クジラ客船漂流記

@hakumaiwasabi

クジラ客船漂流記


耳をつんざく不快な目覚ましの音で僕は

目を覚ました。いつも朝の弱い自分が、

今日はしっかり起きれた事を自画自賛し

時計を見て束の間、僕はその現実を

受け入れられなかった。10時。


「1時間も遅刻してるじゃないか!」


目覚まし時計の設定を間違えて寝坊し、

僕はボサボサの髪のまま、あわてて

ハンガーにかけてあるタキシードを

着て車に乗り込んだ。


「嘘だろ」


車に乗り込んで発覚した第二の悲劇、

この日のために高額で買ったタキシードは

見るも無惨にビリビリになっていた。

どこかで引っかけでもしたんだろう。

度重なる”ついてなさ”に泣きそうに

なりながら僕は車を走らせた。鈍臭さによる不運は昔から僕のおはこなのだが今日は

いつもより少しひどい。なんとか時間通りに現地に到着し、ビリビリに破けたタキシードを手に抱えながら、僕は客船艦内、

レストランの中にある席に座った。しばらく

待っていると水色のドレスを着た

ショートヘアの女性がやってきた。


「どうしたのそれ?」


「あぁ、準備してる時にひっかけちゃって」


「マジ?相変わらずついてないねぇ〜」


女性は同情するように笑いながら向かい側の席に座った。




いつもの鮮やかさを失った悪天候の海上、

灰色の空の下に全長200メートルの船が

浮かんでいる。その船の中にあるレストランの一席に、20代ほどの若い男女二人が座っている。




僕の目の前に座っている女性、

西宮 響(にしみや ひびき)。彼女は僕の

幼馴染であり唯一の親友。そして僕の

初恋の相手だ。僕は彼女に10歳の頃から

恋をしているが25歳の現在に至るまで、

それを言ったことはない。今日は彼女の

誕生日、僕はコツコツ貯めたお金で

客船旅行を計画していた。もしかするとこれが気持ちを伝える最後のチャンスになるかもしれないと、僕は肩肘を張りながら取り出した鯨のペンダントを彼女に渡した。


「はいこれ、誕生日プレゼント」


「いいの?」


彼女は微笑み、嬉しそうにペンダントを

つけた。銀製の鯨のペンダントは

照明の光を反射してキラキラと光っていた。


「ごめん、曇りになっちゃったね、

やっぱ僕は雨男なんだなぁ。」


「否定はしないけど…いいよ、

こんなとこ連れてきてもらって嬉しいし。

それよりもこのペンダントありがとね」


西宮は”いつものことだよ”と笑顔で励ましてくれた。


「実は母さんから貰ったんだ、それ。」


「そうなの?」


「うん、幸運を持ってきてくれる

縁起物なんだ」


「そんな大切なもの受け取れないよ」


「いつか僕に大切な人ができたら

渡してって言われたし、いいんだ。

もちろん‼︎西宮は僕の大親友だからね!」


余計なことを言ってしまったかと思い僕は

慌ててフォローを入れた。


「それ絶対好きな人にあげてって

意味だと思うけど…」


「いいのいいの!」


「まぁそう言うなら…今更返してって言われても返さないからね!後悔しないでよ!」


そういって西宮はペンダントを嬉しそうに

握った。


「そうだ、この客船。イルカの他に鯨が

見れることもあるんだって!」


西宮はいつもの好奇心旺盛な表情で

レストランの窓越しに見える海を眺めた。


「見れるといいけど…この天気だからなぁ」


僕の西宮との出会いは15年前に遡る。

小学校でいじめられていた僕を

助けてくれたが西宮だった。男まさりで

周りからは狂犬と言われていた彼女だったが

根は優しく、お淑やかな僕にとっては憧れの存在だった。それからなんやかんやあり友人になったのだが、最近僕は奇妙な焦燥感に

駆られている。それはこの親友という関係が終わってしまう予感である。人は変わるものだ。人間関係は絶えず入れ替わっていく。

彼女には彼女の人生があり、いずれは別れ

なければならない日が来るであろうことは

こんな僕にもわかっていた。何せ僕らはもう大学4年生、両方彼氏彼女がいてもいいはずなのだ。特に西宮はモテる。彼女の場合高嶺の花で未だに彼氏がいないという奇跡が起こっているだけ。時間の問題で僕は親友と初恋の相手を同時に失うことになる。今日こそはこの気持ちをなんとしても伝えなければ

