第8話

 綿矢は懇請する相手に冷酷な言葉を放つ。

「無理だ。理由はどうであれ、猶予など与えられん。きみは数日中に懲戒免職、書類送検となるだろう」

麻木は顔を上げ、綿矢を睨みつける。

「私は至急、警備部に行かなければならん。これ以上、きみと話している余裕はない。時間の無駄だ。奥さんは別の方法で助けなさい」

綿矢は一度も麻木に視線を向けず、残酷に切り捨てた。靴音を鳴らし、その場を立ち去っていく。失望で唇を噛んだ麻木は、床に拳を叩きつけた。綿矢は階級に関係なく、警察官を一種の道具として見ている。それを私益のために使う。妨げる害があれば、容赦なく排除する。千里の場合もそうだ。自身が有利になる一枚のカードに過ぎない。


 捜査会議が終わり、数分が経った。諏訪が綿矢に解析結果を報告した際、「指示があるまで捜査員は待機」と命じられ、諏訪は捜査本部にそのまま伝達していた。千里は腕を組んで立ち、大型モニターに映し出されている監禁された男の写真画像を見ている。そばでは高円寺が進行席に腰掛け。歯がゆい表情で頬杖をついていた。

「人質はもう殺されてんじゃねえのか?」

高円寺が発した一抹の不安を、千里が一蹴する。

「それはない」

「なんで言い切れる?」

千里はモニターに視線を向けたまま答えた。

「犯人は自分が定めたルールをちゃんと守ってる。現に、私がクイズをクリアしてから今まで、殺しの通報はない」

そのとき、進行席の固定電話が鳴った。近くにいた高円寺が受話器を取る。綿矢からだった。

「はい・・。わかりました。」

高円寺は送話口を手で押さえ、会議室内に散在する捜査員に大声で呼びかけた。

「おい!集まってくれ!」

その呼びかけに応じて、滝石や諸星ら捜査員たちが進行席に詰め寄ってきた。高円寺がスピーカーボタンを押して言った。

「どうぞ」

千里はその場を動かずに耳だけを傾けた。綿矢の重々しい声が流れてくる。

―犯人は現在も写真の現場にいる可能性が高い。こちらが答えを言えば、監禁した男性を人質に立てこもるかもしれん。よって、機先を制しSATを出動させた。数分後に到着する。そちらにも映像が届くようにしておいたので、確認してくれ。

綿矢が下した決定に、高円寺が異論を唱える。

「お言葉ですが管理官、SATでは男性の命が危うくなるかもしれません。ここはSITを用いて交渉に当たっては?」

SAT(特殊急襲部隊)とSIT(特殊事件捜査班)は、同じ警察の特殊部隊だが、はっきりとした差がある。SATの任務は事件の制圧であり、状況によっては犯人の射殺もあり得る。そのため、立てこもり事件の場合などは、人質が危険に晒される恐れがある点である。対して、SITの任務は人質の救出、犯人の逮捕を優先としているので、可能な限り、誰の命も奪わずに事件の解決に努めるといった点にある。

―事態は一刻を争う。制限時間を過ぎれば、犯人は男性を殺害する。交渉をしている余地などない。

高円寺の意見を、綿矢は即座に退けた。

―本日中に収束を図るつもりだ。念のため、捜査員各位は通常捜査に当たるように。以上だ。

綿矢がそう言ったあと、電話は切れた。場は一瞬静まり返る。

「犯人はそこにいないと思うけど・・・」

千里がひとり呟く。その呟きが耳に入った高円寺は深くため息を吐き、声を荒げて訊いた。

「だから!なんでそうやって言い切れるんだよ!」

高円寺の問いに、千里は正面を向いたまま淡々と答えた。

「問題は全部で三問あるんでしょ。今は第一問。ここで捕まったら、残り二問が出題できなくなる。犯人がよほどのバカじゃなきゃ、いつまでも居座ってないでしょ」

捜査員の視線が千里に集中するなか、さらに高円寺が問う。

「じゃあ現場には、監禁された男しかいないってことなのか?」

「そう」

ひと言発した千里は、先ほどから自分に目を留めている捜査員たちに鋭い一瞥を飛ばした。

「ジロジロ見るな」

威圧的な千里の言葉遣いに、高円寺ら男たちはそれぞれ多方向にその視線を逸らした。

「あの・・、あれ・・、管理官が言ってた映像、届いたらモニターに出してくれ」

怖気を隠すかのように高円寺は部下に指示を出した。千里は顔を上げて頭を働かせる。クイズはあと二問。その二問は一体なんなのだろうか。そして、犯人の目的はなにか。必ず真の動機が存在するはずだと。


