第9話   生きてるだけで丸儲け

 天延てんえん元年(九七三年)の初夏の夜、京都にあった満仲様の邸が、野盗らに包囲され放火される事件があった。

 これで、満仲様の邸が襲われたのは二度目なのだが、それ以上にショックだったことは、邸から上がった炎がどんどん広がり、周辺の多くの家々までが巻き添えを食って燃えたことだ。

 そして、その中に小萩の住んでいた邸もあったのである。


 もう、随分と昔のことなので、おぼろげにしか覚えていないのだが、眠っていた小萩が気付いた時には、邸は既に炎に取り囲まれており、すぐにでも逃げなければならない状況になっていた。

 だが、幸いにもした乳母が一緒にいたので、小萩は、他の子供達と共に外に連れ出されたのである。

 そこまでは覚えている。……だが、その後のことが断片的にしか思い出せないのだ。

 どうにか無事に、通りにまで出て来たのは良かったが、すぐそばにまで火が迫っているせいで、夜だというのに辺りが薄明るく見えて不思議だった。

 そして、そんな中を沢山の人達が逃げ惑う姿が見えたのである。

 火事の炎が近づいているのに、わざわざ牛車に乗って逃げようとする人もいれば、

『どこから持ち出したのか? 』

……と思うほど、沢山の物を荷車で運び出そうとしている輩まで、とにかく、目の前に慌てふためく人々の姿が映った。

 すると、その中に一際ひときわ目立つガッシリとした体格の男性がいる。

 その男は、逃げ惑う人々に声を掛けながら、より安全な方向に行くように差配していた。

 暫くの間、小萩は惚けたように、その凜々しい姿に見入っていたが、ふと気づけば、周りには誰一人として見知った者がいない。いつの間にか、乳母や他の子らとはぐれてしまったようだ。

 そこで突然、正気に戻った途端、あまりのに小萩は大声で泣き出してしまった。


「これ! ……そなた、泣いておるのか? 」

 男は、幼な子の存在に気付くと、寄って来て頭を撫でてくれたが、恐ろしさに飲み込まれている小萩に声は届かない。


「やれやれ、はぐれたのか? ……心配するな、この世で起こることなど、大概、何とかなるものじゃ! 」

 そう言うと、ニコリと笑い、小萩と手を繋ないでくれた。


 その掌の大きさや温もりを、小萩は今も忘れられないのだ。

 ……何か、とてつもなく大きな物に触れた瞬間だった気がする。

 そして、その後、暫くの間、小萩は頼光邸に保護されることになった。

 

「我が家に来たら、来たで、粗野でむさ苦しい武人おじさんばかりで怖かったでしょう? 」

 自嘲気味に桔梗が言った。

うちは一応、……"武門の一族"ということになっているから、何だか強面こわもての連中が出入りしているもの 」

 などと、笑いながら話してはいるが、どこか気まずそうである。

「だから、どうしても他所よそで余計な軋轢あつれきを生んで、め事になるのですよ! 」

「うふふ、……そうね、初めの頃は、私も確かに恐ろしかったかもしれないわ。例えば、強面のおじさん達が集まって、何かコソコソ話しているから、

でもする相談をしているのでは? 』

 と思ったこともあったわ! 」

「それは、子供なりに警戒していたのでしょうね」

「……けど、よく見たら、集まって"干し柿"をあぶって食べているだけで、面白いけどガッカリしたわ! 」

「それは我が家では、冬の風景ですね」

 二人は、衣の袖で口元を隠すこともなく、楽しそうに声をたてて笑った。

 ここは都と違って、誰の目も憚る必要がないからだ。


『本当に、多田に来ると"自由"を感じる! 』

 桔梗はそう思ったのである。



「ところで、叔母上様は、もう都には戻られないのですか? 」

 桔梗は、随分と直接的ダイレクトに聞いてしまった。

「……御爺様の喪もそろそろ明けますし、このまま多田にいらっしゃるのも」

 この問いに対しては、先程まで楽しげに笑っていた小萩の表情が曇る。

「叔母上様は、まだのに、このようなひなに埋もれてしまうのは、もったいないじゃありませんか」

田舎ひななどと申されますが、ここは都などより、余程、安心ですし、好きに暮らせますぞ! 」

 それは間違いない。特に、昨今の都の荒れ様が酷いのは事実だ。

「しかし、……叔母上様のように優れた方なら、止事無い方々の家でも、お仕えできますでしょうし、……運が良ければ、もできるのではないでしょうか? 」

「……」

 思わず、小萩は沈黙する。


「……などと、が申しておりましたぞ! 」

 あまりに小萩の反応が悪いので、桔梗は父・頼光の名前を持ち出してしまった。

 この一言は、小萩の心を動かすに違いない。そう踏んでいたからだ。

 実は、頼光の名前を出されると、小萩は弱いのである。

 なぜなら、小萩を火事場から連れ出してくれた男は、まさに頼光だったからだ。



 天延の火事の頃には、頼光は、まだ大した官職には就けていなかったのではなかろうか。

 すくなくとも、記録には残ってないからだ。

 ただ、父親である満仲様が、国司の仕事を何度か経験しているので、おそらく他の兄弟達と共に、その仕事を手伝っていたのではなかろうか。

 それでも、朝廷の中で、何らかの政争があって荒事が起こった場合には、源満仲一門は必ず召集される立場だった。


 例えば、京の都で 

『"平将門の息子"が上洛してきて、戦を仕掛けようとしている! 』 

 という噂が流れた時などは、父と一緒に一斉捜査に出張でばったのではないかと思われる。

 また、花山天皇が出家する時には、護衛を兼ねて天皇がように移送する役割を果すなど、いろいろなところでコッソリと活躍していたのではなかろうか。


 そんな理由からか、頼光は自然との扱いにも慣れ、彼自身も立派な武人に育っていたのである。




 

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