2 白鷲

 アンリ・クレーター基地。月における再生委員会支配下の軍事基地。

 艦艇の整備区画や、生産工場のラインなど地球圏に対する橋頭堡として軍備の整った大規模基地となっている。

 リースたちが本来ならば辿り着く基地に、今回はオルトスを3機伴い到着する。それらには救援信号を受信して来援した戦闘機の護衛も随伴していた。

 ファルコン戦闘機。月面宇宙軍に配備されている一般的な宇宙戦闘機である。本来ダークブルーの戦闘機だが、随伴機の1機だけは白かった。

 月面方面軍の【白鷲】、ウィナード・ワイズマンの機である。

『ようこそアンリ・クレーターへ。鳴り物入りだが、歓迎はするよ。』

 と、隊長であるウィナードは言って、まずは着陸を輸送船クレマルに譲り、随伴から離脱する。

『オルトス諸君は別口だ。こちらの誘導に従え。』

 と、オルトスに乗るリースたちを先導する。誘導が事務的だが、彼らとて警戒しているということだろう。

 誘導に従い、下ろされた区画は月面地上にある格納庫ではなく、地下区画であった。研究資料としてバラバラにされたゲイルがあるような、急造のオルトス格納庫だったのだ。

 リースたちのコロニー脱出劇から10時間以上経っている。通常のパイロットなら体力も気力も限界が近いが、アサルトから降りたリースはとくに変わらない。マーガムから降りてきたロークは脚を揉んでいるし、ラルヴァは大きく伸びをしながら欠伸をする。

 月面の低重力で地面に降り立つと、武装し、ヘルメットを着けた警備隊が格納庫にやってきて3人をそれぞれ囲む。

 銃はさすがに突きつけられていないが、スパイや工作員を疑われていると見ていい。リースの帯刀だけでなく、ラルヴァやロークもコロニーで銃を奪っている。状況証拠として、あまり言い訳ができない状態だ。

「いやいや、フォボスのIDあるから」

 強めの警戒色に、ラルヴァはジャケットの内ポケットからパッキングされたIDカードの中の1枚を提示する。

 提示されたIDカードを簡易タブレットで読み取り、認証し始める初老の警備兵の1人。無言の静けさの中、タブレットの処理音だけがかすかに響く。

「失礼しました、ラルヴァ・シーゼン少尉。総員、警戒解除!」

 認証を行っていた兵士が提示されたカードを丁重に返し、敬礼をしつつ、隊員たちに指示を行う。彼が部隊責任者のようだ。

「ローウェン・ペルシャ司令よりお連れするよう命じられております!」

 堅苦しい声と態度から出された名前から、ラルヴァは目を丸くした。



 警備隊に先導され、いくつかの通路、2、3のフロアを跨いで、広めのオフィスに通される。

「では、失礼しました!」

 初老の警備兵は教科書通りのテンポと敬礼とで発声し、退室をする。

 応接ソファには先客が1名いる。ラルヴァよりも綺麗な金髪を後ろで束ね、制服の詰襟を開いて、両袖をまくった20代後半ぐらいの男だ。

 そして、ティーカップが置かれ、備え付けPCがある奥のでかいデスクにもう1人男がいる。

「掛けてくれ」

 奥の男はソファーを手で差し、座るよう促す。室内だが、彼の後ろには宇宙がある。いくつか閃光も見える。戦闘光ではない。眩しく光るわけではない。

 それらはオルトスのコクピット内からでも見られた、CG処理の望遠映像であった。

 掛けろと言われたが、座ったのはラルヴァとロークだけ。リースは腕組して立ってたままだ。

「気にしないでお話をどうぞ」

 ラルヴァは話す。リースが座らないのは、座ると刀が抜きにくくなるからである。武装解除させないのだから、問題ない話をするとまでは察せると思うのだが、リースとしては拘りたいらしい。

「まずは、月へようこそ。私はローウェン・ペルシャ。ここアンリベースの司令をしている。」

 そう言って自己紹介したデスクの男。茶髪でくせっ毛をした若い男だ。もう1人の男に対して制服の着こなしはきっちりしていて、胸の階級章には佐官を示すマークと三本線が付いている。若さには今更突っ込まない。火星軍で年配軍人は、それなりの後ろ盾を持つ人間で、地球圏には少ない。それは同時に、その若さで基地司令に就ける有能である証明でもある。

「君たちが新型オルトスを奪取、コロニーから脱出をしてくれたことに、心からの感謝を。士官候補生の乗るシャトルを捕獲したという声明は向こうから届いていたからな。」

 ローウェンから、割と危なかったという情報が明かされる。身代金や何らかの譲歩を迫るようなテロリストの犯行ではなかったのだ。

「向こう、とは?」

 リースが恐れずに口を開いた。司令はそれに気にした様子はなく、後ろの映像を切り替える。鳥と獅子の顔が入った団体マークで、プライムと書かれている。

「君たちが脱出してきたプライムコロニーを発祥とする、反火星政府団体。地球圏でのコロニー独立を掲げるだけでなく、地球再生委員会の排除を標榜する反体制組織、プライム。」

(鷲と獅子。グリフォンか。)

 リースは自分が奪い、乗ったオルトスを思い出す。グリフォンタイプ、アサルト。あれはまさにプライムのフラッグシップだったのである。

「俺のトレードマークと被ってて、ちょっと気分悪ィな」

 未だに自己紹介していない男のほうが軽口を叩く。彼の制服の階級章は尉官マークと三本線。司令とはかなり離れた階級であるが、口の利き方の距離が近い。

 ただリースは、この声に聞き覚えがあった。

「状況証拠から推察するに、君たちを生かす気はあまりなかったと思う。だからこそ、今回の協力と機転には感謝したい。」

 そう言って司令は立ち上がり、ラルヴァたちに頭を下げた。平身低頭な態度に、ラルヴァやロークとて驚愕するが、リースは冷静だ。

(ならば、あの男は何だ?)