 七節町にある歓楽街の一角。廃業したラブホテルの道路を隔てた向かい側。中華料理店の入っている建物の外階段に、SATの隊員ふたりがいた。ビデオカメラを搭載したドローンがホテルの壁面を飛んでいる。ひとりはタブレットを使ってそのドローンを操作し、もうひとりは双眼鏡で動きを追い、微調整を行っていた。監禁場所と思しき階である四階部分の窓を中心に、ドローンがひとつずつ部屋の内部を確かめていく。カーテンなどがないため、覗くことは可能だが、窓自体がさほど大きくないため、部屋全体を把握することは難しかった。しかし、カメラはひとつの部屋に人の姿を捉えた。


 ホテルから見えない場所では、息を潜むかのように、黒塗りで武骨なフォルムのマイクロバスが一台停まっていた。その車内では、数人のSATの隊員が完全武装で控えている。無線機を手にした小隊長が、部屋の内部を映した映像をモニター越しに見ていた。

―対象発見。

太陽の光のみで薄暗いが、ふたりいることは確かであった。隊員は無線で告げると続けた。

―ひとりは写真の男性と同じ。もうひとりは上下ともに黒い服装、拳銃を所持。男性の左側頭部に向けています。覆面をしており、顔は確認できず。

拳銃を持ったそのひとりは、黒いシャツに黒いズボン、パーティーなどで使用されるようなピエロのマスクで顔を覆い、監禁した男と一緒に正面を向いている。そのマスクの愉快そうな笑顔は、逆に薄気味悪く見える。窓はそこから、やや距離を置いた箇所に設置されているが、ドローンに気づいている身振りはない。監禁されている男は、なんとか自由になろうともがいている。意識はあるようだ。

「ほかに誰かいるか?」

共犯の仲間がいないとも限らない。小隊長が無線機を通じて問う。

―わかりません。現状はふたりだけです。

「ふたりだけ・・。被疑者はひとりか・・・?」

小隊長は呟いたあと、外にいる隊員に指示した。

「捜索から監視に切り替え。少し様子を見る」

―了解。


 それから五分が経過したが、映像に動きはない。あがいている男に対して、隣にいる覆面の人物は微動だにせずに立っている。

「被疑者はひとりだけみたいだな」

落ち着いた低い声で言った小隊長は、運転手の隊員に呼びかける。

「発進しろ」

それに応じて車は走り出した。


 ホテルの出入り口は正面と裏のふたつ。いずれも両開きの扉であるが、正面口はドアハンドルに≪立入禁止≫のプレートが付けられた太い鎖が巻かれ、閉ざされている。だが、先発した隊員が裏口の鎖が解かれているのを発見。立ち入ることができる状態であるのを確認していた。


 やがて車は、ホテルの裏口の前で停まった。踏み込むなら今だと、小隊長は意を決する。

「セーフティ解除」

隊員たちは短機関銃の安全装置を外し、態勢を整えた。

「オペレーション開始」

小隊長の号令のもと、後部ドアから部隊が一斉に降車し、飛び出した。隊員のひとりが速やかに裏口の扉を開けると、隊列をなした隊員たちが銃を構え、ホテル内へと入っていく。


 七節署の捜査本部のモニターには、潜行して階段を駆け上るSATの隊員の後ろ姿が、幾人か映し出されている。列の最後尾にいる隊員のヘルメットには、小型のカメラが取り付けられているため、SATの今ある状況がリアルタイムで中継されているのだ。隊員が発する無線の声も会議室内に流れている。モニターに群がっている捜査員らは固唾を呑んで、その映像に注視した。千里は少し離れた場所で、腕を組みながら窓際に寄りかかり、それらを眺めている。


