その料理は竈の女神によるものですが、恋のスパイスには負けてしまって悔しそうです

 そしてらんの目の前に置かれたお盆には本当に他の者の三倍の量が盛られていました。

 具体的には、エビフライが九本、アジフライが三枚、サバのフライが六切れ、豆腐が一丁、栄螺の壺焼きが三つ、もやしの炒め物、鯵のなめろう、鰤の塩焼き、大きなお椀に装われたアラ汁には嵐の分だけ兜が堂々と顔を出しており、丼に油揚げとひじきの炊き込みご飯が山盛りになっています。

その圧倒的な量を横に見た誰もが息を詰まらせているのに、嵐は目をキラキラとさせて期待に胸を膨らませています。

「すごい! お代わりに立たなくていい!」

「うち、米は自分でよそえって言ってたからなぁ」

 灯理とうりは食事の時に何度も立ってご飯をお代わりする嵐の姿を思い浮かべて、遠い目をします。

 これだけの量を出されてお代わりに立たなくていいという感想を出されて、肥らせると活き込んでいたひめの方が顔を引き攣らせています。

「なに、あの子、怪獣なの? 怪獣が人と心通わせて人間の姿を手に入れたの?」

 媛が勝手に壮大な物語を作り上げて震えています。映画にでもなりそうですが、そんな事実はありません。二人の物語は少し設定年齢が高めの恋愛物です。

伊佐那いさな、揚げ物を半分食べてくれないか?」

 嵐が大量の揚げ物にテンションを上げている一方で、清淡きよあわは彼女の三分の一の量の揚げ物に渋い顔をして伊佐那に取ってもらいたいと願い出ていました。三十も半ばを過ぎると油物の消化が厳しくなると言いますからね。

 伊佐那は隣の席に座る清淡を透き通った瞳で見上げています。良く見ると微かに首が傾いているようです。

 しかし、背の高く清淡は座高だけでもひょろりとしていて、小柄な伊佐那と並ぶと親子にしか見えません。

「いいのですか。我が夫は物足りなくなりませんか」

「いや、それで十分だ。だから君が食べてくれると嬉しい」

「それなら、いただきます」

 伊佐那は清淡が揚げ物を箸で移動させるのをじっと見詰めて、最後の一つがお皿に置かれてから嬉しそうに箸を付けます。

「おいしー! うわ、サバがふわふわ! 塩味だけどちょっと複雑な感じがする!」

 そんな横でサバのフライを食べた神御祖神かみみおやかみが感激の声を上げています。

「お魚もいいね。お肉も美味しいけど」

「今時の子ねー」

 子供って魚より肉が好きですよね。家の小娘も例に漏れないようです。

 そんな神御祖神に媛が叔母さんのような言葉を漏らします。

「船の上に住んでたから、今でもその頃と同じ食材を使い勝ちなのよね。うちの人達は海の物の方が好きだし」

 彼女達は海勇魚船神わたないさなふねのかみに乗って海洋を放浪し、最終的には海を回遊する事を決めた国の神々です。ですから自然と食事も海から採れるものしか並びませんでした。

 頼めば肉料理も作ってくれるでしょうが、つい手慣れた献立にしてしまうのも分かります。

「てか、本当に勢い変わらずに食べ進めてるんだけど、あの娘、マジで怪獣じゃないの? 少なくとも人間じゃないよね?」

 神御祖神がサバのフライ一切れとエビフライ一本を食べている間に、嵐がフライを半分に減らしているのを目撃した媛が信じられないと目を見開きました。

 あれだけの油を摂取しているのにも関わらず嵐はにこにこにこにこと笑顔を絶やさずに食を進めています。

 人間かどうかで言うと、彼女も言霊が人に転生したものなので、神御祖神や航津海七神わたつみななつかみと同じくらいには人間ではないのですけれど、肉体は一応人のものです。