 船長を殺害し、キョウカへの暴行を許さなかったリーダーの男を思い出す。リースはプライムの誘拐目的と男の態度が噛み合わず、表情を変えずに疑問を感じる。

「その上で、勝手な事と重々承知はしているのだが、オルトスに乗り続けて欲しい」

 頭を上げたローウェンはそのように言う。その言葉の意味することをいったんは考える3人であったが、司令は言葉を続ける。

「我々月方面軍のオルトス配備は今しばらくかかる。火星でもつい最近から訓練が始まったところだ。今後の対オルトス戦を前にして、我々は何もかもが足りない状況なんだ。だから、初めて乗って戦い、戦果を挙げた君たちを頼りにしたい。」

 話の意味するところは、結局戦力窮乏が理由であった。月の総司令部なのだから、それなりの戦力はあるだろう。それを差し引いても、彼らはオルトスに脅威を感じているのだ。

「また今後の配属先は彼、ウィナード・ワイズマン大尉の小隊になる」

「おっすおっす」

 紹介を受けて、向かい側の席の男がふざけた敬礼をして、へらへらと挨拶をする。

 リースは、やはり、と思う。救援としてやってきて、クレマルを先導し、歓迎した白い戦闘機のパイロット。以前の戦争のエースパイロットだ。

「白鷲!?」

 ロークは即座に食いつく。彼はそこまでミーハーではないが、思う所はあるのだろう。

「光栄だね」

 ラルヴァとて姿勢を正すだけの態度は取った。

「問題なかろうよ、ローウェン。続けてくれ。」

 かなりの階級差があるだろうに、司令に対して気安い態度。エースパイロットというだけ以外の理由があるのだろう。

「あ、前の戦争の部下でね。士官コースだから階級抜かされちゃってさ。」

 リースが推理していたら、察してか天然か、向こうからネタばらししてきた。

「懸案事項はこれだ」

 ウィナードのタメ口に、司令はため息をつきながら月周辺の宙域図を出す。

「現在、ラグランジュ3方面からのコロニー宇宙軍艦艇が集結しつつある」

 宙域図に概略図が加えられる。アンリ基地はコロニー軍側からすると正面に位置する。包囲を形成するなら時間はかかるだろう。

「どれだけの数が集結するかは掴めてはいないが、相手方が3分の1集結するだけでも、我が方は危ない。籠城はできるが、救援なき戦いになる。」

 アンリ基地の艦艇戦力数とコロニー側の予測艦艇数が書き込まれる。月でかき集められる艦艇数は20に対して、コロニー側は2倍以上の計算。

「向こうは正式な宣戦布告を通達をしていないが、動きを見ても開戦は明らかだ。もっとも、開戦の号令は君たちの死をもって、だったのではないかと推測するところだ。」

 ローウェンの残酷な予測に納得する。推測だが、筋は通るというところだろうか。

「アレスポイントと火星には救援要請はしてある。救援の到着は約60時間を見ている。それまでここでの戦力ですべきことをしなくてはいけない。」

「ってわけだ。大忙しだぞ。」

 大きく鼻で息をして、ウィナードは偉そうにする。それで怖気づく3人ではない。

「具体的には?」

 むしろ質問する。リースは上官を見下ろすことに躊躇せず、口を開いた。

「まぁ、かいつまむともぐらたたきだな。今の火星の若いもんに通じるか知らんけど。」

 と、彼は手で何かを振るような動作をする。リースはバカにするなとは思うが、ラルヴァとロークはそれについて何も分からないようだった。



 リースたちは元の格納庫に戻ってくる。今度は制服のままではなく、3人とも宇宙服着用である。リースはそのままでよかったが、オルトス搭乗時のパイロットバイタルデータ収集も必要らしく、着せられることになってしまった。

 リースにとっては多少違和感がある。感度の差は、自己修正で合わせるしかないと思うことにした。

 これからが正式な出撃、軍人としての始まり。任官は、ラルヴァとロークが少尉、リースだけが曹長となっている。とはいえ、彼らにとっては形だけのものだ。

 オルトスに乗り続けることを良しとしたのも、それぞれ軍務に従うことを正しいことだと思っていたまでである。

「む」

 戻ってきた格納庫には3機の真っ黒なオルトスが待っていた。そう、アサルトも黒のカラーに塗り替えられていた。そしてそれぞれの左肩には白い盾と黒い剣のマークが加えられていた。

「なーんか特殊部隊みたいでかっこいいねぇ!」

 ラルヴァは歓声を上げる。

「まぁ、同感だな」

 ラルヴァをあまり調子に乗らせたくはないが、リースも正直に意見を同じくする。アサルトの白いボディはあまり好みでなかった。色を統一させたかったのか、分かりやすくしたかったのか、どちらにせよ黒いボディカラーの方が、今はある。

「んじゃまあ、行きますか!」

 ラルヴァを始めとして、3人は再びオルトスに乗り込む。

 アンリ基地がもう直接攻撃を受けているわけではない。月や上空宙域に配備されている警戒管制を通しての戦闘待機アナウンスが基地中に警報を鳴らしているのである。事の経緯を耳に入れたラルヴァたちも出撃である。

『途中まで連れてってやる。掴まりな、小僧ども。』

 ラルヴァたちと同じように出撃する工作艇から通信を開いてくる。別に無視する理由もない。どちらかといえばオルトス輸送用にできていないから、迷惑をかけるかもしれないというところだ。

警戒管制機AWACSとのデータリンクを確かめておきな。大尉を見失うなよ?』

 月には地面があるが、空は宇宙だ。プライムコロニーの時とは違う感覚が求められる。それに工作艇が世話を焼いて来たのは、やはりウィナード絡みだった。

『グッドラック』

 別れ際にはそんな風に言って、軽く別れた。大尉の部下であれば、新兵といえどあの様子なのかもしれない。カラーを塗り替えてくれたことといい、ウィナードの存在は、リースが考えるよりも大きいのかもしれない。

 味方の言う通り、オルトスのデータを更新する。警戒管制機、つまり月に設置された無人のデータ中継機である。そこから送られた味方の配置、月の地形図がオルトスのコンピュータ内にダウンロードされ、正面映像にも正確にアップデートされる。

 距離と高さはあるがウィナードの戦闘機も位置表示される。

『来たな。周波数合わせろ。』

 事も無く宙返りをして見下ろす戦闘機から通信が入る。正面映像で見ても小さく、視認しにくい。ただレーダーには映る。オルトスはオルトスドライブの独自波形が現行レーダーの波形を打ち消すらしく、データリンクか直接視認でないとレーダー表示もされない。

 そのため月基地が敵の侵入を動体感知しても、オルトスであれば見失ってしまうのだ。もしも現在の各所の侵入警報がオルトスのものならば、領域内に浸透されているも同然である。

