そのエリアは安全だとか言い張ってましたが、神の眷属が闊歩しています

 美登みと灯理とうりの渡したランタンの蛇を素直に追い掛けてエントランスの外へと出て行きました。その素直さは人に騙される要因になりそうで少し心配になります。

「さて。天真璽加賀美あめのましるしのかがみ、ここに美登を出して」

 神御祖神かみみおやかみが一つの席に座り、その正面にある鏡を指差してわたしに要求してきます。

 わたしはその鏡に視覚を共有して、言われた通りに森の中で梢を見上げる美登の姿を映し出します。

「め。ドローンとか付けてたの?」

 らんは分からないでしょうが、わたしはこのダンジョン全てを見通していますので、そんなものがなくても全域を把握しています。

 その事を灯理が嵐に伝えている間に、美登は自分の拳銃を握り締めて森の中を進む決意を固めます。

 昼の森は木々の影を落としても尚明るいのですが、灯理のランタンは良く見ないと分からない程度ですが明かりを浮かべて境界を描き、その中で同じ光で姿を浮かび上がらせる小さな蛇が身をくねらせて行き先を示します。

 腐葉土が湿り、苔生した地面を美登の足がざくざくと踏み締めて進みます。その動きに合わせて首から提げたランタンが揺れてテンポ良く美登のお腹を叩きます。

 人の手が入らなかったままに存続した原生林を再現したものであるその森は、圧倒的に針葉樹の割合が少なく殆どが照葉樹で占められています。その幹には地衣類がへばり付いていて、ともすると土が乗っているようにも見えます。

「灯理さんだと転んじゃいそうだね」

「言っとくが、今の俺は都会育ちじゃなくて、深くて暗い森に棲んでた蛇の時の方の実感だからな」

 前世では飛騨高山の自然の中で育った嵐が灯理を揶揄いますが、灯理も負けじと言い返しています。仲が良い事ですね。

 だから澪穂解冷茶比女みをほどくひさひめもそんな風に二人の顔を交互に見較べて不安そうな顔をしなくて良いのですよ。

 そしてそこの小娘、さり気なく海真秀呂支斗和羅神わたなまぼろしとからのかみを攫って枕代わりにしてテーブルに突っ伏してだらけるのではありません。

「いーじゃーん。ドキュメンタリーを見るのに片肘張るだなんてあほらしいよー。とーりー、ココア飲みたーい」

 人が真剣にダンジョン探索しているのをテレビ番組扱いするのではありません。

 灯理も苦笑いしながらココアの準備しなくていいのです。どうせ淹れるなら苦いエスプレッソでも淹れてやりなさい。

「ちょっと、子供にそんなもの飲ませるとか虐待だよ、虐待ー」

 煩いですよ、このお子ちゃま味覚。甘いものばっかり摂取していたらすぐ太るのですからね。

「灯理さん、あたしもココア飲みたい」

「分かってるよ。大人しく待ってろ」

 わたしの声が届かない嵐は兎も角、灯理までいちゃついてなんですか。

 あ、今、面倒そうに溜め息吐きましたね。

「天真璽加賀美も落ち着けよ。結女ゆめが言った通り、自然のまんまだけど現実でもあり得る普通の日本の森だろ」

 灯理は気楽に横目で美登の映る鏡を見ながらココアの粉をカップにぽんぽんと落としていきます。

 しかしその鏡から鋼が擦れる音が響いて灯理は手を止めました。

「お、刃金はがねが様子見てるねー」

 神御祖神が呑気に、そして楽しそうに言い放ちます。

 美登もその音に気付いて右前方に立つ木の枝を見上げてそれを見付けました。

 刃金、もしくは刃金鷹とか刃金鳥等と呼ばれるそれは、刃金速高命はがねのはやたかのみことと同じく全身の羽毛が刀の刃であり、正しその大きさは現代のハイタカと同程度です。名前から推測出来る通り、刃金は刃金速高命の眷属です。

「も、モンスター!? そんな、危ない生き物はいないって言ったのに、嘘つきー!」

 美登の絶叫が森のの葉を揺らしました。しかし彼女も緊張の中でぎりぎりの理性を働かせているらしく、両手できつく握る銃は地面を向けたままです。

「違うよ。自分から手を出さなければ安全って言ったんだよ。嘘ついてないもん」

 だから言い回しがおかしいのですよ、貴女は。そんな齟齬が出るような言葉を選ばず、明確な物言いを心掛けなさい。

「え、それじゃ面白くないじゃん。――いったぁ!」

 ココアがたっぷり入った大きめのカップを灯理が神御祖神の頭に叩き付けました。陶器のカップは良い音を鳴らしましたね。

「これ、美登が恐怖で銃撃ったらお前責任取れよ」

 灯理の声が小娘の頭上から冷たく降りますが、痛みに悶えている小娘の耳には残念ながら届いていません。後でもう一回言うのをお薦めします。

 美登は一羽の刃金と睨み合ったまま身動ぎしません。手を出さなければという神御祖神の忠告を覚えていたのでしょうか、それとも根っから臆病なので自分からは撃てないのでしょうか。

 しかしそれが功を奏したようで、暫く美登を見詰めていた刃金は来た時と同じく翼の刃を打ち鳴らして飛び去って行きました。彼は刃金速高命に報告を入れるでしょうが、その内容は放置で構わないというものになるでしょう。

 美登は安堵の息を吐いて探索を再開します。

「ねぇ、あの人たちのいるところって近いのかなぁ。もうああいうのに会うのいやだよぉ」

 美登が泣き言を光の蛇に漏らしますが、その蛇は意識や命を持っている物ではなく単にランタンの機能でしかありませんので、当然返事は寄越しません。

 そうして話し相手もいないままに美登はとぼとぼと歩いていきます。

 ランタンの蛇に導かれるままに足を向ける彼女はやがて木々の茂みが疎らになって開けた所に出てきます。

 木の根を避ける必要がなくなって、ひょいと足取り軽く茂みを抜けて顔を上げた美登は、即座に硬直しました。

 そこで首を伸ばして美登を覗くのは、顔だけでも彼女の背丈を優に超える巨大な黒毛の狼です。

 美登がだらだらと冷や汗を滝のように流す中、大狼は鼻面をひくつかせています。

「おい、結女。あれはなんだ」

「え、狼の神霊はどうせその内生まれると思って先に眷属を生息させておいた。熊とか龍とかもちゃんと用意してあるよ」

 ちゃんと用意してあるよ、じゃないのですよ。神霊に近い眷属を用意してあるとか、何が安全ですか。統べる祖神がいないと眷属の行動を諫める者がいないじゃありませんか。

 大狼はふん、と鼻息で生温い風で落ち葉を捲って、そのまま立ち去ったからいいものを、美登は命の危険から解放されて地面に手を付いていますよ。

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