第19話 私だけの暖房

 

 イルミネーションの煌びやかな夢が覚めていくように、私の目に見える景色は普段と何一つ変わらない日常へと戻っていく。

 駅から少し離れた道をアパートに向かって歩くと、街灯がポツンと一つだけ、ベンチだけを照らしている小さな公園が見えた。

 ベンチの近くには自動販売機が佇んている。ただそれだけの質素な公園。

 先ほどのイルミネーションとは真反対の特別感のない日常的な景色になぜか、立ち止まってしまった。

 

 「清水さん、なんか飲みたい?」


 街中のイルミネーションとはまるで違う、温かみのない自動販売機の青白い光に、朝一さんの顔が照らされている。どことなくその横顔が私には寂しげに見えた。

 

 「あ……じゃあ、ココアで」

 

 「了解〜」


 朝一さんが赤く光ったボタンを押すと、ガコッと缶が落ちる音がして、ミルクココアの温かい缶が取り出し口に出てきた。


 「ほい」


 私のぺたんこな胸に向かって朝一さんはココアを放り込んだ。

 ココアの缶が暗い闇の中、宙を舞う。


 「あっ! ちょっ、危ないです!ってか、熱っ……」


 放り投げられたココア缶は握ると思っていたよりも熱くて、ハンバーグを作る時みたいに、ココアの缶は左右の手を行き来している。

 今度ハンバーグ作ろうかな。もちろん朝一さんも一緒に……

 あ、私来月にはアパートを出るんだ。それが朝一さんとの最後の思い出になるかもしれない。

 憂鬱な気持ちが靄がかかるように立ち込める。

  

 「ナイスキャッチ♪」

 

 朝一さんは満足そうにグッと親指を立てる。


 「……さっき言ってた大事な話ってなんですか」


 私はココアの缶を握ったまま朝一さんの目をじっと見つめた。

 

 「じゃあ、ベンチもあるし座って話そうか」


 一転して落ち着いた口調で朝一さんは話し始めた。

 

 「私ね、実の親に全く愛されないで育ったんだ」


 「……」


 「父のことは顔も名前も知らないし、母からはずっと虐待されてた。そして私が四歳の時にっ……」


 朝一さんの言葉が胸の奥でキュッと詰まった。そんな気がした。

 朝一さんの近くに寄るとそこだけ冷たい空気が強まっているのがわかった。

 遠くで電車がカタンカタンと通り過ぎる音がした。


 「私、清水さんと出会って思ったの。私のこの能力はこの人と出会うために、一緒にいるために授けて貰ったんじゃないかって……私、生まれて初めて自分を好きになれたの」

 

 朝一さんの瞳に溜まった涙が、降り注ぐ街灯の光を受けて煌めく。

 冷たい空気が若干弱まった。

 その涙をいつものダウンジャケットの袖で拭い、まっすぐ澄んだ瞳で私の両目を貫くように見つめる。

 

 「清水さんは冷たくなった私の身体を温めてくれる、私だけの暖房。世界中探しても、清水さんしかいない。だから……」


 朝一さんの声は震えていた、そして、もう一度大きく息を吸った。

 

 「私と一緒にいてください!」


 静まり返った住宅街にある小さな公園。街灯の灯りだけが私たち二人を照らしていた。


 「私も、本当は一緒にいたいです。正直言って朝一さんの能力のこともまだ不安です」


 まだ私は下を向いてしまう。いっそここで、私も一緒にいたいって母の呪縛から逃げ出せば楽になれるのに。

 すると朝一さんがベンチから立ち上がった。

 

 「じゃあ、私。清水さんと一緒に清水さんのお母さんのこと説得するよ」

 

 「え……?」


 私はハッとして朝一さんの方を見上げた。

 

 「清水さんのお母さんだって、心配してくれているつもりだろうけど、それは決して『純愛』じゃないって清水さんが一番わかってる」

 

 「でも、それは……朝一さんの問題じゃ……」


 「問題だよ! だって私、これからも清水さんと一緒にいたいから! だから、一人で抱え込まないで」


 朝一さんが私を抱きしめる。頭を撫でる手が冷たい。

 すると頬に伝ってくる感触がした。私はいつの間にか泣いていた。

 そのまま私は朝一さんの胸で泣いた。多分朝一さんも少し泣いてた。

 お互い思っていることは同じ、ただ愛されたいだけなんだ。


  ◇ ◇ ◇

 

