第5話

 千里はモニターの上部に取り付けられたウェブカメラに気づき、それを指差して諸星に問いかけた。

「なにこれ?」

「カメラです」

「カメラはわかる。どうして付いてんの?」

「犯人が要求してきたんです。本当に答えてるかどうか確かめたいからって。でも実際は、配信で視聴者に見せるためだったんですけど」

その説明は受けていない。千里はカメラの首を動かし、左に向けた。

「ちょ、なにやってんですか!?」

捜査一課の巡査部長、椎名剛しいなつよしが声を上げた。堀の深い顔で、三十代半ばといった印象の男だ。

「私、顔晒したくないの」

千里は腕を組み、壁に寄りかかった。

「そんなことしら、犯人に注意されますよ」

椎名が警鐘を鳴らすが、千里は呆れたように返した。

「注意って・・。なんで警察が犯人に注意されなきゃいけないのよ」

千里の行動を見た滝石が懸念を示す。

「でも、また昨日みたいなことになったら・・・」

滝石はそう言って高円寺に視線を飛ばす。

「なんだよ。俺が悪いってのか?」

どこか責めるような目つきの滝石に向かって高円寺が言った。

「少なくとも、自分はそう思っています」

滝石が私見を述べると、高円寺は自己弁護を始めた。

「だってしょうがねえだろ。ああでもしなきゃ、被害を防ぐ手段がなかったんだからさあ」

「けど結局は、人ひとり殺されたじゃないですか」

ふたりの言葉の応酬を見て、気になった千里が訊ねた。

「なんの話してんの?」

「実はですね・・・」

滝石は昨日の出来事を千里に語り出した。


 昨日の朝、犯人が指定した午前九時が近づくころ、捜査本部にはスーツの男がひとり来ていた。名前は福地凪ふくちなぎ。福地は警察官ではない。平凡な四十代の会社員だ。しかし大学生時代、勝ち抜き戦方式のクイズ番組で全国制覇したことがある男であった。高円寺の部下である中村が上司の指示のもと、各局のテレビ局に徹夜で連絡を取り、七節区管内でクイズに長けた人物をやっとのことで見つけ出し、本人に協力を求め、なんとか了承を得ていた。肉付きのよい丸顔の福地は緊張した面持ちで、進行席に置かれたデスクトップパソコンの前に座り、待機している。

「福地さん」

福地に声をかけた高円寺は、そばまで来ると説明を始めた。

「犯人は警察官かと訊ねてくるのでしょうから、「はい」と答えてください。あと、警察手帳を見せるよう言ってくるかもしれません。その際はこれを」

高円寺はズボンのポケットから警察手帳を取り出すと、長机の上に置いて語を継いだ。

「あなたと似た容姿の警察官の手帳です。これをカメラに向けて提示してください。ただし、あまり近づけ過ぎないように」

「わかりました」

福地はうなずいた。

「万が一、問題がわからないようでしたら、手のひらで机を二度叩いてください。出題された時点で、そちらにいる捜査員が答えを調べてあります。それを相手に気づかれない形であなたに知らせます」

高円寺が隣を指した。そこには、部下の柿田がノートパソコンの前に座っており、福地に軽く礼をした。その様子を見ていた滝石は妙な不安に駆られていた。明らかに高円寺がしようとしていることはズルだ。犯人の要求に背いている。数時間前に女の遺体が発見され、最初の現場と同様の殺害方法、そして、メッセージが記されたカードも見つかっていることから、同一犯と捜査本部は推定している。焦っているとはいえ、果たして功を奏するのかと思っていると、時間が来た。堀切の合図でサイトに接続すると、先日と同じ画面が表示され、同じ声が流れた。