いけない。僕はモテるのかって?

それはノーコメントだ。


「ねえ、聞いてる?」


「ああ、ごめん。何?」


「いやだからさ、さっき隣のお客さんがさ、漁師さんから、『近頃ここら辺の海域で怪物が出る噂がある、気をつけろ』って言われたんだって。」


「ただの噂でしょ、心配ないよ」


「…あれなんか外、

結構霧がすごくなってきてない?」


「確かに」


「雨男どころか霧男じゃん」


「うるさい」


『お客様へお知らせいたします。本艦神渡丸は現在、突如発生した霧により進路を変更

致しております。現在艦外にいらっしゃいます

お客様は霧が濃くなり大変危険ですので艦内にお戻りになられるようお願い申し上げます。』


気味の悪いアナウンスが流れると西宮は嬉しそうに「きゃ〜、怖い〜、遭難ルートだよ

これ」と悪ノリをしてきた。西宮は時々

こんな小学生のような一面を見せる。

まぁ本人は人生を楽しむコツだと豪語して

いるが。そんなこんなで結局、西宮に気持ちを伝えるタイミングを逃し、いつものように

わちゃわちゃと喋ってしまっていることに

気づき、これじゃダメだ。今日こそは。と

僕は自身を鼓舞した。


「西宮」


少し強めの口調で楽しそうに喋っていた彼女を遮ると、「なに?」と困惑した表情で彼女はぶんぶんと振り回していた手を止め、ピンと伸ばして両膝に置いた。脳内には、

さまざまな思考が流れ込み、僕は思わず、

ごくりと唾を飲んだ。


「今日は言いたいことが…あるんだ」


こういった人生における大事な局面、  

僕の行動はいつも2択に絞られる。

何かと理由をつけて問題から逃げるか、

自暴自棄になるか。


「僕は西宮のことが!ことが…」


「なに…?」


「大好きなんだ!し、親友としてね」


「なぁんだ、ぎくっとしちゃったよ、」


最初の告白のチャンスを失敗して束の間、

携帯が鳴り、スマホ画面に父の名前が表示

される。


『もしもし?良介か?父さんだけど』


「父さん?今ちょっと手が離せないんだ、またあとでかけ直すよ、」


誰でもこんな大事な場面を邪魔者のせいで おじゃんにはしたくないだろう。


『待て待て!大事なことなんだ。今お前

響ちゃんと神渡丸に乗ってるだろ?

