第41話「八俣大蛇」

 空気を蹴るたびに暖かい風が吹いて。アマコから溢れる光が、儚い灯のようで。

 近付いていく、オオクニヌシのもとへ。神の心を奪われた、八俣大蛇ヤマタノオロチの元へ。


「あるじ様。オオクニがこちらに気がついたようです」

『そっか。まだ戦っている神様はいる?』

「ミコトと、数名の者のみです。あとは治癒のため、休憩中のようです」

『わかった。とびっきり加速して!!』


 アマコの身体が鈍く光ると、空から陸へと降下し、アスファルトを蹴り進む。景色の移り変わりが―――その速度が目で追えなくなってきた。でもわかるんだ。だって心で感じるから。

 進んだ先に視える光景は、大神に抗う神様達の姿があって。みんな必死に耐えてるって感じで。急いでその場にかけつけた。

 道路上へと降下し、海岸沿いで停止した。海には八岐の大蛇。白い頭は大神、黒い頭は念や射手を喰らいし大神の分身。

 ミコト様や、他の神様達は私とアマコの姿をみて、八俣大蛇から遠ざかる。


「すまぬな、あとはたんだぞ。ちと疲れたわい」

『お疲れ様です。あとは任せてください!』

「ふむ、頼もしくなったものじゃの。おんにきる」


 神様達をかばう様に、大蛇との間に立つ。一瞬のみ寝静まるかのような時が流れ、その大蛇は口を開いた。私は和弓を握りしめ、真っ直ぐと神様を見据えた。

 

『大神である我に勝てると思うのか? いくら日神の力を借りようと、その力の差は歴然だろう』

『その前に、ひとつ問います。現世の世界に災を降り注いで、何が楽しいのですか?』

『愚かな。貴様のように誰それ構わず祝福するほうがイカれておろう。現世の世には神に感謝する事も忘れ、私利私欲に支配された身勝手な人間が多い。命を奪い、口にする食事に感謝する事もなく、何か自分に不都合があれば神頼みだ。いい加減うんざりだ。そのように悪しき念を生み出す生物は、消滅させるべきだ』

『そうですね、あなたの論にも一理あると思います。でも欠点があります』


 白い大蛇は白い頭を傾げ、その目で睨んでくる。


『そんな事してて楽しいですか?』

『………楽しいかだと?』

『意味はわかります。神であるがゆえ、気に入らないからと人を消滅させようと思う理由の一つであることも理解できます。でもそんな事をして、神様である貴方が、現世の世界へと意図的に災いを降り注ぐ行動が。いたずらに人を不幸にするような結果を招くことが、楽しいのですか?』

『……知った風な口をきくな、小娘めぇぇえ———』


 暴風のような大蛇の咆哮。そうですよね、楽しくなんかないですよね。

 4脚に力を込め、舗装を蹴り込み空へと飛翔する。私は和弓を振るい、曇った雲を振り払う。散っていくように飛散する雲、背中の矢筒から白い矢を取り出すと、弓につがえた。

 黒い大蛇は私達を喰らおうとするべく、ムチのように頭部を蛇行させる。


『アマコ!!』

「クォォォォォォ――――ン」


 アマコの咆哮が風の鎧を作りだす。それは私達を包む鮮やかな気流、陽の盾。蛇行する頭部を避け接近する―――右―――左。狙うは至近距離での一射。

 弓構え、つがえた矢がチカっと緋色の光をまとう。

 打起しからの引き分け―――会。


甲矢はや!』


 離れ、それは渦を描く烈風。黒い大蛇の頭部を貫き―――1中。あと7つ!

 黒い大蛇たちは毒息のような霧を吐き散らす、その場から急降下。迫りくる霧から逃げるように、黒い大蛇の側面を駆けていく。私は背負っている矢筒から黒い矢を抜いた―――。


『消滅するがいい―――』

『そんなもので、私が退くとでも思うんですか!!』

「あるじ様―――」

『今つがえた―――海面スレスレで反転して!』

「ワオオオオォ――――――ン」


 アマコの遠吠え。陽の盾は形を変え、追い風となる。霧より速く―――。急旋回と同時に、アマコを中心に岩波がしぶく。私は引き分けながら弓を振りかぶった―――会へと入る。

 頬に添えた矢が藤色に染まっていく―――月明りのような灯り。目の前のかすみをかき分け、振り払う水月すいげつとなる。放て―――月光の風よ。


乙矢おとや!』


 かすみを裂き、描くは藤色の一線。舞う雫はキラキラと、踊るように散る。―――貫通音パァンッ。黒い大蛇の頭を貫き、――2中。残り6つ!


