八咫鏡
第38話
意識だけが、ぼんやりと漂っている気がした。
ここは――どこだろう。白い世界。音のない世界。
私、転移したんだよね? でもどこに?
でも、なんだかポカポカしてる。あったかいな。
ワンワン!
なんだろう。吠えられてる??
え~。なんで~??
***
「ワンワン!」
灰色の……柴犬さん?? え?
周囲を見渡すと、駅じゃなかった。ここは以前、おウマさんに乗ってお守りを配達しに来た場所。覚えてる、この景色、この建物。でも、あの時はこんなにゆっくり見る余裕がなかったけど、外ってこんな光景だったんだ。結構、小さい神社だったんだね。ふと手を見たら、持っていたはずのお守りがなくなっていた。あれ?
気になって胸元に手をいれると、お守りらしき触り心地。ちょっと安心して、正面に向き直った。
神社に向かって左側は、並木通りのような雰囲気。活力のない木々が、おがむようにたわんでいた。右側は、土手沿いの堤防。こうやってみると、案外高い堤防だったんだ。川が見えないや。―――ワンワンと、さっきから吠えられている。
なんだろ。灰色の柴犬さんが、こっちに来てって言ってるようで。テケテケと歩く小さなその後ろ姿を追いかけた。
黒く変色した門をくぐると、和風庭園が広がる神社の敷地内。看板になにか文字が書いてあるけど、かすれててよく読めないや。左側にある建物は、なんだか家みたいな雰囲気で、旅の疲れを癒す小さな宿屋って感じ。そのまま奥に進んで、本殿らしき建物。
「ワンワン!!」
引き戸をカリカリしながら、開けて! って言ってる感じ。
特に深く考えずに、ガラガラと引き戸を開けた。―――え??
以前見たときとは、まるで雰囲気が違っていた。広々とした奥行きのある空間に、背の高い天井。しかもめっちゃ天井高い。
引き戸をまたいで正面に顔を向けると、大きな神棚のような場所。そこには、消えたはずのくすんだ鏡があった。サカキなども飾ってあって、供物とかを奉るその場所の周囲には、それ以外何もなかった。後ろを振り向くと―――入口が消えました……うぅ。チンプンカンプンだよぉ~。
「ワンワン!」
「近くにいけばいいの?」
灰色の柴犬さんについていくと。鏡のそばにきました。
どうすればいいんだろ?? どうしようかと立ち止まったその時。
柔らかな陽の光が、この空間を包み込んだ。―――え?
徐々に壁や床、天井が白く塗り替わっていく。まるで、太陽の光に照らされていくかのように。
「あれ? 灰色の柴犬さん? どうしたの??」
その犬さんは、鏡を咥えて私のほうに持ってきてくれたんだ。それを受け取り覗き込むと。鏡は白い煙のようなものをふきだし始めた。柴犬さんの身体も霧みたいになって、この場に溶け込んだかのように、飛散した。それがポカポカと温かくて、それが徐々に人の形になっていって、やがて2つの影になった。
(まただ、この前見た、夢の中にいるような感覚)
手に持っていた鏡は宙に浮いて、雲みたいになって消えていった。その時の光が、とても懐かしくて。その人影は、涙が出そうになるくらい懐かしい声で。
あ―――あ。そんな―――どうして――――。声がでない―。
「なんだ弥生。泣いてんのか??」
「やぁね~。泣いてる場合じゃないでしょ??」
姿ははっきりと見えないけど感じた。それが誰なのか、ハッキリと分かった。
(お父さん――お母さん――)
声をかけたいよ―――色々話をしたいよ―――。なんで声がでないの??
こんなにも近くにいるのに、こんなにも手が届きそうなのに。体も動かない。
なんでぇぇ?? どうしてぇぇぇ??
「おう弥生、自慢のわが娘ぇ! いいドレス着てんじゃねぇか。どこで買ったんだ?」
「なにを言ってるのパパ。成人したんだし、着物でしょ。えーっと、なんていう着物かしら?」
え、この服装のこと? これは袴だよ!
弓道着だよ。あのね、私弓道始めたんだ。まだまだへたっぴだし、ちょっと危険な仕事なんだけど、私のやりたい事なんだ。ねぇ、聞いてよぉ!!
声を聞いてよぉぉぉ!!
「さっきから聞こえてんの! そう騒ぐな。相変わらず落ち着きのない娘だな~。せめてカッコいい旦那が見つかってくれりゃぁ言う事なかったんだけどな」
「見た目より生活力でしょ? まぁでも、なんでもいいわ。こうやって会えて、神様に感謝しなきゃならないね」
聞こえて―――るんだ。そうなんだ……私ね、退魔の射手って職業を目指してるんだ。最初は怖かったし、危険な仕事なんだけどね……でもみんなと楽しく過ごせて、楽しいの。
「そうか、でもな弥生。仕事ってのはよ、楽しい事ばかりじゃないんだ。頭が痛くなるくらい辛い時もある。それは仕事によって、辛さは様々だ。ただ忘れちゃいけねぇ事がある」
忘れちゃ、いけないこと??
「やりたい仕事か、やりたくない仕事かだ。苦しくても儲かる仕事もある。楽しいけど儲からねぇ仕事もある。そのどれを選ぶのかは人それぞれだ。理不尽な世の中に揉まれてリタイアする奴もいる。でもな、俺にとっては他人がどうなろうと、どうでもいいんだよ。弥生、娘が笑っていてくれるなら、それでいいんだよ」
お父さん―――身体が、だんだん薄くなっていく。
お母さん―――もう、会えないの?
そんなの―――深呼吸、胸に手をあてて。夢のような雲を振り払い、その声を伝える。
「お父さん。お母さん。ありがとう―――いってらっしゃい。天国でも、仲良くしてね!!」
「ああ、いってきます。でも忘れんな。どんなに辛くたって、自分のやりたい事があるってんなら思いっきりやればいいんだ。やりたい事をやればいいんだ。失敗したってかまやしねぇ、だからよ―――」
「ええ、いってくるわ。だからみんなを守ってあげなさい。その仕事ができるのは、弥生――あなたしか出来ない仕事よ―――」
――― 天国から見守ってるわ。いってらっしゃい、やよい。―――
「俺、ずっと若いままで母ちゃんと一緒だなんて、幸せだ――……」
「それはいいけど、もう若作りはしないくていいですから―――…」
2人の影が消えていく。上空へ、白い天井へ。眼から涙が溢れていた。頬をつたって落ちる雫が、滝のように思えた。鼻水をすすって、でも、もう大丈夫だよ。
私は胸の中にある温かな気持ちを抱いて、両手を伸ばした。ぼんやりと浮かぶ丸い鏡の輪郭。縁は黒くて、鏡の面は磨かれたようにピカピカだった。
私はその鏡を手に取り、そこに映り込む顔を見た。正直、酷い顔だった。なんだかとっても面白い顔。にぃっと無理に笑ってみて、それもなんだかおかしくて。そして、鏡に口づけをした。まるで鏡越しには―――私じゃない誰かがいるみたいで。口づけと同時に、優しい女の人の声が聞こえた気がしたんだ。
「わんわん!」
「うん、よろしくね!」
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