そのことについてなんだ。』


「?」


『急な話で悪いんだが、落ち着いて聞いてくれ、今良介たちが乗っている船は非常に良くないルートを通っている、艦長にあって急いで引き返すよう伝えてくれないか?』


「どういうこと?そんなこと急に言われてもわかんないよ」


『父さんと海上自衛隊の篠崎さんの名前を出せば伝わると思うから、本当に危険なんだ、父さんたちが追ってた…ジジ…生き物の…ジジ…頼む…ツーツー』


回線が悪くなりそのまま電話は切れて

しまった。なんで父が僕と西宮が客船に

乗っているのを知っているのかと言う気持ち悪さよりも、ただならぬ不運の前兆に僕は

身震いした。超能力者ではないが僕の

不運察知能力は本物と言える。話を今の状況から少し離れて説明させてもらうと、僕の

鈍臭さが引き寄せる不運の量はもはや本物の超能力者の域に達している。不運の前兆的なものの雰囲気を僕はその膨大な経験値から

察知できるのだ。

さらに言うと今回嫌な予感のする

原因がもう一つ。このことを"父"が伝えてきた、という事実である。


父、乃木健一は動物学者である。

普段は動物の捕獲に勤しむか、他は研究室に篭りっきりでほとんど家にいない。たまに 連絡を寄越してきたかと思えば研究が

倫理審査に引っかかり処罰を喰らったなどという厄介ごとばかり。うちの中では俗に言う”疫病神”なのだ。そんな父が珍しく電話をしてきたという事はロクでもない事が起こっているのは確定なのである。


席に戻ると西宮が心配そうな  

顔でこちらを見てくる。


「大丈夫?何かあったの?」


「うん、父さんが茶化してきただけだから

大丈夫」


「そうなの?それならいいけど…」


腰が重い。

確認のためにも、とりあえず 

艦長に会わなければいけないだろう。

そう思い僕は目の前のグラスに入った

水をごくごくと飲みほして 

館長のところまで行く覚悟を決めた。


「少し用事ができた。しばらくここで

ゆっくりしてて、すぐ戻るから」


そういって僕は席をたった。

待ってと言われた気がしたが

それどころではなかった。西宮の安全のためにも至急の対処が必要だ。

レストランから艦長のいる操縦室まで

行くには一度艦外に出てから

広大なバルコニーを通る他なかった。

小走りで人並みをかき分けて外に出ると

やはり霧が濃い。

視界の狭い中なんとか僕は手探りで

船の甲板の道なりに沿って進んで行った。

操縦室のドア前まで辿り着いて一息つき、

僕は操縦室のドアを叩いた。


「すみません!」


返答がない。

辺りを見渡すと操縦室の横に電話が設置してあり、それは操縦室内に繋がっているらしく

僕は電話に手をかけた。


『ツー、ツー、ツー…』


繋がらない。あたりは艦内と比べ

不気味な静寂に包まれており

ただ電話機の機械音が鳴るだけだった。

次の瞬間にゴゥーという重厚な響きがして

船が大きく揺れ出した。

何がどうなっているのか

全くわからない状態で

僕は咄嗟に近くの柱につかまった。

船は大きく右に傾きその反動で

波がデッキに流れ込んできたかと思うと

瞬間、空を埋め尽くさんばかりの

巨大な生物が上空を横切った。


「鯨!?」


船の二倍はあろうかという

巨大な鯨を視認したと

ほぼ同時に僕は船の甲板から投げ出され、

意識を失った。

失われ行く意識の中に

西宮の姿を見た気がした。




 なよなよした弱そうな奴、それが西宮 響が幼馴染、乃木 良介(のぎ りょうすけ)に

抱いた第一印象だった。しかし彼女が中学校に上がり友達ができなかった時、   

茶化されようとも寄り添ってくれたのは

他でもない良介だった。

そんな彼女は最近の良介の態度が 

おかしいことが気がかりだった。

一人席に残されその不安は募っていった。


「良介大丈夫かな」


先刻の良介の焦る顔がフラッシュバックする。




目が覚めると僕は真っ黒に染まった海の上に

一人浮かんでいた。肺に溜まった海水を一気に吐き出す。ひどく咳き込んだがどうやら生きているようだ。無意識に近くに浮かんでいた木片につかまり、ことなきを得た、らしい。夜の海は静かで凍えるようだ。これからどうなるかは考えないようにした、それは考えるには

