第6話

 クイズは瞬く間に最終局面を迎える。

―問題です。円周率の小数点以下、第三百十二位の数字は?

千里は顔を伏せて目を閉じた。まぶたの裏の眼球が、羅列を読むかのように高速度で左右に動いている。その脳内は、さながら量子コンピュータの様相を呈しているのだろう。

「やめろ」

高円寺が諸星の腕を摑んだ。上着からスマートフォンを取り出したのを見て止めたのだ。

「さすがに無理ですよ」

危惧を示す諸星を高円寺はたしなめた。

「なぜか俺らの動きが犯人に読まれてる。余計な事すんな」

そのとき、千里は瞳を開いて顔を上げ、数字をひとつ言った。

「六」

―正解です。

タイムリミットは残り二秒であった。

―全問正解です。おめでとうございます。

明るい効果音が流れ、画面上に色とりどりの紙吹雪が舞い落ちる。

―賢い警察官も存在していたようですね。これで、七節町の平和は保たれるでしょう。

声は語を継ぎ、結びの言葉で締めようとする。

―以上で配信を終了します。皆さん、お疲れ様でした。

「ちょっと待って」

千里が遮った。そして問いただす。

「なんでこんなことしてんの?警察に恨みでもあるわけ?それとも遊びのつもり?」

場がわずかに沈黙した。直後、声はひと言こう発した。

―あなた方にはわからないことです。

その声は、どことなく忌まわしげに聞こえた。


 悲惨な結果とならずに配信は終了したが、千里の胸中には、わだかまりの余韻が残っていた。高円寺は念のため、警らを強化するよう指示を出した。犯人が嘘をついて犯行に及ぶとも限らないからだ。捜査員たちが散って行くなか、デスクトップパソコンの前には、壁に寄りかかって腕を組む千里と、その両側に滝石と高円寺がそれぞれ立っていた。そこへ堀切がやってくる。

「犯人がどこで配信を行っているのか、おおよその位置がわかりました」

「どこだ」

高円寺が訊くと、堀切は続けて報告をした。

「最後に犯人が言ってた言葉、あれだけ犯人が直接打ち込んだものでした。スマホからなのは判明しています。そこから辿ってみたところ、やはり七節町であることがわかりました」

それから堀切は、言いづらそうに語を継いだ。

「あと、今の配信。こっちが不正をしたのではないかといったコメントが乱発していました」

「そりゃそうだわなあ」

高円寺は手を腰に置いてあごを摩った。不正行為はしていない。だが、カメラが顔を映していないこと、千里の迅速な解答、それらを視聴者が見聞きすれば、不正をしていると疑われても仕方がない。