―警察の皆さん、おはようございます。

そのあと、予期しなかった言葉が発せられた。

―あなたは警察官ではありませんね。

「えっ!?」

離れて見ていた高円寺は、まだなにもしていなのになぜだと、動揺した表情で声を漏らした。

「わ、私は・・、その・・、えっーと・・、け、警察官です」

思いもよらない展開に、福地は狼狽うろたえながらも警察手帳を開いてカメラに向けた。

―違います。それは別人の警察手帳です。あなたは警察官ではありません。そのうえ、警察の皆さんは、答えをインターネット検索しようとしています。

声は断言し、締めくくった。

―不正行為によるルール違反。失格です。よって、これから七節町で不幸が起きるでしょう。

配信は三分とかからなかった。そして数時間後、雑居ビルで男の刺殺体が発見されることになる。


 その話も千里は知らされていなかった。

「あんたら、バカだね」

千里のひと言に、白髪交じりの黒い髪を撫で上げた中年層の男、捜査一課の警部である麻木徳人あさぎのりとが嚙みついた。

「バカとはなんだ!こっちは必死でやってんだぞ!」

今にも殴りかからんとする麻木を、周りの捜査員が押さえて止めに入る。

「麻木さん、落ち着いてください」

怒る気持ちはわかるが、内輪揉めしている場合ではないと高円寺がなだめた。

「カメラの向き、直したほうがいいんじゃないですか?」

不安を感じた滝石が、千里を見ながらカメラを指して語を継いだ。

「椎名さんの言うとおり、犯人が絶対指摘してきますよ」

千里は正面に視線を遣ったまま拒絶の意を示す。

「それでも嫌。だったら別の奴に頼んで」

毅然としてはねつけた千里は、自分の左側、進行席でノートパソコンを操作している堀切に呼びかけた。

「ねえ」

堀切が気づいて千里に顔を向ける。

「そこにいたら映るわよ。移動したら?」

確かに、カメラのレンズが堀切に焦点を当てている。

「は、はい。そうですね。わかりました」

千里の言葉を受けて、席を移ろうとノートパソコンを持った堀切は、なにかを思い出し、そのまま捜査員らの前にやってきた。

「報告があります」

堀切がそう言うと、高円寺が訊いた。

「なんだ?」

「犯人は配信の際、AIを使用してます」

高円寺が聞き返す。

「AI?」

千里は耳を傾けた。堀切は詳しい説明を始める。

「配信で流れていた声を科捜研で分析してもらったところ、人の発した声でないことが判明しました。それでこちらも調べましたら、犯人はAIを使って配信の全てを行っていたことがわかりました」

「じゃあ、あれは犯人の声じゃねえのか」

高円寺が言うと、堀切はうなずいた。

「ええ。開始や進行、終了もAIが自動で行い、会話もチャットGPTを使用しており、解答者が問題に正解すれば、次はより難しい問題が出題されるよう、プログラムされているようです」

「だったら、犯人はなにもしてないのか?」

問うた高円寺に、堀切はやや異なった見解を示す。

「不具合が起きた場合に備えて、配信の様子は監視していたと思います。現に昨日のチャットではAIとは別に、直接犯人が文字を打ち込んでいた形跡があり、それらを声が読み上げていたようです」

高円寺は腕を組んだまま椅子に背を預けると、眉間に皺を寄せた。

「俺らはAI相手にクイズしてたってことかよ」

それから堀切はもうひとつ付け加えた。

「被害者が殺害された時刻と配信が終了した時刻が近いんです。そう考えると、犯人はスマホから配信を監視していたのかもしれません。もしかすると、犯人はすでに現場におり、私たちがゲームオーバーになったらすぐに相手を殺害できるよう、待ち伏せしていたのではないでしょうか」

「だとしたら、防犯カメラに細工をしたのは間違いなく犯人ですよ。ちょうどその時間帯の映像がなかったわけですし」

滝石が言った。それに諸星が続く。

「不正解で終わったら、警察が警らをさらに強化することは犯人も予想してるはず。だから先手を打った。被害者が現場にいる時間と配信の時間を調整したうえで犯行に及んだ。そうか、それで配信時間がバラバラだったんだ」

