第10話 WEC ルマン24時間
5月半ば、朱里はドイツ・ケルンのTMR-Eの本部のいた。今日は緊急全体ミーティングである。けがで療養中のユリアもオンラインで参加している。皆があつまったところに、副会長の中須賀とチーム監督の小田が沈痛な顔をして入ってきた。会長は東京にいるT社の社長が兼務しているので、実質の責任者は中須賀である。あいさつが始まった。
「Thank you for joining us today . 」
(今日は集まっていただき、ありがとうございます)
「Today I have to share some not-so-happy news with you all . 」
(今日はあまり嬉しくないニュースを皆に伝えなければなりません)
ここで、中須賀の話が一息止まった。朱里は何事か予想できぬトラブルが起きたことはわかった。
「In fact , I will be given a weight handicap starting from the next Le Mans .」
(実は、次のルマンからウエィトハンディがつくことになった)
ウエィトハンディと聞いて、スーパーGTのサクセスウエィトと同様かと思った。
「That also means that each winning machine will be given a 25kg handicap for each vuctory . 」
(それも優勝マシンだけに1勝ごとに25kgのハンディを乗せるということだ)
ということは、2勝している8号車は50kgのハンディ、1勝している7号車は25kgのウエィトを積むことになる。日本車だけのねらい撃ちだ。
「I couldn't accept new rules being made in the middle of the season , so I filed a lawsuit with the FIA . However , by the time the results come out , Le Mans will be over . 」
(シーズン途中で、新たなルールができるのは、納得しがたいので、FIAに提訴はした。しかし、その結果がでるころにはルマンは終わっている)
チーム監督の小田が付け加えた。
「Apparetly , the organizers of Le Mans erquested this in ordrr to give European cars an adavantage . FIA also cannot go against the wishes of the organizers . The bottom line is that we want to make racing interesting . 」
(どうやらルマンの主催者が、ヨーロッパ車を有利にするために要望したらしい。FIAも主催者の意向には逆らえないということだ。要はレースをおもしろくしたいということだ)
会場にいた皆はざわついていた。中にはボイコットしようという者まで現れた。しかし、
「Everybaody , if we boycott here , people will just think we ran away . And
I don't know wahat's going on with the 24 hour race . Even if there is a daisadvantageous weight , I believe that I have the strength and chance to overcome it . I want everyone to follow me . 」
(諸君、ここで我らがボイコットしたら、逃げたとしか思われない。それに24時間レースは何があるかわからない。たとえ不利なウエィトがあったとしても、それをはね返すだけの力とチャンスが我々にはあると信じている。皆、ついてきてほしい!)
という中須賀の力強い発言に皆はこぶしをあげて、「Oh-!」と叫んでいた。
それからの朱里はトレーニングと練習走行に明け暮れた。ハイパーカーでの練習は制限されているので、ホッケンハイムのコースでGT3のマシンで練習をした。そのほとんどが夜間走行の練習に費やされた。朱里にとっては、初のナイトレースとなる。いくら夜が短いからとはいえ、一度は夜を走らなければならないのだ。