 とはいえ、オルトスといえど兵隊である。迎撃ならともかく、侵攻で歩兵同然をまばらに敵地に下ろすのはいかがなものかと、リースですら思う。

『早速、敵機を見つけてる。そこに向かえ。』

 ウィナードは言い、反応アイコンが映像内に追加される。望遠静止画のおまけつきだ。ゲイルタイプが3機、月の渓谷内で設置作業をしている静止画だった。

『敵地で悠長に工作ぅ?』

 ラルヴァが小声で言っている。ついつい口に出てしまったというところだろう。リースは何も言わないが心の中で同意する。

『了解。狙撃可能位置まで移動する。』

「出番がなさそうだ。任せる。」

『オーケー、そっちでスリーカウントよろしく』

 役割分担はスムーズだ。リースはチームワークだとは思っていない。それぞれ手の内を知っている間柄故のポジショニングだ。

 ロークのマーガムが敵機を狙える位置まで移動する。リースのアサルトはその護衛だ。ラルヴァのマーガムがそれらと離れ、渓谷へ向かう。

『見えた』

 などとロークは言っているが、リースのアサルトの望遠カメラでは見えていない。上空で飛ぶウィナード機と同じように、何か動く点のようなものがあるだけだ。それは普通に見えるとは言わない。

『3、2、1』

 プライムコロニーの時とは違い、若干テンポが速い3カウント後、まるで躊躇のない射撃がされ、渓谷内で電探設置作業中のゲイルに直撃する。オルトスドライブまで貫いた一撃で大爆発が起きた。

 リースには、おそらく直撃したのとそのせいでドライブ誘爆が起きたのだろうと予測しかできない。

 その混乱に乗じて、ラルヴァが爆発の煙で見えない中をビームライフルで射撃する。ラルヴァ自身にも見えていない。当たればいい程度の攻撃であろう。

『やるじゃないか。次に向かうぞ。』

 ウィナード機はいつのまにか低空を飛んでいる。今度は機種が視認できる距離だ。

『向こうの仕事を妨害できればそれでいい。ダメージを受けた敵機はほっときな。』

 そう言って空域を飛んでいく。

「わざと逃がす?」

『逃げた奴の行先が母艦だからさ』

「なるほど」

 ウィナードの意図するところに疑問でリースは口に出す。するとロークが移動し始めながら答えた。リースには馴染みの無い戦術だった。暗殺は1対1で、相手の拠点に興味が無いからだ。

 また同時に、もぐらたたき、というウィナードの言葉も納得できる。とにかく敵の偵察戦力を虱潰しにして、敵艦隊の位置を知ろうということなのだろう。位置を知れば、敵がどのように布陣し、どんな戦略を取ってくるのかというのが推理できる。

(大艦隊が迫っていても焦りはない。これが月面方面軍か。)

 リースは上が考えている戦略に、舌を巻く。

(ただ艦隊戦でオルトスが有用なのかどうかは別だがな)

 オルトスが最新鋭の軍事兵器といえど、航宙艦とは比べ物にならない。運用に関わる人的コストを自動化やAIで補っているとはいえ、100あまりの人員が今でも必要な武装している宇宙船だ。オルトスで航宙艦と戦うのは、歩兵1人で建造物制圧するに等しい。戦い方を考えなければ犬死だ。

(戦車ぐらいなら戦えるんだがな)

 リースは戦車とは戦ったことはないが、そんな風に胡乱なことを考えていた。


                 *****


 III号型改造巡洋艦、コスモス。リカルド・オーウェンの乗艦。プライムコロニーでの騒ぎの後、彼は部隊に帰って来られた。だが、すぐに次の作戦の参加があった。

 プライムでの実質的な宣戦布告の後に展開される予定の、月のアンリ基地攻撃作戦である。オルトス奪取という出鼻をくじかれたことになったが、コロニー宇宙軍内ではな事件として片付けられていた。不可解ではあるが、リカルド自身の失点にはなっていなかった。

 しかしだからといって、リカルドが気にしないわけではない。事実、リカルドの部下のオルトス乗りは全滅した。リカルド自身も倒された。

(対オルトス戦術か)

 オルトスは新機軸の戦闘兵器だ。人型ロボットという空想上の産物を実現した機動兵器である。それ故、対オルトス戦も想定にはあった。ただ予測では、火星政府が作り出すであろうゲイル以上のオルトスと戦うべく構築されるものだった。

 とはいえ実際には、敵にグリフォンタイプとその量産型オルトスを奪取されるという失態のもと、正体不明のパイロットたちに暴れられてしまった。

 オルトスが銃を撃つ、格闘戦をする。それらは人間として出来ることを、そのままオルトスでやっていることにすぎない。だが人間と決定的に違うことはオルトスドライブを使い、生身の人間にはできないより強力な兵器と機動性を操れることに他ならない。

 それらを奪取したパイロットにされてしまうのは、リカルドにとっては敗北のように感じるのだ。

 幸い、リカルドは先日の戦闘では脳震盪だけで済んだ。ブレイズも損傷のあるパーツ交換だけで済む。ただ、今のままでは対オルトス戦で火力を発揮することはできないだろう。ブレイズは内蔵火力試作機である。いくらオルトスに大砲を背負わせることができても、対オルトスの機動戦についていけないようでは重りにしかならない。早急な改修案や、見直しが必要である。

 考えることは山ほどあるが、現在は目の前のことも集中しなければならない。彼はブレイズの修理状況や改修検討を中断して、格納庫を出る。そして、コスモスの艦橋ブリッジに移動して、敬礼しながら艦長の元へ行く。

「艦隊の展開状況は?」

「あまり芳しくはありませんね」

 コスモスは後発合流で、しかも後詰めである。プライムの件があったせいだ。だからといって主力のやる気について愚痴っても仕方ないのだが、聞きとがめる者はいない。

「旗艦はアマリリス。ケルン少将か。」

「はい。オルトスで強行偵察して、包囲を狭める作戦です。が、これが進んでいません。」

「制宙権を奪うなら通常艦載機でもできることだろうに」

 フェブラ・ケルン。リカルドにとっては顔見知りだ。とはいえ、実績のある指揮官でもない。参謀側で人員整理が得意な裏方である。前線、とりわけ艦隊指揮ができるような人間ではない。