 部隊が該当する部屋の前に着いた。先頭の隊員はゆっくりと、閉じられたドアのレバーに手をかける。開いた。施錠はされていない。ドアをわずかに開けた状態で、その隊員が声を抑えて無線で報せる。

―現着、配置完了。

無線を聞いた小隊長は、映像でも確かめたあとに返した。

「合図があるまで待機」

それから無線の周波数を変え、ある者に判断を仰ぐ。

「突入許可願います」


 ある者とは綿矢であった。警視庁警備部内の一室で椅子に腰掛けている。前の机には、モニターと卓上型のスタンドマイク、そして矩形の無線機器が置いてある。モニターには、小隊長や捜査本部が見ている映像と同じものが映っていた。

「突入しなさい」

綿矢はマイクに向かって静かに命じた。


 小隊長は周波数を戻し、待機中の部隊に伝える。

「許可が下りた」

次いで、無線機から声を上げた。

「突入!」

その合図を受け、先頭の隊員が閃光手榴弾のピンを抜き、ドアを開けて室内に投げ入れた。手榴弾が部屋の奥に届いた瞬間、白く眩い光と耳をつんざくような音が鳴り響いた。と同時に、短機関銃を構えた部隊が内部へとなだれ込む。隊員が取り押さえるべく犯人の肩に手を触れたとき、反射的に不自然な違和感を覚えた。


 捜査本部のモニターは、ほとんどが真っ白で状況がわからない。そのとき、現場からの無線が流れた。

―男性の身柄保護。無事です。

その報告に、七節署の会議室内は安堵の声に沸いた。


 隊員が組み伏せようと、犯人を仰向けに倒した。まるで凍り付いたかのように、固まったまま動かない。変に思った隊員が、しゃがんでマスクを脱がすと、肌色で目や口がない輪郭だけの顔が露わになった。犯人が持っていた拳銃が転がっているのを別の隊員が見つけ、手に取ってみると、重さが違う。本物ではない。


 犯人確保の一報がないのを不審に感じた小隊長が、無線に問いかける。

「被疑者は?」

―被疑者はいません。

「どういうことだ!?もうひとりは?」

―マネキンです。被疑者ではありません。拳銃はエアガンのようです。

モニターの映像から、それを確かめた小隊長の胸中は複雑であった。男は助け出せたものの、犯人を捕まえることができなかったからだ。


 眉間を寄せた綿矢は、机に両肘をついて指を組んだまま、その結果をモニター越しに見つめていた。


 監禁されていた男の名は柴谷功吉しばたにこうきち。五十代前半で、スポーツ刈りにした黒髪に、地蔵に似た柔らかな顔のその男は、七節町の住宅街で小さな電器店をひとりで営んでいる。柴谷は念のため、近くの病院に運ばれた。状況が状況だけに疲弊している様子ではあったが、特にひどい外傷や内傷は見受けられなかった。しかし、首筋にスタンガンを当てられた痕があった。どうやらそれで気絶させられ、拉致されたらしい。病院に赴いた刑事の聴取にも、柴谷は快く応じた。話によれば昨日の晩、閉店準備のために店から外に出たところ、急に身体中がしびれて気を失い、目覚めたら顔にビニール袋を被せられ、身体と足をガムテープできつく巻きつけられていた。犯人の姿は見ておらず、なんで自分が監禁されたのか、心当たりが全くないという。


 捜査本部の最後尾席に座る千里に、堀切が数枚の用紙を手に駆け寄ってきた。

「緋波警部。頼まれていた件、調べておきました」

「どうだった?」

「不審な人物がひとり、浮上しました」

自信に満ちた顔の堀切は、持っていた用紙を千里に渡し、説明を始めるのだった。


 翌日、午前十時の五分前。捜査本部では捜査員らが見守るなか、千里は立ったまま、動画投稿サイトの生配信を介して犯人と対峙していた。

「場所は、<リーベ>っていう潰れたラブホテル」

千里が答えを言う。

―正解です。

「男の身柄なら保護してる。あんたも知ってんじゃないの?」

そんな千里の言葉を無視するかのように、犯人は次なる問題を出してきた。

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