第9話 タイムリミット

 エレナの体内に、新たな生命いのちが宿った。

 僕の――アインスの遺伝情報を継承した、しょうしんしょうめいの〝我が子〟の命が。



 ◇ ◇ ◇



 それから三日後。僕がミストリアスで過ごす、二十日目。

 僕らは王都の教会にて、ささやかな婚礼の儀式を受けることにした。


なんじ、偉大なる古き神々の忠実なるしもべ・エレナよ。この者・アインスを夫とし、彼への永遠の愛を誓うか?」


「はい。誓います」


 教会の聖職者・しん使の問いかけに即答し、エレナのからだうっすらとした光に包まれた。


 続いて彼は、僕に対しても同様の質問を投げかける。


「汝、偉大なる古き神々の忠実なるしもべ・アインスよ。この者・エレナを妻とし、彼女への永遠の愛を誓うか?」


 しん使の言葉に、僕の思考が瞬間的に停止する。


 永遠……?


 いまの僕が〝アインス〟でいられる時間は、もう〝十日〟しか残されていない。

 僕が消えてしまったら、その後はどうなってしまうのだろうか?


「……はい。誓います」


 エレナの不安げな視線に気づき、僕は平静をよそおいながら返答をする。直後、僕のからだからも淡い光が放たれ、それはエレナの光と同調するかのように激しい点滅を開始した。


 やがて光は何事もなかったかのように治まり、それを確認したしん使は、僕らに向かって柔らかな笑みを浮かべてみせた。



「おめでとう。こんいんの申請はミルセリア大神殿へ受理され、夫婦の契約は成りました。新たなる夫婦に、光の神ミスルトの祝福があらんことを」


 なんだか事務的だったというか。思っていたよりはあっさりとしていたけれど。これで僕らは夫婦となり、晴れて正式に結ばれることができたようだ。


 僕らはしん使に深く頭を下げ、手を繋いだまま教会をあとにした。


 ◇ ◇ ◇


 教会の外では小さな子供たちが、布や棒切れを持って元気に走り回っていた。

 エレナが言うには、この教会では孤児院も運営されているらしい。


「私たちの子供。楽しみだねっ」


「ああ。……うん、とても。楽しみだ」


「どうしたの? アインス。――なにか心配ごと?」


「いや……。ごめん、帰ったら話すよ」


 僕は心配げなエレナの額に口づけし、二人で農園へのにつく。


 そんな自宅までの道中。僕は集中的に取扱説明書マニュアルを読み込んでいたために、エレナに手を引かれる形で農園へ辿たどくことになってしまった。



 ◇ ◇ ◇



 農園の我が家。今は新たな夫婦の寝室となった二人部屋。

 僕らは片側のベッドに腰掛け、これからのことを話し合うことに。


 その前に。まずはエレナに、僕の――アインスの今後について、改めて話しておかなければならない。


 取扱説明書マニュアルを精査した結果、中身である〝現実の僕〟が抜けたあとも、外側の〝アバター〟は存在し続けるとのことだった。


 アバターは成人の状態で、正常にミストリアスに生まれ出でた存在として――これまでの記憶や経験を保持したまま、人格アイデンティティに沿う形での活動を続ける。


 当初は〝中身プレイヤー〟の帰還と共に〝アバター〟も消滅する仕様だったらしいが、人権的・倫理的に問題があるとして、現在の仕組みへ変更された――らしい。


 これらの内容を要約し、僕はエレナに説明をした。



「えっと……。アインスはアインスだけど、今のアインスじゃなくなっちゃう――ってこと?」


「そう……なるかな。ごめん、言い出せなくて。気づいたら、僕はエレナのことが大好きになってて……」


「ふふっ。私も大好きだよ。――あなたが旅人だってことは理解してたし、私のお父さんもだったみたいだから」


 エレナはかざだなの上に置かれている、写真立てへと視線をる。写真には彼女の両親が幸せそうな笑顔を浮かべ、生まれたばかりの彼女を抱いた様子が写っている。


「お母さんはお父さんを変わらず愛し続けたし、お父さんは私をかばって……。だから私はきっと、大丈夫だと思う」


「そうか。……それじゃ僕も、を信じてみるよ」


 僕は言いながら、エレナの茶色の髪をでる。

 するとにわに彼女の眼から、大粒の涙がこぼれはじめた。


「ごめんね……。に、子供の顔を見せてあげられなくて……」


 さすがに異世界ミストリアスといえど、人間の子は野菜のように短期間では育たない。


 確かに、僕自身の腕で我が子をいだけないことは残念だけど。

 それは誰のせいでもなく、どうにもならないことなのだ。



「ありがとう、エレナ。――僕の夢を叶えてくれて。それだけで満足だよ」


 僕は愛する人を抱きしめながら、思いつく限りの感謝の言葉をかけ続ける。


 彼女のおかげで、僕は本当の意味での〝人間〟になれたのだろう。

 いくら感謝しても足りないくらいだった。



 ◇ ◇ ◇



 その翌日より。

 僕は新たなる家族のために、さらなる農地の開拓をはじめた。


 あのシルヴァンの言ったとおり、の経営はかんばしくない。僕と入れ替わる人格アインスが上手くやってくれるとは信じてはいるが、今のうちに少しでも収入を増やしておかなければならない。


「ここはアルティリアカブとサラムと……。あとはランベルベリー用に一区画、整えておこうかな」


 幸い、土や根を掘ることには慣れている。


 しかし命令されるがまま、ただ無気力で掘り続ける現実世界あちらとは違い、今はとても充実した気分だ。誰かのために働くことが、これほどまでに喜ばしいものだとは思わなかった。


 ◇ ◇ ◇


 こうして汗を流しながら荒地を耕していると、バスケットを持ったエレナが、僕の様子を見にきてくれた。


「おつかれさまっ、アインス! お弁当持ってきたよ。ちょっと休憩しよっ?」


「ありがとうエレナ。それじゃ、そうさせてもらうよ」


 僕はみずおけで手を洗い、エレナが持ってきてくれた弁当に手を伸ばす。


 甘辛く炒めた野菜を柔らかいパンに挟んだシンプルな料理だが、現実むこうで食べ慣れた簡易糧食レーションなんかとは比較にならないほどの、まさに最高のだ。


しい。この料理、なんていう名前なの?」


「えっ? うーん。なんだろ? テキトーに作っちゃってるから……」


 エレナはそう答え、考え込むような仕草をする。


「あっ! でも、ちゃんと愛情は込めてるからねっ?」


「うん。……いつもありがとう」


 僕は幸せな休息を終え、再び作業に精を出す。


 いっしんらんに。

 もう残り少ない、この喜びをみしめながら――。



 ◇ ◇ ◇



 その後も充実した日常が続き、ミストリアスへ来て三十日目の朝。

 ついに僕にとっての、最後の日がやってきた。

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