 媛が胡乱な目でペースを乱さずに動く嵐の端を見詰めています。

「人間の消化器官と代謝機能であの量が腹に収まるのもあの体型が維持できてるのもおかしいでしょうが」

「まぁ、嵐だし」

 疾うの昔に考えるので止めたのでしょう、灯理は媛の苦情に対してさらっと個性だからと受け流してしまいます。

 そんな灯理に媛は憐みの目を向けました。

「あんたん家のエンゲル係数、相当ヤバかったでしょうね」

「宝石ねだられるよりマシかなって途中から思うようにした」

 灯理は本当にいつでも苦労が絶えませんね。良く胃が平気なものだと感心します。

 そんな灯理は自分の分の食事を終えると食器を持って席を立ち、媛の立つカウンターまで自分で運びます。

 媛は灯理の運んできたお盆を受け取るとそのまま流しで洗い物を始めます。

 灯理はその横に立って食後の珈琲を淹れ始めました。

 嵐も食事のペースが遅いのではありませんが、如何せん食べる量が違うので自然と灯理の方が先に食事を終えるので、灯理が珈琲を飲みながら嵐の食事が終わるのを眺めるというのが恒例になっているようです。

 好きな相手なら食事をしているのを見るだけでも幸せな気分になるのでしょう。

 それを感じ取った媛が親の仇でも取るように怒りを込めて皿の水を切る音を鳴らしています。それだけで呪いでも掛けられそうな勢いです。

「居心地悪いな……」

「あたしの竈にアベックの居場所などない」

 アベックってまた随分と古めかしい言い方をしますね。

「そういうおばさんくさいところが媛がモテない理由だと思うな」

「あぁん?」

 小娘が余計な事を言って媛に凄まれています。

 蛇に睨まれた蛙のように身を竦ませていますが、そんなに怯えるなら言わなくても良い事を言うのではありません。

「わたしは素直に生きるのを尊重しているもん」

「気遣いの気の字もないって宣言に聞こえるけど」

 媛のツッコミにわたしも強く同意します。

 神霊を生み出す神御祖神は確かに最高神の中でも特に位の高い存在であるのは間違っていないのですが、だからと言って周囲を思いやらずにやりたい放題されては困ります。

「そんな! わたしちゃんといい子だよ! 誰かを不幸にしないよ!」

 不幸にはしませんが、率先して困らせますよね。

「こ、困難が人を強くするんだよ……」

 本当に心からそう思っているなら顔を反らさずに此方をしっかり見て言って貰えますか。まぁ、何処を向いていてもしっかりとわたしからは見ているので関係ないのですけれども。

 貴女、面白半分に厄介事を思い付いて人間が狼狽えるのを見て楽しんでいますよね。

「思いも寄らない事が起こるのって一番楽しいよね!」

 殴りたいです、この笑顔。誰か代わりに一発かましてくださらないでしょうか。

「創造神殴るとか恐ろしいことを要求するなっての」

 灯理に睨まれてしまいました。

 そんな、どう聞いても問題があるのはそこの小娘の方ですのに。

「ごちそうさまー! 美味しかった。あかりさん、あたしもコーヒー飲むー。カフェモカの甘いのがいいー」

「はいはい、ちょっと待ってろ」

「あの量の油物を平らげた上でさらに甘いコーヒーを飲む、だと……?」

 しっかりと米粒一つ、フライの衣一欠けも残さずに食器を空にした嵐がさらにお腹に溜まりような飲み物を灯理にねだります。

 慣れた様子でココアと珈琲の準備をする灯理の横で、媛が声を強張らせています。普段からこんな食生活をしているのですから、フライを大量に出したくらいで嵐を肥らせるのは難しそうです。

 フライを大量に出したのに肥らせるのが難しいって、思考がバグる文言ですね。怖いです。

 灯理は手早くココアたっぷりの珈琲を淹れて生クリームまで浮かべたものを嵐に届けました。

 それを一口飲んで、嵐は幸せそうに息を吐きます。

「んー、お魚美味しかったけど、どうせなら灯理さんお手製のタルタルソースで食べたかったなぁ。灯理さんのタルタルソース美味しいんだよね……」

 しっかりと食べた後だというのに、嵐は灯理の手料理を思い浮かべた食欲が表情に漏れ出しています。

 自分の料理を食べたのに違う料理に思いを馳せられてプライドが傷付いたのか、媛が鬼のような形相で灯理を睨んでいます。

「嵐、そういうのは作った相手がいないとこで言ってくれ」

「めぅ?」

 嵐は何にも分かっていない顔をして冷や汗を掻く灯理を見返します。

 この天然な娘を恋人にしている灯理は本当に苦労しているのだと実感しています。

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