第29話 救済と絶望と

 孤児のミチアを連れ、僕はアルティリアの〝商店通り〟へ向かう。


 さすがに幼い少女と酒場へ入ることははばかられるため、僕らは露店をいくつかのぞき、手軽な食事を買うことにした。


「ミチア、どれにする?」


「……なんでもいい」


「そっか。じゃあ、僕が選んじゃうね」


 僕は露店の一つに近づき、野菜を挟んだそうざいパンを二つと、以前にエレナと一緒に食べた、甘い焼き菓子を一つ購入する。店主からほうくるまれた料理を受け取り、僕らは再び噴水広場へと引き返した。


 ◇ ◇ ◇


 噴水の水で手を洗い、僕らはベンチに腰かける。前回の侵入ダイブで出会ったミチアはこの噴水の水を飲んでいたことだし、おそらくは水質に問題はないのだろう。


「じゃあ食べようか。いただきます」


「……いただきます」


 ミチアは小さな両手を合わせ、惣菜パンをひとかじりする。こうしてぎょうのよいしつけがされていることから察するに、生まれながらの孤児というわけではないようだ。


「おいしい……」


 夢中で食べ進めるミチアにほほみかけ、僕もパンに歯型をつける。これは新鮮な生野菜に甘めのドレッシングをからめ、薄く切ったパンに挟んだ料理のようだ。


 この世界での食事にも慣れたけれど――。

 やはりどんな料理の味も、エレナの手料理にはかなわない。


 ……ダメだ。どうしてもエレナのことを考えると、涙があふれてきてしまう。

 僕はミチアに気づかれないように、塩味の増したパンを黙々と平らげた。


 ◇ ◇ ◇


 その後は二人で焼き菓子に手を伸ばし、食後のデザートをたんのうする。ミチアはのどかわいてしまったのか、時おり噴水に走り、泉の水を飲んでいた。


「あの水って、しいの?」


「うん……。魔法の味……」


「魔法? へぇ、僕も飲んでみようかな」


 僕はベンチから立ち上がり、目の前の噴水へと歩いてゆく。

 そして透明な水を両手ですくい、それを自身の口へ運ぶ。


 冷たい水は心地よく、スッキリと頭をわたらせる。まるで、さきほど地下酒場で出してもらった、あのカクテルのような味わいだ。



「あ、本当だ。これは確かに、ほうみずだね」


「まほうみず?」


「そうそう。……いや待てよ、やっぱりほうすいにしようかな?」


 そう言って僕はおおに、考えるジェスチャをしてみせる。ミチアはしばらく首をかしげ――やがてクスクスと、可愛らしい笑い声をあげた。


「うふふふっ……」


「あはは、しい。――ねぇ、ミチア」


 期せずしてなごやかな空気になったことで、僕は思いきって〝教会〟のことを切りだしてみることに。


 話を聞いたミチアは少しの戸惑いをみせたものの、暖かい家に住めることや、美味しい食事にありつけること、そして友達ができることを告げると、彼女は小さくうなずいてくれた。


「うん。行きたい……」


「よし、それじゃ一緒に行こう」



 ◇ ◇ ◇



 僕はミチアと手を繋ぎ、通い慣れた教会へとやってきた。いつものように正面の扉は開いており、ベンチの並ぶ礼拝堂の奥には、人の姿も確認できる。


「こんにちは。――あれ、いつものしん使さんは?」


 さいだんの側に立っていたのは、法衣ローブまとった女性だった。髪の色などは判らないものの、年齢はアインスよりも一回りは上といった印象だ。


「ようこそ。しん使クリムトさまは、今は農園の方へお務めに。ご用がありましたら、お伝えいたしますよ」


「えっと……。それじゃ、この子――ミチアを」


 そこまでを言い、僕は思わず口ごもる。さすがに本人の前で「孤児です」とは言い出せない。するとを察してくれたのか、女性はミチアに目線を合わせ、慈愛に満ちた笑顔をみせた。


「ようこそ、ミチアちゃん! お腹空いてないかしら? スープは好き?」


「あ、実はさっき」


「――好き」


 僕が口を挟もうとしたたん、ミチアがじっと僕の顔を見上げる。どうやら、まだ食べ足りていなかったらしい。僕が気恥ずかしそうに頭をいていると、再び女性が助け舟を出してくれた。


「ふふ。それじゃお二人とも、どうぞこちらへ。私はソアラ。教会ここでクリムトさまの、お手伝いをさせてもらっているの」


「旅人のアインスです。すみません、お邪魔します」


 ◇ ◇ ◇


 ソアラと名乗った女性に案内され、僕らは祭壇の向かって右側にある、木製の扉を開けて室内へ入る。そこには調理場とダイニングテーブルがあり、対角の壁際にはベッドも設置されていた。