あまりにも絶望的なものだった。

一度助けを叫んでみたが広大な海の景色の中、その声は吸い込まれていった。

しばらくすると先刻聞こえてきたゴーっという不気味な鳴き声が聞こえ、

泣きそうになりながら波の立つ中、 

僕はしっかりと木片に捕まった。

その鳴き声は太古の恐竜を想起させる

怪獣の如きおどろおどろしいもので

あまりの恐ろしさに僕はまたしても 

気を失ってしまった。


 ポツポツと頬に落ちる雨で目を覚ました

僕は「まだ生きてる…」と呟いた。

昨日の出来事がまるで夢のように思え、今自分のいるこの有り得なく不運な状況を僕は疑った。今まで自分の鈍臭さからくる不幸は幾度となく味わったが

とうとう漂流することになろうとは。

あぁ喉が渇いた。

腹も減った。

僕はここで死ぬのか。


振り返ればなんとも空虚な人生だった、そう思う。霧の濃い海の上、波に揺られながら今までの人生が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。僕は母を交通事故で亡くした。母は自分を庇って死に、僕は何かを失うことを恐れるようになった。例えば父。

唯一の肉親を失うことを恐れて最後まで父には本音を言えなかった。母を失ったあの日も父は研究室にこもり病院に来ることはなかった。そんな父に抱えていた怒りの感情を僕は伝えることができずにいた。西宮のこともそうだ。もし告白して振られれば親友を失ってしまう。それが怖くて一歩を踏み出せなかった。結局どんな問題であっても僕はそれと正面から向き合いはしてこなかったし、そうしている間にとうとう人生の終わりが来てしまったんだ。


「もう一度、もう一度でいいから」


そう僕は神にチャンスを願った。だが水面から出てきたその見覚えのある

異様な背鰭を見て悟った。現実はそううまく行くものではないのだと。3匹ほどのサメが波に綺麗な円を描きながら徐々に迫ってくる。迫り来る自分の死の中で、ふと僕は自分の中に現れた新鮮な想いに気付いた。母が死んだあの日以来僕が人生を生きている感覚は無に等しかった。ただ今あるものをせめて失わないように、その1点だけに注力するだけの日々。それは過去に縛られた日々と言ってもいい空虚なモノだった。


「そうだ…今僕は生きている。」


今ならわかる、神がいるとするならばきっと僕にこう言っているはずだ。"今"を生きてみせろと。僕は木の板の上に足を上げ必死になって板を漕いで前進した。最後の一瞬までもがく、生にしがみつく。それが僕が今を生きるということなんだ。

真下にサメの影が見え、もうダメかと思った瞬間、


『これにつかまれ〜!!』


霧の中から突如として船が現れ、そこから

1本の縄が投げ込まれてきた。

間一髪、僕はその縄に捕まり一命を取り留め

謎の船に引き上げられた。




「大丈夫かぁ?」


そう言ってきたのは褐色じみた

50代くらい、筋骨隆々の男だ。

なぜだか僕はその男に

見覚えがあった気がした。


「ここら辺はサメがよく出るからなぁ、

どんなわけでこんな所に迷い込んだんだ?」


「実は船から落っこちてしまいまして…」


僕は今までの経緯を事細かに

その男に話した。


「なんて運の悪い…まぁでも

めずらしいこともあったもんだよ。この海域に来て20年、一隻の船も見たことなかったってのに今日で人に会うのはお前で二人目だ。」


「二人目…」


「おうよ、今ちょうど寝室で休ませてんだ。何やら友達を追いかけて船から落っこったらしいんだ。馬鹿なやつだよ全く」


「良介!」


見覚えのある声、見覚えのある顔。


「西宮…?」


「友達ってお前のことだったのか!?」


「よかった、本当よかった」


ぐしゃぐしゃになりながら泣く

西宮を見て親友としての

奇妙な絆を感じざるを得なかった。

どうやら西宮は僕の行動を怪しく思い、

跡をつけてきていたのだとか。

そして甲板から放り投げられた僕を

助けようと自ら海に飛び込んだらしい。

なんとも漢らしい、いや西宮らしい行動だ。

 

