恋と愛

それから何年かして、アカリはまた恋に落ちた。彼はサーカス団の団長をしていた。頭が良くユーモアもあり、何より彼といると全てが新鮮で楽しかった。そして30代の入り口で2度目の結婚を果たした。当時司書の仕事をしていたけれど、結婚を機にサーカスで熊の調教師を始めた。家では小さい頃から猫を飼っていて動物は好きだったし、子熊は可愛かった。当時小学校低学年だった息子はサーカス団の生活になかなか馴染めず、サーカス小屋には入りたがらなかった。でも、一見獰猛そうな息子の丈程もある大型犬の番犬ミランとはすぐに仲良くなり、どこへ行くにも一緒だった。ミランの事は、息子が大きくなってからも度々話題に上った。ただ息子の中ではミランが自分を猛獣から守ってくれた話になっていた。息子を猛獣檻には近づける事はなかったから、きっと夢と現実とがゴッチャになっていたのだと思うが、怖い思いをさせていた事に気付きもしなかったのかと思うと、その頃の浮かれていた自分が恥ずかしく、少し心が痛んだ。今度こそは添い遂げるつもりでしたこの結婚も長くは続かなかった。息子と実家に戻ると、両親は息子を抱きしめ喜んだ。恋は素敵だけど、もう結婚に夢はなかった。


次に恋をした相手は既婚者だった。奥さんとはもう恋仲ではないと言っていたが、それはどうでも良かった。アカリはその人と初めて愛を知った。愛はそこはかとなく大きく深く、心も身体も安心して委ねる事ができた。そして妊娠が発覚した。アカリはまず母親に相談した。母親は、「私も、もう60を越したし、これから赤ちゃんの世話なんてできないよ。もし私を頼りにしているなら、生むのは止した方がいい。」、と辛そうに、でも容赦なく言った。初めて愛した人の子供だったし、今回諦めると次は無いと知っていたから真剣に悩んだけれど、結婚する予定もない中、親にも頼れないとなると現実的に育てるのは無理だった。彼は離婚するから産んで欲しいと最後まで何度も言ったが、その言葉を信じられる程アカリは純ではなかった。だから揺れる心を制し涙を呑んで産まない決断をした。悲嘆にくれる彼の姿に耐え切れず、別れを決意した。


ほどなくして、彼が病に倒れた事を知った。奥さんは彼を捨てた。離婚を踏みとどまらせていた子供も寄り付かなかった。アカリは全てを放り出し駆けつけて彼を看病し、その最期を看取った。彼を信じられなかった自分が許せなかった。


絶望の淵にある最中さなか、母親が倒れた。36才の年だった。


アカリはイエス様に救いを見出しクリスチャンになった。ソ連では教会も監視下に置かれていたから、誰にも知らせず全て内密に行った。そんな母と時々教会を訪れていた息子も洗礼を受けると言った。アカリは、まだ12歳だった息子に「もう少し大人になってから決めた方がいい」と諭したけれど、息子は頑として譲らず神父さんに直談判して決めてしまった。洗礼の後、祈りを捧げた神父さんが「これであなたは高熱に悩まされる事はなくなるでしょう。」、と言って小さなイコンを息子に渡した。息子は病気がちでよく高い熱を出し度々入院していたが、不思議とそれを機に入院する事はなくなった。息子の健康が大きな支えとなり、アカリは祈る事で心の平安を日々保てるようになった。

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