 彼女は部屋に入るなり、真っ直ぐに調理場の方へと進んでゆく。


「おけになって待っててね? すぐにスープを温めますからね」


 僕は古びた木製の椅子を引き、ミチアを抱き上げて座らせる。

 そして彼女の隣の席に、僕も行儀よく腰を下ろした。


 しばしのあいだ待っていると、やがて調理場から、トレイを持ったソアラが現れた。彼女は手際よく二皿のスープとスプーンを並べ、法衣ローブすそつまんで一礼する。


 なんというか。彼女のたちふるいは〝聖職者〟というよりも、もっとぞくに通じた人物のように感じられる。


「いただきます」


 僕の隣ではミチアが手を合わせ、スプーンをスープにひたしている。


 このはくだくした液体と香ばしいにおいは、定番の〝アルカブスープ〟だろうか。僕も静かに手を合わせ、彼女に続いてスープを口に運ぶ。


「あ、美味しい」


「そう? よかった。それ、子供たちにも人気があるのよ」


 見た目こそ真っ白だが、アルティリアカブ以外の野菜や、肉のうままでもが溶け込んでいる。この個性豊かな味に、僕も夢中でスープを飲み干した。



「ごちそうさま……」


 ミチアは再び手を合わせ、丁寧にスプーンを置く。そして彼女は満足したのか小さな欠伸あくびをし、ゆらゆらと頭をらしはじめた。ミチアが椅子から落ちないよう、僕は小さなからだを抱き留める。


「あら? 眠くなっちゃったのね。そこのベッドに寝かせてあげましょ」


 ソアラは部屋のすみに置かれたベッドを手で示し、手早くシーツを整える。僕はミチアを抱きかかえ、慎重にそちらへと移動する。


「昔、スープ作りに情熱を燃やした料理人が居てね。ここで寝泊まりしながら、何日も何日もスープを煮込み続けていたそうよ」


 このベッドには、そういう意図があったのか。僕はミチアのからだを下ろし、汚れてクシャクシャに固まってしまった、彼女の緑色の髪をでた。


「起きたらお風呂に入れてあげて、着替えさせてあげましょう。それから、孤児みんなに紹介しますね」


 そう言うとソアラは優しげに微笑み、再び礼拝堂へと戻っていった。


 ミチアは緊張が解けて安心したのか、すやすやと穏やかな寝息を立てている。僕はしばらく彼女の寝顔をながめたあと、ソアラを追って部屋から出た。


 ◇ ◇ ◇


 礼拝堂ではソアラがきょうだんに立ち、卓上の小物や本などの整理をしていた。


 どうしても、彼女に確かめておきたいことがある。

 僕は呼吸を整え、意を決して教壇へと近づいた。


「あの、ソアラさん。おたずねしてもいいですか?」


「はい? なにかしら?」


「その……。しん使さんが向かわれた、農園って……」


 もしかしたら、酒場で男らが言っていたことは、何かの間違いだったのかもしれない。そんな希望をわずかに抱き、僕は質問したものの――。


「ああ、ガルヴァンさんの大農園の先の、小さな農園ね。森から現れた人狼ワーウルフの群れにおそわれて、あるじのゼニスさんと孫娘のエレナさんが殺されてしまったとのことよ」


 これでもか、というほどの。


 あまりにも事務的で的確で、絶望的な返答に、僕はひざからくずちてしまった。ここまで明確に「殺された」という言葉を出されては、万が一の奇跡すらも望めない。


 そんな様子を見て何かを察してくれたのか、ソアラは僕の背中に手をえながら、ベンチの方へとうながした。



「すみません……」


「お知り合い……、だったのね? ごめんなさい……」


「はい……。いえ……。えっと、なんというか……」


 僕が愛したエレナは、あくまでも〝別の平行世界〟のエレナだ。この世界においては、まだ知り合いですらもない。それでも僕にとって、エレナとゼニスさんが大切な人であることには変わりはない。


 僕は感情のおもむくまま、今の心情をソアラに対して打ち明けた。


「僕はわからないんです。エレナを殺した魔物が憎いし、それをわらう男たちも憎い。でも、だからって、どうすればいいのか……」


 かたきである魔物は討伐されてしまったし、あの男たちも今回の加害者ではない。僕が怒りや悲しみをぶつける相手は、もうどこにもいないのだ。


 とても上手く話せた自信はないが、ソアラは真剣に耳を傾けながら、時おり僕の肩や背中を優しくさする。


 どれほどの間そうしてもらっていたのか――。

 気づくと教壇にはしん使が戻っており、じっと僕らの様子を見つめていた。

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