ルマン週間が始まった。ルマンの街はお祭り騒ぎである。1週間前の公開車検から始まり、日曜日には6時間におよぶテストデーが行われる。朱里の公道レースデビューである。ピットインをくり返しながら、2時間を走り切る。そして、水曜日には公式練習と予選1が開催される。予選1は午後7時からの1時間。まだ明るい時間帯である。ここでトップ8に残らないと翌日のハイパーポールにすすめない。T社は、2台ともハイパーポールに進むことができた。そして午後10時からの公式練習が始まった。ここで、朱里は初のナイトレースの練習をハイパーカーで行ったのだ。最低5周を走らなければならない。
朱里は、マシンそのものには慣れているつもりだったが、夜の公道レースは初めてである。ユノディールの直線は微妙なでこぼこがあり、ステアリングが常にぐらぐらしている感がする。2ケ所のシケインも集中していなとオーバーランしかねない。一番やっかいなのは、直線を過ぎての90度コーナーであるミュルサンヌコーナーである。毎年、幾多のドラマがここで展開される。ましてや300kmを越すスピードから急減速して100km以下に落とすのである。ブレーキングポイントの看板を見逃したら即コースアウトである。そしてインディアナとアルナージュの2つのコーナーもくわせもののカーブだ。GT3のマシンとからむのは、このあたりだ。かつて監督の小田がドライバーをしていた時に、GTカーを抜いたらそこに別のGTカーがいてぶつかったという場所がこのあたりだ。そこから微妙な左カーブが続き、ポルシェコーナーに突っ込む。ここからはパーマネントコースのブガッティサーキットだし、観客席があるので、明るくなり、舗装もいい。メインストレートはGT3カーを抜く最大のチャンスだ。
朱里は耐久レースはがまんのレースだと思っている。スタート直後の第1スティントはハイパーカー同士のバトルが見られるが、それもチームの指示で制限される。アクセルの開度はすべて、チームのPCにつながり、ガソリン消費量が計算される。ミスのないチームが結果を残すのである。朱里は第3ドライバーなので、第1スティントを任されることはない。だが、トラブルがなければフィニッシュを任されることになっていた。優勝すればそれは栄誉なことだ。
翌日、午後3時から3時間のフリー走行。朱里の持ち時間は1時間だ。そして午後8時から予選2のハイパーポールの戦いが始まった。朱里の出番はない。モニターで見守るだけであった。7号車はニックとミック、8号車は平田とフレッドが担当することになった。30分ずつのチャレンジである。3周走ってタイヤとマシンをあたためる。4周目からアタックである。思うようなタイムがでない時は5周目もアタック。6周目にクールダウンしてピットイン。これでおよそ25分かかる。
ハイパーポールの結果は、ニックが3分25秒485の好タイムをだしたが、予選3位に終わった。平田はその0.5秒落ちで4位に入った。トップの2台はイタリアF社のマシンである。後ろのドイツP社のマシンとの差もほとんどない。例のウエィトハンディの影響は明らかだ。今年のルマンは激戦が予想された。
金曜日は、休養日というかルマンの街でパレードがある。オープンカーで街中をドライバーが顔見せをするのである。朱里にとっては初体験である。朱里が顔見せをすると、
「 Cute !」(かわいい!)
「Is she really 20 years old ? Isn't she 15 years old ? 」
(本当に20才なの? 15才じゃないの?)
という観客からの声が聞こえた。アジア系の女性はヨーロッパの人間から見ると若く見えるというか幼く見えるらしい。かわいいとは言われるが、きれいとは言われないので、朱里はちょっと複雑だった。別の車に乗っているカイルには
「Beautiful ! 」(きれい!)
という声がかかっていたから、なおさらである。
でも、パレード後のパーティーでは朱里はアイドルになっていた。ある意味、疲れる1日となっていた。
土曜日、本戦の日である。朝から続々観客が集まってくる。サーキットの周辺道路は大渋滞である。今日は使わないパーマネントコースであるブガッティサーキットのコースサイドも駐車場になっている。近くの村の人たちも沿道で見ているので、一説には30万人の観客がいると言われている。有料席だけで10万人以上いるのである。メインスタンド裏には、観覧車などの遊園地まである。移動遊園地なのだが、1日で観覧車が組み立てられたのを見て、朱里は(だいじょうぶなのかな)と思った。乗った人に聞くと、ふつうの観覧車よりスピードがでるのでこわかったという。お客を乗せるとノンストップで2周回るのだそうだ。他にも絶叫系のマシンがあるのだが、全て1日で組み立てられている。以前は2人乗りのジェットコースターが線路から落下して、乗客が大けがをしたことがあるそうだ。レースを見にくる観客は、スリルのあるものがスキなのかもしれない。
