元カノだから嫌いな女という訳ではないし、嫌いな女だから死んでもいいという訳ではない
午前9時。
柔らかな日差しが外を照らし、人々の心を晴らすような澄み切った青空が広がっている中。
「…………」
「…………」
事務所の社長室はなんとも重苦しい空気で充満していた。
窓の外から小鳥の囀りがよく聞こえてくる。それだけこの場所が静寂に支配されているという事だろう。
一言も言葉を発さぬまま、僕とヴァイオレットはソファーに腰掛けた状態で固まり続ける。
「ただいまなのです!」
その時だった。
そんな静寂と空気を一瞬にしてひっくり返すように、豪快な扉の開閉音と共に一人の少女が勢いよく社長室に現れた。
「おかえりなさい、ブランちゃん。その様子だと、今回の仕事もバッチリだったみたいね」
「
ハーフアップで纏められたその長く透き通るような白髪と水色に輝く雪花の髪飾りが特徴的な美少女は社長にそう告げるなり、自信満々に薄い胸を張った。
彼女の名はブランシュ・ネージュ。僕と同じ
「あっ、八雲先輩! ……どうしちゃったです? そんな思い詰めたような顔しちゃって」
「ああ、実は……――」
僕はブランシュに今回の出来事について教えた。
新しく請けた仕事のターゲットが殺し屋であった事。そしてそのターゲットがもとい、その殺し屋が僕の元カノだった事を。
ちなみに、僕は彼女の顔を間近で見た後、動揺がピークに達し、そのまま逃げ出してしまった。
すぐにこの事を社長に伝えると社長も同じように目を丸くして、一旦眠ってからじっくり話し合おうという形でその場は落ち着いたが、再び社長室に戻って来た後も一体何をどうすればいいのか二人共ただただ頭を悩ませてしまう状態に陥ってしまったのだ。
「ほえ~、
「そうそう、そんでこのままだと深海を殺さなくちゃいけない羽目に……って、あれ? ブランシュ、キミって深海と面識あったっけ?」
「ない! ブランちゃんが一方的に知ってるだけ! 直接会った事も、喋った事もないのです!」
「だよね。そうだよね」
ビックリした。呑み込みが早いと思ったそばからまさかの名前が飛び出してきたから驚いちゃった。
ちなみに深海というのは僕の元カノの名前だ。
始まりは中学に上がったばかりの頃だ。
僕は右腕を骨折した状態で入学式に参加し、ギプスを巻いた姿でクラスメイト達に自己紹介をした。
『暁八雲です。よろしくお願いします』
『だ、大丈夫? その怪我どうしたの?』
『階段から落ちました』
正直にペラペラと喋る訳にもいかないので、ベタな言い訳でいつもその場を逃れようとしていたっけ。
適当にそれっぽい事を話し、誰の記憶にも残らないような薄っぺらい自己紹介を終えた後。数人のターンを挟み、遂に隣の女子が自己紹介の為席を立とうとする。
が、えらく苦戦している様子だった。
何故なら彼女は左足を骨折し、立ち上がるという動作に他の人にはないいくつかの工程を挟む必要があったからだ。
『葵深海です。よろしくお願いします』
『だ、大丈夫? 無理しなくていいからね?』
『すみません、トラックに撥ねられてしまったもので』
絶対その程度じゃ済まないだろ。そんなツッコミを心の中で叫んだのは、おそらく僕だけではなかっただろう。
話していた内容は実にくだらなかった。好きな色に好きな食べ物……。特に話題の広がらない、数秒後には頭から抜け落ちてしまいそうな事しか話さない彼女は別にそれでいいと言いたげな冷めた表情で着席した。
けれど、その後も沢山の人の自己紹介を聞いた筈なのに、僕は不思議と彼女の自己紹介だけは鮮明に覚えていたのだ。
中学一年生の頃は殺し屋としてデビューしてまだ間もなかった事もあり、頻繁に怪我をしていた。
ただ不思議な事に、僕が怪我を負った状態で登校すると、決まって彼女も怪我をしていたのだ。