「差し出がましいが、談判するか。ザークアント大尉!」

 プライムの時と同じく、通信席に座るロングヘアの美女に呼びかけ、通信要請を行おうとする。

「残念ながら」

「何?」

 ラフィアは複数の通信チャンネルを開いて艦隊との通信を取ろうとしていたが、そのいずれもが不通で雑音を吐き出していた。

「一体何が起こっている」

 プライムの一件に続く不透明な状況に嫌な予感が渦巻く。

 それは確実によくない方向へと進行していた。


                  *****


 コロニー宇宙軍の偵察機やオルトスの工作浸透作戦に対する迎撃は効果的に推移していると思いたかった。

 リースたち3人とウィナードが補給のために月基地へと帰還した時には、出撃から約8時間経っていた。その間、基地守備隊のスクランブルは5度目を迎えていた。作業員とパイロットが忙しなく動く中、休憩のため格納庫を出る。

 ヘルメットを脱いだラルヴァとロークの顔には疲労が濃い。特にロークは目元を指で揉んで、肩で息をしている状態だ。

 オルトスのエネルギー補給は基本的にいらない。オルトスドライブはドライブ内の充填で再使用可能な半永久機関である。ただそれでも充填時間はそれなりにかかる。ラルヴァやロークのマーガムは、ほぼエネルギー空っぽの状態である。再チャージには時間がかかるだろう。リースのアサルトからエネルギーを分与してやるということはできない。オルトスドライブは1基ごとに自己完結型である。電気エネルギー等でチャージの呼び水とすることはできなくもないが、数倍の電力が必要になる。現実的ではない。

「これに懲りたら、ビームをパカパカ使うのはやめることだな」

「うるせー」

 汗一つ無いリースの言葉に、ラルヴァは力無く不平を言う。

 2人に比べればリースの仕事量は少ないと言える。マーガムのカバーのために2、3機落とすことになったことは勘定に入れない方がいいだろう。2人のほうはその5倍は掃討している。

 それよりもマーガムが使うビームライフルは元々アサルトの武器で、ビームソードを1回使う程度にはエネルギーを消費するらしい。そのせいでラルヴァのマーガムだけエネルギーがカツカツになったことを言っているのだ。仕様外の使用をしているのだから当たり前だが、器用なラルヴァがエネルギーを使い過ぎる程度には集中力のいる戦場であったことに他ならない。

「お疲れ」

 白いパイロットスーツに白いヘルメットを手にしたウィナードがリースたちの前に現れる。彼も汗一つ無い。

「とりま、休憩。あと一応、こういうスクランブルが続く時に必要なもんを教えておいてやる。ついて来な。」

「大尉もお疲れでは?」

「推進剤が残ってれば、あと2時間は飛べたな」

「やはり慣れていると」

「ま、どちらかといえば、木星を飛んでたからかな」

 ヘトヘトの2人を尻目に、あまり疲れていないリースとウィナードが話を進める。リースとて何にでも興味が無いわけではない。大物らしき英雄にそれなりに気を惹かれることだってあるのだ。

 火星の地球再生委員会は、すでに地球に興味を無くしている。火星が十二分に住めるのだから当然であろう。彼らにとって木星はヘリウムガスの資源惑星であると同時に、宇宙船や戦闘機の試験場となっている。高重力下における機動性と安全性の両立試験のためだ。ウィナードの行っていたことはそれだ。

「お前らは流石に普通の新人じゃないな。何世代目だ?」

「ラルヴァとロークは3世代目相当です。俺は知りません。」

 世代で通じる話題。火星の労働者に対する遺伝子改造。いわゆる【セトラー】と呼ばれる生まれながらにして身体能力や反射神経、高知性の付加をされている人種である。

「知らんのか。まぁ、俺も知らんわ。多分そうじゃないかと思ってるだけで、あまりアドバンテージ感じたことないんだよなぁ。」

 リースの話に大尉はヘラヘラ笑う。

 リースは反対に自分がセトラーだと思ったことは無い。孤児院時代に周りの子どもと違うことは認識していたが、殺しの術を教えてくれたシスターは自分と同様の存在だったので、あまり気にしなかったのだ。

 さて、そんな風に話していると4人は医療区画に辿り着く。すでに野戦病院と化している区画には、包帯を巻かれとぼとぼ出ていく者も、点滴を打たれて座り込んでいる者もいる。つまり、病床が足りずに溢れ出しているということに他ならない。

「忙しい所すまんね。兵士用の、4本出してくれる?」

「いつもの、ね。承ってます、よ。」

 小さな薬局らしい小さな受付の後ろの棚を弄って、飲用アンプルを4本取り出してから、こちらに振り向いてくる白衣を着た眼鏡の女性。

「あ」

 その黒髪ロングヘアの女性はキョウカだった。リースは見知った顔を見て、挨拶を忘れる。

「しばらくぶりだな」

 プラスチック製らしいキャップがされたアンプルを取りながら、リースは改めて彼女に挨拶する。彼女の表情もすこし疲労している。あまり休みが取れていない、というか基地に着いて慣れないまま仕事をしていると言えばよいか。

「まぁ、前線で戦うあんたたちとは違うよ」

「どうかな」

 彼女は疲れていることは口にしない。アンプルを後ろの2人に渡しながら、リースは気休めな曖昧な言葉で返事する。少しの力で開くキャップを取り、アンプルの中身を一気に飲み干す。その様子を、ウィナードは予想とは違ったようで少々驚いた表情だった。

 対してラルヴァとロークはアンプルのキャップを開くのにも難儀していた。ロークに至っては手が震えている。

「開けてやる」

 その様子を悠長に見守ってやるリースではない。ウィナードを満足させるためには、彼らが飲んだほうがいいだろうという判断からだ。それぞれのアンプルのキャップを外してやり、キャップはキョウカに差し出してしまう。

「あんたは大丈夫なの?」

「予想通りだったからな。多分成分は、滋養強壮、疲労回復効果。そんなところだろう。本来スタンプ注射の栄養剤を飲用したもの。場所によってはこれに麻薬成分を足して、多幸感を与える違法ではないが、倫理的にどうかという薬剤ではないか?」

