第38話 抱擁

 リュウはあてどもなくふらふらと転送を繰り返した。見知らぬ土地で落ち着くことはできず、結局たどり着いたのは見覚えのある住宅街だった。赤茶色のレンガと白い窓枠の集合住宅フラットが並ぶデイジー通りだ。


 その中の一軒、ベリガン・フラットの前に立つ。幸い小綺麗な格好だったので、通行人に怪しまれることはなかった。


(そういえば彼女、仕事辞めて音読調査に参加してたっけ。まだここに住んでる保証はないってわけか)


 リュウはやけくそで2号室のドアノッカーを叩いた。


 トントン。


 反応がない。


 トントン。


 やはり反応がない。


 最後のつもりでもう一度叩こうとしたところで、ドアが細く開けられ、赤いリボンをのせた頭が現れた。その少女は来客の姿をうかがい、すぐにドアを大きく開いた。


「先輩!」


 プリムラ・プロウライトが飛び出して、リュウに抱きつく。彼女はリュウより頭一つ分小さい。胸にうずめられた顔はリュウから見えないが、、涙を流しているのはわかった。


 リュウも小さな体を抱きしめ返した。


 しばらく二人はそのまま無言で、互いの体温を確かめていた。幸福だった。


「お疲れのようですね」


 先に口を開いたのはプリムラだった。リュウを招き入れて、ドアを閉める。細長い間取りの奥の居間へ進んだ。


「お茶、いれますね」


「先に言っておく。もし兵士や巡査が僕を追って訪ねてきたら、迷わず僕の身柄を差し出してほしい。少なくとも僕が死刑になることはないから。大丈夫だから」


 プリムラはこくりとうなずく。

 小さなソファに二人並んで座り、温かな白茶を飲んだ。


 叙勲の祝賀パーティーの後、プリムラはハンウェーと共に事情聴取を受けた。プリムラは魔道士であることから証言を信用されて、すぐに日常の生活に戻ることができていた。その後の報道でリュウが終身の禁固刑になったことも知っていたが、脱獄については知らなかった。そのことは公には伏せられていた。

 プリムラは多くを尋ねず、リュウがぽつりぽつりと打ち明ける身の上話に相槌を打ち続けた。


「以前、図書館での作業を手伝ってもらったのに、報酬を支払っていなかった。すまない。今はこの通り、何も持っていなくて……」


「金品の報酬はいりません。代わりに、先輩が元の世界に帰れたら何をしたいか知りたいです」


「家族に会いたい。それから……」


 リュウは口をつぐみ、顔を背けた。


(学校に行きたい。――小学校へ?

 友達とサッカーしたい。――校庭で?

 ゲームやりたい。――八年前のハードで?

 もう十八歳なのに?

 みんな大学に行く歳じゃないか?

 背も伸びたし、声が変わった。顔つきも。

 それなのに、願いの中の僕は子どものまま?)


 リュウの沈黙を、プリムラは許容する。彼女は二杯めの白茶を注いだ。


「じゃあもう一つ、お聞きしたいことがあります。『カンクロ』の五巻、こっそり教えてください!」


 他の読者よりも先に内容を知りたいという、ミーハー心が丸出しの要望だった。


「続きの発行が許されるかどうかわからないけど……。四季と季節の行事について書いたんだ」


 1月1日から始まる正月。

 2月3日、節分の豆まき。

 3月3日、桃の節句。

 5月5日、端午の節句。

 7月7日、七夕。

 12月25日、クリスマス。

 他にも、カークランドに比べてはっきりとした四季の区別などを記していた。


「十二月二十五日は真世界オースでも祝日ですよ。家族の安息日っていうんです。大切な人と、おうちでゆっくり過ごすんです」


「似てるな。由来はキュウセイシュの誕生日だけど、現代では恋人や家族と過ごす日になってた」


 キュウセイシュに該当するカークランド語が思いつかず、その部分は日本語を当てるしかなかった。


「キュウセイシュ?」


「あー、なんというか、世界を救ってくれる人のような存在」


真世界オースではそういう由来は聞いたことがありませんね……」


「創造主は?」


 創造主については該当する単語があり、カークランド語で発語することができた。


「その単語は聞いたことありますけど、あんまり気にしたことないですね。魔道士会AFSで再生とか生成のマナを研究してるガチ勢が使う言葉ですね」


「プリムラは気にならないってこと?」


「だって、そんなの、卵が先か鶏が先かみたいな話だと思います。考えても仕方ないですよ」


(やっぱり……。この世界の人は基本的に過去に対する興味が薄い)


 プリムラはこの報酬に満足したようだった。

 その笑顔を見てリュウはほっとし、そろそろ辞そうと腰を上げる。

 するとプリムラは、リュウの手首をつかんで引き留めた。


「最後にもう一つ。先輩、もう隠す必要ありませんから、先生と呼んでも大丈夫ですよね」


「もしよかったら、名前を呼んでほしい」


「リュウ先生」


 予想外の返しにリュウは思わずクスリと笑ってしまった。


「笑ってくれてよかったです」


「変な呼び方」


「リュウ先生、お願いがあります。いつかあたしを対抗世界カウンターワールドへ連れて行ってほしいんです」


 リュウは答えの代わりに強くプリムラを抱き寄せた。

 プリムラは少し泣いて、照れて、笑った。


「あたし、作家先生だから好きなんじゃなくて、かっこよくて真面目で一生懸命なリンドウ・リュウが好きなんです。だから、リュウ先生じゃなくて、他の呼び方を考えておきますね」

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