しばらくして僕たちが落ち着くのを見計らいこの船の船長であると言うその男は

自己紹介を始めた。


「俺はオリヴァ・ルーマン。長年この海域に身を隠してる元学者だ。

ルーって呼んでくれ、よろしくな」


「私は西宮響、よろしくルーさん」


「僕は乃木良介です。」


ルーは僕の名前を聞いた時、少し顔を引き攣らせた気がしたが

すぐ笑顔で「あぁよろしく」と答えた。


「ところで身を隠すって…ここは一体?僕たち横浜から来たんです。」


「なら結構流されたな。ここはドロップエリアという北欧近くの海だ、

いわゆる魔の海域だな。」


「そういえばさっき20年

船を見てないって…」


「あぁ、お察しの通り、一度入ったら出られないってやつさ。俺はここに入ってから20年ずっと出れないままだ」


「そんな…」


せっかく命を救われたって言うのに一難去ってまた一難とはまさにこのことか。


「てことはルー…さんは20年も一人で?」


「まぁな、」


ルーは少し寂しそうな顔をしてそう答えた。

僕達は今後のことについて少し話し、その日は、そのまま寝ることになった。

元々クルーズ船を拝借したものらしく中の設備はかなり整っていたが、エンジンや電気系統はもはや

使い物にならなくなっていて日がくれると明かりになるものがなく僕たちは

寝ることしかできなかったからだ。ベッドに入りこの2日間で初めて安全というものを感じることができると僕はようやく気絶ではない眠りにつけた。

 一つ気がかりだったのが僕の名前を聞いた時、彼が少し眉をひそめたことだった。



「お前らをここから逃すことにした!」


翌朝ルーが声高らかにそう宣言した。


「でも無理なんじゃなかったの?」


と西宮が即座に問いただす。


「方法がないこともないんだ。お前らが見たっていうその怪物鯨はここのエリア出身の生き物だ。普段ここは潮流の穴。強力な潮で円状に囲われている。だがこの鯨が泳ぐ時だけそこの

部分の潮の流れに少しの侵入路が生じる、

やつは泳ぐ時に強い波を起こすからな。

お前らはおそらく、その穴に針を通すようにしてここまできたってことだな」


「じゃぁ帰りも同じ方法で行けば…」


「そういうことだ」


「でもどうやってそのクジラを

見つけるのよ」


「それが…問題だな」


鯨の見つけ方を考えつつ暮らすこととなった僕らは、日中は釣りをしてのんびり過ごし、日が暮れれて夜になればすぐに寝てしまう、そんなのんびりとした日々を送った。都会育ちの僕と西宮はそんな時間の使い方に新鮮さ、心地よさを感じずにはいられなかった。


