入れると竹の香りの中に焦がし醤油の風味が広がった。咀嚼すると柔らかな身が、しかしなおシャキシャキと歯に心地よい、その身から出てくるエキスは、えぐみの一切ない味がした。嚥下した矢先から唾液が湧いてくる。

 美味い、こんなに美味い筍の炊き込みは食ったことがない。しかもアク抜きもせずに…美濃部は舌を巻いた。

 春が旬の食物はエグみが強い、タラの芽やワラビなど大変結構だが、アク抜きの手間が億劫である。この筍の炊き込みご飯は一種の発明と呼んで差し支えない。


「さて、美濃部さん、今日はあなたの番ですよ」「承知した。だが一つ孝作君に約束をして頂きたい」「なんでしょうか」「君には少々不便な思いをして頂く、私のいう通りしてもらいたいだけだ」「不便…とは」「それを教えると興が削がれるのでね、よろしいかな?」


ー一抹の不安を覚えながらも孝作は了解した


「では味わっていただこう」パンパンと美濃部が手を打つと、着物姿の女が一人部屋に入ってきた。年の頃四十は超えているだろうか、どこか気品を感じる落ち着いた佇まいの女である。女は孝作の背後に回ると「失礼いたします」と囁くように云い、出し抜けに目隠しをしてしまった。


「こちらへ」女が孝作を立たせると、背に手を回し、手を引いて案内を始めた。目隠しをされた孝作は不安を覚えながらも、女の引く手の感触に胸の高まりを感じていた。

 スーッと襖の開く音がした。

「こちらでお待ちください」女は言うと、襖を閉めて行ってしまった。

 孝作は美濃部邸の一室で正座している。(襖の音からして和室なのであろう)音は何も聞こえない、庭の鹿威しも装置を止めているようだ。暗闇の中、音を閉されると時間の感覚は容易に狂う。

 十分たったか、二十分か、じりじりしながら孝作は待っていた。三十分か、あるいは一時間か。さすがに座を立とうと思った矢先、襖の開く音がした。畳と足袋の衣擦れが聞こえた。先程の女かそれとも違う者か、その何者かは孝作の周囲を静々と歩いている。

(これのどこが美食だろうか、美濃部殿は私をからかっているのか)平素は温厚な孝作も、憤りを覚えた。

 その時、何者かが孝作の顔に触れた。冷たい女の手だ。指のしなやかさ、肌のきめ細やかさ、節のか細さ、見えぬが間違いなく女だ。女はそのままそろそろと孝作の顔を撫でた。

(やれやれやっと始まったか。庭で食前酒を振る舞う料亭もある、按摩があってもおかしくはないか)

 孝作が考えている間も、女の手は顔を撫で続ける。やがて指が唇に触れた。不意のことで孝作も吐息を漏らしてしまった。唇への感触はエロチシズムを孕んで”食”とはまた別の感情を催させた。指は唇を撫ぜたかと思うと、遠ざかり、遠ざかったかと思うとまた不意に触れた。そうしてどのくらい時間が経ったであろうか、唇に触れていた指がいきなり唇を割ってツルリと口中に入ってきたのである。

 歯を順番になぜたかと思うと、また唇をまさぐりそしてついには舌にまで入ってきた。舌を愛撫する指は一本また一本と増えていった。

 口中は女の指で一杯である、それが蠢いては舌を弄び、内頬を撫ぜる。孝作は恍惚にあった、その中で気が付いた事があった。冷たかった女の指が、孝作の口内で交わり温度が一定になっている事を。そして、そのようになった女の指の股からなんとも豊潤な出汁が止めどなく染み出している事を。


(美味い、こんな出汁は味わったことがない不死の霊薬ネクタールが存在したらこのような風に違いない)


孝作がうっとりと考えたところで、スッと目隠しを解かれてしまった。果たして指の主はあの着物姿の女であった。


「美濃部様が感想戦をお望みです」女は云った。


 孝作はしばし忘我にあった、そしてはたと手を打った。食欲と性欲の融合ということか…

 今回の感想戦、孝作には分が悪そうである。

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