第4話

 目の前が真っ暗になった―――

 そして閉じていた目を、再び開く。


(戻って……きたのかな?)


 確かめるように、周囲の景色をキョロキョロと見渡してみる。明るい空に、緑鮮やかな山々。少し前にみた風景と同じだ。

 頭上を見上げると、相変わらず白かった。服装を確認してもちゃんと就活用のスーツ。ホッとした。


「おかえり」

「あ、ゆり子さん……はぁ、よかった」

「ふふふ。少し疲れたかしら?」

「はい……とっても」


 結局、私は神社に就職することを考えさせてほしいと伝え、教えてもらったように再び神木に手を添えた。

 ちゃんと帰ってこれて、ほんとうに良かったと思う。だって怖かったし。おっさんの姿はなかったけど、ゆり子さんの姿があって安心した。


「弓道場、みていく?」

「あ、でも……」

「理由なんていらないわ。せっかくだし、見ていくといいよ」

「じゃあ、お願いします!」


(弓道はやりたいよ、でも就職はちょっと考えたいかな。あんな生物と出会うなら……)


 ゆり子さんについて行きながら、頭の中ではグルグルとなにかが回っている。

 しばらく歩いて、長い回廊を歩いて。やがてたどり着く。


「あそこから道場に入れるわ、こっちよ」


 回廊から道をまたいで、その建物へと近づいていく。

 入口から中へと入ると、建物の骨組みに使われているこげ茶色みたいな木材に、温かみを感じた。

 ゆり子さんと同じように靴を脱いで、段を登ってフローリングになった床を踏みしめる。すぐ隣には、仕切りみたいになっている窓を挟んで、一面だけ壁のない広々とした空間がある。そこはさっきゆり子さんが弓を引いていた場所だ。

 床にある仕切りをまたぐと、ゆり子さんは頭を浅く下げた。その先には、神棚らしきものがある。


「そこを跨いだら、あの神棚に向かって、同じように浅い礼をしてくれる?」


 ゆり子さんと同じように浅い礼をした。なんで神棚に礼をするんだろ。礼儀作法なのかな?

 そのあと、そこから芝生を挟んだその場所を見ると、的が設置してあった場所だ。


 盛られた土。そこには一つだけ、ポツンと白黒模様の丸い的が設置してあった。

 やっぱり素敵な場所だ、弓道やりたいな〜。


「はい、これがつるを張った和弓わきゅう。持ってみて」

「こ……これわ!」


 ゆり子さんが持ってきてくれたものは弓だった。長さは2メートルくらい。その形はとても魅惑的で、なんか茶色い糸みたいなのが張ってある。

 そして握る部分の上には、竹みたいなものがクルクル巻いてある、そこで狙いをみるそうです。


 私はそれを手にとると、なんだかポカポカした気持ちになった。色々角度をかえて眺めてみるけど、めっちゃ美人!

 人じゃないけど、人だったらアイドル級って感じ。


「たまらんです!」

「ふふふ、良かったわ。今から引くけど、見ていく?」

「はい! ぜひ!」


 ゆり子さんはニッコリ微笑むと、隅っこに座った。

 白い胸当てみたいなのを着けてから、座布団の上あった茶色いグローブみたいなものを手にとる。白い布を手にはめてから、グローブを右手にはめる。そして紫色の帯をクルクル巻きながら、こう言った。


「これはね、かけって言うの。弓道で使う道具の中で、一番大事なもの。その理由はね―――」



―― かけを着けるとき、神様が宿るって、言い伝えがあるからよ ――



「神様が、宿るんですか?」

「そう。弓道って武道なんだけど、昔から神事や祭り事で弓を引く人の事を表すのに、よく言われてた言葉があってね。それを射手いてと呼ぶの」


(なにそれ、カッコよすぎなんですけどぉぉ)


 ゆり子さんは立ち上がり、四角い箱から矢を一本取り出す。私は持っていた弓を手渡すと、隅っこで正座をした。


「そこからなら、よく見えると思うよ。でも、わたしが合図したら、静かにしててね?」

「わ、分かりました!」


 キツネ色のポニーテールが、陽の光で輝いたかのように思えた。

 ゴクリと唾をのみ、その姿にドキドキした。膝の上に乗せた両手を、思わず握ってしまう。


「わたしが弓に矢をたら、それが合図。音が鳴るから」


 カチっとした音が鳴る。たんだ。

 右手を弦に添えて、左手で弓を握る。

 そこから的へと顔を向けた。


 的を向くその横顔は、惚れ惚れするくらいカッコよくて――


 左手を伸ばして、矢と体が平行になるように弓を持ち上げた。

 右手で弦を引っ張りながら、持ち上げた弓をゆっくりとおろしていく。


 反り返っていく和弓が、とてつもなく魅惑的セクシーで――


 やがて矢はその口もと、その右頬に添えて静止した。

 何秒かたったあと――――カシュンッ!


