決め台詞は決まらないのがお約束

 日を跨ぎ、更にまた日を跨いで深夜1時(ギリ明日じゃ無理でした)。

 事務所から車でおよそ30分。僕はとあるマンションの前に到着した。


「まさかこんな近くに居たなんてね……」


 このマンションは10階建。しかし8階以上の部屋にはたった一人しか住んでいない。

 そして、そのたった一人が今回のターゲット、殺し屋『蒼海ブルーマリン』だ。

 何故8階以上に彼女一人しか住んでいないのか、理由は大体見当がつく。

 一つは堅気の人間達との接触を出来る限り削ぐ為。自分の正体を知られない為、孤立を選ぶのはよくある事だ。

 そしてもう一つは、堅気の人間達を守る為。万が一襲撃に遭った際、一般人に危害の及ぶ事がないよう距離を置くのだ。

 そう、今回のように……。


「ターゲットは1003号室か……。でも明かりは点いていない。もう寝ちゃったかな?」


 マンションを見上げると、1階から7階には点灯している部屋がちらほらと見受けられたが、それより上の階はいずれも真っ暗だ。

 無論、蒼海ブルーマリンが住んでいるとされている部屋も例外ではない。

 既に眠ってしまったのか。それともただ外出してしまっているのか。

 前者ならこのまま突入するが、後者だとせっかく来たのが無駄になってしまう。

 いや、いっそ部屋に忍び込み、家主が帰ってきたところを襲おうか。

 うん、そうしよう。悩む必要なんて無い。最初から突入一択だ。


「得物は充分。侵入方法はいつも通りとして、あとはどうやって戦うか……」


 僕はその場に立ち尽くし、腕を組みながら考えに耽てしまう。

 周りに人が居なくてよかった。特に帰ろうとする素振りも見せず、マンションの前でスーツ姿の男が一人ポツリと立っている姿は普通に不審に見られてもおかしくない。

 なのにどうして、さっきからヒリヒリとした視線を感じるんだろう。

 …………視線?


 ――バコンッ!


 突如、破壊音と共に目の前のアスファルトの地面に直径5cm以下の黒い穴が出現する。

 目の前とは言ったが、正確にはほんの数秒前まで自分の立っていた地点である。


「危なかった。うん、今のは流石に肝を冷やしたね」


 僕はその黒い穴からマンション10階のとあるベランダに目線を移すと、一瞬ではあったが人影と一緒に何やら黒い筒のような物がこちらに向けられているのが見えた。

 夜空と距離のせいで正確に納める事は出来なかったが間違いない。

 あれは――狙撃銃だ。


「とりあえず、部屋に居る事は確定かな」


 狙撃……、こりゃ驚いた。まるで殺し屋ぼくがやって来るのを分かっていたみたいじゃないか。

 どこかから情報が漏れたかな? ……いや、今更考えたってしょうがないか。

 それにしても、周りに人が居ないタイミングを見計らっての狙撃とか……。


「いいね、容赦がなくて」


※※※


「躱された……。中々やるようね」


 狙撃銃を引っ込めると、私はすかさずベランダを後にする。

 もう狙撃の意味は無い。元々不意打ち用に用意していた物だし、初撃を躱された時点でもうこれは彼に通用しない。

 向こうはこちらの位置を知っているし、今の狙撃で私の存在にも気付いている。


「迎え撃つしかないかしら」


 僅かな月明りのおかげで薄暗い部屋に戻った私は狙撃銃をその辺に置くと、パソコンでマンションに設置された監視カメラの映像をチェックする。

 今回みたくいつ襲撃に遭っても迎撃出来るよう、カメラには事前に改造を施しているのだ。

 彼がこちらへ向かってくるには、エレベーターか階段のどちらかを使用する必要がある。

 ルートにはいくつかトラップも仕掛けてあるので、彼がそれに掛かるか監視しながら支度をしよう。

 そう思いながら、使い慣れた獲物を装備していった――その時だった。


 ――バリンッ!


 突如、ガラスの割れたような音が背後から聞こえてきた。


「⁉」


 咄嗟に振り向くと、舞い落ちるガラス破片を突っ切りながら黒い影が猛スピードでこちらに近付き……。

 甲高い金属音が私の部屋を覆い尽くした。


「ここ、一応10階なのだけれど」

「大した問題でもないだろう? 言っておくけど、僕はここが100階建のビルだったとしても窓から入るつもりだよ。その方がカッコいいからね」

「理解し難いわね」


 視界の中で二つの刃が交差する。私は反射的にナイフを構え、敵の一閃を受け止めたのだ。

 柄を握る拳越しに私の視線が彼の紅い瞳とかち合う。

 紅い瞳、か……。

 一瞬、一人の男の顔が頭に思い浮かんでしまった。

 ほんの少しまで、誰よりも私の近くに居た存在を。

 私にとって誰よりも大事で、誰よりも大切で、誰よりも愛していた人を……。


「ったく、思い出させるんじゃないわよ……」

「? 何の話だい?」

「気にしなくていいわ。どうせ、アナタには関係のない事だもの」


 首を傾げている彼の問いに返答するなり、私は左手に握ったピストルを構え、即座に発砲する。

 しかし、銃口を向けるとほぼ同時に彼が身を反らした為、素通りした銃弾は割れた窓の向こうへと消えてしまった。

 私の射撃を回避した彼はお返しとばかりにピストルを向けてくる。が、それを読んでいない私ではない。すかさず右足を上げ、彼の手からピストルを蹴り飛ばしてやった。

 そしてもう一度銃口を彼に向け、発砲しようとしたその直後。瞬時にしゃがむ事で再び銃弾を回避した彼はそのまま流れるように足払いを仕掛ける。

 当然それに気付かない私ではないので、ジャンプで彼の足を回避するのだが……。


「甘いよ」

「ぐっ……!」


 それすら読んでいたと言わんばかりに、彼は逆立ちのような体勢から回し蹴りを披露し、私の右手に握られたナイフを蹴飛ばしたのだ。

 刃の側面で受け止めた為、手に直接的なダメージはないが、衝撃が掌にジンジンと伝わってくる。

 一度距離を置き、ナイフの間合いから脱出すると。彼はそれを全く意に介さず、割れた窓を背に控え、その長い前髪から覗かれる真紅の瞳を輝かせて静かに告げた。


「今宵の月が、キミの見る最期の景色だよ」

「ちょうど雲で隠れちゃってるけど」

「知ってるよ! 何で今日の夜空は空気読まないかなあ!」


 どうやら、彼の決め台詞だったらしい。

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