 「清水さん、ちょっとは落ち着いた?」

 

 「……はい」


 私が落ち着いた頃には、自販機で買ったココアの缶の中身はとっくに熱が冷めていてぬるくなっていた。

 

 「朝一さん」


 「清水さん、どうかした?」


 朝一さんはおしるこを流し込む。


 「キス、しませんか」


 私がそう言うと、朝一さんは盛大に咳き込んだ。

 

 「ちょ……!? 清水さん!? 本当にどうかしちゃったの!?」


 思ったより本気で動揺された。まぁ無理もないか、私から求めたこともないし。

 

 「失礼ですね……したいんです。今」


 「心の準備が……!」


 正直言って私も、外に聞こえてしまうんじゃないかってくらい、心臓がドキドキしている。


 「いい……?」


 朝一さんの冷たい手が私の頬にそっと触れる。

 そのまま私は朝一さんの声に頷く。

 ぎゅっと目を閉じる。今は心臓の大きな音しか聞こえない。

 互いの唇が重なる、バニラのほんのり甘いリップクリームの香りがした。


 「んっ……」


 「目、開けて」


 目を開ける。すると朝一さんの舌がぬるっと口の中に入ってきた。


 「——ッ!?」

 

 考える間もなく一瞬で私は溶かされた。


  ◇ ◇ ◇


 私の初キスはしっかりディープで終わった。

 本当にあるんだ。こんなこと

 いまだにぼんやりとした脳みそが冷たい空気で冷やされるのを感じる。

 

 「はぁ、はぁ……これは想定外です……反省してください」


 荒くなった息遣いを戻しながら、朝一さんには反省してもらう。

 

 「ご、ごめんなさい……つい……」


 朝一さんは申し訳なさそうにしょぼーんと小さくなっている。

 

 「つい?」

 

 「う……だって……清水さんが可愛かったんだもん」


 朝一さんは上目遣いでこっちを見る。全く言い訳になってない。

 

 「…ッ! だもんじゃないです!! 今度からは家でお願いします!外は……流石に恥ずかしいので……」


 「外じゃなければいいの!?」


 あ、まずい、うっかり自分サイズの墓穴を掘ってしまった。

 朝一さんの目は今までの何百倍も輝いている。そんなにしたいのか……


 「……ダメです!!!」


 「ちぇー……あ! 清水さん! 見て!」


 突然、朝一さんが夜空を指差す。つられて私も真っ黒な夜空を見上げた。


 「あ……雪だ」


 真っ黒な夜空から白い雪がちらちらと舞い降りてくる。それほど今日は寒い。

 後になって知ったけど、今日は木日向町、実に十二年ぶりのホワイトクリスマスだったらしい。


 「じゃあ、寒くなるしそろそろ帰ろっか」

 

 朝一さんがベンチから立ち上がって、手を差し伸べる。

 

 「そうですね」


 差し伸べられた朝一さんの手をとる。


 「清水さんの手、あったかい」


 朝一さんは私の手をカイロを揉むように握る。

 

 「それ毎回言ってますね、そんなにあったかいんですか?」

 

 「え……清水さん無自覚だったんだ……すごいあったかいよ?」

 

 いつの間にか、握られた手は恋人繋ぎになっている。


 「これも、もう恥ずかしくないかな?」


 「恥ずかしいですよ……ってか私まだ朝一さんの恋人になりますって一言も言ってませんよ!?」

 

  咄嗟に手を離してしまった。

  

 「……!? こほん、私の恋人になってくれますか?」

 

  朝一さんが唐突に膝をついて、私の手を取って言った。

  王子様のようなそんな振舞い。こんなところで恥ずかしいなんて感情はどこかに飛んでいった。

 

 「……私で良ければよろこんで」


 そう言って、私は朝一さんの手をとった。

 雪がしんしんと地面に積もっていく。雪の上、足跡がうっすらと見えるくらいまで積もっている。

 今夜はホワイトクリスマス、私たちは晴れて恋人同士になった。

 手を繋ぐのも、キスをするのも、ムードなんかこれっぽっちもないけど、私たちらしくて、これはこれでいいかもと思える。そんな特別な日になった。


————————————次回「嘆願」


※次回タイトルは変わる可能性があります…ご了承ください


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