ふたりは納得顔になった。高円寺が呟く。

「その時間帯だけ現場にいれば、それほど不審に思われない。作業員に変装すれば、怪しまれずにカメラに細工もできる・・・」

高円寺は一応の理屈が通ると思うと同時に、もっと早く気づくべきであったと歯をきしませた。そして千里は口を閉ざしたまま、頭の中で犯人像を推定していたのだった。


 指定時刻の十五分前、仮眠室に荷物を置いた千里が捜査本部に戻ってくる。進行席のデスクトップパソコンの前に立った千里は小さく声を荒げた。

「なんで元に戻ってんのよ」

先ほど、千里が方向転換したはずのウェブカメラが正面を向いている。誰がやったんだとばかりに、近くで集まっている捜査陣を睨む千里を見て、閉口した高円寺ら捜査員たちは、頭や両手を振って自分ではないと否認の意を示す者、目を伏せて知らん顔を決め込む者など、それぞれがいた。苛立った様子の千里はカメラを取り外し、放り投げた。その行動に、捜査員たちが声にならない声を出し、一瞬ざわついた。カメラはちょうど、モニターの真下に落ちた。


 午後五時五十九分。配信まであと一分。千里は椅子には座らずに、立ったまま両手を机に置いて前屈みになり、デスクトップパソコンに表示されている待機画面を凝視している。その千里から少し離れた場所で、高円寺ら幾人の捜査員は一か所に控えて目を注ぐ。前では堀切が椅子に腰掛け、配信元の特定のためにノートパソコンを操っている。隣にはもう一台、ノートパソコンが置いてある。これは、実際どう外部に配信されているのか、警察としても確かめる必要があるためであった。このころ、配信を視聴した区民やマスコミから、署内に問い合わせが殺到していた。視聴者のひとりが輪島の知り合いらしく、当人を本物の警察官だとネット上で明かしたのだ。それに加え、犯人が「七節町」という言葉を使っていることから、映し出された場所が管轄の七節署ではないかとの噂が広がっていたためだ。ある程度予測はついていたが、やはり対応には苦慮しているそうだ。それが拍車をかけたのか、反響を呼んだのか、非常に短い時間、回数の配信ながらも、待機者数は一気に百人規模にまで大きくなっていた。警察や運営者側が映像の拡散防止に努めてはいるが、一部の映像は出回っているらしい。


 午後六時となった。暗い画面にピエロのイラストが浮かび上がる。

―警察の皆さん、こんばんは。

声が流れた。ウェブカメラは落ちたままだ。高円寺がノートパソコンに映し出された配信画面を見る。無線接続なので繋がってはいた。しかし、千里の胸から下、手元しか映っておらず、顔が全く確認できない状態であった。不安がよぎる捜査員らを他所に、その声が問いかけてきた。

―まず、クイズに解答するかどうか、その有無を聞かせてください。解答する場合は「はい」。しない場合は「いいえ」とおっしゃってください。

「はい」

千里がスタンドマイクに向けて素っ気ない返事をした。

―あなたは警察官ですか?

「ええ」

―警察手帳をカメラに映るように提示してください。

写真や名前をさらけ出したくない千里は警察手帳のバッジ部分のみを、モニターの下に転がっているカメラのレンズに掲げた。バッジしか見せなくて大丈夫だろうか。だが、声は意外にもそれを許した。

―確認しました。それではクイズを始めます。

こうして、千里と業火の道化師なる犯人との対決が開始された。

―問題です。二千五百二十の正の約数の個数は?

「四十八」

千里は即答した。

―正解です。

「早い・・・」

諸星が驚嘆して呟いた。輪島と比べて、答えるスピードが違うのは明白だった。

―問題です。共同体における『ゲマインシャフト』と『ゲゼルシャフト』の概念を提唱したドイツの社会学者は誰?

「たしか・・・」

今度は輪島が堅い表情になって呟いた。

「フェルディナント・テンニース」

千里は冷静沈着に答えた。

―正解です。

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