「私は引き続き、調査を進めます」

そう言った堀切に、高円寺が短く返した。

「頼む」

堀切は一礼したあと、ノートパソコンを持ち、自分が所属するサイバー犯罪対策課の面々がいるスペースへと移動していった。その姿を後目に、高円寺は訝しい表情で呟いた。

「にしても妙だよなあ・・・」

高円寺の考えていることに感づいた千里が微笑を浮かべた。

「あんただって、もう察しがついてんじゃないの?」

千里にも同じ考えが浮かんでいたようだった。

「じゃあ、まさか署内に・・・」

目を見張る高円寺に、滝石が訊ねた。

「どういうことです?」

それには千里が答えた。

「昨日は警官が偽者だってすぐにバレたんでしょ。それに今日はカメラの位置が違ってたのに、あっちはなにも言わずにクイズを進めた。なんでだと思う?」

千里に問いかけられて、滝石は困惑した。

「それは・・・」

解が出せない滝石に、千里は説明を施した。

「メールの中身を知ってる署内の誰かが事前に教えてた。相手が本物の警官なのか。ズルはしてないか。つまり、犯人と通じてる奴がいるってこと」

「えっ・・!?だとしたら、捜査本部か警務課の中に?」

にわかには信じ難いと滝石が言った。

「偽者の件、それ聞いてたの捜査本部の連中だけ?」

千里が訊くと、高円寺はうなずいた。

「ああ。警務課には伝えてない」

「とすると、その連中の誰か」

千里の言葉に滝石は懐疑心を抱いた。

「でも、そんなこと・・・」

あり得ないだろうと思っている滝石に、千里は問うた。

「なら、ほかにどう説明する?」

「どう・・、んー・・・」

滝石は返答に窮した。さらになにか言いたげな千里であったが、先んじて高円寺が話し出した。

「不幸中の幸いは、殺しを真似する奴が出てこないぐらいだな。業火の道化師とかいう奴は、メールじゃ≪人を殺す≫と書いてるが、配信ではひと言も言ってない。要するに、七節町で起きた殺しが奴の仕業だとわかってんのは、本人と警察だけってことだ」

そこで千里が割って入る。

「自分のしようとしていることを他人に邪魔されたくない。だからえて言わなかったのかもね」

途端に含み笑いをした千里は、いい加減な言葉を継ぐ。

「けど、その警察が真似したら面白いわね。嫌いな奴殺したりなんかして・・・」

侮辱にしか聞こえない。

「なんだと?」

高円寺は気分を害し、不機嫌になった。

「でも、勘のいい人ならわかるんじゃないですか?七節町の事件は、ニュースや新聞でも報道されてますし、堀切さんの話では、配信の際にそういったコメントが出ていたと聞いてます」

滝石の異論に、高円寺はがさつに返す。

「放っとけ。騒ぎたい奴は騒がせとけばいい」

警察が殺人犯とクイズ対決していますなどとは、口が裂けても言えるわけがない。高円寺がそのような心境を抱いているとき、部下から声がかかる。

「係長、管理官からお電話です。捜査の進捗状況を聞きたいと」

「わかった」

答えた高円寺はその場を離れた。真面目な顔つきになった千里は、独り言のように自身の考えを述べた。

「ゲーム感覚でやってるように見えるけど、なんか違う。クイズに負けたから、ズルしたから殺した。というより、最初から殺すことは犯人の中で決まってた。だから、難しい問題を出したり、ズルせざるを得ない状況に追い込んだ。じゃなきゃ、あんな滅茶苦茶で、あからさまに警察に不利なルール提示してこない」

それを聞いた滝石が言った。

「緋波さんはクリアできたじゃないですか」

「あれは偶然」

偶然にしては人並外れた知識力だった。そこまで謙虚だと、逆に疎まれないかと滝石は思った。千里は独白を続ける。

「被害者はどうかまだわかんないけど、少なくとも犯人は警察を恨んでる。おとしめようともしてる。配信って手を使ったのもそのため。攻撃や拒絶欲求が強い奴かも」

そんな千里に滝石は質問した。

「カメラが正しい位置になかったのに、向こうがなにも言ってこなかったのは、緋波さんが本物の警察官で、不正もしてないことを事前に知ってたから?」

千里は小さくうなずいた。

「そう。見てる奴がなんと取ろうと、自分がそれをわかっていればよかった。変なとこで律儀よね」

「緋波さんがしたことにはびっくりしましたけど、考えてみれば、答えてる様子をカメラに映すのは、あくまで確認のため。そうしないと犯行に及ぶなんてルールはなかったですし、不正行為にも当たらない。犯人としてはある意味、痛いところを突かれたって感じでしょうか」

「わからないことがまだある」

怪訝な表情で千里はうつむき、語を継いだ。

「なんでここなんだろ?本庁や、ほかの所轄じゃなくて、なんでこの署に絞ったんだろ?」

滝石は自分なりにその疑問を説いた。

「この街は犯罪率が高いです。大小を問わず、事件が頻発してるってことです。殺人事件では多くの人員が投入されますが、仮に同じ場所で、ほかの類似した事件が続けざまに発生すれば、所轄署の人員は割かれるでしょう。本庁の方々だけで捜査を行うこともできますが、そこの土地勘がないと厳しいのが実状です。場合によっては捜査を遅らせる要因になってしまいます。犯人からすれば都合がいい。その蓋然性がいぜんせいがある七節町ならば、逮捕が難しいと考えて選んだのではないでしょうか」

