土に想いを還すなら
長らく育てていたアデニウムが枯れたのは、秋も終わりに近づいたある日のことだった。
ここ最近は特に寒さが増していて、日向ですら二十度を超えないような日が続いていた。ほんの一週間前までは上着もいらないような陽気だったというのに、最近の地球は幾分と極端である。人間の私であっても堪えるような寒暖差であったので、人間よりも体の小さな観葉植物が耐えられなかったのも無理からぬことと、私は少しの寂しさと共に枯れた鉢植えをそっと持ち上げた。
アデニウムは黄緑色の茎に淡いピンクの花を咲かせる、小さな観葉植物である。丁度夏の終わりに可愛らしい花を咲かせて楽しませてくれたばかりであったので、私はささやかな日々の御礼に、この小さな鉢植えを葬式に出すことにした。
樹木と草花の葬式。俗に樹木葬と呼ばれるそれは、本来のそれとは違って観葉植物や木々に対して行う葬式である。感覚としては、ペットの葬式に近いだろうか。単身者が集まる地域では、狭い室内でペットを飼えずに植物を育てている人も多い。そうした人達の需要を受けて最近流行っているサービスである……らしい。私も電車の広告で見るばかりで、詳しいことはあまり知らなかった。
私は持ち上げた鉢植えをそっとテーブルに置くと、スマートフォンで『樹木葬 植物』と入力する。途端に幾つかの葬儀屋(と呼べばいいのだろうか)がヒットしたので、しばらく迷った後に、結局は比較サイトに頼ることにした。比較の対象となるのはプランと料金、予約の取れやすさ、それから式全体の雰囲気、だとか。三十分程その記事を読み込むと、悩んだ挙句に一番しっくり来た葬儀屋にオンライン予約を入れる。喪主の名前や植物の種類を入力すると、最後に大きめに設けられた『お見送りする草花との思い出』の項目で、私の手はぴたりと止まった。
――思い出。この小さなアデニウムとの。
私はテーブルの端でちんまりと座っている鉢植えに目を移す。茶色く鄙びかけたその植物と私の間の思い出は、そう、あるとしたら一つだけだ。今でも育てているほかの観葉植物にはなくて、この花との間にだけあるそれは、私にとっては優しいような、切ないような。
――この花は、先日別れた恋人が、「君のような花だと思ったから」と言って買ってきてくれたものだった。
とても誠実で穏やかな、春に咲く桜のような人だった。いつも黒縁の眼鏡をかけて、お洒落な服を買うよりは新刊の小説を買う方が嬉しいと言うような、絵に描いたような文学青年。本なんて雑誌しか読まない、アウトドアが趣味の私とは真逆のタイプで、共通の友人の式の二次会で出会わなければ一生知り合うことはなかったような、そんな、文字通りに住む世界の違う人だった。
きっとお互い、最初から長く続かない予感はあったのだと思う。一瞬の熱から恋が始まって、けれど一瞬しか燃えなかったものは、やはり冷めるのも早くて。交際していたのは、結局は半年に満たない程度。「君のようだから」と買ってきた花が開くのを見ることもなく、彼は私の元を去って行った。別れの時、彼は泣かなかったし、私も泣かなかった。彼の方はどうだか知らないが、私の方は泣くほど感情が育っていなかったというのが大きい。僅かばかり置いてあった彼の私物は別れたその日に処分してしまって、ただそれでも、この鉢植えだけは捨てる気にならずに、今まで世話をし続けたのだけれど。
それは彼への未練とか、そういう女々しいものではない。ただ何となく、私はこの花そのものに少しばかり愛着が湧いていたのだ。彼に対する愛情は一瞬で消え失せたのに、毎日健気に水を飲むこの小さな植物への情だけは、どうしてだか消えなかった。自分でも自分が不思議である。
私はそこまで思い出すと、小さく苦笑いをして予約ページの記入欄に『特になし』と書き込む。最後に送信ボタンを押すと、スマートフォンを鞄に放り込んで、ソファの背もたれに思い切り寄りかかった。
――未練ではなく、ただの情。それでも、命が一つ離れていくのは、やはり少しばかり寂しいものではあって。
今日は一人で献杯でもしようかな、と。何気なく考え、私は植物相手にそこまでしそうになっている自分に、少しだけ笑ってしまったのだった。
♢♢♢♢♢
使用お題:草花 葬式 鞄
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