ある夜、僕は心に引っ掛かっているあることが気になり寝付けなかった。

ベッドから起き上がり夜風にでもあたろうかと部屋を出ると

ルーの部屋から灯りが漏れていた。


「入ってきな」


ドアの前に立つと足音に気づいた

ルーが気を利かせてそう言ってきた。

”お邪魔します”と一言入れて部屋に入ると

そこには山積みになった蔵書が

置かれており、ランプの光に照らされた

ルーがいた。


「ランプなんてあったんですね」


「隠してたわけじゃねえよ。

仕方なく寝れない時はこれを使う。

お前も、寝れないのか?」


「はい。少し気になることがあって」


「どうした?」


ルーは優しいトーンで尋ねてきた。


「ルーさん、僕の名前を聞いた時、

様子が変だったでしょ?」


少し驚いた表情をし、ルーはうつむいた。


「あぁ、まぁ、お前の名字、乃木、

それと同じ苗字のやつが知り合いにいてな。」


やはりそうだ、気のせいではなかった。僕はやはりルーの顔に見覚えがある。


「それって…乃木健一のこと

ではないですか?」


ルーは驚いた表情で息を荒げた。


「お前なんで?なんでそれを?」


「やっぱり、父の書斎の写真に写ってたんです。ルーさん。あなたは僕の父の研究員仲間

でしょ。乃木健一は僕の父です。」


「驚いた…お前は健一の息子だったのか」


「教えてください。

僕の父と何があったんですか?」


「なにもないさ。」


「誤魔化さないでください。ルーさんは僕の名前を聞いた時、苦い顔をした。それに気づかないほど僕は鈍感じゃないです。」


「…。いうべきか困るところだな。

あまりいい話ではないぞ」


「いいんです」


30年前、俺がアメリカに動物行動学の研究で留学していた頃、お前の両親に出会った。

お前の父、健一は研究バカだがいい奴だった。気の利く男でな、よくコーヒーを淹れてくれた。お前の母、美和子は鯨を心から愛していた。よく海に行っては鯨と触れ合っていたな。健一はその頃まるっきり海洋生物のコミュニケーション研究に夢中になっていて、たまたま俺らと同じ研究室に入って鯨の研究をしていたんだ。健一と美和子はすぐに意気投合してたな、俺らはそれは楽しい充実した日々を送った、だがある時から健一の様子が変わったんだ。人と鯨の会話に関する研究に没頭するようになってな、あいつはとうとうゲノムを組み替える研究にまで手を出したんだ。俺は反対したんだけどあいつはやると決めたらどんな手を使ってもそれを実行する男で止められなかった。お前が子供の頃の話だ、覚えていないだろうな。


『本気か、実現するわけないだろそんな研究!ゲノム編集に手を出すなんてこの研究所から追放されるぞ!一歩間違えればむしょ暮らしだ!』


『時間がないんだ!やる。俺は必ず実現してみせる!』


『お前の家族は?子供や美和子はどうなる?よく考えろ!』


『俺は、必ず成功させる。何を捨ててでも…』


あいつは変わってしまった。鯨に神経細胞を増加させる実験を行なった結果、

あいつは例の鯨の怪物を作り出した。知能が進化した鯨は他の生き物を娯楽として殺害し過度に捕食し巨大化した。俺とあいつは倫理審査にかけられて俺は国を追われ、お前の父は退職して日本に帰国した。これが経緯だ。俺は日本に弾かれてから、このエリアで20年、かつての過ちで生み出したあの鯨を監視してたんだ。


「そんな…」


僕は沸々と湧き上がるぶつけようのない怒りと嫌悪感に飲み込まれそうだった。


「本当にごめんなさい」


「お前が謝ることじゃない。それにあいつにはあいつなりの道理があったんだろうよ。だからこの件は友達としてあいつを止めることのできなかった俺にも責任がある。」


「でもそれでルーさんは20年も…」


「まぁ辛くなかったと言えば嘘になる。来る日も来る日も本を読み、文字を書き、自分が一人の人間であることを確認した。だがそんな日々に疲れて船から飛び降りようとした時にお前らにであった。お前らは俺の命を救ってくれたんだ」


「そう…ですか」


「まぁ気にするな。お前らは必ず俺がここから出してやる」


「もちろんルーさんも一緒に!…来るんですよね…」


不意を突いて口から出たその疑問はなんとなくルーがいなくなってしまうような気がしたからである。その問いに対してルーは数秒間、何も喋ることはなかった。


「俺は…」


「”鯨”ですか?」


彼を縛っているのが過去の父の過ちなのだとしたら、僕はそれを見過ごすことはできない。過去に囚われてる人のことを、僕は嫌というほど知っている。


「鯨を倒せばいいのよ」


ガチャンとドアを開け、西宮が鼻息荒くそういった。

どうやら話を盗み聞きしていたらしい。


「僕も賛成です」


西宮はいつも僕の背中を押してくれる。これでいいのかもしれない。いつも僕は自分の不甲斐なさに傷ついていたけど、彼女がいれば僕は一人前になれる気がするのだ。


「いいのか…お前ら…鯨を見つけるのと倒すのでは難易度が段違いだぞ」


僕と西宮が間髪入れずに「それでいいんです」と返すとルーは”ありがとう”と涙をこぼしながら何度も何度も頭を下げた。


翌朝、僕たちは船の唯一の積荷である樽の酒を用意した。


「あの怪物鯨は体の巨大化に伴いある機能を失った。あの巨体を動かす熱を生成するタンパク質をな。やつはそれを血液の過剰な循環により補っているが、やつの血液は運ぶ熱量の限界を超えると体外に揮発して熱を失うように変質した。ともかくだ、この酒があればあの鯨を倒せるようになるということだな」