僕が右腕を骨折すれば彼女は左足を骨折し、僕が右足を骨折すれば彼女は左腕を骨折していた。
席が隣同士な上、状況がよく重なっていた事もあり、僕達は互いに助け合いながら学校生活を送っていた。
『ごめんなさい、代わりにノートとってもらちゃって……』
『いいよこれくらい。前に教科書持ってもらったお礼だしね。まあでも、葵さんって賢そうだから、ノートなんかとらなくても聞いてるだけで授業の内容頭に入ってそうだけどね』
『そんな事ないわよ、暁くん。私、昔からあまり勉強は得意じゃなかったから』
『そうなの? 意外だね。なら、ちゃんと葵さんが見直せるよう、綺麗にまとめてあげなきゃだね』
『クスッ、頼りにしてるわ』
そんな出来事が何度も重なっていき、半年も経てば自然と素で話せるような関係にもなって。
『それじゃ、お願いね』
『いや無茶言うなよ。こちとら両腕骨折してるんだぞ。どうやって車イスごとキミを運べっていうんだ? しかも階段を』
『大丈夫。暁くんなら出来るって。私、信じてる』
『おいやめろ! そんなふうに言われたら頑張るしかなくなっちゃうじゃないか! ってか何で他のクラスメイト達は誰も助けようとしてくれないんだ。こんなに僕達が困っているというのに!』
『きっと私達が嫌われているから』
『ウソ⁉ 僕、嫌われるような事した憶えないのに?』
『私達がそう思っていても、相手も同じとは限らない。たとえ無意識であったとしても、気付かぬ内に他者を傷付けているかもしれない。それが人間関係……』
『ちくしょう! 中坊のくせに悟ったような事言いやがって!』
いつの間にか、下手に気を遣わなくていい彼女の隣が心地よかった。
しかし、向こうが殺し屋だと分かった上で改めて考えてみると……。
僕と同頻度で同程度の怪我をしてくるとか、どう考えてもおかしいな。
「先輩先輩」
「どうしたブランシュ?」
ブランシュの呼び声で現実に引き戻され、僕は深海についての回想を終える。
僕の横に座り、ヴァイオレットが淹れた紅茶と焼き菓子に舌鼓を打っていた彼女は、その宝石のような美しい碧眼で僕を見詰め。
「もしよかったら、ブランちゃんがその元カノさん殺しにいこっか?」
いや突然とんでもない提案ぶっこんできたなコイツ!
「い、いやいいよ! だってこれ僕の仕事だし……」
「でも先輩、今とっても迷ってる」
「うぐっ……」
痛いところを突いてくる。
確かに、僕は今もの凄く迷っている。猛烈に悩んでいる。
僕は殺し屋で、彼女も殺し屋だ。
そして彼女は僕のターゲットで、僕は彼女を殺さなければならない。
けれど、そうしたくないというのが僕の本音だ。
「どうしたら……」
頭を抱える僕を横目に、ブランシュはため息を吐きながら呟く。
「ブランちゃん分かんないです。元カノさんって事はもう別れた人って事で、もう別れた人って事はその人に対して『嫌い』って気持ちがたくさんあるって事なんだから、迷う必要なんて最初っからない筈ですのに」
「一概にそうとは言えないのよ、ブランちゃん。んまっ、アナタも色々経験すれば、その内分かるわよ」
苦笑交じりにヴァイオレットはそう呟くと、紅茶を一口運ぶ。
未だ理解出来ないのか、頭上に疑問符を浮かべるブランシュ。
一抹の静寂が空間を包み込み、茶を啜る音だけが耳を撫でていた――その時だった。
ピロンッという、着信音がポケットから鳴り出した。
僕はポケットからスマホを取り出しすぐさま起動させると、その画面に映し出された通知を前に固まる。
『1時にいつものカフェに来て』
そのメッセージの送り主は今ちょうど僕の頭を悩ませている存在。
僕のターゲットであり、殺し屋であり、元カノでもある女性。
そう、葵深海であった。
ええっと、どうしよ……コレ?
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