「詳し過ぎよ」

「昔のアサシンは麻薬を打って夢見心地で人殺しをしたというぞ」

「あ、なるほどね」

 キョウカも成分については知っていた。どういう用途なのかも。ウィナードが符丁で言って通じるのだから、常飲されていることは言わずもがなだろう。

「マッズ!」

「きぼちわる」

 ラルヴァとロークが口を抑えて悶絶している。アンプルを握って、さっきよりも呼吸量が増えている。

「本来注射で直接注入できるものを、わざわざ飲用にする。クセにならないように。そんなところじゃありませんか、ワイズマン大尉?」

「お前の言う通りだよ」

 薬というのは経口摂取よりも皮下注入のほうが効果が出るものがある。ただ人間は慣れるもので、一定量では満足できない耐性がその内できる。それに疲労回復効果などと言っても、結局は休憩する分の体力の前借りにすぎない。慣れるようなことではない。

「良薬口苦しというが、そういう直接的な意味じゃないです」

「それは同感」

 古い諺を引用するが、それについてはキョウカも知るところであるようだ。やっと期待する反応を拝めたかのように、ウィナードは笑顔になっている。そんな彼を見て、リースは呆れることはない。彼なりの歓迎の仕方だろうと思うことにする。

『基地司令部より全スタッフ通達。現時点を持って警戒レベル低減。繰り返します。』

 唐突に、基地内に放送が響く。復唱される放送を聞いても、それは危機的状況を脱したと知らせる内容だった。

「おっと」

 放送が落ち着くと、キョウカは内線電話が鳴って、そちらの対応に入る。それも束の間、ウィナードを見て受話器を差し出す。

「大尉、でしたか? 司令部からです」

「お、悪ぃね」

 内線を通じてのウィナードへの直接連絡。先ほどの放送といい、リースたちには分からないことが動いている。

「休めそうだな」

「どうかしら」

 一応、リースは気遣いで言ったのだが、キョウカは髪をかき上げてため息をついている。

「私は実のところ本来の配属辞令があって、その間まで雑用だったのよね。薬剤知識あったから、たまたまここだっただけ。」

「そうなのか?」

 リースは素で聞く。聞いたところで守秘義務と機密で答えられるわけではないが。

「戦艦の医療スタッフよ」

 しかし、彼女は倫理規定を無視して正直に話してくる。

「ほい、ありがと」

 そんな彼女に、受話器を返すウィナード。

「そりゃスレイプニールだな?」

「え、そうですけど」

 兵器としては聞き馴染みの無い、昔の神話の8本足の馬の名前がウィナードから出されて、リースは思考するが、キョウカは何で分かったのか不思議顔だ。

「この基地に待っていた救援の一つだ。新造艦スレイプニール。オルトス用の格納庫や発進構造を備えた戦闘艦、といえばお前にも分かるだろう?」

「大尉、そりゃつまり」

 リースが答えるよりも、アンプルの苦さから脱し始めたラルヴァが口出ししてくる。

「俺らの本来の配属先っつうことじゃないですか」

 ロークの呼吸はもう落ち着いている。ただ手に力がないことはリースの腕を掴んでいる今は分かる。

「それはそうだ。俺の隊がそのまま、あっちに配属ってこと。」

「なるほど」

 リースはウィナードの意図する本当の経緯は分からない。ただ軍の命令として、半ば既定路線だったことを理解することにした。



 月基地の警戒レベルが急に下がった、1時間後、グレーの真新しい艦が到着した。

 重火力戦闘艦スレイプニール。ゲルミール級制式戦艦の更に上位。オルトスの母艦として最初から設計された新造艦である。

 この新造艦でもっての電撃奇襲戦で、包囲作戦中だったコロニー宇宙軍の一翼を突破した。これによって敵は態勢立て直しのため包囲を中止し、撤退した。これが月基地の警戒レベルが急に下がった一幕であった。

 そして、そのスレイプニール艦長である白い上級士官服の女性が制帽を小脇に抱えて月基地の司令室へと入る。司令席ではなく、応接ソファに座るローウェンが立ち上がった。

 彼女は流れるような動作で敬礼をし合い、応接ソファへと対面で座る。

「お久しぶりです。中佐になられましたか。」

「ペルシャ大佐もお変わりなく」

 前髪のあるショートボブの黒髪女性は、まず挨拶を交わす。ローウェンは彼女のことを見知っている。

「ふー! やれやれ遅くなっちまったか!」

 1テンポ遅れて、不躾に司令室に入るウィナード。かなり横柄な態度だったので、女性艦長は入ってきたウィナードを睨みつけるように見た。

「怖っ! 流石は新型艦の艦長様ですこと!」

「予定通り、私が先行して到着しました。救援の主力艦隊の指揮は、クレイン・アルバート中将。」

 無礼な下士官を無視して、彼女は話を進める。救援は別に彼女の新型艦だけではない。しっかり火星の主力艦隊が動いている。

 クレイン・アルバートは齢60の軍内では珍しい老齢の武官である。

「中道派のアルバート中将ならば、問題ありませんね」

「はい。すでに事態は推移しています。」

 その場で通じる会話を済ませていると、ウィナードは気安くも彼女の隣に座った。その距離の近さを嫌がったか、彼女は若干距離を取ってソファに座り直した。

「おいおい、ここでは別に」

 ウィナードは言いかけるが、彼女は電子辞令を彼の鼻先に突きつける。

「英雄白鷲、確かにこちらで引き受けます」

「ええ、シマンティック中佐。よろしくお願いします。」

 彼女の名はスフィーナ・シマンティック。今はまだ数少ない女性の上級士官である。

 彼女が電子データでウィナードに送りつけた辞令は、スレイプニールへの転属命令と同時に、少佐への昇格辞令であった。辞令にサインされた名前は、ライエンス・フィレンスとある。

「根回しのいいこって」

 ウィナードは名前を見て、ぼそりと呟いた。彼にとって知らない名前ではない。むしろ、これから有名になる名前だった。

「少佐から見て、彼らの実力はいかがですか。」

 すでに大尉ではなく少佐と呼んでいるローウェン。彼らというのは当然リースたちのことだ。

「及第点。むしろできすぎ。その内しでかすぞ。」

「その手綱を握るのが貴方の仕事です」

「へいへい」

 スフィーナからの釘刺しに、ウィナードは生返事をする。

 しでかすことについてはウィナードも覚えがある。少佐の昇格だって、実は元に戻っただけだ。英雄などと持て囃されたが、結局上官殺しや命令違反が祟って、2階級降格という一般的に不名誉なこともあった。軍にいて何かやらかすことなど、誰だって何かしらある。

