技術屋の烙印
「このプログラムはもう少し…ああセンサーの小型化はできますか、とか、そういう事を言う課長はマジでカッコいいですよ」
仕事の話をしている夫は美しい。浅野さんは毎度そう言う。それこそ新たな部品のアイディアを組んだりメタルミューにペットとしての癒し効果と同時に非常時の通報機能やAIを搭載したりするなどその才覚は本物で、それこそどんどんヒットメーカーになりそうな気がすると。
ある日浅野さんの家に招待された私は、夫と祐介が浅野さんの奥さんと仲良くゲームをしている最中に夫の話を聞かされた。飲み会と言う名の仕事と言うのはどうしても引っかかるフレーズだが、実際潤滑油としては必要なのだろう。
最近ではそんな物などない会社も多いようだが、夫の会社ではまだ残っているらしい。さすがに任意参加だそうだが、夫は仕事の一環だしと言う名目で比較的出席率が良いと言う。もちろん家庭の事情をないがしろにしない夫なので私のゴーサインありきだが、私自身が最近ほとんどストップのサインを出さないので少し増えている気もする。
「でもあの人ね、話がつまんないんですよ。たまに飲み会と言う名の仕事があっても、するのは家族か仕事の話だけ。そりゃ立派ですけど、もう少し砕けた話をしたいんですよね。同世代とまでは行かないにせよ思い出話とか」
「家族の自慢話なんてつまんないですよね」
「まあ……それに平田課長って居酒屋でさえも料理のバランスとか第一でお酒飲まないし、一刻も早くお家に帰りたがるのはいいとしてもこっちが何を振っても乗ってくれなくて。昔流行りの歌とか本当にご存じないらしくて、一度ネタを振ると三度はなんでなんでって返って来るんです」
だがその居酒屋で盛り上がるような話をした所で、置き去りが出ては空気は良くならない。ましてや夫は課長と言う名の役職持ちだから、どうしても気を使わない訳にはいかない。夫の存在は、話を狭くしてしまうマイナス要素だった。
「私も目一杯教えて来たんだけどね」
「ああやっぱりそうですか、そう思ってましたけど」
浅野さんはもう、夫の実父母の事を知っているのだろう。キャッチザモンスターだけではなく、ありとあらゆる流行物を流行物は廃り物として排除しまくった人。
キャッチザモンスターだけでなく、最新流行の音楽さえも与えまいとしていた二人のせいで、夫は中学時代もずっとぼっちだった。悪いこと付き合うぐらいならばぼっちの方がましだとか言う訳でもないだろうが、一応私が供給していたのでギリギリ付いて行けてはいた。だが私が教育して決して自ら話を振らないようにしていたので、はたから見ていると流行について行「か」ない優等生に見えていただろう。もちろん小学校時代の事を知っている人間から見れば笑えるし笑えないが。
職人気質と言うより職人しかできない人間を前に出せば、要らぬトラブルを招くのは目に見えている。そんな人間を技術者として社内に押し込めた人事担当者には敬意を表さずにいられない。そしてその上に夫のアイディアをうまくプレゼンテーションできる浅野さんと、本当に夫は人に恵まれている。でも一生の運勢の量は皆同じだとか祖母のお葬式に行った際に聞いたけど、だとしたら素直に喜べないかもしれない。
「漫画すらまともに読まない人にオモチャが作れるのかって陰口叩く人もいますけどね、本当に全然読んでなかったんですか」
「そんな事はないけど、小学三年生ぐらいまではね。四年生になってからはかなり減っちゃって、と言うか」
「急に目覚めちゃったんでしょうね。何らかのきっかけで。そしてたぶん平田さんを置き去りにしちゃってね」
そんな親が寄越した最大のオモチャは、ルービックキューブだった。
夫が生まれるちょっと前ぐらいにブームになり、藤木家にはなかった代物。そんな物を夫に買い与えたのは、言うまでもなく藤木玉枝だった。もちろん今の家にはない。色こそきれいだけど完成しない限りは乱雑で、一人遊びの道具にしかならない代物。最近では動画サイトとかで超高速で完成させるのが流行っているようだがそれこそある種の芸であり、そんな事が出来ないような凡人からしてみれば遠い世界の代物だった。衝動買いして置物に成り下がらせた人間が山と居た事など想像に難くなく、それこそ無駄遣いだと言えた。
だいたいがだ、何が悲しくてよその子がキャッチザモンスターにはしゃぎまくっている中そんな物を回さなくてはいけないのか。おそらくすぐに飽きてしまった息子に親は勝手に失望し、なおさらごね出した。完成させなければ買ってやらないとか脅したのかもしれないし、半崎家や萩野家を指してよそ様の子どもはちゃんとできたのにとか言い出したのかもしれない。いずれにしても夫にとってはどうでもいい代物であり、ある種の負の遺産だった。
「康子も言ってましたよ、平田さんは立派だけど平田さんの親はやだって。康子だって人並みにあれこれ遊びましたからね、僕が説明した以上に話と言うかネタが通じなくて参ってるんで。ああ康子、僕が手伝おうか」
「いいんですよ、祐介が教えてくれているから」
話が通じないと言うのはコミュニケーションを取るに当たっては致命傷だ。そんな人間を育ててしまったのは私の責任であり、これから背負わねばならない運命だ。私は夫に勉強を教え会話に置いて行かれない程度のネタを提供したが、会話のやり方については教えていなかった。私は浅野さんのように特段その手の才能がある訳ではないし、キャッチザモンスターを求めていた夫は自分の目的を達成しようと必死になっていた。その時の先生にはずいぶんと失礼な話だが、話をよく聞き目的のために突き進ませる適性は私の方があったと思う。
だが、残念ながら私一人ではそれが精いっぱいだった。夫に欠けた部分を補うには、また別の人間が必要だった。それが浅野さんであり、祐介だった。
「ちょっと!そのワザはダメですよ!」
「え?普通に強そうだけど」
「パパ、そんなわかりやすい攻撃ばかりじゃ読まれちゃうよ。まず最初に力をたくわえるためにもこのワザは忘れちゃダメなの。って言うかそれ本当に使えないよ、知ってるの?ねえ康子さん」
「そうですよ、昔はストーリー上仕方なく覚えてましたけど今はもう要らないんですよ」
二十幾年物の「常識」を知らないで苦笑いされる夫は、微笑ましいと同時に痛々しい。これがもし理想像だと言うのならば、理想と言う言葉など無意味と言うか無価値だ。
「最近の若者は論語も読まずに夏目漱石の本ばかり読んでいる」
「は?」
「百年前のお話ですよ。まあ、世の中そんなもんです」
小学中学時代、教科書で夏目漱石の小説を読んだ。読書感想文の対象にもなっていた。それこそ、大人が求めている作品だった。
だが当時の先人たち、今でいう親や教師から見れば今の大作家先生でさえもそんな扱いだった。
おそらくそこに憎しみはなく、あくまでも真心、悪く言ったとしても懐古趣味。どれだけの責任があるのかわかりはしないお話。それもまた、現実だった。
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