困っている人を見かけたら? ☆10☆


「悪意以外になにがあると言うんじゃ?」

「……恋慕、ではないでしょうか」


 口を挟んだのは、若い女性だった。彼女に視線を集中させると、持っていた茶菓子を置いてから、ハッとしたように口元を手で覆った。


 リーズが置かれた茶菓子をひとつ手に取り、小さくちぎって一口食べてからシュエに渡す。シュエはそれを受け取り、ぱくりと一口噛り付く。干し柿の甘さを堪能し、お茶を飲んで口の中をさっぱりさせると、女性を横目で見る。


「恋慕も過ぎれば恐ろしいものへと変わるからの」

「そうですね」


 とはいえ、さほど恋情のもつれを見たことはないのだが。恋情よりも食い気に走っている間に、王宮でもいろいろなことがあったと記憶しているシュエは、村長と若い女性を見てにっこりと微笑む。


「とりあえず、鍵を掛ける習慣が必要じゃ。その恋慕とやらで、人が亡くなっているのだから」

「確定ですか?」

「うむ。そうえる。村を守るのが、おさの務めじゃろう?」

「……しかし、鍵を掛けるといっても、どうやって?」

「わらわの知人に頼もうかと思うておる。この村の家なら、さくさくと終わらせてくれるじゃろうからのぅ」

「……わかりました、そうしましょう」


 村長の言葉に、シュエはとびきりの笑顔を浮かべた。意識を変えることは難しいことだろう。こんな田舎の村では。しかし、それではダメだと村長が態度を改めるのなら、少しずつ改善されていくだろう。


「では、わらわは知人を呼ばせてもらおう」

「お茶とお茶菓子、ごちそうさまでした」


 リーズとともに村長の家から出て、人気ひとけのない場所へ歩き出す。人々はまだ畑仕事をしているようで、せっせと動いていた。


 辺りに人の気配がないことを確認してから、シュエは両手の親指と人差し指で丸を作る。ぽわりと淡い光が輪の中心から拡がり、手鏡が飛び出た。それを上手に掴み、こほん、と咳払いをしてから手鏡に声を掛けた。


「ルーラン、聞こえるか?」


 手鏡の表面がゆらりと揺れ、ぽわっと淡く光ったと思えば、手鏡の中にシュエではなく、大人の女性が見えた。深紅の長い髪をひとつにまとめ、鳶色の瞳でこちらを見ると、ぱぁっと明るい笑顔を浮かべた。


『まぁまぁ、姫さまっ! 旅立ったとお聞きしておりましたが、お元気そうでなによりですわっ! あら、隣にいるのは浩然ハオランではなくて? おふたりはいつも一緒なのですね、微笑ましいですわぁ』

「う、うむ。ルーランも元気そうじゃな……」

『ええ、とっても元気ですわ。身体は。姫さまに会えなくて寂しく思っておりましたのよ? 旅立つのなら、挨拶くらいしてくれてもよろしかったのに! あ、わたくしをその名ルーランで呼ぶと言うことは、なにか困りごとがありまして?』

「相変わらずの早口……いや、そなたに頼みたいことがあってのぅ。とある小さな村の家に鍵をつけて欲しいのじゃ」


 ルーランはぱちくりと鳶色の瞳をまたたかせ、小首を傾げる。さらりと彼女の長い髪が傾けたほうに流れた。


『鍵をつけて欲しい? 家に鍵がついていないのですか? 防犯意識大丈夫ですか、その村。それともとても閉鎖的な村なのでしょうか? それならまぁ、わかるのですけれど』

「来てもらったらわかる。頼めるかの?」

『姫さまの頼み事でしたら、すぐに伺いますわ! そこで待っていてくださいませ!』


 目をキラキラと輝かせてそう言うルーランに、シュエは「う、うむ」と少々たじろぎながらこくりと首を動かす。ふっと手鏡からルーランの姿が消えた。


「相変わらずの人ですね」

「まぁ、元気そうでなによりじゃ」


 旅立ってからまだ二週間も経っていない。それなのに、あんな風に自分のことを考えてくれていたのか、となんだか心がほわほわと温かくなる。それからルーランが来るまで、十分も掛からなかった。


「お待たせいたしました、姫さま。王宮の万屋ルーラン、ただいま参上いたしました」


 シュエに対して頭を下げるルーランに、シュエはふっと笑みを浮かべて手を伸ばす。彼女の服をきゅっと握り、声を掛けた。


「すまんな、いきなり呼び出して」

「いいえ。姫さまの頼みでしたらいつでも時間を作りますわ」

「この世界でのわらわの名は『シュエ』じゃ。村ではそのように頼む」

「私はリーズと名乗っています」

「シュエにリーズですわね。ふふ、リーズとはなかなか可愛い名にしたのですね」


 リーズはルーランから視線を逸らす。ちなみに今回の旅の偽名をつけたのはシュエだ。


 シュエは「そうじゃろ?」と胸を張った。


「それで、どこの家に鍵をつければいいのですか?」

「まずは村長の家じゃ。村の長がつけたら村人の意識も変わるじゃろう。……たぶん」


 少し不安そうに眉を下げるシュエに、リーズとルーランは視線を交わして彼女の肩にぽんと手を置いた。


「とりあえず、やってみましょう」

「そうですわよ。結果はあとからわかるものですから」

「……そうじゃの」


 ルーランを連れて村長の家に戻る。シュエを挟んで歩いているからか、ルーランが美女だからか、村人たちから視線を集めていた。三十代前半くらいに見えるルーランだが、竜人族の年齢ではとうに四百歳を超えている。


 このことを話題にするとルーランの機嫌が一気に下がるので、翠竜すいりゅう国ではその話題は禁忌タブーになっている。


 彼女は王宮の万屋として雇われ、いろいろなことに関わっている。王族とも仲が良く、リーズも彼女のことをよく知っていた。


「そういえば、シュエが旅立ったと聞いて母が心配しておりましたわ」

「叔母さまが? まぁ、急に決まったことじゃからのぅ」


 ――そう、シュエの父の妹が、ルーランの母なのだ。


 彼女は竜人族のしきたりで旅立ってから、いろいろなところに行き、さまざまな見聞を広め、よそに嫁ぐのではなく王宮では働きたいと話したらしい。ルーランが持ち込んだ外の世界のものは、翠竜国にとってとても衝撃をもたらし、今では平民たちも愛用しているものも多い。


 もっとも、持ち込んだものは改良され、竜人族の力でも壊れない程度の強度にされている。

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