『なにが日神だ、なにが太陽だ。小娘のそれは偽善ぎぜんでしかない』

『ぎぜん? 違います。これは私のために、私自身のためにやっている事です。皆と一緒に居たいから、今まで助けてもらったから。たとえ大神といえど、悲しみを生み出す存在であるというのなら、私はアナタに反逆するべく、弓を振るいます!!』

『そうか、貴様もワガママだなぁぁ―――』


 八俣大蛇は残る6つの頭部を蛇行させ、海面にいる私を喰らおうとする。水が跳ねた。大気を蹴り込み、そびえたつ巨大な柱を昇っていく。

 そのまま瞬発力を活かした―――屈折する回避運動。真横を通過する黒い逆風を感じて、弓を構えた。頭部を目指して―――駆ける!


『つがえぇ―――しゃぁぁ!!』


 紅き和弓に宿る光の矢、6つ目の頭部とのすれ違いざまに急旋回。引き分けからの離れ。放つは閃光の雷撃、それは大蛇の頭部をとらえた。―――3中。残り5つ!

 蛇行する大蛇は一斉にこちらを向き、口を開け、黒い雲煙うんえんを吐く。


『黄泉へと旅立つがいい、滅びよぉぉぉ!』

『―――煙が、蛇のように蛇行してきたの!?』


 黒い煙に身体が吹っ飛ばされて、煙を吸ってしまったせいで、一時的に身体が麻痺したかのような感覚。思うように動いてくれない……。


「あるじ様、少しだけお力を分けてくださいませんか?」

『え、別にいいけど。どうするの?』


 和弓とゆがけ、背中の矢筒や装飾は白く輝き玉へと戻った。可愛い装束はそのままだけど、道具がなくなっちゃった。神楽を解いたみたい。

 すると、アマコの毛並みがフカフカのまま逆立つ。白狼は大蛇の周囲を駆け、身体から純白の光を放った。白い体毛は光を浴びたかのように輝き、紅い虎模様がクッキリと灯り浮かぶ。


『あるじ様、少しお休みください。妾もちょっと戦いたいのです!』

「ごめんアマコ……しばらくお願いします!」

『この感覚は天津神!? ま、まさか――――』

『久しいですね、オオクニよ。妾は舞い戻ってきました―――』


 私は身をかがめ、アマコに体をくっつけた。

 白狼オオカミの咆哮が響き、相反するかのように大蛇オロチの咆哮が轟いた。それはビリビリと空気が震動しているかのような叫びだった。再び吐かれる黒煙。

 アマコは体を縮め、バネのようにしてその場を蹴り込む。まるで瞬間移動のような速さ。1蹴り、2蹴り―――蛇行する大蛇の噛みつきを避け、煙を散らし進むたびに、身体が引っ張られるかのような感覚。


『おのれぇ、我のほうが遅いだと……やはり天津神か』

『生まれ変わった妾といえど、射手様のお力があればこそ』


 気が付けば大蛇の黒い身体の前にいた。アマコが振りかざした爪による強打撃。刀のようなその振り―――大きく振りかぶった右前足の一線。

 体重をのせたその斬撃は、大蛇のからだを裂いた。すかさず、振り下ろした右前足に体重を乗せ、もう片方の左前足は、下から上への切り払い。その連撃は十文字を描き、黒い大蛇を切り裂く。――4体目の大蛇を無に返す。残るは4つ。

 

「アマコ、つよい!」

『ふふふ』


 大蛇の咆哮、オオクニヌシは狂うように咆哮。周囲からは多数の異形達が集まってくる。山を越え、海を越え、残る4つの頭を持つ大蛇のもとへ集まっていく。

 いったん海岸沿いまで戻り、距離をおいてから様子をみる。白い大蛇は、異形や黒い蛇を喰らいはじめた。それは3匹、2匹と数を減らす。黒煙に包まながらもうねる身体、どんどん大きくなっていく大蛇。

 すると、輝いていた毛並みは少し穏やかになり、アマコの紅い模様が消えた。白狼の姿になり、私にこう言った。


「どうやら、成長した自分の分身を食べて、自分を強化するようです」

「そっか、身体の痺れがとれたら。あれ?」


 後ろから気配を感じて、振り向くと白いキツネ姿のミコト様や、様々な動物姿の神様がいた。白いキツネの神様は、行儀よく座ると、アマコにこうべをたれた。

 アマコは立ったまま、動物姿の神様達を懐かしむように眺めた。


「この時を、どれだけ待ち望んでおったか……よくぞ舞い戻られました。アマテラス様」

「ミコトっち、久しぶりね。ありがとう、別荘を守っていてくれたおかげで、隠れる事が出来たわ」

「もったいないお言葉じゃ……」

「さあ。もう一度、今度は負けませんよ?」


 海に浮かぶ黒い煙の塊へと向き直ると、その雲が徐々に散っていく。

 真珠のような光沢のある白い皮膚に、虎のような黒い模様。

 白い柱を渦巻くような暗雲。緑色の目、鋭い牙が2本。

 海に浮かぶその姿に、圧倒的な威圧感を感じた。

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