十二年経っても治らない病
「何をやっているんです」
「……騙されたわ」
騙された。
そんな重たくて軽い言葉。
そして、コーヒーに突っ込まれる砂糖。
「私たちはね、あなたを信用してたの!それこそ婿入りを認めるぐらいには!」
「私がさっきも言われたように一生ストイックな生活を送らせてくれると期待していたんですか。この一年間で五回も里帰りするような人間に対して」
「里帰りは立派な親孝行じゃないの!」
「あなたにとって親孝行とは一秒たりとも気を抜かずに動く事ですか。そんなのに付いて行ける人間はいません。喫茶店にくつろぎに来る人間はいても気合を入れに来るような人間はいません」
「店員さんやバリスタの皆さんを忘れてるんですか!」
「揚げ足取りをするのが教育ですか」
人の事を言えた義理とも思えないが、先ほどからの彼女の言葉、そして今の挙動はとても還暦の大人がする事ではなかった。
「私はずーっと言ってるじゃない、小学生でも学生だって!その本分を忘れてしまってるようじゃダメだって事!だいたい義務教育の九年間に一体いくらぐらいかかるかわかってるの!?あなたも教師ならわかるでしょ!」
「本分以外の事をしてはいけないとおっしゃるんですか」
「だから!」
「だからはもう聞き飽きました。少しでも自分の意に沿わない事があるとすぐさまそうやって抑えつけて来たんですね。しかも自分自身でお手本を見せて。
だから未だに旅行にも行かずにひたすら仕事をして、少しでも怠ける事は許さないと息子に見せつけているんです。おそらく家電も家具も安さ第一、こんな場所でこんな高いコーヒーではなく本当缶コーヒーでも飲みながら、いやそれさえも自分の意を伝えるための道具として惜しいんでしょう」
自分の理論に対する絶対的な自信。それなりに謙虚でなければ出世などできないはずなのに、全く迷いのない盲信ぶり。
本当ならば孫に直接聞かせて引き込んでやろうと思っていたが、とりあえずの配慮をしたかそれとも将を射んとする者はまず馬を射よと思ったか私たちをまず落としにかかった。
そしてそのやり方が不調に終わるとはびた一文思っていないような言い草を繰り返し、こっちがどんなに雑に応じても全くへこたれなかった。
それなのに。
「結局あなたは詐欺師だって事ね!」
キャッチザモンスターを遊ばせていたと言うその一点だけで、急に激高して吠え出す。そりゃ四半世紀にわたり抱いていた信仰を打ち砕かれたのだから無理もないが、それにしてもその一点だけで義理の娘から詐欺師になるとはあまりにも沸点が低すぎて手に負えない。
「風評被害ですよ」
「何よ、結局うちの子を騙してそんな事をさせてたんだから同じじゃない!」
「コンビニの店長さんがキャッチザモンスターの商品を扱わないなど不可能です。どんな気持ちで扱ってたんですか?」
「私たちのために財布を潤すためだけの存在として、それこそただの商材としてあるだけの存在よ!」
その程度に割り切る事が出来れば、どんなに幸せだろうか。
いや、その言葉さえも、上っ面なのだろう。
「最近ではコンビニでもゲームを売るようになりました。買っていく人間もいるんでしょう」
「いるけど!?」
「どう思ってるんです?」
「素晴らしいお客様よ、何千円とお金を落としてくれる」
「そして内心見下してるんでしょう、そんなのにうつつを抜かしてと言うか抜かさせている人間を」
「……」
「お前たちな」
嘘おっしゃいとさえ言わない。
文字通り図星を突かれたのかそれともそうよとばかりに納得しているのか、さもなくばようやくわかってくれたのかと感心しているのか、その答えを引き出すべくこちらが砂糖の四杯ほど入れられたコーヒーを無言で突き出すと、藤木玉枝の夫が口を開いた。
「私はな、これがラストチャンスだと思っていた。
孫である祐介にまともに触れさせないような存在になってしまったお前たち、そしてその事をちっとも恥じようとしないお前たち。そんな薄情なお前たちに育てられては、祐介はきっとその才能を生かしきれないまま生涯を送ってしまう。そんな無駄遣い許されるはずがない」
「日本語に訳すると私たちの言う事を聞け、ですよね」
「もしここでさっきの話についてうんと言うのならば、貯金を含む遺産は全て相続させよう。だが嫌だとか言うのならば、今後何が起きても一切助けない」
「望む所ですが。で、そのお金を抱え込んだまま死ぬ気ですか」
だが、口から出る言葉は一言一句変わらない。
あくまでも上からの物言いをやめず、今までどころか死ぬ間際までこちらを縛ろう縛ろうとしているだけ。
「まさか。もし万が一私たちの申し出を断るようなら、社会のために使うまでだ」
「そうよ!誰よりも傷付き、私たちの助けを待っているね!」
「あなたのは救いの手ではなく足元を掬う手です。お金に罪はないとか言いますけど、あなたの自己顕示欲と対抗意識のために使われるお金は気の毒ですね。現在進行形で人の事を蔑むように手を動かし続ける配偶者を止めようともしないんですから」
「譲!」
「僕だって妻の言う通りだと思います。とにかく早く帰っていいですか、浅野君が迷惑してるだろうし祐介も寂しがっているでしょうし」
全く取り付く島もない私に愛想を尽かしたのか実子に吠え掛かったが、その実子もまたそんな調子でしかない。
私が夫に内心ガッツポーズしていると、もう一枚の紙がテーブルに叩き付けられた。
「これで払っておきなさい!」
「明らかに余りますけど」
「手切れ金よ!」
一枚の一万円札。コーヒー四杯分の値段としては明らかに高いとは言え、乱雑に置かれていいようなものではない。
「あんたらはその甘ったるいコーヒーでも飲んでなさい!」
「もう泣きついて来ても知らんからな!」
「没落を楽しみに待つわ!」
そして安っぽい捨て台詞を吐いて、両肩を怒らせながら六十にして耳順う事のない男女は店を出て行った。
後に残ったのは一万円札と、砂糖を四杯も入れられたぬるいコーヒー二杯、そして疲れ果てた私たちだけだった。
「本当に申し訳ありません…」
「お客様…」
「これ勝手に砂糖入れられちゃって」
「私たちで処理しておきます」
私たちは、それほど真摯な人間でもない。
すぐにウェイターさんを呼び、その手切れ金とやらから四人分のコーヒー代を払い、砂糖水と化したコーヒーは飲まずに席を立った。店の方にはご迷惑をおかけしたが、そんな八つ当たりの産物のような飲み物を口にする理由がどこにあるのか。
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