雛鳥

森音藍斗

雛鳥

 家を出たところに雛鳥が落ちていた。

 汚いボロ雑巾みたいと言ってしまうと、ボロ雑巾に失礼だった。濡れた埃の塊のようだった。必死に親を呼んで鳴いていた。近くの巣から落ちたものと思われた。可哀想だと思った。しかし私ができることなど何もなかった。だから私はそれ、彼もしくは彼女を拾った。それ、彼もしくは彼女を、私は恋と名づけた。

 ぬくもりも殆ど消えかけた恋は、それでも懸命に命を訴えていて呆れるほどみっともなかった。ありえない方向に曲がった翼は恐らく痛みを伴っていた。もう助からないだろうと思った。医学の見識はないので、根拠のないただの感情だった。もしかしたら願望だったかもしれなかった。もう助からなければいいと思った。

 私は部屋に戻り、テーブルの上に大量のティッシュを重ね、それ、彼もしくは彼女を上に置いた。小皿に水を入れ、隣に添えた。それから丁寧に手を洗って家を出た。もともと出掛ける予定があって家を出て、それ、彼もしくは彼女を見つけたのだった。だから予定通り家を出た。玄関のドアを締めれば鳴き声は消えた。アドラーは正しかったのだと思った。

 夜、帰宅すると、それ、彼もしくは彼女は、大人しくなっていた。真っ暗な部屋の中で、部屋を出たときと同じ形でティッシュの上に横たわっていた。白い蛍光灯の下で見ると一層憐れで貧相だった。流石にもう死んだだろうと思った。私が近づくと、それ、彼もしくは彼女は僅かに動いた。意外としぶとい恋だった。馬鹿な奴だと思った。がっかりした。それ、彼もしくは彼女がこちらを見ようとしているような気がした。私は逃げるように風呂場に入り、シャワーを浴びて寝た。

 朝起きると、それ、彼もしくは彼女は完全に冷たくなっていた。恋は死んでいた。残念だと思った。悲しいと思った。何もしなかった私には、悲しむ権利などあるはずもなかった。私はかつて恋だったものの残骸を眺めながら煙草を吸った。もし私がそれ、彼もしくは彼女を拾わなければ、親鳥がいつか見つけたかもしれなかった。助かったかどうかはわからないが、少なくとも最期に愛を受けられたかもしれなかった。もしくは通り掛かった猫にでも食われたかもしれなかった。死んでなお、猫の血肉となり有益であることができたかもしれなかった。可哀想にと思った。もし今生きていてくれたら、愛の代わりか有益の代わりを与えてやったのにと思った。もしくは鎮痛か、もしかしたら延命を与えることができたかもしれなかった。しかし、それ、彼もしくは彼女は死んでいた。生きてほしかったのか、死んでほしかったのかわからなかった。既に死んでしまっていては今更どうでもいいことだった。どうしようもないことだった。

 どうでもいいことで死にたくなるような恋だった。どうしようもないことで、生きたかったことに気がつくような恋だった。

 命はいつだって手後れだったし、恋もまたそうだった。

 私はかつて恋だったものを取り上げ、折れた翼にキスをして、泣いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雛鳥 森音藍斗 @shiori2B

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る