「肝心の鯨は?」


「奴にはルーティンがあることがわかった。お前さんを襲ったサメだがやつは他の

海域からサメを誘導してここに連れてきていたんだ。」


「なんのためにそんなこと…」


「おそらく狩り、娯楽のためだろうよ、

サメを集めれば奴が来る可能性は上がる、

餌はこのイワシの保存食、念の為の保存食として残しちゃいたが臭くて食えたもんじゃねえ、だが餌としては一級品だ」


こうして僕たちの一世一代の戦いは幕を上げた。




僕たちは忙しなく準備を進め実行に移した。


「覚悟しろお前ら!

やつは超でかいからな!」


「はい、一度見てるんでわかってます」


イワシの餌に群がった数十匹のサメが辺りを取り囲み、そのうちに波が立ち始め

あたりはいつにも増して

霧が濃くなってきていた。


「来るぞ!」


海面に船の何倍もの大きさの影が浮き出た

途端、巨大な波をたて

何かが船の下を通り抜ける。


「鯨だ!」


巨大な水飛沫とともに船の何倍も

あろうかという鯨が姿を現した。

鯨から逃げるようにサメは一直線に

進んでいき巨大な影はそれを追いかけた。

巨大な波を起こしながら鯨が進むと霧が晴れるようにして消えていき、

ずっと停止状態だった船に電力が戻った。


「ジジ、ジジジ…聞こえるか!』


「父さん!?」


途端に船室の動かなくなっていたレーダーと通信機器が復活し

”向こう側”とつながった。


「とうとうやったなお前さん達、

道がひらけた、脱出するんだ。」


「できないわルーさん!」


「そうだよ、僕たちはまだ鯨を倒してない」


「バカを言うな何年に一度のチャンスだと思ってる!これを逃せばもう向こう側には戻れないんだぞ!」


「…」


このまま帰ったとしても僕は何かを捨てた

人間として生きていくことになる。

もう失うのを恐れて楽な方に行くのは嫌だ。僕は選ぶ。

たとえそれが悪い未来を

引き寄せたとしても!