 引っ張っていた右手が、弦から離れた。

 キレがあって、鋭い動きだった。

 そして矢を放ったあとの姿は――

 両手を真っ直ぐに広げて、堂々としてて。


――――――パァ――ンッ!!


 風船が割れたような音が鳴って。

 胸が飛び出しそうになる、そんな気持ちで。

 どうして? こんなにも……こんな気持ち。

 今まで感じた事ないくらい、恋い焦がれてる。


 ゆり子さんは弓をゆっくり降ろすと、両拳を腰に添えた。そして私のほうを見て、微笑んだ。


「どうだった?」

「カッコ良かったです! やっぱり、私も弓道やりたいって思いました!」


 ゆり子さんはニッコリと笑う。でもその後の言葉に、私は我に返った。

 黒い袴と、ポニーテールがそよ風で揺らいで。なんだか遠い目をしていた。


「別にね、神社ここじゃなくても弓道は出来るの。ここで弓を学ぶってことは、それはやがてある射手にならないといけない。それは酷く辛いし、過酷な道よ」

「ゆり子さん……」


(キツネの神様が言っていたことかな……)


「でも、得るものもあるわ。本当に自分の好きなことをやって生きていける。大好きな弓道で、ご飯を食べていける。毎日弓を引いて、稽古して。それは楽しいよ?」

「自分の、やりたいこと———」


 何度も挑戦した就職活動は全敗。大学も中退したせいか、ろくに就職なんて出来なかった。

 いろんな業種を受けてみたけど、どれもダメで。どれもやりたい事じゃないんだって、そう思いながら受けてた。自覚してた。

 でも———私は弓道をやりたい。それが仕事になるなら、それが私のやりたいこと。そう思うんだ。


 だから、これが最初で最後のチャンスかもって。


「ゆり子さん、教えてください。初心者でも、弓道は上手くなれますか?」


 その言葉に、ゆり子さんは意外そうな表情をした。でも、すぐに真剣な表情になった。教えてください、お願いします。


「弓道はね、最初は誰だって初心者なの。私もそう、初めて弓を持って、練習して。だからそれは大丈夫。でも、ここで弓道をやるってことは、それ相応の覚悟がいるのよ? もう一度考えてみて———」

「私はもう決めました。過酷な道かもしれません、それでもやりたいって気持ちがつよいんです。だって、一目惚れしたんです!! 生まれて初めて、こんなにも好きになったこと、なかったから。この気持ちを忘れたくないんです———」


 キツネの神様は、こう言ってた。


《退魔の射手はの、死せる者の念を貫き、世に降りそそぐ災いを振り払うのじゃ。それは神の使いとしての仕事。誰かに感謝されることも少ない、特別な役割なんじゃ》


《なんですかそれ……それって、なんのメリットがあるんですか?》


《メリットはの、弓の道に生きていく事。それとな———》


『弓に恋をした人達と、一緒に喜びを感じたいんです!! それが、人生でなによりも価値がある、大切な時間になるって思えるから!』


 よう子さんは目を閉じて、何か思考にふけっている。

 そして目を開けて、弓を私に差し出した。


「………よう子さん?」

「きっと、幸せになれるわ。だって、わたしも弓が大好きだから」


 私は弓を受け取ると、それをギュっと胸に抱きしめた。

 まるでずっと自分が探していた、宝物のように。


 空は澄んだように蒼くて、陽の光がとっても暖かくて。

 この出会いは、運命なのかな? でも、運命じゃなくてもいい。

 

 だって――みつけたから。ずっと探してた私のやりたいこと。

 忘れたくない、一生で一度しかないこの気持ちを。

 これから歩んでいく、私の道を―――



 ***



 神社の回廊から、弓道場の射場を眺める男と、白いキツネの姿があった。

 男は腕を組み、キツネはその場にチョこんと座っている。


「ミコト様、これで良かったのですか?」

「そうじゃの。初心者じゃが、あの娘はゆくゆく、化けるじゃろうな」

「フン……いつになることやら」

「しかしお主も、何故嘘をついたのじゃ? 結界は外れておったろうに」

「やはりミコト様の仕業でしたか。そうですね、もしかしたら俺も、期待していたのかもしれません」

「なるほどの〜。ま、しばらくは飯を食わしてやってくれ」

「ええ、そのつもりですよ。あの小娘は、新しい家族なのですから」

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