 ただウィナードからすると3人の新しい部下はとんでもなくやらかしそうな気がするだけである。

「失礼」

 ローウェンの個人端末に着信があり、断りを入れてから、その場で連絡を受ける。

「ああ、来たか。発表は全館に繋いでいい。大事な事だ。作業も止めてしまって構わない。その間の映像通信も許可しよう。総員傾注せよ、と。」

 彼は対面の2人に伝わるよう話し、通話を切る。

「プラン通りとはいえ、緊張してきましたね」

「お前はそこに座ってればいい。あとは片付けておいてやる。前と同じだろ。」

「お願いします」

 ウィナードがローウェンに気安いのは、ウィナードの元部下だからだ。彼が白鷲と呼ばれる一部始終を見て来ている。故に全幅の信頼を置いている。

 ローウェンのほうが階級が上になっても、私的な関係性は今後も変わらないだろう。

「ま、とりあえずは俺もオルトスに慣れてしまわねーとな」

 スレイプニールはオルトス母艦である。火星政府のオルトス開発はコロニー連合にかなりの遅れを取ったが、たった1機の開発と組み上げが完了しており、スレイプニールで運んでいた。MUF001トール。記念すべき火星軍の純正オルトスである。



 ウィナードらの会談が行われている頃、リースは一人で、先んじてオルトスの運び入れをしていた。ラルヴァとロークは休憩中だ。もっとも先だって疲労回復の栄養剤を入れてしまったので横になっても眠ることはできないだろう。

 休めないのに休ませて、リース1人で搬入を行うのは、単純に興味からだ。スレイプニールの能力、機能。それらを先に見れるのだから、逃す手はない。

 リースは何もポン刀振り回すだけが能ではない。知らない武器、知らない戦闘能力の情報収集ぐらいする。それにオルトスを搬入するだけなら、ラルヴァやロークが操るマーガムをもっともらしく調べることもできる。

(ロークの射撃戦特化パフォーマンスは流石だな。OSがセンサー類に集約されている。)

 オルトスの四肢は人間のそれとは違い、各関節モーターがOSプログラムによって微細に動作して歩きや走り、跳び、飛びが可能になっている。ロークのマーガムは狙撃と通常射撃戦、別々のモーションが組まれている。元々あったものではない。

 これらはリースとて同じだ。ただ撃つだけ、ただ斬るだけのことに数種類のモーションを登録してある。ロークの場合、撃つことに最適化している他、パターンを読まれないためにマニュアル操作の余地も入れてあることだろう。

(反対にラルヴァはよく分からんな)

 豊富なモーションが登録されている。誰かに見られても、用途が分からず調べにくい構成だ。森の中に木を隠すが如く、何が使えて何が使えないかがよく分からない。

 そんなことよりむしろ、誰かに見られることを想定するなと言いたい。

「やれやれ」

 スレイプニールの格納庫はかなり広い。オルトスを相当数収容し、運ぶことを想定しているのが伺える。それと同時に無重力想定はもちろんのこと、重力下想定もある整備ブロックとなっている。可能な限り、今できることを追求したシステマティックな格納庫と言える。

 ラルヴァのマーガムを最後に搬入して終了。だが、現在この艦に乗る整備員の仕事は終わらない。各オルトスのパフォーマンスを調べ、整備のを作らなければならない。アサルトもマーガムも元はコロニー宇宙軍の、しかもコロニーの古参企業のアルトシュタイン社が製造したオルトスである。火星軍研究開発畑としては、これ以上に無いサンプルであろう。

 それにスレイプニールには今回、中でも重要人物が同乗していた。

 メリル・ビランクス。むさいオッサン整備兵に囲まれた小柄な白衣の少女は、かなり奇異に映った。コテコテの天才少女という風貌で、威厳を見せるためだろうメガネが似合っていない。ただ彼女はオルトスドライブの開発者、オルトスの姪だという。

「整備なんてのは、壊れてるのを取っ替えるぐらいのことしか分からん。どんな感じなのか教えてくれ。」

 リースが読書を嗜むのは、殺す以外の世界に興味があるからだ。過去に人々が何を考え、何を打ち立ててきたかは本を読めば分かる。それでも分からないことは、他人に聞くしかないのだ。

 その問いに対し、小柄な少女は振り返って、リースに対して目を細める。彼女は目が見えにくいわけではない。そのための眼鏡ではない。どちらかといえば細かいものをより微細に分析するような機械工学用メガネのようなものだろう。

「大丈夫よ、あんたの出番はないわ。むしろ、コロニーの作ったオルトスは変な作り方をあえてしていると驚いているところよ。」

「そうなのか?」

「そう。白兵試作機なんてものを作ったにはいいけれど、エネルギー効率を考えていないし、機動性はゲイルの付け焼刃。マーガムなんてのは、このグリフォンタイプっていうのの先行量産型でしょうけど、むしろこっちのバランスのほうがいいんじゃないかしら。」

 少女の口調は大人だ。ストレートに年相応ではない。そう教育されたか、あるいはそう振舞わざる得ないか。どちらにせよ、リースが関わることではない。

 それよりも、基本性能の話は興味深い。グリフォンタイプなどと言っても、アサルトの基本的な所はゲイルと変わらないことを知れた。

「基本パフォーマンスが最適でないということか」

「変えられるぞ」

「それは頼もしい」

 別に今まででもアサルトの性能に不満は無い。だが調整不足というのなら、やったほうがよい。

「トールの調整のついでだ。早速やっていくぞ。」

 そう言うなり彼女は、整備員に指示を伝えていく。

『こちら指令室。これより火星から緊急放送を始めます。作業のあるものは作業の手を止めても構いません。総員できるだけ傾注するように。繰り返します。』

 唐突に月基地全館に向けての放送が入る。戦闘配置命令や呼び出しのようなものでなく、異例な放送のようだ。ゆっくりと明瞭に声が聞こえてくる。

 そんな風な放送があるが、格納庫内の整備員は手を止めない。アサルトの装甲をはずし、普段は見えない内部構造が見えている。

「うむ」

 こういう作業はリースにとって興味深い。反対に、これからする放送はあまり興味が無かった。


                 *****


 火星からの緊急放送。そう題して、主要コロニーにも放送は受信されていた。ここまで大規模な放送拡大だと、態勢立て直し中のコロニー宇宙軍艦隊にも受信できている。もちろんリカルドのコスモスですらもだ。

