青春のない夫

 藤木譲と言う人間には、青春はなかった。



 高等専門学校時代のロボコンを青春だと言うのならばそうかもしれないが、そこに藤木譲の存在はなかった。

 確かに仲間と共に活動はしていたようだが、心底からの仲間にはなれなかった。あくまでも会社勤め一歩手前の、ビジネスライクな関係だった。



「結婚式をやった時聞きましたよ。夫の仲間に夫と親しい間柄の存在はいなかったと」

「ずいぶんとみんな冷たいのね」

「夫が話せるのは機械と勉強の事、あと私の事だけでした。家族も、趣味も、中学以前の友達の事も。

 そりゃそうでしょうね、そんな物なんかないんですから。あの時いたのは、夫を産んだだけの人間とお金を持って来ただけの人間です」


 もし少しでも仲良くすれば、自分が抱え込んでいる秘密がばれるかもしれない。そこから親に伝わればどうなるか、それこそ必死にこらえて生きて来たのが藤木譲と言う人間だった。本当なら結婚式の時に全てぶちまけるべきだったかもしれないが、それでも必死に私の手綱を握ったのが夫と言う人間であり、私が支えんと欲した存在だった。

 平田家に婿入りして半ば絶縁状態となる以上と言うのもあったが、それでも夫の藤木家の人間としての最後の希望を無下にしたくはなかった。あとで私から個別に家庭の事情を話した上で夫が婿入りする旨を伝えたが、あまり色よい返事は返って来ていない。


「だいたい、なぜ大事に育てて来たはずの一人息子を婿に下さいと言ったのにあっさり飲み込んだんです?冗談だろとか馬鹿も休み休み言えとかもっと反応があったと思うんですけど」

「うちの子がぐうたらである事はあなたが一番よく知っているでしょう、それの面倒を見てくれるのならば構わないって」

「わかってましたけどね」


 期待していないと言うか、信用していない。


 確かに成績面については彼女の言う通りかなり悪かったが、性格面については少なくとも私がどうにかできる程度には優秀だった。少なくとも人並みのそれであり、今こうして真っ当な生活を送れる程度にはなれている。


「不出来な子には青春を送る資格はないと?」

「だから、私はね、」

「夫が今のびのびと仕事をしているのは、今が青春時代だからです。私と結婚してようやく少年時代が終わったとさえ思っています。そんな人間に育っていいんですか、ああいいんですよね、あなた方にとっては」

「私はどうしてもね」

「不出来な子どもの方がいいんですね。永遠に自分が勝っていると思えるような」

「もうさっきから言ってるでしょ、この子は本当にちょっと目を離すとすぐに怠けるんだから」

「その結果、今の夫は怠ける事を怠けてますけどね」


 掃除洗濯料理、暇さえあればそればかりやる。仕事ばかりで疲れた体を癒す事もせず、骨身を削って働いている。

 しかもそれこそ粗衣粗食ばかりで、大ヒット商品を出したのにもかかわらず会社が給料を上げてくれてないんじゃないかといぶかしまれるかもしれない。いやその前に、夫自体が倒れてしまう。


「不断の努力を続けるなど、それこそ天才です。天才の真似を凡人にさせてもほとんどの凡人は付いて行けず自滅します。あなた方が天才だからと言って息子に強要しないで下さい」

「庶民に向かって天才とは何よ」

「あなた方は努力の天才です。自分がやっている事を苦労だと思わず、やるべきだと感じた事をできるのは努力ではなく才能です。そんな才能を持っている人間ばかりいる訳ではありません。あなたにとっては何分休憩したらサボタージュになるんですか?」

「私は親よ、親より子どもの事をよくわかってる存在はいないの」

「親と言う言葉は絶対に場を支配できる切り札ではありません。まあトランプすらやりそうにない人にはわからない例えでしょうけど!」

「それぐらいやったわよ、神経衰弱とか」


 ようやく言葉を荒げてやるが、一向に応える様子がない。二人は残りわずかとなったコーヒーを平然と飲みながら、人のいい老人の顔をしている。

 神経衰弱だって?それこそ記憶力なしでは勝負にならない「遊び」じゃないか。他にトランプゲームをババ抜きすら知らなかった夫はそっちの方向でも仲間が出来ず、中学高専内でも友人が作れなかった。私の親から教えられなかったのは不覚だったが、そのおかげでこんな人間もいるんだと勉強にはなった。


「もしあなたの願いが、あなたが憎んでいるような存在をめった刺しにするような人間に育つ事だとしたら本当に素晴らしい教育だと思います」

「だから、極論を振りかざすとろくな事にならないわよ」

「あなたはずっと考えてるんですよね、みんなどうしてすぐ楽をしようとするのかしら……と。その間に自分はどんどん先行してやる、上に行ってやると」

「その事の何が悪いの」

「そんな存在を頂点に置いていたら誰も付いて行けなくなります。藤木康介が社長になれないのはそれです、と言うか玉枝さん、あなたも最近やめちゃうバイトさんが多いんじゃないですか?」

「どうしてそう思うの」

「あなたと楽しく仕事ができるのは天才か変態だからです」



 まったく悪気のないブラック上司。


 自分はこんなにできると仕事ぶりをまったく不作為にアピールし、新人はおろか中堅勢にさえ力を見せつける。でもそれはまだそれ相応の技量を持たない存在に対してプレッシャーをかける行いであり、どんなに寛容を気取った所で仕事のハードルを上げてしまう。その際に一応いろいろ教えてはいるのだろうが、我が子にさえ欲深いとか言えてしまうような人間が他人に対してどういう教え方をしているかなど手に取るようにわかる。

 真面目にやれ、やる気があるの、あなたのために、お客様がいるの。そんな逆らえば悪者扱いされそうな単語を平然と並べ、やればできるじゃないのと言わんばかりにハイレベルなお手本を見せつける。ほらやりなさいと言ってやらせ、できた所でよろしいとさえも言わない。いや口で言ったとしても勝手に自分で「理想の」成果を残せるように直してしまう。

 これでは部下のプライドはズタズタだ。


「数字だけならばあなたは立派な存在なんでしょう。ですがあなたに今付いて行けているのは長居する気のない存在か、お金稼ぎと割り切っているだけの存在か、そもなくばさっきも言ったようにあなたと同じ天才か、あるいは自分が積み上げて来た物を崩されるやり方を良しとする変態かのどれかです」

「結局お客様は神様って事でしょ」

「そんな重苦しい殉教者様では神様だって跳ね除けます。自分の信仰に殉じるのは勝手ですが他宗派を排除するやり方は日本の、と言うか先進国のそれではありません。

 まさかと思いますが、従業員にもお酒やタバコではなく、ゲームも二十歳以下厳禁とか言ってるんじゃないでしょうね」

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