コース下見で走ると、公道部分のいたるところにテントが建てられている。地主さんが建ててお客さんをいれているところもあるが、コースオフィシャルのテントもたくさんある。中にはBBQをやっているテントもある。日本と違って、各コーナーはあるファミリーの担当なのである。例えばミュルサンヌコーナーのアウトは、フランクファミリーの持ち場ということだ。家族や親せきでその場を守り続けているのである。さすが100年続く世界三大レースのひとつである。人々の生活の中にレースが根付いている。朱里は日本がそこまでいっていないので、ある意味うらやましかった。
華やかな開催セレモニーが終わり、朱里は少し興奮していた。レースをやってきて8年目になるが、世界三大レースの舞台に立てたという実感がやっとわいてきていた。
ピットに戻った朱里に、野島父がドリンクを持ってきてくれた。
「これを飲むと落ち着くぞ」
と言うので、飲んでみた。
「これ、ただのミルクじゃない?」
「そうだよ。レーサーにとってはゲンのいい飲み物だから」
「それって、インディ500の話じゃないの。ここはルマンよ」
「信じるものは救われるだよ」
午後4時、レーススタート。7号車はエースのニックだ。8号車は、フレッドがスタートをつとめている。ウエイトがきついので、前半は守りの走りをして、後半にエースの平田で追い上げる作戦である。
スタート直後のフォードシケインでアクシデント発生。数台が接触し、オーバーランしている。幸いにT社の2台は巻き込まれなかった。ダンロップブリッジ下を越える時には1列縦隊になっている。接近戦だ。モニターで見ていて、この接近戦は異常だと朱里は思った。これから24時間走るレースのスタートではない。まるで10周しか走らないスプリントレースの様相だ。
公道に入るテルトルルージュのコーナーに来ると、1・2位はイタリアのF社。予選どおりである。3位には7番のニック。だが8番のフレッドは5位に落ちている。予選5位のドイツのP社に抜かれている。
午後6時、ドライバー交代である。7号車はニックからミックへ交代。8号車はフレッドから平田へ交代。ここから巻き返しである。ピット作業がうまくいって、7号車は2位にアップし、8号車は4位にあがった。1位と2位の差は10秒差である。直線では差が縮むが、立ち上がりが遅い。やはりウエィトが響いている。要はミスをしないことである。
午後8時、朱里に交代。ミックとは身長差が大きいので、シート合わせに少し時間がかかるが、特に問題なくピットアウトをした。2位キープであるが、差は20秒差に広がっている。監督の小田からは
「タイム差は気にするな。自分のペースで走ればいい。勝負は後半だ」
と言われている。
朱里は心を落ち着かせることに集中していた。見るのは前にいるGT3のマシンだけ。それをどこで抜くかだけを考えていた。余計なことは考えないようにした。
1周目は、タイヤをあたためることだけを考えた。GT3のマシンを抜くこともしなかった。
2周目、ユノディールの直線でGT3のマシンに追いついた。2つ目のシケインを過ぎたところで、一気に抜いた。コーナーで抜くよりストレートで抜いた方が安全だ。コーナーでは何が待っているかわからない。
午後9時ピットイン。タイヤ交換とガス補給である。朱里の体調に変化はない。監督の小田は、朱里のレーサーとしての特質を見出していた。並のレーサーならば、初めてのルマンで弱音をはきかねない。だが、朱里は毅然としてシートに座っている。まわりの雰囲気にのまれず、レースだけに集中できるところがすごいところだと思った。ピットアウトしていく朱里の後ろ姿を小田は頼もしく見守った。
1位との差は25秒に開いていた。徐々に離されている。だが、9時半、トップのF社の女性ドライバーがミスをした。ミュルサンヌコーナーでオーバーランをしたのだ。彼女も初のルマンである。緊張なのか、疲労なのか、あと少しで交代というのが怖い時間帯である。F社のマシンはそこからペースが落ちた。そして早めのピットイン。ピット作業も通常より長い。
午後10時、朱里からニックに交代。周りは暗くなってきている。トップのF社との差は5秒に縮んでいる。ニックは朱里の肩をたたき、笑いを浮かべてピットアウトしていった。朱里は、ほっとした。とたんに急におなかがすいてきた。モグモグタイムである。野島父が差し出したのは、バナナであった。消化がよくエネルギーもでる。それからシャワーとバスタイムである。日本から取り寄せたビニールプールにお湯を入れてもらっていた。そこにつかると疲れが一気にとれる気がする。それからチームのトレーラー内にあるベッドで2時間の仮眠である。ヘッドフォンをかけて軽い音楽をかけながら寝るのである。レースのことは考えないようにした。2時間後、野島父に起こすように頼んでいる。