『こちらは火星府。私はライエンス・フィレンス。』

 映像に映し出されたのは金髪の美丈夫。だがフィレンスという将軍を知らない。何より、統合政府というのはおかしい。火星政府は建前上、地球再生員会である。

『まず最初に申し上げます。地球再生員会は本日をもって解散。火星は我々火星統合府によって運営して行きます。』

 一見若そうな将軍から出た言葉は、コロニー宇宙軍の現在の作戦目的を揺るがすものだった。そもそもプライムとしても火星政府を倒すべく集会を企てた。これでは大義名分を失う。これは非常にタイミングの悪い相手方内部のクーデターである。

『火星統合府は、地球圏との融和を考えており、現在戦争状態にあるコロニー連合宇宙軍との争いを望みません。これまでの争いに終止符を打ち、コロニー連合、ひいては地球圏の完全独立、友人として認めていく所存であります。』

 これを言わせた時点で大義を失った。仮に火星がこの後裏切ったとしても、彼らは月を放棄すれば済む話である。わざわざ火星にまで繰り出して糾弾する余力は、コロニー連合には残されていないだろう。プライムあたりは強硬になるだろうが、彼らとて、自分らだけで武力は動かせない。

『旧再生委員会は古くからコロニー連合と密約を結び、実に9度も戦争を行ってきました。手を変え、品を変え、時には暗殺という手段に訴え、戦争の切っ掛けを作ってきました。過去、コロニー独立運動、連合の担い手グリフォン・レウァールも、その渦中で亡くなったと我々の記録に記されています。』

(何を言っている!?)

 急にわけの分からない話をし始めた。グリフォンは確かにコロニー独立運動を率い、火星勢力の地球圏支配を断ち切った英雄である。そのためのアステロイドバースト作戦で、月と火星を繋ぐ航路に今も岩塊が流れる危険地帯となった。

 今でこそ火星は岩塊地帯の外縁に基地を作り、月との航路の中継基地としている。

 また確かにアンダーグラウンドなネタとして、また陰謀論的にこの戦争の多さは計画戦争ではないかという話は有名だ。戦争のたびに技術革新がある。オルトスもその産物である。だがそれは、戦えなくなった傷痍難民が現実逃避に飛びつくネタでしかなかったはずだ。

『コロニー連合初代代表ジェファーソン、地球再生委員会初代委員長ブロモール、両名の誓約書を、現時点を持って破棄します。これにより、コロニー連合議員の火星受け入れは無効。同時に、地球再生委員会委員及び、軍部高官の地球圏への亡命も無効とします。以後の外交特例は、今後の条約締結によって承認、施行されます。』

(亡命)

 リカルドの思考が遡る。英雄グリフォンは独立運動の英雄となり、その次の戦争のきっかけとなる暗殺事件で死んだ。下手人はアステロイドバーストによる被害を被ったコロニー難民だ。反グリフォン派という難民に紛れた再生委員会派の扇動にされた。

 この戦争の終結のきっかけは、反グリフォン派と一部コロニー議員の癒着だ。火星での地位を約束されたという一件が露呈した。

(繋がる)

 リカルドは額を抑えた。状況証拠が揃いすぎている。言っていることは本当かもしれないという説得力があり、まともな軍人には通じてしまうのだ。

『改めて申し上げます。我々は過去の争いの憎しみを、歪みを一端捨て去り、地球圏コロニー連合との融和を考えております。いつまでも続く争いに、皆疲弊しています。手を取り合い、争いに終止符を打つことを第一とまず考えます。我々人類が本当に戦うべきなのは、争いを続けさせることで利を貪ろうと秘密を隠し続ける者達です。どうか皆さま、熟考をお願いいたします。』

 その言葉を最後に、通信が切れる。途中中断することはなかった。話が真に迫っている、ということではない。一方的な話ではあろう。疑惑を産むには十分なものだった。

 戦争で疲弊しているのは確かだし、リカルドを含めた若い兵は、とにかく独立、を胸に戦い続けていた。上が話し合いのテーブルに着けば、という楽観的な考えにもなるだろう。

「少佐。アマリリス、ケルン少将より全艦通達です。」

 放送を聞いてしまったコスモスの静まり返ったブリッジに、ラフィアの声がいやに響く。

「聞こう」

 リカルドは艦隊指揮官が何を言うのか期待して、アマリリスからの通信が開かれるのを待った。


                *****


「スレイプニールはこれより本隊を離れ単独行動を取る」

 衝撃的な火星上層部クーデターと癒着の暴露、その一幕から丸一日。

 スレイプニールのブリッジ要員やウィナードら戦闘要員、各班指揮官クラスがブリーフィングルームに集められていた。リースら3人のように若い女性オペレーターがいれば、初老のメカマンや保安班員もいる。雑多でバランスの悪さの中心で、美女の女性艦長が口を開いた。

 スフィーナ・シマンティック。25歳で中佐。昇格と降格を繰り返している不良軍人のウィナードと比べるべくもないエリートだ。何より彼女の父親は統合府側に着いた議員である。元々クーデターのことを知っていたということだろう。

「現政権はこれ以上の争いを望んではいないが、未だに月基地は喉元に刃を突きつけられている状態だ」

 ブリーフィングルームの正面モニターに宙域図が出る。スレイプニールが運良く、敵艦隊の脇腹を付いて包囲作戦を突破した。しかし、敵艦隊は未だに健在である。情報によれば、敵艦隊は月の表側、L1方面へと転進、態勢を整えている。

「こちら側の救援は一両日中に到着する。クレイン・アルバート提督率いる艦隊が月基地の防衛線を敷く。我々は月の裏側、L2方面から敵艦隊の後背を突く航路を取る。」

 この作戦の説明に若者や新兵を中心に歓声が上がる。

「だが、この作戦には一つ問題がある」

 スフィーナの言葉に文字通り水を差すウィナード。戦闘隊長並びにスフィーナに次ぐ階級であるから、席次を許されている。

「月基地から配属された諸君は知っているだろうが、L2方面は廃棄コロニーの墓場だ。それらを根城に、宇宙海賊が潜んでいる。アデストライ。ゲルミール級戦艦を旗艦にする厄介な奴らだ。」