筋は通っているが、千里はどうも釈然としない。

「疲れた・・。もう寝る・・・」

呟いた千里は、背を向けて歩き出した。

「寝るって、まだ八時前ですよ」

滝石は腕時計を指して言った。今は夜だが、就寝するには早い時間帯だ。しかし、千里はその声を聞き流し、会議室を去っていった。


 翌朝、警務課を通じて新たな予告メールが届いた。またもクイズだ。指定された時刻は今日の午前十時。解答者は言うに及ばず、千里であった。現在のところ、殺人事件の通報は来ていない。


 時間が近づく頃、千里は七節署の誰もいない屋上にひとりでいた。鉄柵に背を預け、空を見上げている。考えに没頭しているようだが、右手にはバタフライナイフを持っていた。二分割された柄から刀身を出し入れし、慣れた手つきで操っている。千里は退院後、外出時はそのナイフを常に携帯している。自衛のためか。もしくは別の理由か。それは本人にしか知り得ない。


 階段を駆け上る足音が近づいてくる。その音に気づいた千里は、急いでナイフの柄を閉じ、デニムパンツのポケットにしまう。やってきたのは滝石だった。

「緋波さん。そろそろ時間です」

千里は黙って歩き出し、会議室へと向かった。


 指定された時刻となった。ウェブカメラはそのまま、デスクトップパソコンのモニターの下に放置してある。そのパソコンの画面から、ピエロのイラストが出てきた。昨日と一緒だ。

―警察の皆さん、こんにちは。

今ではお決まりの挨拶である。しかし、そのあとがそうでなかった。警察官かと確かめる問いも、警察手帳の提示もさせずに、突としてクイズが始まったのだ。

―問題です。この人物がいる場所はどこ?

文字が打ち込まれた吹き出しマークの下に表示されたのは写真画像だった。どこかの部屋の中のようだが、電気の照明が入っていないらしい。写真は正面からライトか、フラッシュか、光が当てられている。そこには男がいた。体格からして確かだった。その男は頭部に黒いビニール袋を被って顔を隠し、紺のワークパンツにグレーの作業服らしき上着を身に着け、木製の椅子に座っている。椅子の背板や背柱、前脚と一緒に、それぞれ胴体と両足首をダクトテープで幾重にも巻かれていた。拘束を受けているのは一目瞭然であった。特に目を引いたのは、写真の右側に黒い手袋をはめ、銀色の回転式拳銃を握った右手が映っており、男のこめかみに銃口を突きつけていることだった。

「これ、監禁されてんのか?」

千里からやや離れた場所で、ノートパソコン越しに写真を見た高円寺が呟いた。思わぬ展開に驚いている様子だった。ほかの捜査員たちに交じって、滝石や諸星も顔をこわばらせている。そのとき、声は続けてこう言った。

―ヒント。七節町のどこか。子どもは入れません。ですが、今は入れます。

対して千里は、黙然と視線を動かしていた。写真から、なにかポイントになりそうなものを探しているといった動作だった。そして、声は告げる。

―制限時間は明日の午前十時。よって、配信は一時中断します。当日、指定時間の五分前になりましたら配信を再開しますので、その際に答えをおっしゃってください。時間切れ、不正解、及び解答がない場合、この人物を殺します。ただし可能ならば、制限時間前にこの人物を救出してくださっても結構です。

声は挑戦的に聞こえた。高円寺の言うとおり、男は監禁状態にあるようだ。

―それでは一旦、配信を終了します。皆さん、お疲れ様でした。


 配信が終わると、捜査員たちにどよめきが起こった。

「とうとう配信で言いやがったな。こいつ」

高円寺が手を腰に置いた。業火の道化師、つまり犯人は、殺人予告を公然と打ち付けてきたのだ。

「至急、画像を鑑識と科捜研に回して解析してもらいます」

堀切はノートパソコンを操作して、先ほどの写真画像を取り込み、拡大させた。

「だったらさあ・・・」

千里が堀切に歩み寄った。

「ここ、調べてもらってくれる?」

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