社畜と言う名の上流階級
「譲さんはニートになり損ねた男だって」
—————ニートのなり損ない。
夫の本質は、この一言で表せる気がした。
友だちも少ない、浅野さんと言う部下がいなければ社内でのコミュニケーションすら怪しい、仕事もそれこそPCとにらめっこ。たまに溶接工の真似事もするけど、それだって基本的に一人っきりの仕事。
そんな人間が作ったのがメタルミューと言う名の癒しを担当するロボペットだと言うのだから全く驚きの話であり、それこそそんな事ができる場所に配属してくれた会社には頭が上がらない。
「メタルミューはお買い上げいただけましたか?」
「息子が私たちに触れてくれないからな、その代わりに」
「機械とは思えない温かさを追求し、愛情を籠めれば籠めるだけ答えてくれるようになっています。機械はお嫌いじゃないんですか」
「だからどうしてそうなっちゃうの?」
「皆まで言う価値がないと思ったからです。とにかくあの時のお二人、とくに藤木玉枝さんは異常でした。その異常さに多くの人間は付いて行けなかったと思います」
人間なんてみんなどこか異常だと言ったのは浅野さんだけど、その異常がどの程度問題とされるかは時代により違ってくる。
第二次世界大戦の最中鬼畜米英とか言っていた人間たちが敗戦するやギブミーチョコレートである。人間はそんな物だ。
浅野さんにはナポレオンコピペとか言う物も教えてもらった。
曰く、最初は「怪物」だったのが虎と言う「知っている生き物」になり、やがて簒奪者と言う「人間」になり、ボナパルトと言う中立的な「氏名」になり、最後には「皇帝陛下」になる。
「何が異常で何が正常かなど時代によって変わります。少なくともあなたは正常ではなかったと言う事です」
「じゃ今は私たちが正常って事なのね」
「いいえ、今でも異常です」
だがその中でも、この二人は異常なままだった。
妻はともかく夫はまだしもと思っていたが、この場で見る限りは似たもの夫婦を通り越したほとんど同一人物であり、同じベクトルを向いた異常者が二人いるだけだった。
「夫はメタルミューのアイディアをどこから思い付いたと思います?」
「知らないわよ」
「譲さん」
「わからないけど、こんなのがあったらいいなって思ったから」
「はっきり言います。あなたらですよ、あなたら二人が生み出したんです」
そんな異常者に囲まれていた夫がメタルミューを生み出したのは、ある意味必然だった。
徹底的に機械のオモチャを遠ざけて来た母親と、それに何のリアクションも起こさなかった父親。
山村留学とか言う言葉が市民権を得る程度には文明に囲まれた国、ニッポン。
そこで機械に触れないのは絶対不可能であり、そんなのは子どもが触れるオモチャだってまたしかりのはずだ。
運動神経のない中学生が漫画も読まずゲームもやらずに他者とコミュニケーションを取るのは、はなはだ難しい。
「どうして夫が漫画を読まなくなったと思います?」
「ちゃんと飽きるまで何べんも何べんも読みなさいって言い聞かせてただけだけど」
「完全にそれです」
と言うか、紙と言うアナログな媒体であるはずの漫画さえも案の定遠ざけられていた。
そのせいで私の部屋に来て女の子向けの、と言うか子ども向けの漫画を見た時に「えっと」「何これ」を繰り返し私を困惑させた。
そちらを教えなかったのは買っているところを見つかる危険性がゲームよりずっと高かったせいであり、そのせいで夫はそちらの知識の全くない人間になった。
って言うか何が大事に買ったんだから飽きるまで何べんも何べんも読みなさいだ、誰がそんな読書感想文のための本のような押しつけがましい口上で与えられた物を楽しんで読めるのか。
それこそまったく重苦しい話であり、漫画にトラウマを植え付けるようなものだ。
「はぁ……」
「はぁ……」
私は盛大にため息を吐いた。
もしそれが狙いだとか言うならば、狡猾で、悪辣で、しかも尊大だ。まったく…と思っていると、向こうもため息を吐き返した。
「あのね、政美ちゃん。私は決して譲が嫌いだったわけじゃないの。知ってるでしょ、譲が三年生の時まで0点ばっかり取ってる子だったの。だからどうしても勉強して欲しかったの」
「私が必死に勉強を教えて点数も上がったのにですか?」
「でもそれはあくまでも一時的なそれかと思って、自分でやる習慣が付かない内はと思って」
「そうやってる間にあきらめてくれた時はしめたと思ったんでしょう、ですからそこからまた働けるようになったと、そして生き生きと労働を楽しみ、息子の事なんか忘れて」
「よっと」
狡猾で悪辣な女の伴侶は、ちっとも減っていない私たちのコーヒーを無視して一枚の会社のパンフレットをテーブルに投げ付けた。
まさか十歳の祐介に就職問題とかバカバカしいと思っていると、そのパンフレットに貼られている付せんに百均のマジックで書かれた文字がやけに自己主張している。
「再就職プラン……」
「父さんはな、定年退職したら嘱託社員になってこの会社で働く気でいる。七十とは言わず、七十五、いや死ぬまでやる気だ」
「そういう事よ。自分は老後をのびのびと過ごせるためのお金を手に入れられ、社会にも貢献できる。一石二鳥よ」
常務夫人とは思えないような庶民庶民している服装と、やはり常務夫人と言う肩書と全く嚙み合わない物言い。
「それって他に働ける人間がいるのに場所を奪うってことですよね」
「あらやだもう、ニュース見てないの?人手不足人手不足ってうるさいじゃないの」「六十五歳まで会社勤めしてきた人が他の職種で使い物になります?」
「ならないと思うならば言わない、なる会社を選んだからだ」
「常務権限で選ばせたんでしょ、天下りですよね」
「違うでしょ、お父さんは役人じゃないの。譲、日本語の使い方覚えなきゃダメでしょ、全く本当に出来が悪いんだから」
夫が二人の話に割り込むも、ちっとも気分を害する様子がない。それどころか夫の言葉尻を捉えてはしゃぐ。
自分がどれだけ嫌味ったらしい行いをしているのか、自覚がないのだろうか。
「お役人かどうかはともかく、上流階級である事は間違いないんです。いつまでも庶民気取りするのやめてくれます?」
「私も夫も企業のため、家族のために身を粉にして働く貧しい中流家庭よ。どこが上流階級だって言うの」
「いいえ二人とも上流階級です、藤木譲と言う存在を踏み付けにしてのし上がった、社畜と言う名の上流階級です」
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