その小娘の行動は余りに気紛れ過ぎて、深い智慧持つ角龍ですら戸惑っています

 ぐだぐだと時間を費やしている間に、こうはどうにか意識を取り戻したらしく、のろのろと体を地の底から引き出してきました。

 彼は唐突に自分を踏ん付けて地面にめり込ませた母親に非難がましく唸ります。

「お黙りなさい。尊きお方に無礼を働いて命あるだけ感謝すべきです」

 角龍は冷たく言い放って息子の文句を退けます。上位龍からの威圧を受けて蛟は心臓を止め掛けています。

 うちの小娘にはそんな気がないのに、家庭内の躾で死んでしまいそうになっています。

「それ、躾じゃなくて虐待って言わない?」

 まぁ、そうですね。

結女ゆめは他人のこと言えんのか?」

 灯理とうり、もっと声を大にして言っていいですよ。わたしに怒られたくないからって化身を与えない親なのですからね。

「……なんのことやら」

 知らばっくれるにしても、もうちょっと説得力を持たせてくれませんか。

 みんなに見られないように顔を背けていたら、悪い事をしている自覚があるって言っているようなものですよ。

「ねぇねぇ、あなたの息子さん? は、なんにも悪いことしてないよ、安心して? ただみんなで背中に乗ってお空を飛んでもらいたかったんだけど、急だったからちょっと渋ってただけだよ」

「あ、こら、嵐!」

 誰も事態の説明をしないのが不義理だと感じたのでしょうか、らんが軽い足取りで人の姿を取った角龍に歩み寄って簡単に説明を始めました。

 それに慌てるのが灯理です。不用意に龍に近付くなんて危ない真似をしているので、当然の反応ですね。

 むしろ肌がひりつくような圧迫感を受けている筈ですのに、井戸端会議感覚で話し掛けに行った嵐の度胸が余りに人並み外れています。この娘に怖いと思うような相手はいないのでしょうか。

 角龍は人間に敬語もなく話し掛けられてもそれを無礼と腹を立てる様子もなく、静かな眼差しで嵐を見返しています。角龍に至る程の存在なので、嵐が普通の人間と言うには大きく逸脱しているのをその眼で見抜いているのでしょう。

「……うちの愚息の背に乗って空を飛ぶ? どうして、そんな回りくどい事をなさろうとされているのでしょう?」

 ええ、まぁ、角龍の疑問ももっともです。腐ってもうちの小娘は神御祖神かみみおやかみですから、凡そ神霊が持ち得る権能は全て自分で賄えるのです。

 空を飛ぶだなんて、神でない鳥や虫にも備わっている機能ですので、わざわざ他者の力を借りるというのは角を頭に生やした彼女の言う通り、回りくどいと一言で切り捨てられてしまえる行為です。

 角龍に問われた直接の相手である嵐は、ちらっと後ろの小娘を振り返ります。

 こら、そこの小娘。話くらい聞いていたでしょうに、そんなきょとんとした眼差しを嵐に返すのではありません。むしろ、ここは貴女が角龍に返事して然るべき場面です。

「楽しいからじゃないかな」

「たのしい」

 小娘が散々喚いていたその理由を嵐が代わりに告げると、角龍は宇宙を背後に負った猫のような顔で鸚鵡返ししました。龍でも宇宙猫顔するのですね。知りたくなかった事実です。

「申し訳ありません、尊き方のお考えが私には直ぐに理解しかねるのですが、もう少し詳しく、その楽しいと成り得る道筋を教えてくださいますでしょうか。面倒を敢えて行うのがいとま潰しになる、という意味でしょうか?」

 ああ、人よりも遥かに賢い角龍が頭を悩ませています。

 うちの小娘の戯言なんて下らないの一言に尽きるのですから、そんなに真面目に考えるのは無益に過ぎます。このバカな小娘に限って言えば、神格の尊さと人間性の高さは比例しないのです。

「ちょっと、ディスりがひどいんだけど」

「妥当だろ」

「なぁんっ!?」

 灯理に本当の事を言われたからって猫のように鳴かないでください。貴女が猫の物真似しても可愛くないです。全時空の猫に謝罪してください。

「あんた、いつから猫派になったのよ」

 別に猫でなくても、犬でも猿でも鶏でも牛でも、可哀想なのには変わりありませんので同じように謝罪を要求しますよ。

「えっとねー、さっきはトカラちゃんでふわふわ浮いてたんだけど、それより龍に乗って空飛んだ方が楽しいからってお出掛けしたんだよ」

「はぁ……?」

 嵐は請われるままに説明を付け足しましたが、角龍は取り留めのない内容に漫然と返事をするしか出来ません。

 目の前の彼女がピンと来ていないのを悟った嵐は、とてて、と灯理の所へとやって来て、その腕の中に預けていた海真秀呂支斗和羅神わたなまぼろしとからのかみをさっと取り上げてまた角龍の前へと舞い戻ります。

 そしてさっと角龍の目の前に斗和羅神を突き出しました。

「これがトカラちゃん!」

「自然そのものの原始神に等しい神霊ではないですか」

 斗和羅神を目の当たりにして角龍が戸惑っています。分かります、貴女の息子の蛟より遥かに上位に値する存在ですものね。

「愚息どころか、私と比べてもさらに神格の高い存在です。なのに、この方よりもうちの愚息の背に乗りたい、と仰られるのですか?」

「きゃん」

 嵐の手の上であざらしのぬいぐるみが短く鳴いて角龍の疑問を肯定します。

 そろそろそこの小娘が最高位の神格にそぐわないふざけた思考の持ち主だと分かってもらえてきたでしょうか。

 しかも蛟に対してはその神威を見せるのも渋って、正に人間の小娘が無礼な願いをしてきたとして受け取られていないのです。

 はっきりと言いますが、全ての非はこの小娘の方にあって、蛟の態度は至って真っ当なものでした。

「ちょっと、わたしの態度が悪いから話が拗れたみたいな曲解を生む発言はやめてくれる?」

 曲解どころか、それが唯一の真実ですよ、このバカ小娘。

「はあ!? あいつが渋るのが悪いんじゃないの!」

 蛟を指差すのではありません。

 貴女の小さい指を不躾に向けられて鼻息を荒く吐いた途端に、母親である角龍に睨み付けられて小さく縮こまるあの姿を可哀想だと思わないのですか。

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