29 夏焼 夏休みショック

 店の角までやって来たところで、入り口に見覚えのある背中があった。俺はびっくりしてトートバッグを落としそうになった。


 エリコがいた。

 やっと見つけた……!

「母さん」


 って呼ぼうとしたら入り口付近に叔父さんもいた。なにやら恐ろしい形相で声を荒げている。いつもの穏やかさが全然なくて、目くじら立てて怒鳴っている。とんでもなく怖いし、大声だったから周辺の客引きや通行人まで引いている。


 そこに割って入る男がいた。エリコはこっちに背中を向けたまま、仲よさげにそいつに腕を絡めた。俺は無意識に伸ばしていた手を引っ込めた。


 エリコは最後に見た時より派手な服を着ていた。横顔を遠目から見ても化粧が濃い。隣の男は背は低いけど、身なりは整っている。イイトコの坊ちゃんって感じだ。叔父さんはバッチリメイクを決めた後なのに、まだ鬼みたいにキレていた。そして急に真顔になる。俺と目が合ったからだ。みるみる内に叔父さんの顔から怒りが引いていった。


 エリコが振り向く。

「あっ」て口の形になっていたけど、目も笑っていたけど、俺の知っている母さんの目じゃなかった。親父の浮気相手の、あの女の目にそっくりだった。


 俺は居心地が悪くなって、大通りの方へ走った。そこで突っかかって行けたらどんなに良かったか。この場でハッキリできたらどんなに良かったか。


 でもそれって、結構俺のメンタルにぶっ刺さるよな。いや、もう何かが刺さって真っ二つになりそうな所だ。痛い痛い。なんで物理的に刺さったわけじゃないのに、こんなに痛いんだよ。


 俺は走りながら自分の胸を掴んだ。

 息の仕方も忘れて走った。

 熱帯夜。

 今まで保ってきたものがぷっつり切れた気がした。

 きっと心の傷を縫い合わせていた糸が切れたんだって思った。

 いままで自分で取り繕って塞いだつもりの傷だけど、ぜんっぜん塞がってなかった。


 見えない傷が開いてヒリヒリする。

 知らなかった。

 メンタルの怪我って、一人じゃ治せないんだな。

 なんだよメンタルの怪我って。国語もっと勉強しろよ……。

 ダメだ。痛い。もう自分じゃどうにもできないよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る