「そんな奴らがいたのか」

 ウィナードの言葉にロークは声を漏らす。無理もない。プライムコロニーを脱出したリースたちとクレマルはL2方面を通った。そんな無法者がいたのなら、遭遇していておかしくないはずだ。

「白いホーク戦闘機は白鷲のトレードマーク。あいつらは強い奴からは奪わない。それにたった1艦の輸送艦に目をつけるとも思えないしな。」

「なるほど」

 ウィナードからの説明に、リースも、ならばと納得する。

「まずは彼女らの突破がこの部隊の最初の試練になる」

「彼女、ら?」

 退屈そうにしていたラルヴァが言葉の端にひっかかる。

「宇宙海賊アデストライ。その実態は女性だけの一団だ。」

「なにそれ、サイコーじゃん!?」

「言ってる場合かアホ!!」

 ラルヴァは一転して興奮して立ち上がり、ロークがツッコミの一撃を入れる。コメディ芸さながらの一幕に、周りから笑いがこぼれた。

 その後、ブリーフィングルームでの作戦説明が終了すると、スレイプニールの出港準備で艦内は慌ただしくなる。

 戦闘要員であるウィナードらに出番はないので、反対に手が空く。とはいえ、暇になるわけではない。ラルヴァとロークはこれを機に、ちゃんと疲れを癒せることだろう。彼らを見送ってから、リースはウィナードに向き直る。

「少佐」

 大尉ではなく、昇進したほうの階級でリースは隊長に声を掛けた。

「この作戦、陽動ですね?」

「んー、なんでバレた?」

 リースの質問にウィナードは言い訳もはぐらかしもせず、理由を聞き返す。

「1人で大軍に対して斬り込むのはもっと作戦が必要です」

「そりゃそうだ」

 リースが多数に対して正面から切り込むために、援護を必要とした。

 先のスレイプニールの包囲突破も、敵軍がスレイプニール単騎ではなく、大軍の救援があると踏んでの撤退である。単騎突破は勝算が確実でなければやらないことだ。

「この作戦の半分は、元々のシナリオ通りだ」

「計画戦争はそこまで考えていたと?」

「というより、オルトスという新しいルールに対して、オルトス母艦の女艦長を悲劇のアイドルに見据えて台本作りをしたっていう、お粗末なオペラよ」

 ウィナードは鼻で笑う。

「敵艦隊を遠回りで後背を突くのがシナリオ通り。だが、敵艦隊はシナリオ通りには動かない。ネタバレはしてしまった。」

 文字通り、ここからは台本にない現実である。

「向こうの艦隊が未だに交渉を出さないのは、責任があるからだ。それに対し、味方は軍人として立場を守り、戦力を集めて受けて立つ。この艦は、シナリオによって生まれ、集められた人間たちがクルーとなった艦だ。本来お前たちもいなかったことだが、逆に言えばこれから起こることのイレギュラーだ。だからイレギュラーなら、イレギュラーなりに、この戦争を終わらせるために働かせるわけだ。」

 イレギュラーな存在。誂えた舞台と部隊。そしてリースたち自身。

 リース、ラルヴァ、ロークがプライムコロニーを脱出したその時から、シナリオは壊れていたのかもしれない。

「そして、向こうもそう考えるわけだな」

 ウィナードはニヤニヤと笑う。少々、悪くも見える。

「なるほど」

 リースは最初に陽動と言ってしまったのを訂正したい気がした。この状況は突撃である。だが陽動でも、まぁ間違ってはいないかなとも思える。

「ってなわけでだ。オルトスの教習、頼まれてくれるかなぁ、センパイ!」

「了解。シミュレーションからで問題ありませんね?」

「真面目か。いや、そうか。ボケるキャラじゃないな。」

 なおもおどけ続ける上官に対して、リースはボケ殺しをする。おかげでウィナードは肩を落とす羽目になるが、リースは何も気にすることは無い。リアクションに笑うこともない。

『こちら艦長のスフィーナ・シマンティック。出港時間は1600。繰り返す1600。作業は10分前までに切り上げ、出港に備え所定配置にて待機せよ。』

 艦内放送が響き渡り始める。出港時間まで約30分。


                 *****


 火星新政府の出した声明に対してケルス少将が出した答えは、敵艦隊と一戦交えることだった。そしてそれに伴い、リカルドに対し特命が下された。

 それはリカルド自身への今回の戦いの封緘命令書の開示でもあった。

 包囲戦をすることなく撤退し、態勢を立て直しての決戦。その後、敵の奇襲戦に敗退するまでが予定通り、という内容だ。図らずも戦いが企図されていたことが証明された。

 だがケルンはリカルドに命令した。敵の奇襲を警戒し、L2方面へ向かえというものだった。

 奇襲してくるのは、例の新型艦。封緘命令書の情報が確かならばオルトス母艦である。護衛の駆逐艦2隻と補給のオルトス部隊とでそれを撃滅せよ、と。

「どうも、リカルド・オーウェン少佐」

 そうして派遣されてきた援軍は、プライム所属のメンバーであった。

 声の主は、イシュター・ブイーグ。茶髪で白い詰襟の制服をした雰囲気の違う男だ。彼の側には、ラフィアの弟、レインもいる。その他に、オルトスのパイロットだろうか、みすぼらしい格好の青年が3人いる。

「此度、我々が敵撃滅の任を手伝おう」

「プライムは、いや、援兵感謝する。すぐにでも出発したいが、よろしいか。」

「構わない。私は軍務には素人だ。貴官に決定権がある。」

 リカルドは、計画戦争や火星新政府との平和について聞こうとしたのを飲み込み、話を進める。それに対し、リカルドの含むところを無視しているイシュター。

「ラフィア、艦長、出発準備だ。L2方面に向かう。」

「では、レインくんは彼らの訓練を頼めるか。乗せる予定だったオルトスが盗まれ、急遽用意した機体であるのでね。」

「はい」

 レインが落ち込んだ様子で返事をしている。今まで俯いていたのは、どうやら声明のショックだけではなかったようだ。

 リカルドにとっても、イシュターの言葉は聞き捨てならなかった。

 あのプライムコロニーにあった知らないオルトスは、初めからパイロットが乗る予定のあった機体だったのだ。計画戦争だけではない。リカルドやプライムの一般団員も知らない何かが動いていると思わざるえなかった。

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