「西宮!ごめん巻き込んで!僕はケジメをつけたい!ルーさんとの約束も守る!」


「私もそのつもりよ!それでこそ良ちゃんだわ!」


「馬鹿野郎ども」


ルーは笑いながら走り出した。


「エンジン全開!プラン通り行くぞ!」


船は急発進し僕と西宮は巨大なイカリを鯨の背中に投げつけた。

イカリは鯨の背中に刺さり船は大きく揺れて引っ張られた。




『この鉄パイプがいいかもな、鯨の皮膚に

貫通させてタンクに入れた酒とこのパイプをホースで繋いで流し込む、さす場所は一番詳しい俺がやろう。』


『でもルーさん。危険ですよ。

体力のある僕が、』


『これは俺のけじめでもあるんだ。この機会をくれたお前らには本当に感謝している、

ここは俺に任せてくれ』




「過去の過ち、俺がけじめをつけて

葬ってやるぜ」


ウェットスーツをきたルーが海に飛び込む。

僕と西宮は酒の入ったタンクを用意しそれをホースと繋げて先端に尖らせたパイプをくくりつけ海に投げ込んだ。


『ニ。ンゲン。。貴様ら如き蟻がこのワタシに

正義を説くか、

愚かな人間よ私を殺した先に何がアル。。』


「成功していたのか…!?」


鯨の怒号とともに船は引きずられて

大きく傾いた。


「まずいこのままだと!」


僕は西宮を抱き寄せながら柱につかまった。


「急いでルーさん!」


ルーは急いでパイプを鯨の背に突き立てた。

アルコールは一気に鯨の体内を巡り鯨の血液は揮発していった。

鯨は急激に体温を失い沈んでいき、同時に船は引っ張られ傾き始めた。


「ルーさん!はやくこっちへ!」


「お前ら!……

本当にありがとう。楽しかったぜ」


「ルーさん何を!」


ルーは鯨と船を繋ぐイカリを引き抜いた。

船はルーと沈む鯨をおいて最大出力で

ドロップエリアの外に向かって進んでいった


「ダメだ!」


ルーの影が消えた後、

しばらく僕は呆然と地平線を見ていた。

船は父の乗った民間船と並んだ。


「良介!」


父の胸の中でも僕の感情は嬉しさを取り戻すことなく冷えた涙がこぼれ落ちた。


「なんであんなもの作ったんだ?」


「…?」


「全部聞いたよ、ルーさんと会ったんだ、ルーさんは

父さんが作ったあの鯨を見張り続けていたんだよ、20年も一人で」


「ルーが⁈そんな…」


父は複雑な表情のまま小柄な僕の拳を胸に受けた。そして申し訳なさそうに話し始めた。


「約束だったんだ。母さんとの。母さんは

進行性の病にかかっててな、あと10年が寿命だと言われていた。母さんのクジラと喋りたいって夢を実現させたかった。その一心で。」


「今更…自分は悪くないって言いたいのか。僕はずっと一人も同じだった、

辛かったんだよ?父さんは僕だけじゃなく、母さんや…ルーさんも裏切ったんだ」


「あぁ。…父さんは間違えた。

本当は死んでゆく母さんから

目を背けたいために研究に打ち込んだんだ。残された時間をみんなで大切に過ごせれば

こんなことにはならなかった…

本当にすまなかった。

ルーはどうだった?元気にしてたか?」


「ルーさんは僕たちのために、

父さんの作った鯨を倒すために死んだよ。」


「…そうか、それは申し訳ないな」


「申し訳ない?

そんな言葉で済むわけないだろ!」


「あぁ…」


「誰が死んだって?」


後ろからそんな声が聞こえた。


「ルーさん!」

ふっふっふと笑いながらルーは

鯨のペンダントを取り出した。


「それって、西宮にあげたやつ」


「ごめん良ちゃん、ルーさんが貸してくれって言うから…」


「驚くなよ良介、お前の渡したこの鯨の

ペンダント、中が空洞になっていてな。こうやって吹くと鯨に出す周波数と同じ音を発する仕組みになっていたんだ。これは鯨に救難信号を伝えるものだったんだ。何マイル離れていてもこの音に鯨は気づく。鯨に助けられてここまで来れたってわけさ」


父はその言葉を聞いて目を見開いた


「ルー…」


「久しぶりだな、健一。美和子はお前にちゃんと答えを残してくれてた。言葉を介さなくてもクジラと繋がれる方法を。お前が手を貸さなくても、美和子はとっくに自分の夢を叶えていたんだ」


父はその場で泣き崩れた。

海の真ん中2隻の船を数十匹の

鯨が取り囲んで幻想的な風景が

そこには広がっていた。

一悶着あった後、夕方、

僕と西宮は夕陽に照らされながら

海を見ていた。


「大変だったね」


「うん」


今までの数日を考えると朝の寝坊から始まり不運の連続だった。


「もう朝寝坊はできないね」


西宮が冗談混じりにそういった。


「できないよ」


僕も笑いながらそう返す。

ただ不運にも終わりがある。母さん、

僕は選んでみるよ。

僕の人生としっかりと向き合って。


「西宮…言いたいことがあるんだ。」


失うことは辛い、でもそれを受け入れて選び取る現実は、悪くない。


                                     おわり















 




 









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