午前1時、隣のベッドではニックが寝ている。レーススーツを着込んで、ピット内にいく。ミックは2位をキープしている。トップとの差は10秒だ。やはりウエィトがきいている。8号車は3位争いをしている。エースの平田がF社のマシンにプレッシャーを与えている。今にも抜きそうな勢いだ。
午前2時、朱里の出番となった。初のナイトランだ。ペースをつかむまでは無理をしない。トップとの差が開いても気にするなと言われている。
午前2時半、10周ほど走ってペースがとれるようになった。無線で小田から
「朱里、前にGT3が2台いる。気をつけろよ」
と日本語で指示が入る。朱里の時は日本語でくるのは助かる。平田には英語でくるので、朱里だけ特別扱いだ。
ミュルサンヌコーナーで2台が接戦をしているのが確認できた。抜くのはメインストレートと決めて、間合いをとってついていく。すると、インディアナコーナーで2台が接触して、2台ともコースアウトしていた。間合いをとっていて正解だった。近づいていたら巻き込まれていたかもしれない。FCY(フルコースイエロー)がでた。車内のモニターにイエローサインがでる。60km制限だ。コンピューターが制限してくれるので、指定の3速にいれて走る。シケインコーナーは軽くブレーキをかけて曲がる。
午前3時、FCYが解除されて数周走ってピットイン。タイヤ交換とガス補給はスムーズである。ピット作業はピカ1だ。またもやピット作業で5秒縮め、トップのF社と5秒差となっている。1周ごとに0.5秒ずつ詰めている。10周で追いつくペースだ。
午前3時半、8周走ったところで
「朱里、前を走っているのがトップだ。直線で抜けたら抜いていいぞ」
と、小田からの指示がきた。朱里はうれしくなった。ハイパーカー同士のバトルができるなんて、めったにないことだと聞いていたからだ。だが、ナイトレースだ。油断は禁物だ。テルトルルージュまでは相手のペースに合わせて走る。ユノディールの直線で相手にせまる。すると、最初のシケインで、相手がオーバーランしてしまった。朱里のプレッシャーに負けたのだ。トップにでた。朱里は身震いした。自分がルマンでトップを走っている。今まで何度、この夢を見ただろうか。追い上げる時よりも手が震えている。と感じたとたん、ミュルサンヌでミスった。オーバーランだ。グラベルで止まってしまった。頭の中は真っ白だ。エンジンも止まっている。
「朱里、大丈夫か? エンジンが止まっている。動くか?」
と小田の無線がとんできて、スターターを押すがエンジンはかからない。
「だめです。エンジンストップです」
と返事をする。すると、
「システムを再起動しろ。電源を一回切って、もう一度起動だ」
との指示がきたので、電源を一度落として、3秒たってから起動スイッチを押した。起動のランプがついた。それからスターターを押した。(かかってくれー!)と心から願った。すると、バグバグッと音がして、エンジンが復活した。ギアは2速にいれた。1速だと空回りをして、グラベルから脱出できないからである。ゆっくりスタートしてコースに復帰した。コースはFCYが出ていたが、朱里がコースに復帰したので、FCY解除となっている。
午前4時、トラブった周でピットインした。ドライバー交代とマシンの修理である。足まわりにトラブルが起きていた。ここで5分のロスをした。朱里は、一人になって涙を流していた。天国から地獄とはこのことである。ベッドに横になっても寝られなかった。
レースは1位F社の28番、予選2位のマシンである。2位T社の8番。3位F社の27番、予選1位のマシンだ。4位はドイツP社の5番。朱里のマシンは1周遅れの8位になっている。
午前6時、ニックからミックに交代。ここで、周回遅れを挽回して、同周回にもどした。8号車の平田はトップに肉薄している。
午前8時、朱里の出番だ。緊張した顔をしている。そこに、小田から
「トップの28番を抑えてくれ。カイルがすぐ後ろにせまっている。抜かせるタイミングを作ってほしい」
と言われた。チーム戦略だ。
ピットアウトして5周目、そのチャンスがやってきた。ユノディールに入ったところで、無線で
「後ろに28番がせまっている。たのむぞ」
と小田からの指示がきた。ある意味緊張した。後ろからライトをパッシングしてくる赤いマシンがせまってくる。バックモニターにもしっかり映っている。ブルーフラッグが振られたら進路を譲らなければならない。そうならないように朱里もある程度加速をする。ミュルサンヌの出口で少しスピードを落とした。すると、28番もブレーキをかけて何度もパッシングをしてくる。そこで加速をする。ブルーフラッグは出ていない。インディアナとアルナージュでもスピードを落とした。28番は朱里のすぐ後ろについた。アルナージュを過ぎたところで、ブルーフラッグを確認した。そこでラインを外して、28番を先行させた。すると8番も続けて抜いていった。
