雪舞う窓辺にて

 しんしんと降り積もる雪が音もなく世界を染めていく様を、私は黙って眺めていた。


 山小屋風のペンション、そのリビングである。広い室内には片側に暖炉が据え付けられ、薪とハーブの良い匂いが部屋いっぱいに広がっている。私が座すのはその反対側、腰までの高さの窓がある一角で、こちらは大きなロッキングチェアと、足元に小さなヒーターが置かれていた。


 ぐらり、ぐらり、私は椅子を揺らしながら窓の外を見る。時刻は既に夜に近く、夕暮れを帯びた空は橙色に染まりながら、飽きることなく雪花を降り注がせている。人の姿はあまりない。ここから見える家々にはそれぞれ人がいるのだろうが、雪深いこの地では夕刻からもう皆あまり出歩かないのだ。窓から見えるのはひたすらに降る雪と、雪が積もった庭と街路、それから沈んでいく夕日ばかり。まるで世界中から人が消えてしまったかのように静かな景色だな、と思って、私は思わずくすりと笑った。


 ――こんなことを考えていると、また「お前は感傷的だなぁ」と笑われてしまうかしら。


 そこまで考えて、私は慌てて辺りを見回す。広いリビングには他に客の姿はなく、先程まで暖炉で作業をしていたオーナーも、気が付けば席を外していた。誰にも一人笑う様を見られなかったことにホッと胸を撫で下ろすと、私はまた窓の外に目を移す。


 冬の夕日は沈むのが早い。先程まで橙色に染まっていた空は既に紫へと変じて、それも端から夜の黒へと変わっていく。遠く見える山の向こう、烏が列を成して飛んでいくのが小さく見える。一際大きい鳥は、鳶か、もしかしたら鷲かもしれない。飛び去る烏の数を数えるともなしに数えていると、ちろり、と視界の端を何かが掠めた。何気なくそちらへ目をやると、ずんぐりとした狸が一目散に草藪の向こうへ走っていく。真っ新な雪に点々と散る足跡は、辿っていくとこの部屋の雨戸の下まで続いている。意外に気が付かないものだな、と、私は妙に感心してしまった。


 ――彼等から見たら、きっと私の方が侵入者なのだろう。彼等のテリトリーに勝手に入ってきて、温かな部屋の中でぬくぬくとしている……


 それは人間と動物の違いであって、私が疚しく思うことは何もない。それでも何となく「ごめんね」と心の中で呟くと同時、コンコンとノックの音が響いて、私は顔をそちらに向けた。


「失礼します。ココアをお持ちしましたけど、良ければいかがですか?」

「あ……ありがとうございます。いただきます」


 片手で扉を開けて入ってきたのは、いつの間にか席を外していたこのペンションのオーナーだった。壮年の彼は頭を下げる私にニッコリと笑うと、静かに近づいてきてお盆に乗せたココアをテーブルに置く。温かな湯気が立ち上るマグカップに、私はほぅと息を吐いた。


「ココアなんて何年ぶりかしら。自分だとなかなか飲まなくって」

「そうですよねぇ。私もこうしてお客様に出す時くらいしか飲まないんですよ。でも、何と言うか、こういう場所だとちょっと飲んでみようという気になりませんか?」


 こういう、と言いながら、オーナーがぐるりと部屋の中を指差す。私は小さく笑ってその言葉に頷いた。


「確かに、少し特別感があるかも」

「ね。……と、あまりお話してお邪魔してもいけませんね。夕食もじきに出来上がるので、そしたらまたお声がけしますから」


 人当たりの良い笑顔で言って、オーナーはそのまま部屋を出て行く。私はもう一度頭を下げて彼を見送ると、マグカップをそっと持ち上げた。とろりとしたココアにはマシュマロが二つ浮かんでいる。何となくそれを嬉しく思いながら一口飲み下すと、熱い液体はじんわりと腹の底に溜まって、私を中から温めるようだった。その温かさに誘われるようにもう一口、もう一口と口に運んで、半分ほどを飲み干すと、私はそっとカップをテーブルに戻した。


 ――美味しい。本当に、否定できないくらいに。


 温まった手を、そっと自分の腹に当てる。そこには今飲んだココア以外には何もない。何も。


 ――それがたまらなく悲しくて、寂しい。


 じわりと、今度は目元に熱が溜まる。私はすっかり暗くなってしまった外に顔を向けながら、途方に暮れた顔をする自分と目を合わせて、小さく呟いた。


「……不思議ね。あなたもこの子もいないのに、ココアは美味しいし、雪は綺麗なのよ」


 頼りない声の語尾は、抑えようもなく震えている。目の前が一気に曇るのを感じながら、私は立ち上がると、冷たい窓ガラスにそっと額を押し当てた。最後の残照が消える間際、残火に照らされた雪原がきらりと輝く。


 ――あぁ、やっぱりどうしたって、


 この目に映る世界は、どうしようもなく美しくて、優しい。それが悲しくて、泣いてしまいそうなほどに痛くて、私は泣いているような、笑っているような吐息を吐くと、静かに目を閉じてその場に立ち尽くした。



♢♢♢♢♢



使用お題:雪 盆 雨戸

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