(たのむぞ、カイル)
と朱里は願った。本当は自分がそのポジションにいたかったのだが、ミスをしたのでは仕方ない。
「朱里、ご苦労。あとはカイルの仕事だ」
と無線が入った。
午前9時、ピットイン。ここで、カイルが28番を抜いた。作戦成功である。
朱里は周回遅れながら7位に上がった。5位のP社のマシンがトラブルでピットから出てこなかったのである。ここからが耐久レースの山場である。
午前10時、ニックに交代。小田から
「お疲れさん。あと1回頼むな」
と言われ、先ほどよりは笑顔で奥のトレーラーにもどることができた。そこに野島父がいて、
「どうだ。24時間レース楽しんでいるか?」
「楽しんでない。苦しんでいる」
「最初は皆そうだよ。大事なのはあきらめないことだ。何があってもピットにもどってくるというのが、大事なんだよ。まあ、体を休めろ」
と言われ、今度は仮眠ができた。
午前12時、ニックからミックへ交代。ニックががんばって同周回にもどしている。平田はトップで走っている。
午後2時、ミックががんばり、4位まであげた。というか、上位の3台がトラブってピット作業に時間がかかっている。ここが耐久レースのだいご味である。平田はトップでカイルに代わった。
朱里のラストランである。トップとは2分30秒差。追いつける距離ではない。でも3位のP社の6番には20秒差である。追いつけないタイムではない。ペースをはかると、P社のペースより0.5秒速い。40周で追いつく計算だが、残り2時間では35周しか走れない。このままでは抜けない。ポイントは1時間後のピットインだ。
午後3時、最後のピットイン。スムーズにいき、2秒縮めた。でも、これでは後ろにつけても抜くペースではない。何かが起きなければ3位入賞はのぞめない。でも朱里はあきらめない。持ち前の負けん気がでてきた。朱里はトップを守る走りより、追い上げる方が向いているのだと思う。
午後4時を回った。トップのカイルがチェッカーを受けた。でも朱里はミュルサンヌで3位争いをしている。1秒前にP社の6番がいる。インディアナとアルナージュでスリップについた。ずっとスリップについて走る。そして、ポルシェコーナー手前で右に出て並んだ。ブレーキ勝負だ。アウトにいる6番が有利だが、朱里はインを譲らない。6番はアウトアウトインのラインをとらざるをえなくなった。朱里はタイヤスモークをたててインインアウトのラインをとった。最後のコルベットシケインに最初に飛び込んだのは朱里だった。そのままフィニッシュラインを越えた。ピットは大騒ぎだ。優勝したカイルよりも大きい歓声と拍手がピットにわき起こった。朱里も車内で小さくガッツポーズをした。無線では、小田が
「朱里、スゲーぞ!」
と興奮してしゃべっている。カイルはフレッドと平田をマシンに乗せてパレードをしているが、朱里は3位のマシンがはいるところへ誘導された。その後、体重と血圧を計測した後、表彰台裏の控え室に移動する。チームの仲間からは手荒い祝福を受けた。
控え室に入るとニックとミックがいた。二人とも朱里にハグしてきた。頬にキスをしようとしたので、それは
「No thank you . 」(結構です)
と断った。たとえ頬でも初キスは好きな人としたいと思うのが乙女心である。そこに、カイルたち8号車のメンバーもやってきた。お互いに健闘をたたえあった。平田が、
「よくがんばったな。最後のポルシェコーナー、見てて身震いしたよ」
と言ってきた。
「ありがとうございます。でも、ナイトセッションでミスをしてしまって、優勝のチャンスを逃してしまいました。ニックとミックに悪くて」
「それがレースだ。気にしなくていいよ。ましてや初めてのルマンだ。8時間走り切るだけでも立派だよ。オレなんか最初の時は、立っているのもつらかったもの」
「平田さんでもそうだったんですか」
「そうだよ。8時間も走るレースなんて日本ではないからね。だれだって、初めてはうまくいかないもんだよ。朱里は、その点立派な方さ」
「ありがとう。そう言われると救われます」
表彰台では、明るい朱里の顔が見られた。
7月のモンツァ6時間はユリアがでることになっている。朱里はリザーブドライバーなので、イタリアには来るが走ることはないと思う。それが終わると翌週のスーパーGTの富士450kmに出ることになっている。ホームコースだから負けられないレースだ。そして8月のWEC富士6時間にも出る。しばらく日本にいられるのを朱里は楽しみにしていた。
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